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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 08年12月17日 (11年2月12日 記述を追加)
タイトル 藁をつかむ
「溺れるものは、藁(わら)をも掴む。」なんて言葉がありますよね?
水の中で、溺れてしまい、もうすぐ沈みそうなんて事態になったら、目の前に藁があれば、現実的には、それが求める結果につながりにくい存在であっても、その藁にすがってしまうもの・・・そんな意味なんでしょう。危機的な状況になったら、心理的に切羽詰ってしまって、とにもかくにも・・・となってしまうもの。

「もう、ダメ!沈みそう!」
なんて状態になったら、すがるものを選ぶなんてことはできない。目の前の藁をつかむのもしょうがない。
しかし、物事には過程があるわけでしょ?沈む寸前になる前は、どうだったの?

実は、ダメダメ人間は、かなり早い段階から藁をつかんでいるもの。
沈む寸前と言うクリティカルな状態になる前の段階・・・もうちょっと余裕がある段階でも、藁をつかんでいる。
水の中にいても、まだ体力が残っていて、ちょっと余裕のある段階で、目の前に「藁」と「『いばら』の枝」があったとしましょうか。
藁は水の上でプカプカ浮かんでいる。
それに対し、『いばら』の枝は、岸から伸びている。

さあ、どっちをつかみますか?

本来なら、『いばら』の枝をつかむでしょ?そっちの方が岸までたどり着く可能性が高いわけですからね。ただし、『いばら』だったら、『とげ』があって、握ると痛い。
しかし、本来は、そんなことを言っていられる状態じゃないでしょ?
『とげ』のある枝をしっかり握って、岸にたどり着いた後で、『とげ』による傷は、ゆっくり治療すればいい話ですよ。

しかし、ダメダメ人間はそんな判断はしない。
目の前にある、藁と『いばら』を見比べて、『いばら』は『とげ』があって痛そう。それに対し、藁はやさしそう。自分にも痛くないし・・・と、藁をつかむことになる。
しかし、「その結果がどうなるのか?」なんて、幼稚園児にも判ること。

「どうしてこんなことに?!」
「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
とズブズブと沈んでいく中で、藁を握り締めながら悲嘆にくれることになる。

このメールマガジンは水難救助についてのメールマガジンではありませんヨ。
まあ、たとえ話を出しただけです。
意味はスグに分かったでしょ?

ダメダメな人間は、自分に甘い。そもそも当事者意識がないので、何か達成したいものがない。達成したいものがないので、物事のプライオリティをつけられない。以前に取り上げたトルストイのアンナ・カレーニナのように、常に減点部分に発想が行ってしまう。ちょっとでも自分に不都合なことがあると、「それはイヤ!」と拒否してしまう。

「藁と『いばら』のどちらが、目標達成に役に立つのか?」
そんな加点法の考えはしない。
「どっちが痛いのか?」
そんな減点法でしか考えない。

余裕がある時には、そんな発想を持つのもいいでしょう。
しかし、切羽詰った状況において、藁をもつかむような行動をする人は、普段からしてそんな調子になっている。それこそ、話をしていても、藁どころか「雲をつかむ」ような話しかしない。話しぶりも5W1Hなどの具体的なものを欠き、曖昧模糊としている。そもそもそんな人は、キャラクターとしてもボンヤリとしている。まさに雲どころか霞を相手にしている気分になってしまうもの。
やり取りをしていても、「で、アンタ・・・結局は、どうしたいの?何が言いたいの?」を言いたくなるような漠然とした話しかしない。だから周囲にいる人間としても、助けようもない。

そんな人は、何か文章を読むにせよ、普段から危機感がないので、「自分にやさしい」「お軽い文章」だけを読むようになる。
まあ、このメールマガジンのように「トゲ」がてんこ盛りの文章までは読む必要はないにせよ、「口に苦い」良薬くらいの文章は、ちょっとは読んだ方がいいのでは?
しかし、減点法の精神であり、「自分が一番かわいそうな人間」と確信しているダメダメ人間は、自分の境遇に同情してくれるような自分に甘い文章しか読まない。だからイザという時に、何も参考にならない。
それだけでなく、自分にとって、都合の悪い状態は、「見ない」という対処しかしない。
結局は、小さなトラブルを放置して、問題解決を先送りし続けて、ドッカーンとなってしまう。

それこそ離婚するような段階になっても、「あれをすると、あの人に迷惑が掛かる!」「こうすると、親に迷惑が掛かる!」「そんなことをすると、ワタシが周囲の人から悪く言われる!」と減点法。
離婚する段になっても、そんな調子になってしまう。
そんな姿を見ていた周囲の人は、『まあ、そんな人だからこそ、そんな事態になったんでしょ?』と顔に表情が浮かんでいる。

しかし、修羅場にいるダメダメな人は「どうして、みんなはワタシを助けてくれないの?」と周囲に訴えることになる。
しかし、自分にとって厳しい方法を拒否し続けた人なんだから、周囲も助けようがないでしょ?そんな人に対し、ヘタに現実的なアドヴァイスをしても、やっぱり「だってぇ・・・だってぇ・・・そんなのイヤ!」と拒否するだけ。結局は、周囲の人も、サジというか藁を投げ入れて、「まっ!せいぜい、これでガンバッテね!」でオシマイ。

