トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭は立派な言葉が好き
配信日 08年11月17日 (10年10月23日 記述を追加)
タイトル 彼らにも権利があって
以前に「彼らにも事情があって・・」なる言葉を取り上げたことがあります。
それこそ事件があったりすると、「いわゆる識者」が、訳知り顔でそんなコメントをしたりするものですよね?
もちろん、トラブルがあるところには、実際に事情があるでしょう。だからこそ、事件後に、その事情に対して理解を示すのではなく、事件が起こる前に、その事情を察知して対策を取る必要があるでしょ?

事件が実際に起こるまでは、その事情を放置して、実際に事件が起こってから、「彼らにも事情があって・・・」などと弁護しても意味ありませんよ。
そんなことは、それこそ小学生でもわかること。

今回は、その「彼らにも事情があって・・・」に近い言葉である「彼らにも権利があって・・・」という言葉を取り上げましょう。

人間には、持って生まれた基本的な人権がありますよ。それは当然のことで、そのことを否定しようがないし、否定するつもりもありません。だからと言って、その権利を、必ずしも行使する必要はないわけでしょ?
自分の達成したいことのために、その権利を行使すればいいだけであって、権利を行使するために生きているわけではないでしょ?権利と義務は別物であることは誰でも知っていること。

よく「権利には義務が付随する。」なんて言われますが、付随する義務以前に、権利には「行使する自由」や「行使しない自由」も付随しているわけでしょ?
それを踏まえて判断すればいいじゃないの?

それこそ、後進国だと、やたら子沢山ですよね?
「彼らにも、子供を作る権利がある!」
その御説は、ごもっとも。
しかし、子供を作る権利はありますが、作らない権利もあるわけでしょ?
子供を作るのは、権利であって、作る義務ではないでしょ?

子供を沢山作れば、その人が、幸福になるの?
と言うか、その後進国の人は、どんな幸福のイメージを持っているの?
そんな問題になりますよね?
まさに、「いったい、アナタはどうしたいの?」
それが問題でしょ?

このような問題は、日本のダメダメ家庭で頻繁に起こっていること。
「ワタシは、子育ては大嫌いだけど、しょうがないから、子供を作ってやった!」
そんな物言いを実際にお聞きになった方もいらっしゃるのでは?
しかし、後進国だけでなく、日本においても、子作りは権利の範疇であって、義務ではないでしょ?

自分がしたいことの達成のために、子供を作ることがどうしても必要なら、それはその人の考え。子供を作る権利を行使すればいいだけ。もちろん、その人の権利とともに、その人の子供の権利にも配慮する必要があるのは当然ですが。

「彼らにも、子供を作る権利がある。」
という主張は主張として、子供を作らない権利もありますし、親の側の権利があるように、子供の権利もあるはず。

しかし、後進国の援助を行っているような、あるいは、日本のダメダメ家庭に介入して悦に浸っているボランティアの連中は、「子供を作る」権利は尊重するのに、子供を作らない権利は無視。そして子供の側の権利も無視・・・現実はそんなものでしょ?
子供を作る権利の膨張がどんな結果になるのか?
そんなことは、それこそ小学生でもわかること。

何も後進国の子作りの問題ばかりではなく、それこそ失業中だったら、子作りは止めた方いいわけでしょ?確かに法律的には失業中の方にも子供を持つ権利はありますよ。
しかし、その権利を行使すると、そんなに幸福になれるの?

あるいは、重い疾病を持つ人なり、身体的なハンディキャップを持っている人が、子供を持つ権利も法律的にはありますよね?
しかし、その権利を行使することが、当人にとってそんなに必要なの?
というか、子供を持つことで、当人はいったい何をしたいの?

別のシビアーな問題だと、子供時代に性的虐待を受けたら、子供を作るのも慎重になった方がいいのは当然のこと。たとえ子供を作る権利があっても、その権利を行使すると、事態がより悪くなることは簡単に予想できるでしょ?実際に、そのような境遇の女性が自分の息子の生殖器を切ってしまった事件がありました。そんな危険は、ちょっと考えると誰でも予想できるでしょ?
そんな事態になってしまったのは、その人のせいではないとは言え、そのような事情があるのなら、権利を使うにせよ、相当な覚悟と厳しい状況判断のもとに権利を行使する必要があるのでは?
権利を行使するのはいいとして、どんな判断を元に行使したの?
往々にして、そんな人は、「ただ『ふ・つ・う』になりたい!」と言うだけ。

それこそ夫から暴力を受けているような家庭内暴力状態だったら、たとえ権利があっても、子供を作るのは待った方がいいのでは?それくらいの判断は必要でしょ?
あるいは、ちょっと前に騒ぎになりましたが、自分が無国籍だったら、子供を作るのは待った方がいいのでは?

