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カテゴリー 様々な二重否定表現
配信日 09年2月18日
タイトル 変わりたくない
備考 「変わる」はある種の否定形ですので、それを否定すると二重否定となります。
「ワタシは変わりたい!」
このメールマガジンの文章を読んで、そのように思われた方もいらっしゃるでしょう。
「このメールマガジンで記されている、ダメダメ人間の姿に、このワタシの姿が実に重なっている。このままじゃ、ダメだ!なんとかしないと!」

そう思って、「ワタシは変わりたい!」と考える。
それ自体は、いいことですし、必要なことですよ。
真性のダメダメ人間は、自分自身のダメダメな面が描写されていると、逆上して、逆上メールを送りつけるだけ。それでは堕ちてしまうだけ。
「何とかしないと!」と考える・・・まずは、そこからですよ。

かと言って、自分を変えるのは難しい。
と言うことで、たとえば、この私に相談したりすることになる。

まあ、ダメダメ人間についてのノウハウが豊富な私に相談するのは、実に現実的でしょう。
しかし、ダメダメ人間は、自己逃避であって、思考を抑圧しているもの。その抑圧を自覚して、その抑圧の問題に目を向けないと、どうしようもないわけです。
まず最初に「変えなくてはいけない」のは、そんな「自分自身への抑圧」なんですね。
言葉だけが「変わりたい!」と言っていても、その心理として、「何も見たくない」「何もしたくない」「何も考えたくない」という抑圧状態のまま。

そんなケースだと、やり取りではこんな感じになってしまう。
「アナタの文章を読んでショックを受けた。ワタシは、このままじゃダメだとわかった!ワタシは変わりたい!手伝ってください!」
『具体的には、どの点に取り組むの?』
「うーん・・・」
『具体的には、自分のどの点が問題だと思っているの?』
「うーん・・・」
『将来はどんなことをしたいの?』
「うーん・・・」

そんなやり取りになると、やっぱりお約束の言葉が出てしまう。
『で、アンタ、結局は、どうしたいの?』
その質問に対しては、
「ワタシは変わりたいんですっ!」
となり、双六で言う「振り出しに戻る」状態。振り出しに戻って、やっぱり同じことを繰り返す。

このやり取りをお読みになった購読者さんの中には、またシジフォス的なギャグを書いて・・・と思われる方もいらっしゃるでしょう。しかし、幸か不幸かノンフィクションなんですよ。

前にも書きましたが、ダメダメ人間は自己逃避であって、自分自身を抑圧している。
自分を抑圧しているので、自分の将来のイメージが具体的ではない。
自分を抑圧しているので、自分の現状について、認識していない。
自分を抑圧しているので、自分の過去の問題も、具体的に認識していない。

と、「ワタシはどこから来て、ワタシは誰で、ワタシはどこに行くのか?」という自己認識の根本ができていない状態。自己認識と言っても、画家のゴーギャンのように、いわば哲学的というか精神的な分野の自己認識ではありませんヨ。「いつ、どこで、誰が、何を、どのように、どうして」と言った5W1Hに類する客観的な説明ができればいいだけ。そんなことは小学生でもできることですよ。

抑圧している人間にしてみれば、「変わる」ために必要な、認識なり希望なり思考を抑圧している。だから、本来は、「変わる」ことに対して恐怖を持っているもの。「変わる」ためには、自分の抑圧そのものと向き合う必要があり、それは当人にとっては恐怖そのものなんですね。
だから「変わりたい!変わりたい!」と口では言っても、本音では「このままでいたい!変わりたくない!」と、思っているものなんですね。

言葉では「変わりたい!」と言っていても、本音では「このままでいたい!変わりたくない!」と思っているのが抑圧系のダメダメ人間。というか、「変わりたくない」と本音では思っている自分自身を見たくないがゆえに「変わりたい!」と言葉の上では言い出す・・・それが抑圧というもの。しかし、中には、言葉の上から「変わりたくない!」「このままでいたい!」と主張する人もいますよね?

それこそ結婚の際の苗字の問題でも、夫婦別姓の主張などがありますよね?
苗字については、法律においてまで、規定する必要はないでしょう。
法律的には、夫婦別姓でもいいのでは?
かと言って、そんな苗字の問題も決められないような夫婦が、その後の夫婦生活で、何が決められるの?
何も、無理に夫婦にならなくても、大人同士で、「て・き・と・う」に同棲していればいいだけでしょ?

