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カテゴリー ダメダメ家庭にないもの
配信日 09年1月28日 (11年2月7日 記述を追加)
タイトル 逆上の記憶
以前にこのメールマガジンで、「ワタシはウソを言っている。」という言葉は、「ウソか?本当のことなのか?」という有名な問いを例示したことがあります。
「ウソを言っている。」という言葉が本当なら、その人はウソを言っているんだから、「ウソを言っている。」という言葉もウソになり、つまり「ウソを言っている。」という言葉がウソなんだから、結局は、ウソではなく本当のことを言っていることになり・・・と延々と続く話です。

まあ、そんなことも、アタマの体操としては、たまには面白いでしょう。

しかし、ダメダメ人間は、アタマの体操なんてシャレたことはしない。
そもそも当事者意識がないので、自分で考えることもしない。
何も考えずに、権威者のご高説に従っているだけ。

そしてダメダメ人間は被害者意識が強い。ありとあらゆることを自分が被った被害と捉える。その被害とやらを、やり取りの相手に的確に説明できればまだしも、そもそも当事者意識がなく、自己逃避の人間なんだから、現状を認識することからも逃避している。だから的確な説明なんてできようがない。
不都合な事態になると、「ワタシは、なんてかわいそうなの?!」、「キーっ!アイツのせいで、アイツのせいで・・・」と逆上するばかり。

ちょっとしたことで、怒りに我を忘れてしまうことになる。
さて、ここで再び論理の問題です。
『怒りに我を忘れている人間は、その我を忘れている状態を、どのように自覚するの?』
それって、論理的に無理でしょ?
論理的だけでなく、現実的にも無理ですよね?

そもそも我を忘れている状態なんだから、その「我」なんて、自分でも見えないんだから、その自覚も何もない。
「我思う。ゆえに我在り。」のコギトと言うか「我」だったら、知的に思索している我と言えますから、その「我」も自覚できるでしょう。だから「我在り」とも言える。
しかし、「我逆上す。ゆえに・・・」となると「我忘れ」でしょ?「我忘れ」だから、「我なし」ですよ。そんなことはデカルトさんでなくても、簡単にわかること。

我を忘れて逆上している人間は、我の状態を自覚できない・・・それは、あまりに当然のことでしょ?
だから「オレは怒って『いない』んだ!」と、顔を真っ赤にして、目を血走らせて主張することになる。
しかし、我を忘れている状態が、自己逃避のダメダメ人間にしてみれば、精神的にはラクとなる。
だから、抑圧的な人間は、ちょっとしたことで、スグに我を忘れて逆上してしまう。逆上することで、逃避状態に到達してしまう。このことについては、以前に「戦略としての逆上」という文章の中で、実際の逆上メールを元に考えて見ました。

ある程度の距離が保たれていれば、「オレは怒っていないんだ!」と、顔を真っ赤にして主張する人を見ていると、面白いもの。
しかし、身近にそんな人がいるとシャレにならない。
何回も書きますが、逆上というものは、当人の自覚は論理的にも存在しない。だから、習慣性の逆上人間は、自分が過去にやった逆上だって、覚えていない。
頻繁に逆上する人であるがゆえに、「自分自身は逆上なんて縁がない人間である。」と、当人自身としては思ってしまう。
これは論理的にも、そして現実的にも、避けようがないことなんですね。

自己逃避の人間は、自分自身から逃避しているがゆえに、自身では何も判断しない。だから、あらゆる問題が他者のせいになり、その他者を犯人認定する。
そして、勝手に犯人認定したものに対して、報復行為をすることで、「アイツが悪いんだ!」という関係性を自分に確認する儀式とする。
つまり、この手の人は、自分から逃避しているがゆえに、自身が危険な存在となり、
そして自分から逃避しているがゆえに、自分自身の危険さについての自覚がない。

このようなことは、論理的に、まったく当然のことでしょ?
そのような自覚とは縁がない人に対して、親切心を起こして何かサポートしようとしても、サポートしようとした人が危険な目に合うだけ。それこそ、そんな人と夫婦になったらドメスティック・ヴァイオレンス(家庭内暴力)一直線ですよ。

この手の人は、逆上という、大仰なリアクションをするわけですが、逆上の記憶がないだけでなく、何に対して怒ったのかも覚えていないもの。
何も、自分が逆上したという形で記憶していなくてもいいわけですが、何かに対しては不快感を持ったわけでしょ?逆上か、それとも単なる不快感なのかは別として、「気に入らない」という感情は持ったわけでしょ?
だったら、「気に入らない」という不快感を持たされるに至った事態について、その人なりに記憶するのがスジなのでは?
人間はイヤなことは忘れてしまうものだ・・・という物言いがありますし、確かにそんなところもあるわけですが、その怒りが真剣なものだったら、忘れたくても忘れられないものなのでは?

