トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 08年12月22日 (10年10月9日 記述を追加)
タイトル と言われている (又聞きの話ばかり ,人の受け売り)
個人的なことになりますが。私はパソコンに複数のブラウザ(インターネットを閲覧するソフト)を入れています。複数のWEBメールを使っているので、それぞれのブラウザでそれぞれ別のWEBメールが使えるようになっています。あと、最初に立ち上がるポータルサイトも違っていたりします。

YAHOO(ヤフー)をポータルにしているブラウザもありますが、ヤフーはニュースや天気などを調べるのには便利なサイトです。そのヤフーですが、よく事件が起こったりすると、それに関連する個人のサイトが紹介されていますよね?

家庭問題だったら、そんなことをまとめたサイトが紹介されていて、学校などのイジメ問題だったら、やっぱりイジメ問題をまとめたサイトが紹介されている。
しかし、ヤフーで紹介されているサイトを読むと、いつも思うのがコレ。
「なんだかなぁ・・・」

誰も否定できないような「ご高説」を、もったいぶってまとめているだけのサイトが多いでしょ?
まあ、この私の文章のような「差しさわりのある」文章がテンコ盛りとなると、ヤフーでも紹介できないでしょう。まあ、それはいいですよ。
しかし、いかにもな「ご高説」を、もったいぶって言われてもねぇ・・・
そんなご高説でどんな知見が得られるのやら?

そんな「なんだかなぁ・・・」傾向のサイトをたまたま見ていたら、「いかにも」な表現がありました。それは「・・・と言われている」という文言です。
学校などのイジメ問題を扱ったサイトに載っていました。なんでも「イジメ問題なんて、昔は存在しなかった。最近になって発生した・・・と言われている。」んだそう。

そんな「と言われている」なんて表現を見て、皆さんはどう思いますか?

「じゃあ、アンタ自身はどう思うの?」
「その言葉を言っている人って、じゃあ、具体的に誰なの?」
「アンタは、その言葉に責任が持てるの?」

そのように思いますよね?
私のような人間なら、その他にも「アンタは石にかじりついても、イジメ問題を解決したいと思っているの?」なんて思いますよ。だって言葉に力がないでしょ?
何も「らんぼう」な言葉を使えばいいわけでもありませんが、リアリティなり責任の持てない言葉を使っても何も伝わりませんよ。

まあ、「イジメ問題は最近になって発生した・・・と言われている。」のはいいとして、逆の言葉も成立するでしょ?
「イジメ問題は大昔から存在している・・・と言われている。」
そう言われて、何か反論ができますか?

その意見を言う人もいれば、別の意見を言う人もいる。
そんなことは当たり前のことでしょ?

この「と言われている」とよく似た言葉として、「と言う人がいる」という言葉もあります。

その「と言う人がいる」という言葉は、よく政治の世界で使われたりしていますよね?政治家というよりも、マスコミの人が多く使っているようです。
「このような政策を取ると、こんな不都合なことが起こる・・・と言う人がいる。」なんて物言いはおなじみでしょ?
この言葉も、「と言われている」という物言いと一緒で、「不都合は起きない・・・という人がいる。」と反論されれば、それでオシマイ。
結局は、堂々巡り。

まあ、たとえば、イジメ問題ですが、「イジメ問題は最近になって発生した・・・と言われている。」なんて真顔で語る人間は、本なんてマトモに読んだことはないんでしょうね。それこそ以前にこのメールマガジンで取り上げた19世紀の作家バルザックの小説「谷間のゆり」でも学生時代のイジメ問題が出てきます。
イジメ問題に限らず、たとえば2000年前の書物である新約聖書で描かれた人間たちって、今と全然変わらないじゃないの?テクノロジーのようなものは別として、人間の心理に関わるものは、今現在存在するものは、昔もあるものなんですよ。

イジメのようなシリアスなマターでなくても、たとえば、平安時代の「堤中納言物語」の中の有名な「虫愛ずる姫君」なんて、今の「濃いオタク」の人たちと、何ともまあ、よく似たことをやっている。周囲の人たちの困惑も、今と変わらない。
その種の人たちも、愛でる対象には変化はあっても、その心理としては、時代によって変わるものではないんですね。

何も見解は人それぞれ。
「イジメ問題は、最近になって発生したものだ!」と本気で思っているのなら、それはその人の考えですよ。だったら、その考えを、自分がよく知っている状況を元に、自分の言葉で語ればいいじゃないの?
他人の言葉で一般的な状況を語って、何が伝わり、何が改善するの?

