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カテゴリー ダメダメ家庭が好きな言い回し
配信日 09年4月1日 (10年7月26日 記述を追加)
タイトル 後で連絡する (別れの社交辞令)
ダメダメ家庭の人間は、自分から逃避している。
そもそも当事者意識がないから、自分で達成したいもの、それ自体がない。「目の前にどんな困難があって、それを打開するためには、どうすればいいのか?」そんなことはまるで考えない。だから安心して自己逃避ができる。それに被害者意識が強いので、何か不都合なことがあっても、「アイツのせいで、うまくいかない!ああ!オレって、なんてかわいそうなんだ?!」と自分を憐れんでいるだけ。

現実逃避や自己逃避となっていて、何事もな〜んとなく終了することが習慣となっているので、何かを達成するために、それぞれの時点において適宜判断をするようなことはしない。
まあ、何となく満足のいく状態だったら「わあ!よかった!」と喜ぶわけですが、自分に不都合な状態だったら、「じゃあ、どこが問題だったのか?」「今後は、どうすればいいのか?」そんな判断はしないわけ。むしろ、そんな不都合な状態そのものを、見ないようにすることになる。

そんな人が、やり取りの最後に、よく言ったりするのが、「後で連絡する」。
よく似ているのが、「後でまた来る」あるいは「後でまたメールする」そんな言葉。

まあ、この私も、「あとで、またメールします。」なんて言葉には、よく接していますよ。
かと言って、そんな言葉を書いてくる人から、後になってメールが来ることはないもの。
後になって、またメールが来るような人は「今回は参考になりました。ありがとうございました。」などと書いてあるもの。
つまり、この私の文章が参考になったとの判断ができたわけ。「役に立った」と判断できたので、また後になってメールして来ることになる。

もちろん、「役に立たなかった」ケースもあるでしょう。そんなケースだったら、もう2度とメールする意味はない・・・これは当然のこと。
しかし、それだったら、「後でメールする」なんて、わざわざ書く必要はありませんよね?
何も書かないで終わせるか?それこそ「役に立たなかった」という言葉を入れてもいいわけ。上手な方法だと、「この点は参考になりました。」と言った表現。やり取りにおいて、全体ではともかく、特定部分で参考になったことも一つくらいはあるでしょう。そこを指摘して感謝の言葉を書けばいいだけ。これがキレイな別れ方ですよ。「この点以外は役に立たなかった。」などとわざわざ言わなくても、ニュアンスとして表現できるでしょ?

だから、最後に「・・・の点が参考になりました。ありがとうございました。」くらい言っておけばいいわけ。それは確かに「心にもない」社交辞令と言えるでしょうが、それくらいの言葉も言えない人間は、被害者意識がある、つまり何事も自分の被害を考える人間であることが推定できるもの。
そんな人の心理としては、「アンタに構ってアゲタわ!」という上から目線となっているわけ。
つまり、それだけ自分の「持ち出し」に視線が行っている。だから、その「持ち出し」に対して配慮がないと、逆上することになる。

あるいは、現状認識なり自分自身から逃避して、これが「別れ」になるという判断することを逃避している人間であることも想定できるわけ。それはお互いの見解が相違することよりも、もっとトラブルになりやすいものなんですよ。

以前に「ダメダメ家庭の人間は社交辞令がない」との文書を配信しております。もちろん、それなりの社交辞令くらいはもっているダメダメ家庭の人間もいる。しかし、抑圧的なダメダメ人間は、「出会いの社交辞令」はあっても、「別れの社交辞令」がなかったりするもの。気を使う対象は、自分の親だけ。それ以外の人に対しては、とにもかくにも合わせているだけ。だから礼儀のようなものは、あまり考えない。
一応のマニュアルには従っても、相手の気持ちに対する配慮がないわけ。
ただ相手に合せているだけなので、日頃から判断しないし、考えない。
そもそも自分の尊厳に配慮する人間ではないので、別れる人に対して、社交辞令も何もないと考えている。
「トラブルにならなければそれでいいや!」「都合が悪いことが、見えなければそれでいいや!」くらいの感覚。
だから、やり取りの最後にあたっても「とりあえず」くらいの感覚なんですね。
やり取りの最初においては「とりあえず」という感覚になってしまうのも当然ですが、ダメダメ人間は、最後において「とりあえず」になってしまうわけ。

