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カテゴリー | 会話のスタイル(発言側) |
配信日 | 08年11月12日 |
タイトル | 郷の言葉の不在 |
昔のことになりますが、喜劇俳優の大御所さんがテレビに出ていました。大阪のローカル番組でインタビューを受けていました。その人は、その土地の言葉である大阪弁で受け答えしていました。 また、別の時にも、その喜劇俳優の大御所さんが、テレビでのインタビューに出ていました。 今度は名古屋で見ていたのですが、その俳優さんは、なんと名古屋弁で受け答えしていました。 内容については関心もありませんので、どんな中身だったのかは、まったく覚えていませんが、「場所によって言葉を変えちゃうのか?!サスガ超一流のプロだ!」と、この私も感嘆した次第。 まあ、そこまでプロに徹することは一般人には難しい。 しかし、相手に親しみを持ってもらうとともに、相手にわかりやすい言葉使いが必要でしょ? それこそ、スポーツの世界でも同じでしょ? チームスポーツにおいて、実績を上げる選手は、その土地の言葉を早く習得するもの。外国人のプレーヤーは、そんなものでしょ?日本人が海外でプレーする際にも、まったく同じでしょ? これって当然でしょ?チームスポーツならチームメイトの間で言葉でのやり取りも必要ですよ。何も哲学的な内容まで語る必要はなくても、「右に行け!」とか「オレに任せろ!」とかの簡単なことは、現地の言葉でしゃべれないとね。 最初は「たどたどしくても」その意欲は示す必要はあるでしょ? まあ、外部の人間とのインタビューはともかく、チームメイトとは現地の言葉で会話しないとね。 よく、「郷に入れば、郷に従え!」なんて言われますが、その最たるものが言葉というわけ。 相手に対し自分のことをわかってもらうためには、風俗や習慣の違いの問題以上に、相手にわかりやすい言葉を使う必要があるでしょ?それが方言でも、それを使った方が相手に通じやすいのなら、そんな方言も「相手に合わせて」積極的に使った方が有効ですよ。 自分が育った言葉に誇りをもっているのは勝手ですが、それで誤解されたら、何にもならないじゃないの? しかし、ダメダメな人は、まさに自分が育った場所の言葉を、環境が変わっても、いつまでも使っている。 それこそ、たまに話題になったりするボクシングの亀田親子ですが、現在は東京に在住でしょ? どうしてあんなにベタベタの関西弁なの? その筋の業界の公用語ということからなの? 子供の頃のアクセントなりイントネーションが、どうしても「出てしまう」ということなら、しょうがないし、まあ、愛嬌のある話と言えるでしょう。 しかし、そもそも、現地の言葉を「元から話すつもりはない」ようでは、その時点でダメダメでしょ? 亀田親子は「浪速の闘拳」と自称しているようですが、それってヘンですよ。 東京在住なんだから、なんで「浪速の闘拳」なの? 「浪速『出身』の闘拳」ならわかりますよ。 まあ、その筋では「浪速」というのはブランドになっているのはわかりますが。 東京にお住まいの方は感じることもあるかもしれませんが、最近の東京では、あんなベタベタの関西弁が結構多くなってきているものなんですよ。 何回も書きますが、関西のアクセントが「出てしまう」のなら、しょうがない。しかし、元から東京の言葉を話すつもりがない人も多いわけ。「だったら、東京に来るなよ!」って思いますよね? 少なくとも、広島のアクセントとか東北のアクセントなどの別の地域のアクセントは、あんな感じでベタベタのものは東京では聞かれない。関西弁が突出しているわけ。 そして、東京において、そんなベタベタの関西弁が聞こえる地域は、韓国語が頻繁に聞こえたりするんですよ。 まさに「類は友を呼ぶ」状態。 たぶん、亀田親子が住んでいる辺りも、韓国語が多く聞かれるのでは? 日本の東京に住んでいるのなら、日本語とか東京の言葉を、できるだけしゃべった方がいいでしょ?