実は、そのイジメ問題を扱ったサイトは、その手のボランティアの人たちによるもののようでした。ボランティアは、ダメダメ家庭出身者の巣窟であることは、このメールマガジンで頻繁に触れております。ダメダメ家庭の人間は自分自身から逃避する。自分自身がよく知っている状況から逃避して、どーでもいい状況というか、自分の実家に迷惑がかからない状況に首を突っ込んで「あーでもない!こーでもない!」と議論のための議論に逃げ込むことになる。
そして、相手に対して「恵んでアゲル」という形で序列関係を作り上げ、当人の居場所を作ろうとする。

議論のための議論は、勝手にやっていればいいとして、その手の人間の主張はコレ。
「ボクって、いい子でしょ?」
「困った人々を助けるボクたちって、なんていい人なんだ?!」
だからこそ、自分の手を汚しても、事態を改善しようなんて思ってはいない。

「じゃあ、アナタ自身はどう考える?」
「アナタ自身は、そんな状況を実際に知っているの?」
なんて、切り返されるのが怖い。ヘタなことを言って、親に迷惑を掛けたくない。
だから、「と言われている。」なんて漠とした物言いになってしまう。
それでも、切り返されたら、「だってぇ・・・なんか有名な人が言っているらしいしぃ・・・」なんて逃げ口上。

事態を改善するためには、自分の目の前の事態をしっかり見て、「現状はこれこれで、まずはこのような問題点を改善したい!とりあえずは、このような対処が有効であるとワタシは考える。」と言えば、それがシンプルで、効果的でしょ?必要に応じて、「過去に○○という人が、△△という本の中で・・・と書いている。」そのように付け足せばいいじゃないの?

ダメダメ家庭の問題を考えるにあたっては、「言っていること、していること」から考えるのではなく「言おうとしないこと、しようとしないこと」から考えた方が考察が進むと、このメールマガジンでは頻繁に書いています。

「○○と言われている。」という物言いをする人は、「自分の母親はこう言っていた・・・」とか、それこそ「ウチのお祖母ちゃんがよく言っていたけど・・・」とかの物言いは、絶対にしないものでしょ?
又聞きの話ばかりの人なのに、もっともポピュラーな又聞きのソースといえる親や家族が出てこない。
逆説的になりますが、又聞きばかりの人に限って、家族からの伝聞は出てこないものでしょ?

じゃあ、その人の親はそのような案件について、どのように「言っていた」の?
学校のイジメ問題だったら、そのようなことについて、親も何か言ってもいいのでは?
どうして、その点について言及しないの?あるいは、そんなに伝聞大好き人間だったら、自分の親のもとに聞きに行ったら?

その手のボランティアの連中が、書こうとしないこと・・・そのことから問題点も見えてくるわけです。その手の人は、自分の目の前の問題や自分の直接的に関わる話題は絶対に書こうとしないものでしょ?それこそイジメ問題でも、自分のイジメ体験でも書けばいいのにそんなことはしない。そうは言っても、何も書かないのはマズイ。何か書かないと、人から「構ってもらえない」。だから、そんな人間は「と言われている」なんて曖昧な表現に逃げ込まざるを得ない。
結局は、自分自身の認識や考えが何もないでしょ?所詮は、自分自身からの逃避なんですね。

そもそも購読者の皆さんは、そんな「〜と言われている。」なんて物言いが頻発する人とやり取りをしたいと思いますか?ちょっと込み入ったマターになったら、途端に「だってぇ・・・○○と言われているらしいしぃ・・・」なんて言い出す人って、実際にいるでしょ?そんな人とのやり取りが楽しかったり、有意義だったりしたことはありましたか?