権利は自分の達成したいものの実現のために行使するものであって、行使しないと損というものではないでしょ?

それこそ、日本では成人には、タバコを吸う権利があります。1日100本のペースでタバコを吸ってもいい。しかし、その権利を行使すると、どうなるのか?

本当の友人なら、「そんなペースは止めろよ!」と言うものでは?

そんな忠告に対し、「うるせー!オレは大人なんだから、タバコを吸う権利があるんだ!」と主張するのは当人の勝手。
そして、「いつ死んでもいい!」と言っているのなら、それはその人なりの判断。大人が自己責任のもとに何をしようと、それこそ勝手ですよ。

しかし、1日100本のペースでタバコを吸いながら、「あ〜あ、身体の調子が悪いなぁ・・・」「どうしてなんだろう?」と言っていたら、それっておかしいでしょ?

後進国の子沢山も同じことでしょ?
子供を作る権利があっても、それを行使するとどうなるのか?
結局は、貧困が温存され膨張するだけでしょ?
そうなると、まさにボランティアの連中のオカズになるだけ。
施しをして悦に浸っている連中のネタになるだけ。

もし、困っている人をサポートするのなら、権利の行使よりも、当人の目標を確認することが先じゃないの?

子供としては、身体的なハンディキャップがあって生まれてくることそのものよりも、身体的なハンディキャップが発生する確率が高いのに何も考えずに子供を作ってしまう人が自分の親である・・・そのことが子供にとってはシビアーな問題ですよ。
これは経済的な問題も同じ。経済的な苦境にありながら、何も考えずに子供を作ってしまうような親だったら、子供にしてみれば、親はまるであてにならないわけですからね。
そんな親は、子供を育てるという責任感なり、「どのように子供を育てていくか?」という将来ヴィジョンを持っていないということでしょ?
まさに、「ふ・つ・う」であり、「て・き・と・う」の境地。

しかし、市民団体とかボランティアの連中にしてみれば、そんな親くらいしか相手になってくれないのも現実。
だからこそ、その手の状況を生産させようとし、不幸な子供をネタに勝手に盛り上がることになる。

何も後進国の子沢山の問題ばかりではなく、とある日本の新聞が、日本人も海外旅行に行った際には、ホテルのスタッフに難癖を付ける権利があり、それを行使しないとホテルの側にナメられてしまうぞ!と、「警告」したようですが・・・

宿泊客がホテルに要求することも、実際問題としてありますよ。部屋が不適切だったりすることもある。
しかし、難癖を付けることが、あるいはクレームをつける権利を行使することが、旅の目的ではないでしょ?必要に応じて、躊躇せずに要求すればいい・・・というだけ。
権利を行使することに意味があるのではなく、目的を達成するために、相手に協力を求めればいいだけ。

あるいは、若い頃に遊びたいだけ遊ぶ権利もありますよね?
「何も勉強する義務なんてない。人生を楽しまなくちゃ!」
だからと言って、遊んでばかりいたら将来どうなってしまうのか?
そんなことは小学生でもわかることでしょ?

あるいは、「彼らにも自分の意見を表明する権利がある!」
それはごもっとも。
しかし、その意見の表明がインターネットの掲示板どまりじゃあねぇ・・・
まあ、場所としてはそこでもいいでしょうが、そこに書き込んでいる文章は、その人がどうしても言いたいことなの?いったいどんな人に対し、どんなことをわかってほしいの?
意見を表明する権利はあるにせよ、まずは、その自分の意見について、自分自身で熟慮してもいいんじゃないの?意見を表明する権利があると言っても、安っぽく行使しない方がいいのでは?

若い頃の放蕩の問題はともかく、権利を野放図に行使したとしてもいい結果は得られないもの。しかし、ボランティアの連中は、それがわかっていて、自分の若い頃にそれなりに自分自身の欲望を抑え、勉強したはずなのに、相手先には「アナタには権利があるわ!やりたいようにやりなさいよ!」と励ます始末。

「やりたいことをやる」のは、当然のことですが、それが本当にやりたいことなの?
それがどうしてやりたいのか?その点を別の人にも説明できればいいわけですが、現実的には、単に自己逃避するための、現実から目を逸らすための行動であることが多いものでしょ?
目標を実現するためのアクションなら、臆せず権利を行使すればいいだけ。
しかし、逃避のためのアクションなら、そんな権利を行使しても、ダメダメが進展するだけですよ。

しかし、当事者意識がないダメダメ人間は、自分の権利を近視眼的に考える。
行使する権利があったら、行使しないと損だと思ってしまうわけ。
だから必要もないのに、ガツガツと行使して、事態がより悪くなってしまう。