しかし、そんな人にも、相手をしてくれる人がいるもの。
いつも書いていますがボランティアの連中です。
ボランティアも、藁をつかむ人間。逆に言うと、藁しか扱えない。だから人を助けるという状況になると、藁を投げ入れるしか能がない。
逆に言うと、藁を投げ入れるしか能がない自分を求めてくれる状況を探している。そうして『困っている』人を見つけると、自分に役割ができたので、歓喜することになる。
ボランティアの連中は、岸に根を下ろしている『いばら』と、プカプカ浮かぶ藁のうちでどちらを投げ入れようか?そんな判断を元に藁を投げ入れたのではない。そもそも減点法で藁しかつかめない人たちなんですね。

藁しかつかめない人たちが、水の中でおぼれている人に藁を投げ入れて、自己満足。
おぼれている人も、藁をつかんで自己満足。
しっかし、その結果がどうなるの?
ギャグを書いているように思われる方も多いでしょうが、現実において、頻繁に見られる事例でしょ?

これが藁をつかむのが、実際に水難の問題だったら、周囲としてもラクになる。
だって、水難だったら、藁をつかむ人は、そんな対応を一回しかできないわけですからね。
しかし、現実でのトラブルでは、一回きりとはいかない。
「藁をつかむ」という救助法?を、その後も繰り返すことになる。

それこそ、家族の誰かが自殺をするような事態になったら、それが未遂で終わっても、あるいは成功してしまっても、本来は、その時点で、しっかり対処する必要があるでしょ?
そうして、「その家族が、どうして自ら命を絶ってしまったのか?」それを考える必要があるでしょ?

しかし、藁をつかむ人は、そんなことはしない。「時代が悪い!」とか「政治が悪い!」とか「インターネットの悪影響だ!」とかの安直な犯人認定の言葉にすがってしまう。
そうして、家族の自殺事件をさっさと忘れてしまう。
しかし、だからこそ、別の自殺者が家族の中から誕生したり、前回は未遂だったのに、次には成功してしまう。

自分の身に痛みがない対応しかとらない人は、直面している現実に真摯に向き合うことはない。「まっ、これ言っておけばいいじゃん?」とズボラを決め込んでしまう。
そうして、そんなダメダメ家庭の周囲にいるボランティアから、「そうよ!そうよ!家族に自殺されて、アナタはなんてお気の毒なの?」と同情の声をもらえることになる。
まさに、おぼれそうな状態に、藁を投げ切れてもらったようなもの。
気分的には、ラクになるでしょうが、何も対処しないわけだから、それで解決するものではありませんよ。
だから、また同じトラブルを繰り返す。

そんな対応は、それこそ長崎県で事件があったりすると、いつもやっている「対応」でしょ?問題の本質を直視するのではなく、通りのいい理屈を持ち出して、ただ事態を流しているだけ。
しかし、同じトラブルが繰り返しても、またボランティアから同情の声があり、藁が投げいれられることになる。
藁であるがゆえに痛みもない。しかし、だからこそ、事態は何も解決しない。

藁を握り締めながら、「ああ!もうダメだぁ〜」なんて叫びながら沈んでいく光景は、悲劇なのか?それとも喜劇なのか?
しかし、その藁の横には、岸に根を下ろした『いばら』からの枝があったりするものなんですね。

(終了)
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発信後記

いつも長い文章だと何ですので、今回は比較的短く、お気楽な文章にいたしました。
ちなみに、このメールガジンは、午前の10時20分頃に配信するように設定しております。配信の設定は前日の夜に行います。
だからそれ以降の事件なり報道は、反映されておりません。

前回は「一人で老いた親の面倒」なるお題の文章を配信いたしましたが、配信当日のYAHOOのニュースサイトで、まさにドンピシャの事件が報道されておりました。東京の足立区でそんな事件があったようです。
購読者の皆さんは、あの報道に合わせての文章と思われたかもしれませんが、配信設定をした時には、あの事件について知りませんでしたので、反映されておりません。

購読者の皆さんも、あの報道の記事を読まれた際には、このメールマガジンの記述を思い出されたでしょう。
メールマガジンの文章は150本以上のストックがありますので、その折の状況に応じて配信しておりますが、前回の文章をもっと早くに配信していたら、もしかすると、あの事件も防ぐことができたかもしれません。

とは言え、ダメダメな人は、自分自身で現状を認識することから逃避し、自分で考えることをせず、自分にやさしい文章しか読まないもの。
その事件の犯人さんは、「トゲのある」このメールマガジンの文章など、どのみち読んでいないでしょうね。

トルストイの作品に「光あるうちに光をつかめ」なんてタイトルの作品があった記憶がありますが、トラブルも早い段階だったら、ちょっとの傷で済むもの。
放置しているから、ドッカーンとなってしまう。
先日の足立区の事件の犯人さんも、もっと早くに、「トゲ」のある「いばら」を握っていたら、そんなことにはならなかったでしょうね。
R.11/2/12