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配信日 08年10月27日
タイトル お墓についての二,三の事項
このメールマガジンでは、たまに「お墓参り」について触れたりしております。
そんなちょっとしたイヴェントから、ダメダメ家庭の問題が見えてきたりするもの。

それこそ、以前に日本で首相をされた小泉さんは、靖国神社にお参りするニュースはあっても、自分の父親のお墓に墓参りするニュースはありませんでしたよね?
後任の安部さんとか、福田さんは父親の墓参りをするニュースが出てきました。
しかし、小泉さんの時は、少なくとも私が記憶している限り、そんな父親の墓参りのニュースはなかったわけ。

たぶん、小泉さんは、自分の父親がキライなんでしょう。
しかし、だからこそ「あんな父親のようにはなりたくない!」なんて思って、そんな反発が、イザという時に爆発的な力となる・・・そんなこともあるわけです。
一国のトップたるもの、「いい子」じゃあダメなんですね。

墓参りをする姿から、埋葬されている人を肯定的に見ていることが推定できます。逆に言うと、墓参りを「しない」姿から、その埋葬者を否定的に見ている・・・このことは、言われてみれば当然のこと。

何も政治の世界ばかりではありません。

なんでも大昔にロス疑惑なる事件があったそう。
三浦さんという会社社長が、保険金目当てで、自分の妻をロス・アンジェルスで拳銃を使って殺した・・・と警察が主張した事件です。結局は、日本の裁判で無実となり、チョット前にその三浦さんは、サイパンで逮捕されてアメリカで自殺してしまいましたよね?

刑事事件的なり、あるいは法律的な観点から、裁判所で無罪なり無実なりを判断するのが、この世というもの。そんな観点から三浦さんは日本で無実となったわけです。それはそれでいいのですが、心理的なり芸術表現的には、別の観点があるものです。
「その三浦さんが、ロスで銃撃された妻の墓参りをしていたのか?」
そんな観点もあるわけです。

妻の墓参りを継続的にしているのなら、まあ、無実。
妻の墓参りをしていないのなら、ちょっとあやしい。

そう言えるでしょ?そんな推論は、皆様も納得するでしょ?
これは裁判で証拠になる視点ではないでしょうが、実に、そこから本質が見えてくる視点でしょ?

もちろん、一般的には首相になるわけではないし、殺人事件とは関わりになることもないでしょう。

しかし、墓参りをする姿を見ることで、参る人が持つ、埋葬されている人への感情が見えてくる・・・それは言えるでしょ?
否定的に見ているからと言って、その祖先のお墓に落書きをしてくるなんて行動をするものではないでしょう。否定的に見ていれば、そもそもお墓参りなんてしないもの。

さて、ダメダメ家庭は連鎖するもの。
ダメダメな親が持っている自己逃避なり被害者意識が子供に次々と連鎖してしまうわけ。
被害者意識の強い親は、子供に向かってグチばかり。
「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」
「いったい誰ために、こんな苦労をしていると思っているんだ!」

そんなグチばかりの親を肯定的に見ている子供がいるわけもないわけですが、ダメダメ家庭は被害者意識ばかりではなく、自己逃避も連鎖するもの。
そのグチばかりの親をしっかり見つめ、自分で考えればいいわけですが、それから逃避するのが、まさに自己逃避というもの。
結局は、自分の親のことは考えなくなるわけ。
だから、何かというと、国家の制度の問題にしてしまったりすることになる。
自分の親への敵意を、国家に投影して、その投影先にクレームをつけることになる。

しかし、国家の制度の問題は色々と考えても、自分の親のことは何も考えず、何も言及しないわけ。
それこそ、日本の女性運動の闘士の方々って、その典型でしょ?

自分の親について考えたくないんだから、当然のこととして、お墓参りなんてするわけもない。わざわざ出かけて行ってイヤな記憶を思い出すこともない・・・そのように考えるのは当然のこと。
せめて、「ワタシは祖先が大嫌いだ!」と自覚しているのなら、それでいいわけですが、そんな自覚から逃避するのが、ダメダメ家庭の人間。

と言うことで、ダメダメ家庭の人間は、実にお墓参りと無縁になってしまうわけ。

そうなると、30歳を過ぎた年齢になっても「生まれてこの方、お墓参りはしたことがない・・・」なんてことも起こってしまう。
あるいは、「お墓参り?・・・うーん・・・旅行中にゴッホのお墓やベートーヴェンのお墓には行ったことはあるけど、自分の祖先のお墓には行ったことがないヨ。と言うか、場所知らないし・・・」
なんて事態になったりするわけ。

以前にもちょっと触れましたが、子供にとって、お墓参りなんて楽しいイヴェントではありません。
子供が「せがんで」行くものではないでしょ?
基本的には親が子供を連れて行くものですよね?