そんな状態に対し、そしてその権利に対し、ヘタに理解してあげるから、ダメダメな状態が温存されてしまう。
当事者意識がないダメダメな人は、達成したい目標がないので、自分たちの権利の使い方がわからない。わからないがゆえに、無理に使って、事態が悪くなる。達成のための方法論には関心がなく、権利を使わないという減点部分に反応するわけ。そんな人に「何も無理にそんなことをしなくても・・・」「そんなことをしてもアナタのためになるの?」「権利を使うにせよ、覚悟を持たないとダメ!」とアドヴァイスしてくれるような人もいても、そんな人は遠ざけてしまう。
結局は、「その権利を使わないと損よ!」とダメダメなアドヴァイスしかできない人間が集まってしまって、ダメダメ・スパイラルが進行してしまう。

「彼らにも権利があって・・・」とトラブルが起こってから周囲に弁解してあげるよりも、「彼らは、このような目標を持っていて、その実現のために、その当時はこのような行動をした。今現在は結果につながっていないけど、今後は改善していくはずだ。今現在は、彼らは、その目標を達成するために、こんなことをやっている。」と周囲に説明できるようにした方がマトモなのでは?

とは言え、そんなマトモな人間が周囲にいない・・・それがまさにダメダメというものなんですね。自分の権利に「あたたかく」配慮してくれる「やさしい」人がいたら、逆に、そんな「やさしい」人を避けた方がいいわけ。
そんな「やさしい」連中は、聖アントニウスを誘惑した魑魅魍魎と同じなんですよ。

(終了)
***************************************************
発信後記

ヤフーのトップページのニュース欄に、「未成年の自分の娘に売春をさせていた母親の事件」が載っていましたよね?なんでも和歌山県の36歳の女性とのこと。その子供は、現在16歳とのこと。
色々な意味でお約束満載。

その事件に対して、「自分のお腹を痛めた子供にそんなことをさせるなんて信じられない!」とのコメントがありました。
まあ、そんな程度のコメントを得意気に公表してもしょうがない。
とは言え、その感想そのものがダメダメというわけではありませんよ。
そのような感想を持つこと自体は、自然なことでしょう。

しかし、このメールマガジンをご購読いただいている皆さんは、その母親の心理が想定できるのでは?

まさに「自分のお腹を痛めて産んだ子供」だからこそ、自分の娘を「お腹を痛めさせた」犯人として認定し、報復するわけ。
その母親にしてみれば、自分の娘に売春をさせるのは、『被害者としての自分が持つ』当然の権利だと思っているわけ。その母親にしてみれば、被害者が加害者に復讐しているだけなんですね。

そんな考え方を不条理とか言ってもしょうがない。
そんな人ができるのは子作りだけ。そんな人の相手をするのは自分の子供や、あるいは自分と同じような被害者意識に凝り固まった人間だけ。
だから、このような現実として事件が起こってしまう。

何も売春まで行かなくても、ダメダメ家庭を作る親は「お腹を痛めたがゆえに」自分の子供を犯人認定する発想を持っているわけですし、「お腹を痛めた」以外にも、「お金を使わせた」、「病気の時に看病させた」などと、被害感情を持っているもの。

被害者意識の強い人間は、そんな発想を持っているわけですし、そのような人は現実として、少なからず存在するもの。皆さんのお子さんが通う学校のクラスメートの親にも、その手の発想をする人が必ずいると見た方がいいわけです。

ダメダメというものに対し、「どうしてそんなことをするのか?さっぱりわからない!」と言っていれば済むという問題ではないわけ。そんな危険な人は避ける必要があるわけですし、その手の人を避けるためには、ある種の見通しが必要になるわけです。
被害者意識の強い人に対し、説得してもムダ。
その説得自体を被害と捉え「もうっ!鬱陶しい!放っておいてよ!」と逆上するもの。
そしてヘタをすると、説得した人を犯人認定して報復しようとする。

そして、もっとシリアスな問題として、自分の母親から売春を強制された子供はどうなってしまうのか?
その点も現実として、存在するわけ。
「アナタは何も悪くない!」
「なんてお気の毒なの!」
と言っても、その心の傷が癒されるというものではないでしょ?
あるいは、一般社会で通用するマトモな発想が身につくというものでもありません。

もっとも基本的な関係といえる親子関係で、このような状況になってしまった場合には、対処の方法がないわけ。もう一度、別の家族関係を設定しゼロからやり直すしかない。しかし、それって現実的には難しいでしょ?
そんな境遇の後で、何も覚悟がない状態で、結婚し、出産してしまうと、その子供の親と同じようなことをしてしまう。
そんな現実を実際にごらんになった方も多いでしょう。

その人のせいではないとは言え、より悪くしないためには、自分の権利についても、より慎重になる必要があるものなんですよ。
R.10/10/23