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カテゴリー 事件の前
配信日 08年11月26日  (10年7月14日 記述を追加)
タイトル ポンっ!
いきなりタイトルが、「ポンっ!」・・・って・・・
おいおい!いったいなんだよ?
マージャン必勝法の話なの?

タイトルをみて、そんな感想をお持ちになった方もいらっしゃるのでは?

いえいえ、そんな話ではありません。
ダメダメ家庭がよく見せる逆上の話です。

ダメダメ家庭の人間は、特に子供は、気持ちが張り詰めている。
「親に迷惑をかけてはいけない!」
「何かあっても、自分ひとりでなんとかしないと!!」
「人に合わせていかなくてはならない!」

そんな感じで気を使いまくって生きている。
いわば、膨らんだ風船のような状態。普段からそれだから、膨らんで限界に近い状態。そんな状態に、ちょっと針で突いたら、まさに、ポンっ!と爆発するわけ。

まあ、風船だったら、ポンとなったら、後は破裂した風船を片付けるだけ。
しかし、ダメダメ人間が破裂するとシャレにならない。逆上メールを送りつけるくらいならいざ知らず、それこそ「包丁持って大暴れ!」なり、「車で突撃!」とか、「駅のホームから人を突き落とす。」、あるいは、「勝手に誰かを犯人認定して、その認定した人物を襲撃する。」・・・なんてことをするようになってしまう。

どうしてあんな些細なことで、こんなに過激な反応になるの?
あの手の事件なり、あるいは、皆さんが実際に目にすることができる・・・というか、見たくはなくても見えてしまうダメダメ人間の人たちが、事件を起こしたり、大騒ぎをしていると、そんな怪訝な思いを持つことがあるでしょ?

「どうして、あんな些細なことで?」

その疑問は当然なんですが、その前に破裂寸前だったわけ。
それこそ、カミュの「異邦人」でもそうですが、「太陽がまぶしかったから。」というきっかけでも殺人事件となってしまう。しかし、そんな感じで語られる「きっかけ」は、単に「きっかけ」とまりであって、理由ではないわけ。
大きな爆発に至る心理的な土壌そのものの問題に目を向けないと、事件は理解できないわけです。
それこそ、マージャンの「ポンっ」でも、そうでしょうが、事前に「そろって」いたからのポンなんですよ。

普段から、空気が張っている風船のように、気持ちが張っていて、ちょっとの刺激でポンとなる。
逆に言うと、ちょっとの刺激での過剰反応を見るだけで、事前の状態が推測できるわけです。
確か、マージャンでも、そんな感じでしょ?

ポンっというか、一線を越えてしまった事例として、このメールマガジンで取り上げたりすることもある逆上メールにおいても、「どうして、これくらいの指摘で、この人は逆上するんだろう?」「何もこの人を怒らせるつもりもないし、よくある指摘をしただけなんだけどなぁ・・・」なんて、逆上メールが返ってきた人は怪訝に思うのでは?
しかし、指摘を出す前の状態まで想定してみれば、逆上という事態も理解しやすいわけ。

たとえば、以前に、それと同じ指摘を、別の人から受けて、それが心理的に解決できていない場合だと、以前のその指摘と同じ指摘を受けたら、過激な反応になってしまいますよ。
なさがら、傷の生乾き状態のところに、また刺激を受けるようなもの。
逆上に至った際のやり取りばかりに注目しても、その種の逆上の意味は理解はできないわけです。

あるいは、知的な面で程度の低い人からの指摘だったら、それが自分の微妙なところを突いていても、笑ってごまかすこともできる。
「コイツはアタマが悪いからなぁ・・・また、トンチンカンなことを言っているぞ!」で済ませることもできますよ。
しかし、「この人は、スッゴイ洞察力がある人だなぁ・・・」「ワタシのことを、ワタシ以上にわかってしまっているんじゃないかな?」なんて、日頃から感嘆している人からの指摘だったら、笑ってごまかすということはできないでしょ?

そんなトンデモな洞察力のある人から、自分の微妙なところを指摘されたらパニックにもなりますよ。
それこそ、深層心理学の祖であるフロイトは、そんな感じで、お弟子さんたちに、衝撃を与えたりしたそう。お弟子の一人と言える有名なユングなどは、冗談抜きでパニックになってしまったそう。あるいは、フランスでのシュールレアリズム運動の元締めであるアンドレ・ブルトンも、そんな一撃で、周囲の人間にパニックを引き起こしたそう。
まあ、心の問題の大家といえるフロイトから、自分の微妙なところを指摘されたら、まあ、誰だってパニックになるでしょう。それに、そのような人の身近にいる人は、普段から「この人は、何でもわかってしまう!」「とても、かなわない!」と思っているわけだから、その指摘から逃げようがない。だから、パニックになるのもしょうがない。

