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カテゴリー 会話のスタイル(発言側)
配信日 09年4月3日
タイトル 答えにくい形での質問
個人的なことになりますが、以前に、クラシックのコンサートに出かけた際に、ホールから出ての帰りがけで、新聞社の人から質問を受けたことがあります。
そのコンサートはVIPも聞いていたので、まあ、記事のネタと思ったのでしょうね。

その質問は、
「新聞社のものですけど、さっきのコンサートはどうでしたか?」
というもの。

そんな質問をされたら、皆さんはどう答えますか?
何もクラシック音楽のコンサートだけではなく、アイドル・タレントのコンサートでもいいでしょうし、映画を見た後で質問を受けるケースも似ている。あるいは、美術館を出てきた後で、そんな質問をされたら?

実は、困っちゃうんですね。
そもそもどんなレヴェルの答えをしていいのか?それがわからない。それこそ作曲家について聞いているの?演奏について聞いているの?それすら明確じゃないのなら、答えようがないでしょ?
作曲を主体に答えるのなら、それこそ「第2楽章でのホルンの使い方が独創的で感心した。」とかになるでしょうし、演奏を主体について答えるのなら「コーラスにおいて、テノールのパートが落ち込んでいた。」とか「コーラスにおいて英語の発音はちゃんとしていたが、ラテン語はダメだった。」「ポリフォニックな部分でのオーケストラ演奏が意外にもよかった。」そうなったりする。そんな回答を期待して、質問したの?
たぶん、そうではないでしょうね。

私としても、その質問してきた人の、容姿を見ながら、「コイツは、どの程度のオツムをしているのかな?」なんて判断する必要がある。当然のこととして、相手のアタマの程度によって、質問の意味も違ってくるわけ。
まさに、「で、アンタ・・・いったい何が知りたいの?」

たぶん、質問してきた人が期待している回答は、ボンクラ御用達の名セリフ。
「感動しました!」「なきました!」
そんなものなんでしょうね。

人に質問をするのはいいとして、ダメダメ人間は、「何を知りたいのか?」それが明確でない状態で人に質問したりするもの。これは、質問の一種と言える相談においても、まったく同じです。

知りたいことを自分自身でまず明確にして、そのための必要なデーターや状況説明を提供した上で、相手に質問する・・・なんてことはできないわけ。「なんとなく」質問しているだけなんですね。

自分の知りたい箇所が、質問した当人でもわかっていないわけだから、質問を受けた方は途方に暮れる。
それこそ、最初にあげた、クラシック音楽のコンサートでの質問ですが、せめて質問する人が「すばらしかったですか?ダメだったですか?」と聞き手の感想に絞った形で質問するのなら、まだ回答のしようがあるもの。「YES or NO 」で、「て・き・と・う」に言うだけ。どうせ、その程度の質問だし、その記者の新聞の読者だってその程度なんでしょ?しかし、回答しやすいスタイルの質問であることは確かでしょ?

クラシック音楽についての質問は「YES or NO 」で簡単に分けることは難しいことは確かですが、質問する側は、自分自身の疑問点なり知りたい点を整理しないとね。

しかし、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。自分自身が本当に知りたいことなど、自分でもわかっていないわけ。
それに、ダメダメ家庭の人間は会話の能力がない。やり取りにおいても一方的に命令しているだけ。だから会話が弾むやり取りと、会話が止まってしまうやり取りの区別がつかない。

と言うことで、自分でもわかっていない状態で、質問をぶつけてしまう。
質問をされた側は、「いったい何が知りたいの?」と途方に暮れてしまい、何も答えない状態。そうなると、ダメダメ人間の被害者意識が刺激され、「あの人は、こちらが聞いても何も答えてくれないっ!」「ああ!オレってなんてかわいそうなんだ?!」
と、お約束の、嘆き節。
しかし、答えようがない質問なんだから、聞かれても答えられませんよ。

どの程度、普段やっている会話が自分の身になっているのか?
普段の会話によって、相互理解が深まっているのか?
事態の解決につながっているのか?
そのようなことは、その人が使う質問の言葉によってわかったりするもの。

答えやすいスタイルの質問をしていれば、自分の疑問点が解決して、よりマトモになって行き、答えにくいスタイルの質問をしていれば、相手から回答が得られずに、現状がますますダメダメになる。そんなことは小学生でもわかること。

最初にあげたクラシック音楽のコンサートの後での質問ですが、質問された私の記憶に残っているのは、その記者が、オバカであることだけ。せめて「さっきのコンサートは、聞いていて楽しかったですか?」という質問だったら、単なる初心者と思われるだけでしょ?初心者とバカは全然違うものですよ。
バカな質問をすると、疑問点が解決しないどころか、バカ認定をされることも多いものなんですね。バカ認定されると、マトモな人間はそんな人から離れていってしまう。
初心者認定だったら、それ相応に「わかりやすく」対応されるだけ。
初心者認定をされないように・・・と思っていても、逆に、オバカ認定を食らったら意味ないでしょ?