「変わる」や「変わらない」の判断も、あるいは変わるためには、「自分がどうしたいのか?」そのことを自覚する必要があるもの。
「現状の、何を変えないで、何を変えるのか?」そんな具体的な判断が必要になってくるわけ。
何も難しいことではなく、「自分がしたいこと」が自覚できれば、そのために必要が措置を取ればいいだけ。
必要に応じて、変わる必要もあるでしょうが、「変わる」と言葉だけは言っていても、そんな理念だけだったら、具体的なアクションにはつながりませんよ。

「変わる」とは、ある種の現状否定であるわけだから、「変わりたくない」という心理は、ダメダメにお約束の二重否定そのもの。そもそも「変わりたくない」なんて表現をするよりも、「ワタシは今現在の○○という面を、この後も維持し伸ばしていきたい!」「将来はこのようなことをしたい!」と肯定形で主張すればいいだけ。

もちろん、苗字の問題も、「このままの苗字でいたい!」と心の底から思っているのなら、それはその人の考え。しかし、そこまで苗字にこだわる人間って、他にこだわるものはないの?しかし、抑圧的なダメダメ人間は、「選択すること自体に恐怖心を持っているもの。」苗字の問題も、「どっちの苗字を使うのか?」についての選択することが心理的にイヤである面が大きいわけ。
今までと違った苗字となるのがイヤなのではなく、どっちの苗字を使うのかを選択するのがイヤな状態と見ればいいでしょう。

そんな人は、往々にして、離婚問題も発生したりするもの。
そもそも、認識することや思考や判断から逃避しているだから、結婚相手を自分で選ぶこと自体が心理的に負担になっているわけ。だから「て・き・と・う」に結婚してしまう。あるいは、ヘンな宗教団体のように、結婚相手を教祖様に決めてもらう・・・なんてことになってしまうわけ。

そして、そんないい加減に結婚したら、トラブルになって、「ああ!どうしよう!」なんて嘆くことに。そんな人も、誰かに相談することになる。
相談と言っても、所詮はグチの延長。
現状認識も、将来への希望も何もないのに、相談してくるわけ。
ということで、相談されても、お約束の「で、アンタは、いったいどうしたいの?」と言うしかない。
まずは「自分自身がどうしたいのか?」それを何よりも自分自身に対して明確化するのが先でしょ?
そんな感じで言うしかありませんよ。

そんな回答をすると、「では、離婚しません!」となってしまう。
「離婚しない」は、まさにダメダメにお約束の二重否定そのもの。
離婚しないのはいいとして、じゃあ、具体的な将来イメージがあるわけではない。はっきり言って、「な〜んとなく・・・このまま行こうかぁ・・・」でしょ?
あるいは「離婚だと、色々とメンドウだしぃ・・・まっ、このままでいいじゃん?」そんな雰囲気ですよね?
ということで、配偶者についてのグチを延々と続けながら、「離婚しない」という「結論」でオシマイとなるわけ。「このまま行くと、確実にドッカーンになりますよ。」とわざわざ私が言っているのに、どうやったら、その言葉を受けて「では、離婚しない」という『結論』になるんだか?
「離婚しない」のではなく、関係修復のための努力の方法を確認するのなら、それはそれでいいわけ。それは肯定への手法でしょ?
離婚しないという二重否定だから、始末が悪いわけです。

そんな相談で、いったい、何が解決されたのか?
相談された、この私も呆気にとられるばかりですよ。

家庭に関する問題ばかりではなく、政治でも同じような様相があるでしょ?
憲法を改正するのか?そのままにするのか?
色々と議論がありますよね?
しかし、重要なことは、日本という国をどのようにしたいのか?それを明確にすることでしょ?その理想の実現のために、憲法改正が必要なら改正すればいいだけ。将来の理想の実現のために、憲法改正が不必要なら、そのままでいいだけ。
しかし、教条的に「憲法改正反対!」と言っている人たちは、自分たちの将来イメージを持っているの?変えることなり変えないことに意味があるわけではないでしょ?「改正反対」って、まさに二重否定そのもの。政治信条云々の問題ではなく、その発想の根本としてダメダメですよ。

ダメダメ家庭の人間は、発想が常に否定形。だから現状を否定的に見ている。
しかし、現実逃避なので、何を変えていいのか ?自分でもわからない。

だから、抑圧的な人は、現状認識から逃避して、思考からも逃避する・・・そもそも「考えたくない」わけ。そんな発想だから、今のままがいい・・・となってしまう。変えるための思考への恐怖心が働くわけ。

「このままでいたい!」「変わりたくない」と、心理的に思っている人は、まさに現状認識なり、自分の将来について考えることを抑圧しているわけ。だからそんな人は、抑圧系のお約束の言葉である「ふつう」という言葉をよく使うものでしょ?
「ふつう」という状態は、別の言い方をすると、「とにもかくにも人に合わせていく」という発想でしょ?
「ふつう」という言葉は、何も思考につながらないので、抑圧されている人間には実にありがたい言葉。

そんな人が、子育てをしたらどうなってしまうの?
子供に対しては、「ふつうの子供になれ!」と命令するだけ。
子供が困っていても、子供は、そんな親には相談できない。
そして、結局はトラブルになって、抑圧系の親は「どうして、こんなことに?!」「社会は何をやっているんだ!」と文句を言うばかり。
そんなシーンは、ダメダメ家庭の周囲では実にポピュラーでしょ?

