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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の状況
配信日 08年12月15日
タイトル 一人で老いた親の面倒
ニュースなどで、たまに「一人で老いた親の介護をしていた人が、その親を殺害してしまう。」そのような事件が報道されたりしますよね?
その手の事件は定期的に起こっています。
たとえ相手が血がつながった自分の親であるとは言え、やっぱり一人で老人の介護は、色々とツライでしょう。その現状がつらいだけでなく、そんな状態だったら将来への希望を持ちようがないでしょ?切羽詰って過激な行動になってしまうことを、周囲の人としても非難は出来にくい。

そんな事件があると、いわゆる「識者さん」がテレビなどに登場して「もっと老人介護の問題を、国として考えていくべきだ!」とべき論で主張する・・・そんな流れがあったりするでしょ?

しかし、この手の事件は、単に、制度としての「老人介護の問題」なの?
ここで重要なのは、そのような「老いた親」を一人で介護しているということです。
2人なり3人で介護して、結果的に行き詰まったら、それは制度としての老人介護の問題と言えるでしょう。しかし、一人で介護していて行き詰まった・・・と言うことなら、単純に制度の問題と言えるの?どんなことでも、一人でやろうとすると、何かとトラブルが起きるものですよ。

ダメダメ家庭の終着点の一つとして、このような「子供が一人で老いた親の介護」という状態になりがちなのは、皆さんも実際にご存知なのでは?
購読者ご自身が、現時点でそんな立場に置かれてしまっている場合があるでしょうし、購読者さんの関係者がそんな状況に置かれている場合もあるでしょう。あるいは、今現在は、「老いた親の介護」ではないにせよ、もうしばらくしたらそのような状況になる・・・そんなケースもありますよね?
この私も、実際に、そんな状況を知っていますし、購読者さんからのお便りをいただいたこともあります。

前にも書きましたが、ここで忘れてはならないのは、「一人で」という点です。
老いた親の介護をするのはいいとして、どうして「一人で」なの?
と言うか、親が老いているんだから、その子供だって「いい歳」ですよ。
結婚はしていないの?子供はいないの?
あるいは、自分の親の介護にあたっている子供には、介護を協力してくれる兄弟姉妹はいないの?
あるいは、家から離れて、介護施設などの公的機関を利用するという方法もあるのでは?

そのような疑問点も出てきますよね?
「老いた親の介護」の問題は、一般的な社会問題と言えますが、「一人で介護」となると、ダメダメ家庭の視点を取り入れないと、そのような状況は理解できないわけです。

さて、ダメダメ家庭では、当然のこととして、「いい思い出」なんてものは存在しない。
親はいつもグチばかり。
そして、子供の側は親からのグチを黙って聞いている・・・それがダメダメ家庭の風景。
そもそも子育ては親である自分がこうむった被害と考えているダメダメな親は、子供に「すばらしい将来」「楽しい人生」を送ってほしいなんて何も考えない。むしろ、親としてこうむった「子育てによる被害」に対する補償を子供から求めることになる。
まさに「オマエを育てるために、ワタシの人生を棒に振った!オマエはこの償いをするんだ!」
そんな言葉がお約束となっている。

そんな日々なんだから、当然のこととして兄弟仲は悪くなる。
そもそも、一緒に過ごした日々に楽しい思い出がないんだから、兄弟と言っても共通するものはDNAだけ。生物的なり法律的にはつながっていても、精神的にはつながっていない状態となっている。
つながっていないどころか、過去のことを思い出すとイヤな思い出があふれ出てくる。
だから、兄弟のことを思い出すと、不快な感情でいっぱいになってしまう。
それがダメダメ家庭の兄弟というもの。

だから、当然のこととして兄弟の間は疎遠になってしまう。

その兄弟の中で、目端の利く、ある意味において要領がいい人は、そんなダメダメ家庭から逃げ出してしまう。
と言うことで、要領が悪い人間がダメダメ家庭に残ってしまい、その残された人が親の面倒を見ることになる。

