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カテゴリー ダメダメ家庭の人間の行動
配信日 09年1月14日 (11年2月9日 記述を追加)
タイトル 安い涙
人は感極まって泣くこともある。
それこそ、苦心惨憺して何かを作り上げた時や、勝負事に勝った時など何かを達成した時、あるいは身近な人がお亡くなりになった時や、勝負に負けた時のような何かを喪失した時。
そんな状況での涙はポピュラーと言えるでしょう。
娘の結婚式で涙する父親は、達成感と喪失感が合いまったものと言えるかも?
あるいは、本や映画などで感動して、泣いてしまった・・・
涙を流すことは誰でもあったりするもの。

政治家にとっては、涙はご法度とのことで、特にアメリカ大統領選挙においては、大きなダメージになるそうですが、何もすべての人が政治家になるわけでもない。
感極まったら、涙する・・・一般の人はそれくらいは許されていいのでは?

さて、ダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。
このことは、泣きたくなるほど、頻繁に書いています。
ダメダメ家庭の被害者意識は、単なるその傾向と言うよりも、その人のアイデンティティの基本になっている状態。
だから、多くの感情も、その根底にある「被害者意識」と結びつくことになる。

ダメダメ人間が、感極まるような状態になる時は、基本的には、被害者意識と結びついている。そもそもダメダメ人間は、当事者意識がないんだから、何かを達成して感極まるなんてことにはなりませんよ。あるいは、もともと、かけがえのない大事なものを持っていないんだから、喪失感も何もない。あるいは、本や映画などの芸術作品に接したりもしない。

「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
ダメダメ人間が持つ強い感情は、これ以外にはない。
そして感極まって涙する。
逆に言うと、ダメダメ人間の涙は、その「被害者意識」に結びついているわけです。

そして、単に「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と、自分ひとりで感極まるだけでなく、それを他者に伝えることで、「ワタシはかわいそうなのよ!」と伝達する・・・そんな行動パターンを持っている。
「ワタシが、被害者なのよ!」
「ワタシは、アナタよりもかわいそうなのよ!」
「ワタシが、一番かわいそうなのよ!」
「だから、ワタシに構って!」
「だから、ワタシを慰めて!」

つまり、「かわいそうな」「被害者」の「印」である「涙」を見せたり、伝えたりすることで、「アタシに構って!」「ワタシを慰めて!」、そして「ワタシは被害者なんだから、ワタシは悪くないわ!」と主張しようとする。

マトモな人間だったら、涙と言ってもヴァリエーションがある。
しかし、ダメダメ人間には、涙の原因にヴァリエーションはない。

そんなダメダメ人間と一緒に暮らしたりすると、涙に対して心理的な抵抗が強くなってしまう。涙を見ると不快感を持つようになってしまう。
そもそも、ダメダメ人間は「涙 = ワタシに構って」のメッセージとなっている状態なので、そんな涙を見せられると、「あ〜あ、このメンドウなヤツに構わなくてはならないのかぁ・・・あ〜あ、鬱陶しいなぁ・・・」と思うのは当然でしょ?

鬱陶しくない人だったら、つまりマトモな人だったら、まずは涙ではなく、言葉で伝えようとしますよ。あるいは、マトモな人は、悲しくて泣く時は一人で勝手に泣いているもの。わざわざそんな姿を人に見せませんよ。しかし、ダメダメ人間は、泣いている姿をわざわざ見せて、それがメッセージになっているわけです。
自分の周囲がそんな雰囲気だったら、やっぱり涙に対し、不快感を持ってしまうのもしょうがない。

ダメダメ家庭出身の人間で、涙に対する耐性の低い人はポピュラーです。
それこそ、以前に取り上げましたが、トルストイの小説「アンナ・カレーニナ」におけるアンナのご主人のアレクセイもそのパターンでした。陳情に訪れた人が、泣き出すと、逆切れしてしまうという設定でした。
つまり、そのアレクセイは、子供時代に、「自分の被害を主張する涙」に囲まれて育ったことが推測されるわけです。
あるいは、子供が泣き出すと、途端に不機嫌になる親もいるでしょ?
本来は、子供なんて泣くもの。しかし、子供に対し「泣いちゃダメ!」と厳命し、自分の目の前で泣くのを排除する。

被害を訴える涙を見てきた人間にしてみれば、子供が自分の前で泣くことは、子供が子供自身の被害を親に対して主張している姿に映ることになる。
「ボクの方が、親であるアナタよりも、かわいそうなんだよ!」子供の涙をそんな意味に受け取ってしまう。
だから、まさに宣戦布告と捉えて、まさに心理的に臨戦態勢となってしまう。
涙を見て緊張するそのような心理状態から、自分自身なり自分の出身家庭の問題まで目を向け、問題点を自覚すればいいわけですが、ダメダメ人間は自己逃避であって、自分自身で問題を解決しようとはせずに、結局は、外の人にサポートを求めようとするもの。
そもそも「自分はかわいそうな被害者。」と言うことが確信となっているんだから、「被害者なんだから、自分で対処する必要なんてないじゃないの。」と思っている。だから問題の対処を平気で周囲の人に丸投げする。

