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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな単語
配信日 08年10月13日
タイトル 人権
ダメダメ家庭の人間は、立派な言葉を使いたがる。
自分で物事を考えないし、会話の能力もないので、自分の考えをわかりやすく伝えるなんて発想がないわけ。そもそも伝えたいこと、それ自体を持っていないことが通例となっている。
ダメダメ人間が、唯一言いたいことは、「ワタシは悪くないわ!」そんなことくらい。

だから、出来る限り「会話を終了させる」言い回しを使うんですね。つまり形の上では「立派な言葉」を使っても、結局は「捨てセリフ」だったりするわけです。その言葉が立派であればあるほど、議論にならない。だからやり取りが終了することになる。
相手から合意を取るのではなく、「反論されない」という二重否定的な状況を作ろうとするわけです。
以前に、そのような「捨てセリフ」系の立派な言葉と一つとして、「平和」という言葉を取り上げました。
ダメダメ人間は、「平和」という言葉を使いたがる。何と言っても「平和」という言葉をつけておけば、人から突っ込まれませんからね。

これでメンドウな会話は終了だ! 
はぁ〜ヤレヤレ。

今回は、その「捨てセリフ」系の立派な言葉で、「人権」という言葉を取り上げましょう。
「人権」って、実に立派な言葉でしょ?「人権を大切にしよう。」と言われれば、誰だって反論できない。そのような「効果」は、まさに「平和」という言葉がもたらす効果と全く同じですよね?

しかし、「人権を大切にしよう!」という言葉は良いとして、具体的にはどうするの?
毎日、人権について考えるの?
重要だからと言って、じゃあ、いつもいつも考えなくてはならないの?

それこそ、人間にとって、人権よりも大切なことがありますよね?
たとえば、呼吸すること。
人間にとって呼吸って大切でしょ?
「人間にとって、呼吸なんて大したことではない。人権の方が重要なんだ!」そう思っておられる方もいらっしゃるかもしれませんが、だったら試しに1時間くらい呼吸するのを止めてみたら?きっととんでもない事態になっていますよ。人権が1時間侵害されても、それほどの事態にはなりませんよ。後でリカバリも可能ですよ。

やっぱり呼吸って重要でしょ?
しかし、だからと言って、人間がいつもいつも呼吸のことを考えているわけではありませんよね?「息を吸って、息を吐いて、肺を動かして・・・」と、いつもいつもそんなことを考えている人間っていないでしょ?
重要だから考える必要があるというものではないわけです。
重要だからこそ、考えずにできるようになっているのが、自然の形ですよ。

呼吸について考えることが必要になる・・・となると、たとえば空気が薄い高地などがあります。あるいは、体調が悪い場合にも呼吸について意識したりする。身体の調子が悪いと、ちょっと息苦しくなったりしますよね?
つまり、考えなくてはならないこと自体が、問題ということなんですね。高地に行くために準備するとか、体調を回復させるとか・・・そのような対応策が必要となるでしょ?
呼吸することを考えて、息を吸って、息を吐いて・・・それを意識することで、問題が解決するわけではないでしょ?

人権についても、同じように考えることができるでしょ?
だいたいにおいて、人権という言葉が頻繁に飛び交っている地域に、マトモな地域はない。
酸素濃度が低い高地だからこそ、呼吸について考える必要があるように、人権が薄い地域だからこそ、「人権!人権!」なんて、やかましく言われるわけでしょ?

何も酸素の薄い高地でがんばらなくても、低地に降りればいいように、人権の薄い地域から降りればいいじゃないの?そこで十分な権利の元、自分がやりたいことをやればいいだけですよ。
実際としては、「で、自分自身はどうしたいのか?」ということについて考えることが一番重要でしょ?しかし、「人権」という立派な言葉を持ち出すことにより、思考停止を獲得できることになる。

人権という言葉で声高に主張している状況は、「自分こそが一番、権利が侵害されている。」・・・つまり、「自分が一番かわいそうな人間である」という心理が見られるケースが多いでしょ?
だから他者に対する配慮がないもの。
別の人間の権利には配慮しないし、動物の権利にも配慮しない。それこそ、何かと人権という言葉がやかましく飛び交う沖縄とか大阪などでは、動物に対する酷い扱いが話題になったりしますよね?
「人権は大事だから、動物の権利は無視していいんだ!」ってことなの?