「後でメールする」という言葉は、「役に立った」か?「役に立たなかった」かについて判断すること自体から逃避する心理から来ている言葉とみればわかりやすいもの。
判断の結果として、「あの人とは、もうやり取りはしない。」・・・という判断でもいいわけ。そうなったら、次にはキレイな別れ方を考えればいいだけ。ダメダメな人は、とにもかくにも判断がないものなんですよ。

「アンタの書いていることに一言も反論できないけど・・・それを認めるのが悔しいから、とりあえずペンディングしておこう。」そんな心情があると、まさに「後でメールする」なんて終わらせ方になってしまう。

このようなことは、何もメールのやり取りばかりではありません。

それこそ、突然やってくる宗教の勧誘でも、そんな言葉が登場してくるものです。
勧誘の言葉に対し、この私が的確な見解を提示すると、当然のことながら、勧誘の人は何も反論できない。
そうなると、勧誘の人は、「後でまた来ます。」なんて言ったりするんですね。
しかし、そんな人は、もう2度と来ないもの。

本気でその宗教に勧誘したいのなら、2度3度と来ればいいじゃないの?私としては来てほしくはありませんが、勧誘するつもりがあるのなら、それくらいの「気持ち」がないとダメでしょ?ちょっと反論されただけで、すごすごと逃げ出すような人の言葉には、そもそも最初の段階から力がありませんよ。前にも書きましたが、鎧袖一触となる人は、袖が触れる前から、もう逃げ腰。そして実際にちょっとでも不都合な事態が発生すると脱兎のごとく逃げてしまう。
逃げるのはいいとして、せめて「今回は何が問題だったのか?」考えないとね。

「あの時は、ものの見事に反論されてしまった。」
「しかし、自分のこの『思い』を何とかして伝えたい!」
「アイツを説得するためには、どんな言葉がいいだろうか?」

そのように、現状を認識して、今後の課題とする必要があるでしょ?
しかし、ダメダメな人間は、そんな現状認識自体から逃避するわけ。現状認識から逃避しているので、当然のこととして判断もしない。
何か不都合な事態になっても、それが不都合な事態であるということ自体を認識しないわけ。
そんな人が思っているのは、「今のところは、な〜んとなく・・・うまく行っていないなぁ・・・」それくらいなんですね。
だから、「後で、また来ます。」なんて言葉になってしまうわけ。

認識自体から逃避するような人なんだから、「後でまた来ます。」なんて言葉に責任を持つわけもない。そんな人は「自分はあの人に言い負かされたのではない。」と思いたいだけ。以前に書きましたが、マイナス状態を認めることから逃避しているだけ。

「後でまた来ます。」なんて言葉は、宗教の勧誘だけでなく、やっぱり突然にやってくる訪問販売でもあったりしますよね?
「今はその製品は要りません。」なんて言っても、「後でまた来ます。」なんて言ったりする人もいるでしょ?そんな人の心理は、宗教の勧誘の人の心理とまったく同じであるわけ。

何も、その訪問の際は成果がなくても「必要になったら私に連絡してください。」とか言って名詞でも渡しておけばいいじゃないの?しかし、ダメダメな人は、そもそも不都合な事態を認識することから逃避して、判断することからも逃避するもの。
常に先送りするだけ。
判断を回避して「だらぁ〜と放置する」ことになる。
以前に配信した文章に「テンテンテン(・・・)」というタイトルの文章がありますが、その境地に近いわけ。
まあ、実際に「テンテンテン」が多発する文章を書く人は、この「後でメールする」なる文言をやり取りの最後に使うものなんですよ。

このような「後で連絡する」なんて言葉は、そんな感じで、あまりよくない使われ方をされるケースが多いものなんですよ。
当人が本気で「後で連絡する」つもりがあるような場合でも、別の人がいい加減に使っているケースも多いわけ。だから、その言葉を受けた人が、本気で受け取るかは別問題。私などは、その「後で連絡する」という言葉を受けると、「ああ、もう連絡は来ないな。」と判断してしまうもの。ヘタをすれば「あ〜あ、この人も、この言葉を使っているよ!ダメだ!こりゃ!」なんて思うだけ。