少なくとも、その意欲は示さないとね。 身内同士なら、出身地の言葉でしゃべっていてもいいわけですが、逆に言うと、そんな身内同士のやり取りに、周囲の人は入って行けませんよね? つまり、周囲の人に対し、「アンタたちのような外部の連中は、オレたちのやり取りに入って来るなよ!」と言っているのと同じでしょ? 実に排他的な雰囲気を感じさせますよね? 周囲の人に誤解されないようにするとともに、自分の考えをできるだけ正確に分かってもらう・・・そんな会話の精神が欠如しているわけ。 ベタベタの関西弁なり、韓国語を、東京で聞くと、そう思ってしまうのは、この私だけではないでしょ? 関西がいいのなら、関西にい続ければいいだけの話ですよ。 そして、外から関西に来た人に対し、「オマエも関西弁を話せよ!」と要求すればいいだけ。 韓国においても同じこと。 言葉というものは、思考の道具であり、コミュニケーションの道具ですよね? 現地の言葉を無視して、自分の流儀を押し通すって、結局はコミュニケーションの道具としての言葉を冒涜していることでしょ?そうなってくると、マトモな人はそんな人たちから逃げ出しますよ。結局はコミュニケーション不全のダメダメな人間ばかりが残ってしまうことになる。 だから、現実的には、東京の一部の地域では、ますます関西弁や韓国語が広がってきている。 東京にお住まいではない方にしてみれば、「ギャグを書いているのでは?」と思われる方も多いでしょうが、残念なことに現実なんですよ。 私としては、関西弁がダメということではなくて、「郷の言葉を尊重しましょう。」と申し上げているだけです。東京で関西弁を使って傷つくのは、何よりも関西の言葉そのものなんですからね。関西の言葉を東京で押し通すのは勝手ですが、その結果として関西弁が、ヤクザや漫才やクレーマー系の市民運動ご用達の、コミュニケーション不全のイロモノ言葉として扱われてしまう・・・現状はそうなってしまったわけ。関西の言葉に誇りを持っているのなら、もっと大切に扱った方がいいのでは?言葉というものは、勝ち負けの指標ではなく、コミュニケーションの道具なんですからね。 しかし、ダメダメ人間は「勝ち負け」にこだわる。序列意識が強いので、「どっちが上なのか?」常に意識するわけ。どっちが上なのかの指標として、勝ち負けで判断してしまう。 だから他者の流儀を取り入れることを「自分が負けた!」なんて思ってしまう。 関西出身者が東京において標準語をしゃべると、まるで東京に負けたような気がするわけ。 しかし、そんな発想自体がダメダメでしょ? 関西出身者でも、それなりの立場にいる人は、あんなベタベタの関西弁はしゃべらないものでしょ?それこそ元通産官僚で作家の堺屋太一さんは、関西のアクセントは残っていても、標準語でしゃべろうとしますよね? 勝ち負けだけで考えるダメダメ人間は、常に自分の流儀で押し通そうとするもの。 たとえばイスラム教徒は、ヨーロッパに行っても、アラブの流儀を押し通している。頭巾とか、生活習慣とか・・・ そんなにアラブの流儀が好きなら、アラブに住み続けていればいいだけ。 あるいは、以前に取り上げた韓国の歴史教科書ですが、「近代においてアメリカに渡った韓国人は、いつまでも韓国への愛国心を持ち続けた。」・・・なる記述がありました。 アメリカに渡ってまでも、韓国への愛国心を持ち続けることは、自慢になるの? 母国である韓国に親近感を持つのは当然でしょう。しかし、アメリカに渡ったのなら、愛国心の対象は、アメリカでしょ?アメリカに居ながら、「韓国への愛情に胸をいっぱいにしている人」を、周囲のアメリカの人はどう思うの?そんなことは自明でしょ? 「周囲の人がどう思うのか?」という問題ばかりではなく、そんなに韓国を愛しているのなら、韓国に住めばいいだけ。それがその人の尊厳につながるのでは? 食習慣は出身地のものを押し通すのもありでしょう。食べるものは自分だけの問題ですからね。 しかし、言葉は相手があるものだから、相手のことも配慮する必要があるでしょ? 