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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな単語
配信日 08年11月5日 (10年12月14日 記述を追加)
タイトル 根絶
以前にこのメールマガジンで、ダメダメ家庭は「絶対的な解決を志向する」というお題で配信したことがあります。
ダメダメ家庭の人間は、不適切な事態を考える際に、その現実を直視し、自分にできることに着実に対処して、一歩一歩解決していくようなことはせずに、「この世から○○という問題が完全になくそう!」というような、そんな理想的で絶対的なことを言ったりするんですね。

と言っても、現実は簡単ではないでしょ?だから、そんな「絶対的な解決を志向する」人は、「ああすべき!」「こうすべき!」とべき論でお説教するだけになってしまうわけ。そして、現実から遊離した理想論であるがゆえに、検証不可能であり、結局は、「議論のための議論に終始」することになる。
まあ、そんな光景は実にポピュラーでしょ?

理想論を熱く語るのは、確かに格好がいいわけですが、現実を直視しないと、本当の改善はあり得ませんよ。外見的には光彩陸離たるご高説が飛び交っているわけですが、現実は何も改善せず、むしろ停滞していくことになる。だからこそ、高らかに語られる理想論は、社会の停滞を表していたりするもの。それこそ、以前に取り上げた韓国の歴史教科書は、政治論者は多く登場しても、政治家は出てこないわけ。
「こうすべきだ!」と理想論を語ることには熱心でも、現実と対峙する気構えがないんですね。理想論は単に格好がいいというだけではない。現実から遊離しているが故に、それを否定しようがないという点において、言いやすいわけ。質問を受けたら追加説明をする必要がないどころか、質問を一喝することも許される。
つまり、相手から合意を取るというやり取りができなくても、理想論だったら、「てきとう」に言っていればいいわけです。
そうして、自分が語る理想が実現されない社会を恨んだり、バカにしていれば済むだけ。
そんなことだから、社会がどんどんと腐ってくる。

そんな、現実無視の正論大好き人間がお気に入りの言葉が「根絶」と言う言葉です。
今回の文章においては、その「根絶」という言葉を取り上げます。
根絶なんて、まさに「絶対的な解決」そのものですよ。
結果としての「根絶」状態の問題ではなく、ダメダメ人間は、「根絶という言葉」を使いたがるわけです。このようなことは、「平和」とか「人権」とか、あるいは「ふつう」という言葉と共通しています。
その状態そのものは結構なことだけど、言葉として口に出すと、ちょっとヘンという言葉が実際にありますよね?「平和という言葉」も、「人権という言葉」も、「ふつうという言葉」も、そして、「根絶という言葉」も、言葉として使うのは、やっぱりヘンなんですね。
言葉として使い、積極的に主張することにより、その言葉が指し示すものから離れて行ってしまうわけです。

相手に対して分かってほしいことが明確に自覚できていたら、相手にわかるように伝える必要があるでしょ?「根絶」の意義を伝えたいのなら、「根絶すべきだ!」と問答無用にがなっていたらそうなるの?むしろ、逆でしょ?つまり、その根絶という言葉から、その言葉を発した人の説明能力の低さ、そして、選択や判断を恐怖する状況が見えてくるわけです。
根絶という言葉が頻発しているような領域は、まさに会話不全で思考不全のダメダメ人間の巣窟と見て間違いがないもの。
たとえば実際にどんな場面で、根絶という言葉が登場してくるでしょうか?

私個人が実際に体験した例ですと、こんな例がありました。とあるセミナーのキャッチフレーズです。
「ドメスティック・ヴァオイオレンス(家庭内暴力)を根絶させるために、正しい知識を学んでいきましょう!」
ちなみに「学ぶ」という言葉も、典型的にダメダメ家庭ご用達の言葉であることは以前に配信しております。自分で考えることから逃避するダメダメ人間は、「考える」という言葉ではなく、「学ぶ」という言葉を使いたがるもの。その「学ぶ」という言葉を、「考える」という言葉に置き換えることは心理的に違和感がある。置き換えるとしたら、「従う」となるでしょ?「従う」は「縛られる」ともつながってくる。つまり、心理的なマゾヒズムと関係性があるわけです。
マゾヒズム的な心理なんだから、だからこそ、ドメスティック・ヴァイオレンスと関わりが深いわけ。

まあ、悪名高きドメスティック・ヴァイオレンスが「根絶」されれば、いいことに決まっていますよ。誰だって反対しませんよ。
しかし、具体的にどうすればいいの?

それについて考えるにあたって、「じゃあ、根絶された社会って、具体的には、どのような社会なの?」と言うことについて考えてみることも有効でしょ?

根絶されているわけですから、女性は何も考える必要がない。
それこそ「何も考えずに」「て・き・と・う」に結婚し、「て・き・と・う」に結婚生活を続けていても、「ワタシは天国にいるように幸せ!」と言える社会なの?