まあ、そんな質問をしている新聞記者って、普段もそんな感じでのやり取りなんでしょうね。
だから、そんな家庭の子供が事件に巻き込まれるんでしょ?

このことは相談においても、まったく同じ。
相談しての回答の「内容」そのものは、予想しようがないでしょうが、回答のスタイルくらいは予想した形で相談を持ち掛けないと、それこそ有効な回答なんて得られないものです。
相談における回答のスタイルだったら、
「アナタには、この点が欠けているよ!」とか、
「こんな観点から考えてみたら?」とか、
「次には、これをやってみたら?」とか・・・
そんな回答のイメージがあっての質問なら、有効な回答も得られますよ。

本来は、その人の問題意識があるから質問するわけでしょ?問題意識が明確であれば、解決のイメージくらいはありますよ。
質問のスタイルには、普段からの解決の手法の積み重ねが反映しているわけです。
トンチンカンな質問をしてきた人は、今までも、そんな感じで質問し解決してきたのかな?

あるいは、質問の物言いには、普段の会話が反映しているもの。
普段から会話不全の人は、それに相応した言葉使いになるもの。

問答無用で、権威主義で上からの物言いをして、会話を引き出す物言いを決してしない。
やたら「べき論」で説教くさい。
あるいは、態度からして尊大な態度。
それこそ、以前に日本で活躍されていた白髪のニュースキャスターの人は、椅子にふんぞり返って、脚を組んで、命令調でインタビューしていました。
そんな人は、相手から何を聞きたいのやら?
結局は、自分に都合のいい言葉を言わせようとしているだけでしょ?
普段からいかに対等の関係での会話をやっていないのか、ちょっとしたことでわかったりするもの。

文章での相談なり質問だったら、マトモな文章の場合は返事がしやすい。
論点や疑問点が明確だし、当然のこととして、表現もしっかりしている。
ダメダメな文章は、グチに共鳴することはできても、返事が書きにくい。
まさに、「で、アンタ・・・いったい何が言いたいの?」となるもの。

あるいは、口頭でのやり取りだったら、タイミングの問題があるでしょ?
それこそ食事中に食べ物を口に入れている時に質問されてもどうするの?
あるいは、突然に呼び出しを食らって、「何か困ったことはないか?」なんて聞かれてもどうすればいいの?

相手の考えを聞いたり、相手の知恵を借りるには、それなりの配慮や手順が必要でしょ?
とは言え、ダメダメな人間は、そんな配慮はしない。相手のことについて何も配慮せずに「て・き・と・う」に質問し、相談を持ち掛け、結果的に何も解決しない。ただ「あの人は、有益なアドヴァイスをくれない!」って恨んでいるだけ。
そういう意味では、ダメダメってラクなんですね。

(終了)
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発信後記

本来なら、自分が知りたいことがあるからこそ、誰かに質問するはずですが、ダメダメ人間の質問は、ただ、その人と「やり取りした」というアリバイ作りだけの場合が多いもの。
あるいは、文法的には疑問形であり、文章的には質問になっていても、それこそ「問い詰める」ような、一種の「糾弾」に近かったりするもの。

まあ、その手の人の巣窟がマスコミの方々でしょうね。
東京に住んでいると、その手の人々の行動を実際に見たりすることも多いし、まあ、その人たち向けのブリーフィングのペーパーを作ったりする場合もある。

マスコミの問題については、インターネットとの関わりが言われたりするものですが、インターネットがない時代から、実際にマスコミの方とやり取りをする方は、あの手の連中を嫌っている人は多くいました。

私としては、何も難しいことを申し上げているわけではなく、自分の尊厳に配慮して、そしてやり取りの相手の尊厳に配慮しましょうと申し上げているだけです。
R.10/12/20