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カテゴリー やり取りと距離感
配信日 09年1月30日 (10年10月2日 記述を追加)
タイトル 遥か故郷を離れて
以前にこのメールマガジンで映画「麗しのサブリナ」を取り上げ、映画女優のオードリー・ヘップバーンについて書いたことがあります。彼女も典型的なダメダメ家庭出身者なんですね。ちなみに彼女はオランダの出身です。ラブコメしか演じることができない彼女は、若い頃から実質上の引退状態でした。
映画界から引退し居住したのはスイスです。

どうせ引退するのなら、「勝手知ったる」故郷のオランダに住んでもいいのでは?
とは言え、ダメダメ家庭出身者は、故郷を嫌う人が多いもの。そもそもダメダメ家庭なんだから子供時代の体験なんて不快。当然のこととして、自分が子供時代を過ごした場所に愛着なんてありませんよ。

逆に言うと、自分の故郷に対し、地理的というよりも、心理的な意味において距離を置いている人は、ダメダメ家庭の出身者・・・そのように見ることができることは誰でもわかること。
自分の子供時代が楽しいものなら、その思い出に満ちた場所に、実際に住むかどうかは別として、何らかの関わりを持とうとするものでしょ?

そのような故郷というか出身地との距離に関して面白いのは、政治家が選挙の際に立候補する選挙区です。
選挙で立候補する際には、自分の故郷の選挙区から立候補する例が多いでしょ?
そもそも故郷だったら、高校時代の友人などもいたりするでしょうから、人脈をゼロから作る必要もない。立候補するのだったら、その点はメリットですよ。
自分の知人だけでなく、親の知人もいるでしょうから、その点でもアドヴァンテージでしょ?

逆に言うと、わざわざ故郷から離れた場所で立候補するのだったら、何か意味なり事情があることが推測されますよね?
ちょっと思い出してみると、日本の社民党の有力者は、故郷を離れて立候補する例が多い。
それこそ党首の福島さんは、宮崎県出身とのことですが、選挙区は神奈川県。
辻元さん(当時)は、愛知県出身なのに、選挙区は大阪。
あるいは、社民党から支持を得て立候補した田嶋さんは、静岡県出身なのに、神奈川県知事に立候補しました。あるいは、社民党ではありませんが、以前に取り上げました、ちょっと前(09年)に自殺された民主党の永田さんも、親や自分自身とは無縁の千葉県から立候補いたしました。

もちろん、落下傘候補がダメダメと言うわけではありませんヨ。故郷ではなく「職場」から立候補したとも言えるでしょう。ただ、それでも「職場から立候補するのか?故郷から立候補するのか?」の選択はあったはずでしょ?
まあ、その人たちにも、色々と事情もあるでしょうね。
じゃあ、彼女たちは、自分たちの実家について、どうのように判断しているの?
判断をした上で、「実家はキライだから、実家から離れたい。」と思っているの?
そうではないでしょ?
判断した上で、実家から地理的な距離を取っているのではないでしょ?
判断そのものから、心理的に距離を取っているわけでしょ?
判断することから逃避している・・・それが一番的確な表現でしょ?

自分が一番、よくわかっている組織や人物について、考えることから逃避している・・・彼女たちの言動には、そんな面が顕著ですよね?
自分から逃避しているので、スグに誰かを犯人認定するようなことになってしまう。
「アナタ自身はどう考えるの?」と聞かれるのがイヤ。
ただ、「アイツのせいで・・・」と加害者を列挙するだけ。そして、スグに「ワタシは悪くないっ!」と弁解する。

何も故郷から立候補しないとダメと申し上げているわけではありませんヨ。
故郷について、判断ができないとダメと申し上げているだけです。
別の言い方をすると、自分自身の子供時代について、的確に総括し判断できていない状態だったら、何事も腰の据わった判断はできないものでしょ?

しかし、その手の自己逃避の人間は、同じような自己逃避の人間には都合がいい。
だって、お互いが「アナタの子供時代はどうだったの?」なんて、絶対に言わない人でしょ?
そのような人の近辺にいれば、お互いに「痛い」ところを突くようなことにはなりませんよ。

その手の人間の周囲にいる人も、自分自身の問題から逃避しているので、たとえばボランティアをやって自己逃避をしたり、あるいは、外国へ逃げ出し自分探しの旅に出かけるわけ。まさに自分自身から必死で逃げているもの同士。そうして一緒になって「ぬるま湯」状況を作ってしまう。自己逃避の集団だから、不都合なことが発生すると、他者を犯人認定。

自分の子供時代の体験は、まさに「具体」というものの原点でしょ?
その原点から逃避しているんだから、そんな人の物言いは一般論ばかりになってしまうわけ。だから聞いていても、サッパリわからないことが多い。あるいは、総花的で、見た目はキレイだけど、実感が伴っていないわけ。以前に書きました表現を使うと「造花で作った見事なフラワーアレンジメント」状態。

自分の故郷はどんな土地で、自分に何をもたらしたのか?
たとえ不快な思い出でも、いざとなったら的確に語ることができる必要があるわけ。
少なくとも、心の中では整理しておかないと、次に進めませんよ。
しかし、ダメダメ人間は、故郷について、考えることそれ自体から逃避してしまう。

