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カテゴリー ダメダメ家庭の顔
配信日 08年12月26日
タイトル ボランティア顔
他人の文章を読んでいると、書いている人の顔が浮かんできたりします。
まあ、「じゃあ、似顔絵を描けよ!」なんて言われても、それは描けませんが、「10人の候補者の中から、この文章の書き手を見つけだせ!」と言われて顔写真を見せられたら、かなりの成績を上げられる自信がありますよ。

それこそ「人間は40歳になったら顔に責任を持て!」のリンカーンじゃないけど、やっぱり顔と精神はつながっているもの。当然のこととして40歳になったら、突然に、顔を精神が結びつくわけではないので、20歳くらいになったら、もうつながりは見えてきますよ。

それこそ周囲に不満ばかり語っているような人の顔は、顔からして怖いものでしょ?一種の近寄りがたい雰囲気を醸し出しているものですよね?
まあ、その手の不満いっぱいの顔となると、某国の社民党で党首をなさっていた女性がその代表でしょう。そのような年季が入ったベテランの方以外にも、若手の方でも、顔とキャラクターはつながっているもの。以前に「別にぃ・・・」という言葉で、悪態をついて話題になった芸能人さん?がいらっしゃいましたが・・・あの顔と言葉は見事に一致している。いよぉ!若いのにヤルもんだね!
あと「羊水が腐る」云々でモメた芸能人の顔も、「いかにも」な感じでしょ?

そんな有名人ばかりではなく、夜にコンビニの前でたむろっている若い人は、まだ若いのにそんな顔になっている。ああ、このまま行っちゃうと、そのスジの人になっちゃうよなぁ・・・と思わされる顔。子供がそんな顔になり始めているのに、親は何をやっているの?

さて、ダメダメ家庭の人が書いている文章を読んで、たまに「ああ!この文章の書き手は、たぶん、ボランティア顔なんだろうなぁ・・・」と感じたりすることがあります。

「ボランティア顔」なんて、いったい、何?
ヤクザ顔や、不満いっぱいの顔ならまだわかるけど、ボランティア顔なんて、ちょっと思い浮かばないよ!

購読者さんはそう思われるでしょうね。
しかし、それこそ駅前で募金活動をしているような人間の顔には顕著な特徴があるでしょ?あるいは、家にいる時に、突然にやってきて募金を迫るボランティアの連中の顔も実に共通している。

自信のなさや、信念のなさ。
上目使いで周囲にオドオド。
必死の作り笑いが、なおのこと貧相。
貧乏くさい雰囲気で、服装も、安っぽいというよりダサい。

そんなボランティアが語る活動の名目も、募金の名目も、往々にして一般的で抽象的な対象。
それこそ、カンボジア云々とか、身体障害者とか・・・具体的な顔の見えない一般的な対象が選定されたりするもの。そんなに一般的で抽象的だから、逆に言うと、その活動の成果について説明する必要もない。

その手の人の顔は、精神的な抑圧が染み込んでいるような顔と言ったら、皆さんにもわかってもらえるかも?そして、その手のボランティアの方々の顔は、市民運動なりカルト宗教の信徒の顔とも似ているでしょ?
まあ、そんな顔をしているのは、当人の望んだこととは言えないでしょう。
しかし、わざわざ書いた文章でも、そんな文章があったりするでしょ?

一般論的な善意がいっぱい書いてあっても、具体例が出てこない。
色々な人に配慮して書いているから、減点法的には文句をつけようがないけど、読んでいても「結局は、何を言いたいのか?」さっぱりわからない。
文章表現が、一人称主体の、ブツブツと独り言系。

まあ、そんな文章は、このメールマガジンで頻繁に書いていますが、「ボクって、いい子でしょ?」という自己弁護が目的なんですね。
だから、自己弁護につながるような表現だけになってしまうし、その行動も、自己弁護につながるような「立派な」ものをやりたがる。

それに、そのような人は説明能力がない。文章自体も、ブツブツと独り言系だけでなく、その行動の意味や価値や目的も、相手に説明しなくてもいいように、「既に評価が確定」しているものにしたがる。

そして自分に信念がないので、その文章表現も減点法的なまとまりだし、そしていざとなったらスグにトンズラしてしまうもの。
「信念を持って相手に伝えたいものは何なのか?」
「万難を排してもやり遂げたいものは何なのか?」
そんな思考から逃避しているわけ。

そんな文章って、意外にもポピュラーでしょ?
そんな文章を書くよりも、まずは「自分がどうしても書きたいことは何なのか?」そのように、自分自身を見つめることが先でしょ?
しかし、自己逃避しているダメダメ人間にそんなことはできない。ただありきたりで権威筋認定の善意に逃げ込むだけ。しかし、当然のこととして、その善意には自信がないもの。
顔だって、そんな自信なさ気なオーラが漂うようになってしまいますよ。

駅前募金のボランティアの連中は、コッチが顔をじっと見つめると、向こうからは寄ってこないもの。あるいは、そんな文章を書いている人に、具体的な指摘をすると、スグにトンズラしてしまうもの。
トンズラした挙句、いつのまにか別のところで、「ボクって、いい子でしょ?」と以前と同じようなことをやっていたりする始末。

そりゃ、顔から品性が抜けてしまいますよ。
しかし、品性がないがゆえに、そんな自分を弁護するために、もっともっと「ボクって、いい子でしょ?」と言わざるを得なくなる。だからこそ、なおのこと、必死でボランティアをやったり、「いい子ぶった」文章を書くようになってしまうわけ。

その手の人の顔は、己を貫く信念があるわけでもない。
あるいは、己を捨てて他者に奉仕する無私の精神があるわけでもない。
と、なんとも否定形。まさにヨハネが言うように「熱くもなく、冷たくもない」ボンヤリとした人。
そんな人の書く文章が、「あーでもない。こーでもない。」と否定形の積み重ねとなってしまっているのは・・・まさにお約束なんですね。

(終了)
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発信後記

先日、携帯メールと離婚の関係について言及いたしました。
文章を読むと、書き手のキャラクターや行動が見えてくるもの。
その折にも書きましたが、事前の覚悟もなく、事後のチェックもないような文章を書く人は、離婚もしやすい・・・って、ある意味において当然のこと。

何も正式な離婚のようなケース以外にも、家庭内別居のようなケースもありますよね?もう何年も話もしていない夫婦なのに、離婚はしていなくて、一緒に暮らしている・・・そんなパターン。
そんな人の書く文章も、それに相応した文章だったりするもの。
以前にその手の文章の書き手に「アナタの文章は、造花で作った完璧なフラワーアレンジメントのよう。」申し上げたことがあります。ちょっと見のレイアウトは見事なんだけど、そこに生命が宿っていない・・・そんなパターン。
そんな文章を書く人だったら、家庭内別居にもなりますよ。

文章を書いてみたり、あるいは鏡で自分の顔を見てみると、自分自身について色々と発見があると思います。ということでお正月休みの間に投稿の文章でも考えてみてはどうでしょうか?何よりご自身にとって役に立つと思います。
R.10/12/16