ドメスティック・ヴァイオレンスの根絶ということは、そのようなことですよね?
そんな社会であれば、そりゃ、すばらしい社会と言えるでしょうヨ。

ただ、そんな「何も考えずに」「て・き・と・う」に結婚した妻が、どんな母親になるの?あるいは、そもそもどんな相手と結婚するの?どんな妻になるの?どんな家庭を作るの?家庭内に暴力はないとは言え、じゃあ、何があるの?
そう考えを進めていけば、物事は簡単ではないでしょ?

ドメスティック・ヴァイオレンスを根絶させるのはいいとして、「て・き・と・う」に結婚し、ダラダラと結婚生活を送り、事態が悪くなっても、何も改善策を取らないような人間でも、何も困ることはない・・・
確かに結構なことですよね?論理の上では・・・

ドメスティック・ヴァオレンスが、根絶されていない・・・今現在ですら「て・き・と・う」に結婚する人が多くいるわけでしょ?それに、結婚相手の選択に、制度的な困難さがあるの?現在の日本だって、自分の意思で結婚相手を選択できるわけでしょ?結婚相手や時期について考える時間なんて、時間的に見れば大したことはないでしょ?付き合っている時間が長いかどうかはあるでしょうが、考える時間なんてそれほど必要はありませんよ。相手の経済的な問題だったら、たとえ「選択」しても、自分の思い通りになるものではありませんが、会話の能力だったら、相手についてじっくり観察すればわかってくるでしょ?
しかし、「選択」や「判断」から逃避する人間にしてみれば、「ドメスティック・ヴァイオレンスをしそうな暴力オトコを判断するチェックポイント」を提供されても、逆に困ってしまう。選択や判断とは無縁の状況がほしいわけ。

あるいは、「根絶」という言葉が入った物言いとして、「児童虐待を根絶しよう!」なんて正論も頻繁に言われたりしますよね?
誰だって、そのような意見には賛成ですよ。
しかし、じゃあ、何も考えずに「て・き・と・う」に子供を作って親になってしまう人間を、どうするの?
そんな親が子供を虐待するのを、どうやって根絶するの?

物事を考えるって、そのようなことを考える必要があるでしょ?
つまり、気安く「根絶」なんてことを言ったりするような人間は、普段から何も考えていないわけ。ダメダメ家庭によくある権威主義を元に、「あのエライ○○先生がおっしゃったのだから、オマエたちは文句を言わずに従っていればいいんだ!!」そんな調子でしょ?
しっかし、それこそが暴力じゃないの?

「根絶された社会を作っていきましょう!」という言葉はいいとして、じゃあ、具体的にどんな社会なのか?
制度として要求されるのは何なのか?その構成員に要求されることは何なのか?
そのような具体的な考察の方が前に進むものなんですね。

「根絶しよう!」と実際に言っている人が、具体的に何かやっているの?ただ、周囲に説教を言っているだけでしょ?
まさに政治論者が多くいて、政治家がいない状況とそっくり。
そんな人が説教して、世の中の問題が解決されるの?
そんなことキリストでもブッダでもできなかったことでしょ?
そんな人は、自身がキリストよりも上だと思っているのかな?

それこそドメスティック・ヴァイオレンスの問題だって、銘々が「自分自身が幸福になるためにはどうすればいいのか?」「どうやって、マトモな配偶者を見つけるのか?」と考えて、自分なりに対処すれば済む話でしょ?
銘々全員が自分の目標を達成できれば、その結果こそが根絶ですよ。違いますか?
少なくとも、銘々が適切に判断できるようにしないと、話が進みませんし、それすらしようとしない人をどうやって救うの?

また、「根絶という言葉」だと、それこそ「核兵器の根絶」とか、「戦争の根絶」とかの「正論」もありますよね?
そのようなことも、実際に達成されれば、スバラシイこと。しかし、それこそどうやって、そんな状態を達成するの?
今だって、北朝鮮やイランのように「アタマがおかしい」国だってあるわけでしょ?そんな国をどうやって、言葉で説得するの?
そもそも言葉を使った会話能力がないから、必要もないのに武器にこだわるわけでしょ?そんな連中は言葉での説得なんて、現実的には不可能ですよ。

人様の問題を根絶させようなんて、それって要は自分自身からの逃避なんですね。
人の問題に首を突っ込むことによって、当人自身の問題から逃避してしまうわけ。
根絶という大義名分を掲げることによって、逆に言うと、最後の最後まで、他人の問題に首を突っ込むことができることになる。しかし、だからこそ、自分の問題は放りっぱなし。
そんな心の弱い人間なんて、問題の根絶どころか、当人自身の問題を何か一つでも解決できるわけがありませんよ。ドメスティック・ヴァオレンスの根絶においても、「暴力オトコをどうやってやっつけるか?」という他者の問題にしてしまって、「どうやって選択していくか?」という自分の問題から逃避してしまう。

そもそもダメダメ人間は自己逃避であり、自分が選択することが怖い。
だから、何も選択しなくても、問題のない状況にしたい。
だからこそ、根絶などと言い出す。
そして、「根絶していないのが悪いんだ!」として、「ああ!いつになったら根絶するのかしら?」と嘆きに浸ってしまう。