しかし、誰かにサポートを求める手段も、まさにお約束。
「ワタシは泣きました!」とか「ワタシはいつも泣いています!」とかの、涙なしには語れない文言が並んでしまう。
・・・まあ、この私が言うんですからね、確かですよ。

当人が独りで泣くのはともかく、それを真っ先に他者に伝えようとする。
そんな面から、その人は「自分はかわいそうな被害者」としてしか自分を語れないことも見えてくる。

そんな人は、当然のこととして、子育てだって親である自分がこうむった被害と考えている。だから、自分より恵まれていると勝手に認定している自分の子供のことなど考えたりはしない。
ヘタをすれば、子供より先に泣き出して、「ワタシの方がもっともっとかわいそうなのよ!」と子供に対して言い出す始末。しかし、だからこそ、子供が自分一人で問題を解決しようとして、なおのことトラブルになってしまう。

涙を見せることによって、「この問題の解決は、かわいそうではない側・・・つまりアンタたちが考えてよ!」となってしまう。それに、泣いているということは曲がりなりにも感極まっているんだから、それ以上は考えようがない。
涙を見せることによって、「丸投げ」の大義名分ができるわけですし、それを無意識的に主張している。
「ワタシはこんなに泣いているのよ!だから後はアンタたちがやってよ!ワタシは知〜らない!」

ああ!涙って、なんて便利なシロモノなんだろう!!

だからこそ、積極的に「涙」や「泣いている姿」を活用することになる。
「自分がかわいそうな被害者」ということしか主張するものがないダメダメ人間は、この手の「安い涙」が頻発しているもの。
そんな「安い涙」に同情してもらえると、そんな成功体験から、同じようなことを繰り返すようになってしまう。
それこそ、別のところで触れております「ミュンヒハウゼン症候群」のような事態になってしまう。あえてトラブル状態を作りだし、そして「かわいそうなワタシ」を泣いてアピールして、構ってもらおうとする。また、そんな「安い涙」が通用する人々や周囲の環境を自分で求めるようになり、そして、そんな環境にいる人から同情を得るという、更なる成功体験を得て、ますます涙が安っぽくなる。

本当に困っている人は、涙も流す余裕もないものなんですし、たとえ、涙を流しても、自覚もできないでしょ?
何も泣くことがよくないと申し上げているわけではありませんよ。たとえば以前にメールマガジンで取り上げましたが、映画「羊たちの沈黙」において、主人公の捜査官クラリスは、レクター教授の厳しい指摘に涙してしまう。しかし、涙を流しながら、レクター教授の話をしっかり聞いているし、自分自身の説明も最後までやりとおす。生きていれば泣きたくなるような事態もいっぱいありますよ。ただ、泣いている自分というものを、相手に積極的に伝えても、マトモな人は相手にしないというだけです。伝えるのなら、自分が泣くようなインパクトを与えた事件そのものについて、詳細に客観的に伝える必要があるでしょ?

ダメダメ家庭の人間は、信頼と好意の区別が付かないことは、このメールマガジンで頻繁に言及しております。涙をアピールすることは、信頼には何も寄与しないでしょ?
しかし、好意にはつながることも多い。
逆に言うと、涙をアピールするその心理的な背景として、信頼というものを理解できない心理も見えてくる。
信頼というものを理解できない人とやり取りをしても、結局はモメるだけですよ。
そんなことは、あえて申し上げてなくても簡単に予想できることでしょ?
ということで、人との間において信頼ということを重視する人が、安い涙を売り物にする人からさっさと離れて行ってしまう。結局は、残るのは、信頼というものが理解できない同類だけ。
信頼が理解できないもの同士が一緒になって、その後で、うまくいくの?
そんなわけないでしょ?
そうしないためには、自分の考えをできるだけ丁寧に伝えるようにする必要があるでしょ?

しかし、ダメダメ人間は、「ワタシは泣いています!」ということを散々言うだけ。だから、聞いている側としては、「泣くのはいいとして、結局は何があったの?」と聞かざるを得ないもの。そんな質問に対しても、結局は泣いているだけ。被害者意識だけを持っているダメダメ人間は、相手からの話を聞かないため、あるいは説明をしないために、あるいは、自分で考えないために、涙を利用することになる。まさに都合のいいというか、見栄えのいい逆上として、その涙があるわけです。
ダメダメ人間というものは、その感情が安っぽい。だから涙の程度も安っぽい。結局は、人格の程度も、実に安っぽいものなんですね。

(終了)
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発信後記

本文中にも書いていますが、この手の「安い涙」を頻繁に使う人は、それが通用する人々を求めるようになるわけ。
だって説明能力がなくて、泣くことしか相手に伝えられないんだから、会話で物事を解決する人には通用しませんよ。その手の「安い涙」に対して文句も言わず、受け入れてくれる人を探すわけ。

しかし、そんな「安い涙」を受け入れてくれる人となると、やっぱり会話不全で被害者意識が強い・・・いわば同類。
そんな同類同士が一緒になって、結局は、修羅場になる。
そんな修羅場になって、することと言えば・・・まさにお約束。
そして、そんなトラブル状況へのサポートを求めるための方法も、やっぱりお約束なんですね。
R.11/2/9