しかし、人権という言葉が「自分こそが一番かわいそう。」という被害者心理を表す言葉だと理解すると、このような状況も理解できるでしょ?人権という言葉が語る意味はともかく、その言葉の心理は、その人の「強い被害者意識」なり「会話の不全」でしょ?
人権という言葉が頻発しているところでは、往々にして、人間の尊厳がない・・・そんなものでしょ?

以前に言及したエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」での言い方を使うと、人権という言葉は「○○からの自由」そのものでしょ?人権という言葉は「○○をする自由」を意味しませんよね?だからこそ、人権という言葉は、その人の精神的な抑圧や自己逃避・・・そしてそれに安住している様を表現しているわけ。結局は、尊厳から遠いわけ。

実に、典型的だなぁ・・・と思わされた事例があります。
長崎県で、自分の子供がイジメにあった・・・ということで、その母親が長崎の教育委員会に「イジメは重大な人権侵害だ!」と抗議し、その光景をマスコミに公開したことがあります。

いやぁ・・・見事なダメダメだなぁ・・・
イジメを人権侵害と表現するのは、論理的に、あるいは言語的には「可能」でしょう。間違ってはいませんよね?
しかし、それで何が伝わるの?
しかし、ダメダメ人間は会話が苦手。そして自分で説明したいこと自体が存在しないわけ。だから、とおりがいい立派な言葉にすがらざるを得ない。
「これ言っときゃ安心!」「これで、誰も突っ込んでこないだろう!」なんて言葉を使いたがるわけ。
そして持ち前の被害者意識を叫ぶだけ。

しかし、そんな会話能力のない親、そして相手の思考を引き出すことのない問答無用の言葉を乱発している親が、自分の子供とどうやって会話しているの?
「お母さん!ボクは学校でイジメにあっているんだ!」
『なに?それは重大な人権侵害だ!教育委員会に抗議してやる!』
それって、親子の会話なの?

それに、教育委員会に抗議する光景をマスコミに公表する親の心理は、やっぱりコレ。
「ワタシがどんなにかわいそうな被害者なのか、わかってほしい!」
そんな被害者意識が強い親が、子供とどんな話をするの?
やっぱりコレでしょ?
「あ〜あ!オマエを育てるためにワタシの人生を棒に振ってしまった!」

そんなことを言っている親に、子供もフランクに相談できませんよ。というか、そんな抗議のシーンを公開されてしまった子供はどうなっちゃうの?あるいは、そもそも、その女性の夫はどうなっているの?
それも不思議でしょ?

自分の子供へのイジメに抗議する親の姿から、「なぜに、その子供がイジメられるのか?」が完璧にわかるわけ。
しかし、そんな親は自分で何も考えないから、「人権」などという「通りがよく」「ありがたい言葉」で、何事も処理する。

本当に自分の子供のイジメの問題を解決したいと思っているのなら、ちゃんと子供と会話でき、自分自身の考えを持っているマトモな人間の元に、自分の子供を養子に出すことが必要でしょ?
抗議をした親本人が了承しなくても、強制的にでも親権を取り上げないと解決しませんよ。そんな親失格の大人に育てられる子供の側が気の毒ですよ。

逆説的な物言いですが、子供の人権を守るためには、「人権」という言葉が飛び交っている地域から退避した方がいいわけ。そして、何かと言うと「人権」という言葉を叫ぶ大人の元から、避難した方がいいわけ。
現実的にそうでしょ?

しかし、そんな強制的な手段を使って、子供の人権を守ろうとしたら、そんなダメダメな親はどういうでしょうか?
決まっていますよね?
「このワタシに対する重大な人権侵害だ!」

(終了)
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発信後記

ちょっと前からのアメリカ発の金融危機ですが・・・
一般的には、市場というものは、経済の論理で動きます。それこそ利率とか収益率とか・・・
しかし、市場というものは、経済の論理だけでなく、心理的な論理でも動くわけ。特に、パニック的な状況になると経済的な合理性なんてあってない状態。
パニックに陥っている人に、経済の理屈を語っても、無意味なんですね。

今の市場のパニック的な状況も、そのうちに落ち着くでしょうが、その後では経済の論理がまた登場してくるでしょう。
心理的に冷え切って、それゆえに経済的に冷え込むことになるのは、簡単に予想できること。そして経済的に冷え込むと、ちょっとしたことで心理的な危機感が、噴出したりするもの。

まあ、トラブルって、規模は別にして、家庭内でも、割とそんな感じでしょ?
R.10/12/14