もし、自分でじっくり考えて、本当に後で連絡する決心があるのなら、「この面をもうちょっと調べて、○日頃に連絡するよ!」と言った方がいいわけ。

この「後で・・・する」という言葉は、やり取りにおいてのみ使われるのではありません。
それこそ、文章などの作品に接した場合には、「後で、また読み直そう。」とペンディング状態にすることもあるでしょ?
「一回目に読んだ際には、何か違和感があった・・・しかし、なんとなく無視できない。だから、もう一度、今度はじっくりと読み直してみたい。」そのような感想を持つ作品は実際にあったりするもの。
だから「後で、また読む」という扱いになる。

何も、作品に接した直後に明確な形でまとめ上げる必要はありませんよ。
作品に接したことによる影響だって、自分の中で寝かせていけばいいだけ。
それが10年後になって「ああ!あの文章で言っていたことは、こういうことだったのか?」と、分かることもありますよ。

しかし、「後で、また読む」なんて扱いが習慣化してしまうと、その時点で考えることから逃避することが癖になってしまうわけ。
「わからなかったが、何か強い違和感が残った。」という扱いなら、それでいいわけですが、とにもかくにも「後で、また読む」扱いにすると、先送りが習慣化してしまう。
何事も、その場で解決する必要はないわけですし、たまには先送りも必要でしょう。
判断しての先送りならいいわけですが、判断なしの先送りとなると、それが習慣化されてしまうわけ。
そして、先送りが習慣化してしまうと、何事も軽くなってしまうんですね。
思考が軽くなってくるので、思考の道具である言葉も軽くなる。
そんな軽さが、ちょっとしたやり取りで、見えたりするんですね。

言葉というものは、当人にその気がなくても、別の人がダメダメに使ってしまうと、言葉自体がダメダメになってしまうし、他の人からダメダメとみなされてしまう・・・そんなことがあるわけです。
それこそ、方言でもそんなところがあるでしょ?
その方言を、柄の悪い使われ方をされてしまったら、別の人が、ちゃんとした意図をもってその方言を使っても、周囲の人は、「柄の悪い」使われ方をしたイメージが残っているので、「この人は、マジメにやっていない!」とみなされたりするもの。

当人が本当にその気があるのなら、相手の受け取り方にも配慮する必要があるわけ。
と同時に、その「後で連絡する」という言葉を普段から頻繁に使っているのなら、本当に後で連絡するつもりがあるのか、ちょっと考えてみた方がいいわけ。後で連絡するのなら、いつの頃なのか?それを明確にしないとダメなもの。その言葉を「て・き・と・う」に使っている場合には、ちょっと自分自身を見つめなおした方がいいわけです。以前にその言葉を使った相手に対しては、ちゃんと実際に「連絡したのか?」思い出してみたら?
あるいは、「後で、読み直す」という扱いにした作品は、ちゃんと読み直したの?

とは言え、「後で連絡する」という文言を使っている人に対し、そんな指摘をすると、どう対処するのか?
まさに「その件については、後で考えて、後で連絡する」そんな回答なんですね。

(終了)
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発信後記

本日4月1日はエイプリル・フールなので、「真っ赤なウソ」の言葉を取り上げてみました。
そんな「後で連絡する。」なる言葉を受けると、ホント、「どうしてこんなウソを平気で言ってくるのかなぁ・・・」と、私も昔は怪訝に思ったものですよ。
この私がそんなミエミエのウソに引っかかるわけがないし。

ただ、当人としてはウソを言っているつもりはないんでしょうね。
相手を騙すというよりも、自分自身を騙しているんでしょう。
そんな人は、自己逃避して、判断を先送りしているだけ。
前にも書きましたが、「先送りが日常化してしまうと、自分が先送りしているという判断も先送りしてしまい、自分が先送りをしていることが自覚できない。」ことになってしまう。

そんな人は、この「後で連絡する」という言葉が出てくる前においても、実に言葉が軽い。
だからやり取りにおいて、何も成果がなく、逆に相手から突っ込まれることになる。
だからこそ、「後で連絡する」という言葉を残してトンズラしてしまう。
しかし、自分がトンズラしたという現実を認識することからも逃避しているので、やっぱり同じようなことを繰り返すことになる。
そうやって、やり取りの言葉がどんどんと軽くなってしまう。

ヘンな話になりますが「後で連絡する」という言葉が登場してくる前から、「この人は・・・そのうちに出してくるだろうなぁ・・・」と予想できるものなんですよ。
皆さんも、今後は、この言葉に注意してみてくださいな。
R.10/7/26