他の兄弟に逃げられて、親の元にとり残された側は「オレだけに、こんなババを押し付けやがって!」と、不満に思うのは当然のこと。そして、要領がよく、ある意味においてアタマがいい人間が逃げ出したわけだから、出来のいい方の子供ではない・・・このようなもってまわった表現はよくありませんが・・・端的に言ってしまうと、成績の悪い子供の方に介護を受ける親の側も不満に思ったりするもの。
「あの○○だったら、これくらいは簡単にできるのに、オマエときたら・・・ホント、昔から要領が悪くて・・・」とのグチになってしまう。

何事もテキパキと簡単にできるような人間だからこそ、そんな親の元からテキパキと逃げ出したわけですが、ダメダメな親はそんなことは考えない。ただグチっているだけ。そんなグチを聞かされても、じゃあ、どうすればいいの?
介護している側こそがグチりたくなるのも当然でしょ?

「一人で」となるのは、兄弟仲が悪いからだけとは言えないもの。それこそ、「いい歳」をして独身の状態で、老いた親の介護となってしまう。
結婚していないという意味での「一人で」もあるわけ。

そもそもダメダメ家庭の子供にしてみれば、いつも見ている夫婦、つまり両親の関係は、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶという状態。
そんなものを毎日見続けて、「自分も夫婦というものをやってみたい!」と思うの?
それにダメダメ家庭は、付き合いの幅が狭い。そして周囲の人間もやっぱりダメダメであることが多い。だからロクな人間が近くにいないわけ。これでは、「この人と一緒になりたい。」「このワタシも結婚したい!」なんて思えないでしょ?そんなロクでもない人間と結婚したら修羅場になるだけ。

それにダメダメ家庭は会話不全の家庭。そんな会話不全状態の家庭で育った人間は、いざ結婚しようと思っても、難しいものですよ。
もともと、ダメダメ家庭では趣味なども縁がなく、話のネタも少ない。だから、たとえ、人との出会いがあったとしても、やり取りが続かない。だから、結婚までは至らない。だから、結果的に一人のままで歳を取っていくことになる。
そのように、結婚せずに、「一人で」となる場合もありますし、あるいは結婚した後で、「一人で」となる場合も、少なからず発生したりする。

そもそも、ダメダメ家庭出身者にしてみれば、適切な見本となる夫婦が存在しないわけだから、結婚するにあたっても、いい加減で「てきとう」となってしまう。だから、結局は修羅場になり離婚したりする。
色々なケースで、一人での親の介護になりやすいわけです。

一人でという面は今まで書いてきましたが、たとえ、一人でなくても老人の介護は大変なもの。マトモな老人ならいざ知らず、ダメダメな老人なので、介護の負担もより大きいわけです。
ダメダメ家庭を作る人間は、自分の子供を「先送りの道具」とすることは以前に配信しております。面倒なことは全部、自分の子供にやらせればいい・・・ダメダメな親はそんな考えなんですね。
そんな発想だから、「できるだけ子供の負担を軽くしたい!」なんて発想もない。
だから介護施設などの公的機関を利用するようなこともしないわけ。そんな施設を利用したら、会話不全のダメダメ人間にしてみれば、ストレスになるだけ。会話不全のダメダメ人間の相手をしてくれるのは、自分の子供だけ・・・介護される側としては、そのことを内心では分かっているもの。だから家族以外の人間とのやり取りは可能な限り避けようとする。

無理にでも、その手の施設に入れても、その施設内でトラブルを起こしてしまう。
それこそ、その施設で被害者意識を爆発させて、スタッフとモメたり、あるいは、別の入居者とモメたりする。だから、結局は、施設を追い出され、戻ってきてしまう。
そして、「ああ!やっぱり家は気が休まる!これからはオレの面倒をオマエがちゃんと見るんだ!そもそも、そのためにオマエを育てたんだからな!」と、子供に対し念を押すことになる。