「変わりたくない」「変えたくない」「考えたくない」と思っている抑圧系の人は、いったん決めたものは、不都合な事態になっても変わろうとしないもの。そのようなことは結婚相手のようなものだけでなく、進学した学校でも発生することがあります。
子供が登校拒否状態で、父親・・・つまり夫が単身赴任でも、子供の学校は変えようとしない。登校拒否だったら、単身赴任している父親と一緒に住むのが一番でしょ?ある意味において、問題が一挙に解決できるわけですからね。しかし、そんな「判断」はしないもの。いわば、学校について「考えたくない」わけ。

そもそも結婚前で付き合っている段階でも、「変えたくない」という心理が働くもの。いったん「恋人」とか「フィアンセ」認定したら、それ以降は何も考えずに突っ走ってしまう。相手がどんなにトンデモナイ行動をしても、それを「見ない」という対処をとってしまう。
そして、そのまま結婚して、お約束の修羅場に突入。
しかし、本来は、その修羅場の前に色々と前兆があるもの。しかし、「変わりたくない」「考えたくない」抑圧的な人間は、そんな前兆から目を背ける。

そんな人に、ヘタにアドヴァイスすると、そんなアドヴァイスを犯人認定するだけ。
抑圧的な人間は、「何も考えなくてもいい」現状を守るために、つまり自分に「見せよう」としている人に対し、先制して攻撃するもの。
特に「アナタは、どうしたいの?」などと言い出す人間に対しては、実に攻撃的なもの。
まさに「どうして、そんなことを言うのよ!キーっ!」となってしまう。

また、そんな人は、実に弁解がましいもの。
何か問題点を指摘されると、スグに弁解を始めてしまう。
弁解するということは、現状を保持するということでしょ?
本気で「変える」つもりがあるのなら、指摘を受けたら「わかりました。今までそのようなことは言われたことがなかったので、気がつきませんでした。以後気をつけます。」でいいでしょ?その指摘が不当で、自分の行動が正しいと思っているのなら、それは弁解ではなく、反論なり補足説明すればいいだけ。
弁解するということは、つまり、本心は「今のままでいたい。」ということでしょ?
逆に言うと、弁解する姿勢から、その人の本心が見えてくるものなんですよ。弁解とはとどのつまり、「ワタシは悪くない!」ということ。
自分は何もしたくない、考えたくないという抑圧的な心理の発露というわけ。

あるいは、「変わりたい」という人は、「向上させたい」とは言わないものでしょ?
しかし、本来は、「向上させる」ことの積み重ねが、「変わる」ということでしょ?
向上に当たっては現状認識が必要。しかし、ダメダメな人は現状認識から逃避して、自己否定的な「変わる」という言葉を叫んでいるだけ。

「変わらなきゃ!」
「いい家庭を築きたい!」
と、漠然とした目標を掲げるけど、「じゃあ、自分は具体的にどうするのか?」
当事者意識がないので、そんな思考がない。
自分自身の問題点が自分でもわかっていないわけ。

「変わりたい」とか、「変わりたくない」とか、言葉では色々あっても、自分を抑圧している人間は、「考えたくない」と思っている。
まずは、その「考えたくない」という心理を自覚する必要があるわけです。

(終了)
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発信後記

このメールマガジンで何回も書いていますが、抑圧的な人間は自己逃避であり、自己逃避であるがゆえに、その「自分が自己逃避状態である。」ことを認識できないわけ。

それこそ、目を血走らせて逆上している人が、「オレは怒っていないんだ!」と叫んだりすることになる。あるいは、判断を逃避して先送りばかりをする人は、自分が先送りしているという認識自体を先送りすることになり、自分が先送りをしているとは自覚できない。

この手の事例で、実によくあるのが、居酒屋さんでの「オレは酔っていないぞ!ぜ〜んぜん酔っていませんってば!ウイっ!」なんてセリフ。酩酊状態も、一線を超えると、自分が酩酊状態であることが認識できなくなる。
まあ、居酒屋さんだったら、まだシャレで済む面もありますが、国際会議の場でそれをやったらシャレにならない。

彼本人はともかく、周囲の官僚たちは何をやっていたの?
以前にイタリアで開催されたサミットで、当時の日本の首相の村山さんは、体調不良で途中でキャンセルになりましたが、今回も最悪その手があるじゃないの?

アル中の政治家というと、アメリカの前大統領のブッシュさんもいます。
彼らは、きっと、実は繊細な人なんでしょうね。
本来は政治家には向かないのでは?
中川さんも、ブッシュさんも、二世政治家で、そんな点も、プレッシャーになっているんでしょうね。

芸術の世界だと、アル中で破滅型の人は結構います。それこそ、このメールマガジンでよく言及している、マルグリット・デュラスもその一人。あるいは、「展覧会の絵」などの作品で知られているロシアの作曲家ムソルグスキーなども入退院を繰り返した人。デュラスもムソルグスキーも、一般人はもとより同業者の中でもアタマ2つくらい抜けた鋭敏さを持っている。
芸術家は、自分の命を削った代償として永遠の生命を持つ作品を生みだしたわけだから、そんな生き方もありでしょう。しかし、破滅型の政治家なんてシャレにならない。

中川さんも、そんな芸術分野に転進した方が、当人にとっても、日本国民にとっても、絶対にいいことですよ。
R.10/10/9