しかし、そのように、判断や選択から逃避する姿勢こそがトラブルが発生する本質でしょ?
「根絶という言葉」を持ち出すのは、選択の場からの解放を目的としているんですね。

逆に言うと、当人に選択能力がないということですし、もっと言うと、選択の場に心理的な恐怖を持っている。
そして、そのことに自分で疑問を持っていない。
だから、選択の場が怖く、そして自分のやった選択に何も責任感がない同類たちが集まることになる。
それこそ、「ウチの亭主はこんなにもヒドイ!」という嘆きの言葉に、『じゃあ、アンタはどうしてそんな人と結婚したの?どうして離婚しないの?』という当然の疑問が呈せられず、『まあ!なんてお気の毒なの?!』という同情の声が寄せられる環境を求め、実際にそうなっている。だから、ますます、選択の場から逃避してしまう。
ダメダメの領域においては、「根絶という言葉」は、不適切な状況をなくすことを目的に使われるのではなく、その状況に関わる選択がなくなることを目的に使われるわけです。

選択から無縁であるがゆえに、何も考えずに、子供を作ってしまう
そもそも、選択の場を恐怖するダメダメ人間は「こんにゃくゼリー」を買わないという選択すらできないのだから、子供を作らないという選択はできるわけもない。
そえは、知的な能力の問題でできないのではなく、心理的な抑圧のためにできない。
思考や判断から回避している人間だからこそ、選択不要の状態を表す「根絶」という言葉を使う。しかし、自分自身の思考から逃げているから、やり取りの相手方の話を聞くことができず、会話の能力も乏しい状態となってしまう。だから、自身が持っている価値観を問答無用で周囲に対して押し付けるだけ。
だから、武器が必要になり、家庭内で暴力も起きてしまう。

市民運動などを見ればお分かりになるでしょうが、「暴力を根絶しよう!」なんて言葉を言う人が、現実的には問答無用で暴力的・・・そんなものでしょ?
思考逃避で、強圧的で、対抗心が強いんだから、暴力的になりますよ。それこそ「悪いのはアイツの方だから、アイツには何をやってもいいんだ!」となってしまう。

そんな人が、子供ができて、その子供とどんな感じで接するの?
そんな親に育てられた子供がどうなってしまうのか?
それくらいは、簡単に想像できますよね?
ダメダメ家庭というものは、そのような「お約束」に満ちているものなんですね。
逆に言うと、それがカタストロフに至るのを防ぐことも可能なんですね。
お約束サインを早めに察知して、対処すればいいだけ。
そのような、ダメダメを見つけるお約束サインの一つとして、「根絶」という言葉があるわけです。

(終了)
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発信後記

以前にも書きましたが、思考から逃避する抑圧系のダメダメ人間は、必要以上に「強い」言葉を使ったりするものです。
それこそ今回の「根絶」のようなもの。
一見果断にみえる、その「強い調子」ゆえに、自分の思考を遮断するわけ。

そのような人は、「で、アナタはどう考えるの?」なんて言われたりすると、「どうしてそんなことを聞くのよ!」と逆上し、そして、強い言葉で相手をののしったりするもの。

以前にも触れておりますが、ちょっと前から、落語家さんの次女の方が離婚して、そしてかつての夫をののしっていて、大活躍ですが・・・
まあ、あの手の行動は、抑圧系のダメダメ人間には、よく見られるもの。
強く、乱暴な言葉を使うことにより、自分自身から逃避して、自分自身を納得させる儀式となっているわけ。何もあの次女さん以外にも、強いののしりの言葉をスグに使う人って、実際にいるでしょ?
かと言って、そのような「強い」言葉で、相手が思うことと言うと、「アイツ・・・乱暴な言葉を並べて・・・いったいどうしたいの?何が言いたいの?バッカじゃないの?」ということだけ。

まあ、このメールマガジンに対する逆上メールって、まさにあの次女さんの発言のスタイルとそっくりなんですよ。乱暴で強い言葉で自分の被害を語り、相手をののしるだけ。
実にお約束なんですね。
逆に言うと、逆上メールを出すような人は、あの次女さんと同じキャラクターというわけです。

ちなみに、このメールマガジンでは、できるだけ「くだけた」言葉を使うようにはしておりますが、あの手の乱暴で強い言葉は、できるだけ使わないようにしております。
「伝えたい」ことが明確なら、わかりやすい言葉を使った方がいいわけでしょ?

逆に言うと、「伝えたいこと」がないがゆえに、強く乱暴な言葉になっているわけ。
暴力の根絶なんて、強い調子の言葉を使うような人間は、その内面においては、危険人物なんですよ。そんな人間は、避けるのが一番。

あの次女さん本人は、ともかく、あんな女性と結婚してしまった落語家さんは、人を見る目がない。しかし、程度は別として、あの次女さんのようなキャラクターは、結構いたりするもの。しかし、ちょっとしたチェックポイントがアタマに入っていると、避けることは可能なんですね。
R.10/12/14