そんなに自分の考えに自信がないのなら、まずは自分の中で寝かせて、もっと自分で検討するのがスジというもの。しかし、自己逃避のダメダメ人間は、自分の中で寝かせるということができない。スグに「何かの形」にして、自分の外に吐き出そうとする。

逆に言うと、そんな「〜と言われている」とスグに言い出す人と、一緒にいたり、あるいはやり取りが続いている人は、どんな人なんだろう?
そもそも、「〜と言われている」と言い出すような人は、減点法の「いい子」であって、相手の気持ちに配慮するという美名のもとに、相手に対して「アナタとしては、この問題についてはどう考えるの?」とは聞かない。だからこそ、自己逃避の人間にしてみれば、精神的にラクな相手と言える。結果的に、お互いが「〜と言われている。」『〜という人がいる。』なんて物言いで言葉を交わし、お互いが傷つかないのでハッピーと言えるですが、別の視点から見ると、そんなやり取りはシュールそのものですよ。
減点法的には問題がなくても、加点法的にも成果がないでしょ?

大人同士だったら、そんな奇妙奇天烈なやり取りも、当人たちだけの問題でしょう。
しかし、子供としてはたまらないでしょ?
マトモな大人だったら、「それなりに」経験があるので、そんなやり取りの奇妙さも、感覚的に分かったりする。よく言う「アイツら・・・なんか・・・ヘンだよ!」というヤツ。
しかし、子供はその奇妙さがわからない。
だから、その言葉を無理に理解しようとして、精神的なストレスを抱えてしまう。
まさに「不思議の国のアリス」におけるアリスのような状態になってしまう。

言葉としては通っていても、つまり形の上では論理があっても、そこには意味がない状態となってしまう。
そんなやり取りの環境にいたら、それこそ「アスベルガー症候群」にもなってしまいますよ。実際にその手の言葉を発する人の周囲にいる人は、そんな傾向があったりするでしょ?

「〜と言われている。」「〜という人がいる。」という人は、自分の言葉を持っていないわけですし、当然のこととして、自分の思考も持っていない。だから、自分の目でものを見たり、自分の耳で人の話を聞かない人でもある。そんな人は、当然のこととして、会話の相手の話を真摯に聞いたりはしませんし、身近な子供の話なんて、聞く気もありませんよ。

そんな人は、ただ、自分自身や自分の実家に「迷惑がかからなければOK。」というだけ。結局は、自分から離れた存在を犯人認定して、つるし上げのような行動を取ったりするもの。
そんなつるし上げのような行動を、たとえば学校の教室内でやったら、どうなるの?
その手のイジメ問題のサイトは、イジメの心理について、実に啓示的ですよねぇ・・・

(終了)
***************************************************
発信後記

バックナンバーを収録したサイトは、最近は1週間を目途に更新しております。
あまり溜め込むと、後々タイヘンですし・・・
そこで改めて気が付いたのは、今までの配信回数が732回になっている。
1年は365日なんだから、1日に2本のペースでバックナンバーの文章を読んでも、1年かかる。
文章を書いた本人の、この私もビックリですよ。

ただ、ダメダメというものはその基本がわかっていると、簡単に見通せるもの。本来は、そんなに文章の数は要らないものなんですよ。
購読者の皆さんも、今までの文章がわかっていると、様々に発生している事件も、見通せるようになってきたでしょ?

ちなみに、日曜日のYAHOOのトップページにおいて、ジャニーズの「少年隊」の東山さんが「自分は父親の顔も知らない」とかのタイトルが載っていましたよね?
少年隊とか東山さんといっても、私個人はよくわかりませんが、芸能人はダメダメ家庭出身者の巣窟であり、出身家庭のネガティヴな面を、肯定的に生かすことができる唯一の業界であることはたびたび書いています。

それこそ、フランスの文芸家アナトール・フランスの小説「タイース」に関係して、ダメダメ家庭と芸能界との関わりをまとめたこともあります。

東山さんの記事をお読みになった方は、上記のバックナンバーの文章を読まれると、ツボを突いているなぁ・・・と思われるのでは?
せっかくだから、今週の土曜日には、そのお題にしようと思っているところです。
R.11/1/17