しかし、始終怒っている人は、「何に対して怒ったのか?」について後になって説明できないものなんですね。
明確な説明でなくてもいいわけですから、「このような点が、自分の信念とは一致しないので、腹が立った。」とでも言えばいいだけでしょ?しかし、別のところで書いていますが、ダメダメ家庭の人間は、信念がない。そもそも当事者意識がないんだから、自分の信念なんてありませんよ。
そして、信念がないがゆえに、その信念との不一致による怒りは起きようがない。
ダメダメ人間にあるのは、被害感情だけ。

そして、その被害感情によって、我を忘れて、大きな反応となる。
しかし、信念から来る怒りではないので、自分の心の中に残ることはない。
だから、「何に対して怒ったのか?」「どんな点が不適切だと考えたのか?」について、後になって説明できない。
その手の人は、自分にとって不都合な事態をただ見たくないと言うだけ。
まさに、トルストイ描くアンナ・カレーニナのように「そんなものをワタシに見せないで!」と逆上しただけ。
心からの怒りと、見たくないがための我を忘れる逆上の違いに注目すると、ダメダメ人間の大きな反応の意味もよく理解できるようになるわけです。

さすがに「我を忘れて」逆上となると、ダメダメ人間にも、頻繁にあるわけではない。まあ、そのレヴェルになると、逆に言うと、周囲の人間にしても、「アイツは危険人物だ!」と認識しやすい。
しかし、似たような事例となると、「先送り」があります。
自分自身で判断することから逃避する、抑圧的なダメダメ人間は、自分で判断することを「先送り」することが多い。
先送りくらいなら、わりとポピュラーでしょ?

この先送りも、自覚がないもの。
そもそも先送りをするような人間は、現実逃避で、思考から逃避する抑圧的な人間と言えます。そんな現実逃避の人間なんだから、判断を「先送り」しているという現実を認めることからも逃避している。まさに、「先送り」しているかどうか?の判断も、当然のように「先送り」するんだから、「今、ワタシは、この案件についての判断を、先送りしている。」とは思えませんよ。
判断を先送りしているがゆえに、先送りしていることを認めること自体を先送りする・・・これも論理的に当然のことですし、これくらいなら現実的に頻繁に起こっていることでしょ?

あるいは、もっとシリアスなマターになると、いわゆるカルト団体の問題があります。
「ワタシたちは、カルト団体だ!」と正々堂々と主張しているカルト団体って、皆様はご存知ですか?自分たちの状態を冷静に認識できる、そんなカルト団体って、存在しないでしょ?そんな冷静な自己認識から逃避しているがゆえに、他者を犯人認定して、その認定した他者を攻撃することで、犯人確定の儀式とする・・・それがカルト団体の行動でしょ?カルト団体が行う様々な行動も、あるいは、逆上や先送りについても、自己逃避に由来するものは、逃避であるがゆえに、当人たち自身では認識できないものなんですね。

ヘンな話になりますが、自分の逆上なり先送りの記憶があるようなら、まだ軽症といえるわけです。重症になると、逆上や先送りが習慣性になり、逃避のレヴェルも上がってしまうので、まったく記憶がない状態になってしまう。
先送りくらいならともかく、逆上のような大仰なアクションについても、当人の記憶がまったくないし、自身の逆上だけでなく、怒った対象についても、何も記憶に残っていない。
人からその点について指摘があったりすると、「オレがいつ怒ったと言うんだ?いい加減なことを言うな!ケシカラン!」と大立腹してしまう。
自分が怒った具体的な記憶が出てこない・・・周囲に対し、いつも怒っている人って、現実にそんなものでしょ?

(終了)
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発信後記

先送りする人と、逆上する人のどっちが危険なのか?
軽く考えれば、逆上する人の方が危険と考えるもの。
逆上となると、必死の形相で乱暴な言動。だから危険に映る。

しかし、逆上するような人は、割と見分けやすいので、距離を取ることも簡単。
それに逆上するような人は、集団になることはできない。スグに逆上するもの同士が集まっても、ケンカになるだけですよ。だから、危険度は、それほど大きくないわけ。

それに対し、スグに先送りするような人間は、周囲としても見分けにくい。
それだけではありません。先送りするような人間は、集団化する傾向があります。
お互いが先送りを許し合うという「ぬるま湯」的な状況を一緒になって作り上げるわけ。

そして自己逃避を許してくれるそのような「ぬるま湯」状況を必死に守ろうとする。そんな状態が危機に瀕すると、それこそ防衛と称して、逆襲するようになるわけ。
それって、まさにカルト集団の様相。

先送り傾向の強い人は、集団化志向なので、その分、危険が大きいわけ。
カルト集団の構成員の中のかなりのパーセンテージが、そんな先送り人間なのでは?
R.11/2/7