それこそ日本に在住の韓国人の方々も、その人たちにとっての故郷はどこなのか?そこから何を得たのか?そんな具体を語れない人って多いでしょ?
自分の故郷が日本のどこかで、そこで不快な思いをしたのなら、じゃあ、韓国に移住すればいいだけ。日本で、それなりに楽しかったのなら、そのように語ればいいだけ。
しかし、ダメダメな人は、判断すること自体から逃避するわけ。
だから一般論しか言うことができずに、やり取りが具体論に進むと逆上するだけになってしまう。
「で、結局は、アンタはどうしたいの?」そのような質問が返ってくると、見事に逆上するもの。

オードリー・ヘップバーンも、スイスに引っ込むのではなく、オランダでもいいはず。そもそも彼女はドイツ嫌い。子供時代に、オランダがドイツに占領されたので、ドイツが嫌いになったわけ。ドイツが嫌いなのはともかく、じゃあ、故郷のオランダは好きなの?
そもそもスイスだとドイツ語も公用語なんだから、ドイツ嫌いには、向かない土地ですよ。

しかし、彼女としては、「ドイツは嫌い。」と判断できても、「オランダはどうなのか?」という点については、判断することから逃避しているんでしょうね。

まあ、映画女優は、そんな面があってもいいでしょう。
夢と同じものでできている、まさに、フィクションの世界のスタッフでもあるわけですからね。
しかし、政治家だったら、もっと現実に根差していないとマズイでしょ?

しかし、そんなレヴェルの政治家だからこそ、周囲の人間には、ラクチン。
逆にいうと、そんな政治家の支持者の精神のレヴェルも、見えてくるものなんですね。
何回も書きますが、故郷を地理的に離れることが問題なのではなく、故郷についての判断から離れることが問題であるわけ。

故郷なり、そこで過ごした自分の子供時代について、しっかり総括できているのか?
故郷についての判断から逃避しているので、そんな話題は避けるようになってしまう。
そうやって、アンタッチャブルな領域がどんどんと増大してしまう。
認識し、考えること自体から逃避してしまうので、とにもかくにも、判断することが不快。
それこそ、自分の実家について考えることがイヤなので、結婚後の苗字について考えることもイヤ。同じように、自分の故郷について考えることが不快なので、たとえば国籍の問題も、考えること自体がイヤ。ただ、流れるままに「だらぁ〜」としていれば済むという状態にしておきたい。

苗字の問題も、国籍の問題も、基本的には、今後はどうするのかという将来の問題というよりも、自分の過去からの逃避なんですね。
別のところで書いていますが、自分の「father」についての判断から逃避しているから、苗字について考えられないし、自分の「fatherland」についての判断から逃避しているから、国籍の問題も考えられないわけ。政治の問題というよりも、心理の問題からみれば、すんなり理解できるわけです。

オードリー・ヘップバーンのような芸能人だったら、自分で何かを表現するわけだから、逃避以外の活動もやっている。しかし、何も建設的な活動をやっていない、多くの自己逃避人間は、自分から逃避しているがゆえに、いつも他者の話題ばかりをするようになってしまう。これが単にウワサ話のレヴェルならともかく、結局は「あら探し」に陥ってしまう。
そうして、一緒になって「あの○○のせいで!」「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」と大合唱。

それこそ、自殺された民主党の永田議員は、まさに「あら探し」ばかりの人だったでしょ?
それだけ、自分自身から逃避していたわけ。

自分の子供時代の話なり、故郷の話に対して、「ぎこちない」対応をする人だったら、ダメダメ家庭の出身者の可能性が高いわけです。
もちろん、実際にダメダメ家庭の出身の方でも、的確に語ることができれば、つまり自覚があれば、まだ、やり取りも可能。
しかし、そこから逃避している人は、他者を犯人認定するような危険人物なんですね。

何回も書きますが、故郷から地理的に離れていることが問題なのではなく、故郷についての判断から離れてしまうのが問題であるわけ。そして、自分の過去が、アンタッチャブル領域になってしまっているのが問題。

判断から離れているので、逆に言うと、判断なしにできてしまう「なじみ」の流儀をすることになってしまう。
それこそ、周囲に対して、聞く耳をもたずに、自分の被害をがなりたてて、誰かを責め立てるだけ・・・そんな姿からは、むしろ、その人の親の姿が見えてくるでしょ?

故郷についての判断から離れているがゆえに、故郷で体験した自分の親と同じような行動をしてしまっている。故郷について判断逃避している人って、だいたいがそんな感じでしょ?

(終了)
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発信後記

またまた福岡県で、中学生の自殺があったとのことで、なんでも教員による体罰が関係しているとのこと。

体罰を振るった教員も、完全にアタマがおかしい人ではないのでしょうから、それなりの判断があったでしょうし、自殺した中学生の家族にも、事情があったでしょう。

この手の事件が発生すると、「ワタシは知らなかった!」→「だからワタシは悪くない!」という理屈が必ず登場してくるものです。
しかし、それなりの立場の人が、「知らない」から、事件が起こるわけ。

「知らない」ということは、倫理的には「悪くない」わけですが、能力的に見ると「ダメダメ」でしょ?本来は、それなりの立場の人は、重要なことは知っていないとダメですし、そんなことができないような人間は、そんな立場にはなってはいけないもの。しかし、「て・き・と・う」で、そんな立場になってしまう。
その「しわ寄せ」は、一番弱い立場のものに集約してしまい、結果的にドッカーンとなってしまう。

この手の事件って、いつもこんな構図でしょ?
R.10/10/2