使う言葉によって、周囲の人との心理的な距離なり、自分自身との心理的な距離がわかるもの。 「自分はどうしたいのか?」「相手に何をわかってほしいのか?」ということを考えることから逃避するダメダメ人間は、郷の言葉を無視して、常に自分流儀の言葉なんですね。 以前に「変わりたくない」という文章を配信しておりますが、ダメダメ人間は現状維持にこだわったりするわけ。 そんな人は、周囲の人の気持ちがわからないなんて自分で言ったりしますが、違うんですね。 大元としての自分自身がわかっていないわけ。 結局は、自分自身から距離がある自己逃避人間というわけ。だから、何かトラブルがあると、「それはすべて他者のせい!」となってしまう。 自分自身から距離がある自己逃避人間を見たら、そんな人から距離を取らないとマズイことになる。 その判断の一例として、言葉というものは実に有効な視点なんですよ。 (終了) *************************************************** 発信後記 北京オリンピックで野球チームの監督をされた星野さんですが、彼の言葉使いには、私は注意を向けていました。 彼は、興味深い言い回しを使っている。 そもそも、彼の言葉はちょっと関西風です。 しかし、それはヘンだ! 彼は確か、岡山県の出身で、東京の明治大学を出て、名古屋のプロ野球チームに入って、長いことそこで活動し、最近になって、関西のチームである阪神タイガースに移ったはず。 彼のようなパターンなら、関西弁は使わないものでしょ? 出身地の岡山弁なら、わかりますよ。「そうじゃけんのぉ〜」とか・・・ あるいは長いこと住んでいた名古屋弁とか。 東京の大学にいたのだから、標準語もしっかり話せるでしょう。 彼の言葉はベタベタの関西風ではないとはいえ、その境遇からするに、異常なまでに関西風なんですね。あれだけ岡山風なり名古屋風のアクセントを消せる人が、どうして関西風なの?それも50歳過ぎて移った関西なんだし・・・自然に出ているのではなく、意識して人工的に作っていないと出来ないことですよ。 たぶん、彼としては対抗心を演出しているんでしょうね。関西を特徴つける「対抗心」を自分に取り込もうとしているんでしょう。 「○○に対して対抗心を燃やして戦うオトコ」という自分のキャラクターを作っているんでしょう。 しかし、対抗心というものは、その内部に被害者意識を抱えているもの。 そんな人は、「自分こそが一番かわいそうな人間」と確信しているので、他者の被害や意向には配慮しない。たとえば、関西出身者にわかりやすいように関西風の言葉使いをしているのなら、まだしも、別の場所の出身者に対して関西風の言葉使いだったら、その相手も「胡散臭く」感じますよ。 関西人が、関西で、関西人相手に、関西弁で話をするのは、自然なこと。 しかし、他の地方から、わざわざ関西に行って、関西風の言葉使いをするのは、往々にして「対抗心の演出」の面があるわけ。 それこそ、名古屋出身で、東京の大学を出て、大阪に移り住んで、ベタな大阪弁を話す代議士がいるでしょ?あの代議士も、大阪弁が、被害者意識から来るクレーマーに最適な言葉であるという特質を生かしているわけです。 本来は、自分たちの言葉が、そんな使われ方をされた段階で、自分たちの行動なり、発想を見直した方がいいわけですが、現実は「類は友を呼ぶ」がスパイラル状に積み重なってしまって、周囲が見えなくなってしまう。 言葉というものは、質の低い人間が使うと、言葉自体の質も落ちてしまうもの。 ダメダメ人は、ダメダメな言葉を使うものですし、ダメダメな人が使うから、その言葉もますますダメダメになってしまう。 「マイ・フェア・レイディ」におけるヒギンズ教授ではありませんが、言葉から見えてくるものは多いものなんですよ。 |
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R.10/12/14 |