ただ、その手の規格外の洞察力の人がゴロゴロといるわけでもない。
やり取りをしようとしても、現実的にはムリでしょう。
だから指摘を与える側の問題というよりも、現実的には、指摘を受ける側の状態に依存するわけ。
まさに張り詰めた風船のように、自分を偽る限界に来ている場合も多い。
その限界に対処しようとして、人からのアドヴァイスを求め、まさにツボを突いたアドヴァイスが返ってきてしまい、ポンっとなってしまうわけ。
いい子として自分を偽るのに必死だからこそ、その前提が崩れそうになるとパニックになってしまう。

その手の人は、ゲームの「黒ひげ危機○髪」のように、いずれはドッカーンとなってしまうもの。
ホント、避けるしかないんですね。

しかし、気を使って張り詰めているので、ちょっと見には、きれいに見える。
それこそ空気が入った風船は、形がいいもの。そしてその点を周囲の人からほめられたりする。親に気を使い、周囲に気を使っているので、気を抜くことができない。
当人も、その形のよさを意識してしまって、その状態を保とうとしてしまう。
しかし、たまには空気を抜かないと、やっぱり、ポンどころかドッカーンですよ。

しかし、自分自身の張り詰め具合などは、当人にもわからない。
「どの程度まで余裕があるのか?」「どの程度までリラックスできているのか?」
それは、育った家庭において、リラックスとは無縁の日々だったダメダメ家庭出身の人間には実感としてわからない。
むしろ、「自分はリラックスしている。」と、必死になって、つまり張り詰めた気持ちで自分を騙している。
だから、その手の人の安心感は、不安感と表裏一体になっているわけです。

安心感というものは、認識しづらいものでしょ?
そもそも安心について考えなくてもいい状態なのが、安心というもの。
あるいは、当人の不安感についても、なかなか自覚することができないもの。
自覚しようとすると、それこそ、ますます不安になってしまう。
しかし、安心感に到達すれば、自分自身について冷静に見つめられるでしょ?
逆に言うと、安心感に達した、その前の段階で、大きな不安があったことが推定されるわけ。
そんな自分自身の不安を自覚しておかないと、別の機会で、逆上しやすいわけ。
逆上することで、ある種の思考停止を獲得しようとするわけ。
逆に言うと、思考停止でないと、もっと大きなパニックになり不安になってしまう。

自分の不安感なり自分の弱さを自覚した上での安心感なら何の問題もないでしょう。
「どんな不安から解放されての安心感なのか?」
そんなことから、自分自身について見えることも多いわけ。

安心感の横には、不安感があったわけでしょ?
安心感を、実感する時点で、その前に不安がある。
肯定的な感情を実感することは、その近傍に、否定的な感情があったわけ。

保護色的な手法に頼っている場合には、その保護色対応が崩れたら、対処ができない。
たとえば、草食動物で、足が速いということなら、肉食動物に見つかっても、逃げれば、食べられずに済む。
しかし、保護色的に目立たないという生存方法だと、見つかった時点でアウト。
だから、目立たないように、気持ちが常に張り詰めることになる。
保護色的に「ふつう」に生きるという発想は、実は、ストレスを呼び込みやすいわけ。

ダメダメ家庭においては、空気の緩め方・・・それを知らないがゆえに、気が張っていることが多いわけ。だから周囲からは「いい人」に見えたりする。
逆に言うと、いつもいつも、「いい人」に見える人は、ちょっと警戒する必要があるわけです。だらぁ〜と緩んでいる人は、少なくとも、逆上はしないものでしょ?
気が張っているからの逆上なんですよ。
別の言い方をすると「いい人」に見えるからこその逆上とも言えるわけ。

ただ、そんな逆上がクセになったりすると、「いい人」どころか「怖い人」になってしまう。
しかし、そんな「怖い人」も、「以前には『いい子』に見えた。」とか言われたりするものでしょ?
何か事件があったりすると、よく「あんないい子が、どうしてこんなことを?」なんてコメントがお約束だったりしますよね?
しかし、「いい子」でいるために、気持ちが張り詰めていたからこその、大きな事件であるわけ。そんな流れは、ダメダメ家庭の周辺では、まさにお約束のように起こっていること。
ダメダメ家庭の事件というものは、実にお約束に満ちているものなんですよ。

(終了)
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発信後記

今回の「ポンっ!」と関連しているお題を、特別に明日(木曜日)に配信いたします。
例の、厚生省事務次官経験者への事件に関連した内容です。

基本的な考え方としては、大きな事件そのものよりも、その前段階を考察することが重要だし、犯人が語っている事件よりも、語っている事件の前段階が重要・・・そんなスタンスの文章です。
風船だって、膨らんでいるから破裂するわけ。膨らんでいない風船は、いくらピンで突いても破裂しませんよ。だからどの程度まで膨らんでいるかを議論しないと意味ないわけ。
ピンでどのように突くのか?どんなピンで突くのか?
そんな議論よりも、風船の状態を見るのが先なんですね。
R.10/7/15