しかし、その親自身が、自分の親について考えることから逃避している状態となっている。そんな親に育てられた人間も、自分の親のお墓なんて行くわけもない。もちろん、まだ存命中でお墓に入っていない場合もあるでしょう。しかし、その祖先の祖先は、まあお亡くなりになっているでしょ?だったら基本的には祖先のお墓くらいありますよ。存命中の祖先・・・つまり、自分の親であり、子供にとっての祖父母と一緒に行ってもいいわけでしょ?
しかし、ダメダメ家庭の子供は、お墓があっても行く機会がないわけ。

子供時代に墓参りをしていないんだから、大人になってもするわけもない。
自己逃避が連鎖するように、墓参りをしないことも連鎖するわけ。

お墓参りをすることで、埋葬されている自分の祖先について改めで考えて見ることもできますよね?そのことを通じて、自分自身についても考える。
本来は、そのことだけでもメリットでしょ?
しかし、自己逃避の人にしてみれば、自分自身について考えること自体がイヤ。
だから「自分は、親などの祖先を嫌っている。」と自覚することもできない。

そんな人は、まさに「何も考えず」に子供を作って、自分が「祖先」の立場になってしまう。
そして、親譲りの被害者意識から、子供に対して「オマエを育てるためにワタシの人生を棒に振った!」とグチることになる。

そして、「こんなに苦労しているんだから、オマエはワタシの老後の面倒をみるんだぞ!」「もしワタシが死んだら、立派なお墓を立てて、ちゃんと墓参りをするんだぞ!」と子供に命令することになる。
命令された時には、その言葉には反論をしない子供も、実際に、親の死という事態になったらどうするのか?まさに、親が自分が建てたお墓に入った後はどうするのか?

それは分かりきったことでしょ?
そもそも墓参りの方法を親から習っていないんだから、どうしようもないわけ。
だから、墓参りしないことが連鎖してしまう。

実家から離れて住んでいて、その祖先のお墓と地理的に距離がある場合も、多いでしょう。
しかし、2年に一回くらいは行けるでしょ?
自分の親がまだ存命だったら、顔を知っている直接の祖先がお墓に入っていないケースも多いわけだから、その場合は、頻度も小さいでしょう。しかし、親が存命であっても、親の親もいるわけですしね。
親が子供を呼んでお墓参りをすることもあるでしょ?
人間にはお亡くなりになっている祖先くらいはいますよ。だから、基本的にはお墓くらいはあるもの。

その祖先の墓参りを通じて、自分自身について、自分が送った過去について考えてみる。このことは有益なのでは?何も宗教的な観点からではなく、自分自身なり自分の過去を振り返ることは有益でしょ?それに、たとえ距離的に遠方であっても、それほど費用がかかるわけではありませんしね。

「この人はちょっとダメダメかな?」なんて疑惑が生じた場合には、そんなお墓参りの話をしてみると、色々と見えてくると思います。
もともと楽しい思い出ではないわけだから、大して記憶に残っていないとはいえ、そもそもお墓参りの記憶なり、その頻度がほとんどない・・・そもそもイヴェントとしてのお墓参りをしていない・・・それがダメダメ家庭。

そんな家庭は、過去の関係や時間を否定的に見ているだけではなく、結局は現状も否定的に見ている。
だから、往々にして写真もない。それに、写真を取ろうとしない。
お墓参りをしない家庭は、写真もない・・・と書くと、確かにそうだろうなぁ・・・と思われるでしょ?

「祖先のおかげで今の自分がある。」と思っているのではなく、「コイツのようなダメダメな祖先のせいで、自分はこんな目に!」と感じているのがダメダメ家庭の人間。
それは実際にそうなんですが、そのことを自覚することから逃避しているわけ。

ヘンな話になりますが、毎年、墓参りをして、改めて、自分の祖先なり自分自身の至らなさについて考えてみる・・・それでもいいわけ。
しかし、考えることから逃避するのがダメダメ家庭。
そんな人は、お墓参りからも逃避してしまうものなんですね。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンの文章は、たまに他者の芸術作品からタイトルを借りたりすることがあります。内容が関連している場合もありますし、タイトルだけのケースも多い。
今回のケースは、内容は関係ありません。
ちょっと前に「アンナ・カレーニナ」を取り上げたので、その名前の残像から発展して・・・と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、関係ありませんよ。

今回のテーマである「お墓」がタイトルに入っている作品となると、フランスの作曲家モーリス・ラヴェルの「クープランの墓」などもあります。その精神は、偉大なる先人作曲家クープランへのオマージュといったところ。お墓というのは、それだけ、「畏敬」や「連帯」や「系譜」を示しているものなんですね。
R.10/12/14