ダメダメな親にしてみれば、自分の面倒を押し付けるために子供を作ったわけだから、自分の介護をさせていることに感謝もない。
「そんなことは子供の義務だ!」
「ワタシが子育てで苦労したことに比べれば、こんなことはなんでもないじゃないか?!」
そのように確信しているわけ。

つまり、老いた親の介護と言っても、その親との楽しい思い出もなく、その親から感謝もない状態。そしてその子供の負担を軽くしようとする発想が微塵もない親。
兄弟がいても、まったく助けてくれない。

そんな状態となって、介護されている親が言うのは、
「どうしてこんなことに?!」
「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
「子供を育てるために、ワタシの人生を棒に振った!」
との自分勝手な嘆き節。

結婚もせず、兄弟からも見捨てられた状態で、老いた親の介護を一人でやっている子供の前で、ダメダメな親は真っ先に嘆くだけ。
現実的に見ると、「親の介護をするために、自分の人生を台無しにされた!」と、介護している子供の側が嘆きたいところですが、ダメダメ家庭においては、親の側が真っ先に嘆くものなんですね。
介護している子供にしてみれば、絵に描いたような貧乏クジ状態。

前にも書いておりますが、ダメダメ家庭出身の人間は、離婚も多い。いくらダメダメな親も、その時くらいは、離婚騒動に渦中にある子供に対して、多少のサポートはしたりするもの。
そして、それゆえに、親には「借り」があると考えている子供も多い。
それに、ダメダメな親は「オマエを育てるためにワタシの人生を棒に振った!」と子供に対し言い続けなんだから、そんな家庭で育ってしまうと、「親に尽くさないといけない!」と強迫的に思っている場合も多い。

一人で親の介護を押し付けられた人間にしてみれば、救いようがない状態と言えますが、残念ながら「カエルの子はカエル」の場合もあったりする。
親の介護で人生を棒に振った自分という、「被害者としての立場」に安住してしまうケースも多いわけ。
だって、老いた親の介護となると、忙しい。考える時間もない状態。
逆に言うと、何も考えなくてもいい状態とも言える。そもそもダメダメ家庭の人間は抑圧的であり、自分自身の希望を抑圧しているもの。そんな人にしてみれば、「自分が何をしたいのか?」ということについて考えることの方がイヤなんですね。
そして、被害者の立場から、逃げた兄弟なり、社会制度に対し文句を言ったりする。

文句を言うのはともかく、周囲にいる人間が、「このような機関を利用したら?」とか、「このような方法をとってみたら?」などとアドヴァイスがあると、『そんなことはできない!』と一刀両断。
そして親子揃って、「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と至福のひと時。

そのように、もはや「行くところまで、行ってしまった」涅槃の境地にまで到達できれば、それなりに幸福になるわけですが、さすがにそこまで行くのは難しい。
結局は、ニュースなどで話題となる事件を起こしたりする。

「一人で老いた親の介護」の問題においては、「老いた親」の面よりも、「一人で」の部分の方が、カタストロフにつながるもの。
その「一人で」には、ダメダメ家庭の問題が反映しているわけです。
介護に対して感謝もしない親。
子供の負担軽減に対して、何も配慮しない親。
そして楽しい思い出が何もない家庭。
そして、他の兄弟はトンズラ。
そして、自分は、結婚もせず、すべては、そんな親に「使われて」しまっている状態。

これでは、自暴自棄になって、親を殺したりするのも当然でしょ?

逆に言えば、そんな親は介護する価値はないわけ。
それを認識するしかないわけ。
自分の子供が、子供自身の人生を犠牲にして、親である自分に尽くしている状態を、なんとも思わない親など、介護する価値はないのは当然でしょ?
親子関係の問題以前に、人として下等でしょ?

だから、他の兄弟に倣って、そんなダメダメ家庭からトンズラするしかないわけ。
しかし、ダメダメ家庭は経済的に弱い立場であることが多い。そもそもダメダメ家庭で得られたものなんて、社会では害にしかなりませんよ。だからダメダメ家庭出身者は収入が低いことが多い。
だから経済的な面から、いつまでも親と同居となってしまう。

若かりし頃の、登校拒否とまったく同じ構図と言えますが、親がダメダメであるがゆえに、いつまでも親と同居となっているわけ。しかし、親と同居しているがゆえに、「自分自身がどうしたいのか?」考えなくてもいい。
そんなラクさがあるがゆえに、「老いた親を一人で介護」の状態から逃げようとしない。
まさに、不幸に安住してしまう。
それにダメダメ家庭は減点法であって、「いい子ちゃん」志向があるもの。親を見捨てる「悪い子」にはなりきれない。
と言うことで、ダラダラと親と同居し、老いた親の面倒を見る生活が続いてしまう。

しかし、そんな生活は長くは続かないでしょ?
しかし、とりあえずは、そんな状態に安住して、周囲にグチを言うだけ。

グチを言われた周囲の人が、
『そんなクズの親などは放っておいたら?』
『そんなにイヤなら、さっさと心中したら?』
『アンタ・・・一生そんな感じでグチっているつもりなの?』
と言っても、
「親がいるから・・・それができない・・」との、言い訳がお約束のように出てくる。
そんな言葉の後で、結局は「親のせいで・・・」とグチグチと続ける。そんなグチを聞かされた周囲の人は『で、この人は、結局は、どうしたいの?』と怪訝に思い、呆れてしまうだけ。そんな視線を受けると「アンタたちに、ワタシのこの気持がわかってたまるか!」と逆切れしたりする。
と言うことで、ますます人付き合いの幅が狭くなってしまい、周囲からのサポートが得られなくなってしまう。

結局は、まさしく長く一緒に住んでいるだけあって、ダメダメな親と実に似てしまっている状態になってしまう。
楽しい思い出が何もない親を介護することを、義務感でごまかしても、その義務感が、結局は被害者意識に変貌するのは、当然のこと。
そうして「この親のせいで・・・」と親を犯人認定して、虐待行為になることもある。
そして、やっぱりニュースで取り上げられてしまう。
どうせ親を犯人認定するのなら、もっと早い段階ですればいいわけ。
そうやって、ダメダメとの対処におけるもっとも基本的な手法である「離れるしかない」を実践するしかないわけです。

しかし、自分の親のダメダメを認識することが難しいことは、このメールマガジンで頻繁に書いています。
ヘンな話ですが、親のダメダメについての自覚を持つよりも、親を殺す方が精神的にはラクな場合も多い。だって、殺すことにおいては、当人が認識し、判断する面は少ないでしょ?実家から逃げ出すのは「悪い子」だけど、介護に疲れて親を殺した子供は、ある意味において「いい子」と言えるでしょ?往々にして、介護の果てに親を殺した子供には同情が集まったりするでしょ?それに「殺した」後では、当人自身としては、何も考える必要がない。抑圧的なダメダメ人間には、心休まると言えるわけ。

しかし、介護している子供の人生にとってみれば、親を殺すよりも、親から離れる方がダメージは少ないのは当然のこと。
一人で親の介護をしている状態に陥ったら、そんな認識なり判断をしてみる必要もあるわけです。マトモな親の場合には、よっぽどのことがない限り、そうはならないものなんですよ。

(終了)
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発信後記

本文中にも書いていますが、「一人で老いた親の介護」の果てに、その親を殺してしまっても、同情が集まったりするもの。
しかし、その前にそんな親から逃げ出した場合には、周囲から非難されたりするもの。
現実は、そうなっているでしょ?

周囲の人にダメダメ家庭の現実を理解してもらおうと思っても、無理なもの。
だから周囲の人の非難があっても、逃げるしかないわけ。
それに、どうせそんな親を殺すにせよ、もっと早くにやらないとね。
そのタイムラグの間に「いいこと」なんてあるわけでもないでしょ?

どうせ、そんな親は「あ〜あ、生きていてもいいことなんてないわ!」「早くお迎えがこないかしら?」なんて調子で、日頃からグチっているだけなんですから、当人の望みをかなえてあげればいいじゃないの?
「善は急げ」って言いますしね。
R.10/12/16