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カテゴリー ダメダメ家庭が持っている発想
配信日 09年4月13日 (10年10月4日 記述を追加)
タイトル 被差別意識
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がなく、被害者意識ばかり。
当事者意識がないので、自分で達成したいものがあるわけではない。
そして、その被害者意識から、自分の被害を語っているばかり。

かと言って、グチグチと自分の被害を語っていると、「グチばかり言っているけど、アンタ自身は結局はどうしたいの?」なんて質問も返って来る。
ダメダメ人間は「自分はどうしたいのか?」ということから逃避しているんだから、そんな質問に答えられるわけもない。
結局は、「どうしてそんなことを言うのよ!キーっ!」とお約束の逆上状態に。

自分個人のグチとなると、そんな質問も飛んでくるので、もっと一般化した形でのグチを言うようになるわけ。
そのような一般化され抽象化された被害者意識として、今回の文章では、被差別意識を取り上げましょう。

その手の被差別意識は色々とありますよね?
それこそ人種とか、宗教とか、性別とか、出身地とか・・・
何かと言うと、「我々は差別されている!」そのように主張する人もいらっしゃるでしょ?

その手の差別が、現実的に存在する・・・このことは否定しようがない。
しかし、それこそ黒人の方でも、マイナーな宗教の信者でも、あるいは、女性でも成果を上げている人は、いっぱいいるわけでしょ?
たとえハンディキャップがあっても、自分の達成したいものが明確になっているのなら、それを達成するために周囲に説明して、協力を求めればいいだけ。

周囲の人にしてみれば、相手の人の行動パターンが見えてこないと実に不安になる。
逆に言うと、行動パターンが明確なら、適切な距離を取ることができる。
行動パターンが読めないからこそ、心理的な恐怖を感じ、過剰に避けてしまうのは、ある意味においてしょうがない。
だからこそ、ますます周囲の人からの協力も得られない。
そして、そのことについて、被害者意識が刺激され、嘆きの声を上げるので、ますます、意味不明の存在となってしまい、ますます避けられる。
いわゆる差別と言っても、そんな流れで進行しているケースもあるでしょ?
まずは、その人自身が何をしたいのかについて、自分にとっても、周囲の人にとっても明確になるようにすることが先じゃないの?

しかし、ダメダメ家庭の人間は、そもそも達成したいものそれ自体がない。
だから、「ワタシに協力して!」ではなく、「ワタシに構って!」となってしまう。
「ワタシは差別されている!」とクレームをつけることは、協力してもらうためには効果がなくても、「構ってもらう」ためには有効なロジックであり手段でしょ?

「ワタシは差別されている!」
と叫んでいると、同好の士が集まってくる。
それに、ダメダメ家庭の人間は対抗心が強い。被害感情を共有し、一緒になって何かに対抗するとなると、みんなで盛り上がってしまう。
それに、「差別されている!」という主張は、反論はされにくいし、そのクレームに対し説明を求められることもない。だからダメダメ家庭の人間が苦手なものといえる説明や会話からは解放されるわけ。ダメダメ人間としては「コレ言っとけば安心!」なんてことを言いたがるもの。

逆に言うと、「この点が不都合だから、ちょっと改善してもらえませんか?」という協力要請だったら、それを説明する必要があるでしょ?そんなことはダメダメ人間には不可能なことですよ。

しかし、被差別を主張し、一緒になって何かに対抗しているからと言って、それで何が実現されるのか、というと、まったく逆でしょ?まあ、お金はブン取れるかもしれませんが、そんな行為は尊厳とは無縁ですよ。

しかし、唯一達成できることが、お金をブン取ることくらいなので、ますますその面で張り切ってしまう。それにお金を得ることによって、「自分たちが差別されている。」とオーソライズされたことになり、ますます被害者信念が確たるものとなる。ダメダメ家庭の権威主義と相まって、補償を得ることで、「権威ある○○によって、ワタシたちはかわいそうな被害者だと認められた!」そう思うわけ。

差別による被害を語る人って、「じゃあ、自分は何をしたいのか?」ということを言いませんよね?結局は自己逃避の手段になっているわけ。
当人の目標もないし、希望もないし、成果もない。
その手の人は、「差別は不当だ!」という形の二重否定的なクレームをつけるだけで、「自分の成果」なり「自分の可能性」「自分の希望」というシンプルな肯定形では何も言えないわけ。
それだけ、発想の基本や視点が否定形なんですね。

成果を出すという発想そのものがないので、目標達成のための障害というものも、実際には存在しない。様々なハンディキャップは、目標達成のための障害というよりも、単なる被害と認識しているわけ。
被害と認識しているがゆえに、その対処を、「加害者の側」に要求することになる。
「ワタシは何も悪くないわ!悪いのは全部アンタたちじゃないの?だから、アンタたちがなんとかしてよ!」そんな文句で対応を丸投げするわけ。
丸投げなんだから、当人としてはますます何も考えず、何も対処しない。
何も考えないまま、「な〜んとなく」「て・き・と・う」で突っ走るだけ。

マトモな人は、自己逃避ばかりして、クレームばかりつけている人とはやり取りをしたくはありませんよ。君子危うきに近寄らず。前にも書きましたが、その行動パターンが読めないわけですからね。目標が明確なら、行動も読みやすい。しかし、クレームばかりなんだから、次には何をするのかについては、見えてこないでしょ?だから、周囲の人は、そんな人を避けるようになる。
周囲から避けられると、それを差別と受け取り、ますますクレーマー稼業。

そうして、「悪いのは全部○○のせいだ!」「ワタシたちは悪くない!」とお約束の盛り上がり。

まあ、そんな人は勝手にやっていればいいわけですが、そんな人たちも子供を作ったりする。そんな人が親になっても、子育てがうまくいくわけもなく・・・
結果的に、子供が問題行動を起こしたりすると、
「悪いのは全部○○のせいだ!」
「ワタシたちは悪くない!」
「ああ!ワタシたちって、なんてかわいそうなの?!」
「時代が悪い!社会が悪い!」
「ああ!ワタシたちは差別されている!」

本当にそんなに差別の問題が深刻だったら、逆い言うと、子供なんて作ってはダメでしょ?
子供を作るにせよ、相応の覚悟が必要でしょ?
子供を持つ前は、どんな想定をしていたの?

しかし、逆に言うと、うまくいかない事態になったら、「我々は差別されている!」とクレームの声を上げればいいだけだから、事前にも何も考えないし、子育ての最中にも何も考えないわけ。
そして、当然の如くにトラブルになり、ダメダメな親は「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」「ワタシたちは、かわいそうな被害者なのよ!」「社会として、我々のような不幸な境遇の者に、もっと配慮すべきだ!」と大仰に嘆くことになる。

そんなダメダメな親に育てられた子供が一番かわいそうなことは言うまでもないことですが、被害者意識の強いダメダメ人間は、自分の被害に目を向けるばかりで子供へのサポートはしない。そもそも、そのような人たちに社会がサポートしたとしても、「自分こそが一番かわいそうだ!」と確信している親の側が、援助のほとんどを奪ってしまうのは、実に自然な流れでしょ?だから、中途半端な援助は、子供に届かないだけでなく、親の被害者意識を肯定し、子供への負荷を増やすだけに終わってしまう。

結局は子供がますますトラブルを起こすようになってしまう。そんな状態でも親は嘆き、「差別が悪い!」と責任転嫁するだけ。二言目には、「我々を差別しているアイツたちが悪い!」と言ってやり取りを終わらせてしまう親に対しては、子供も何も言えないでしょ?だから、子供だけで問題を抱え込んでしまって、ますますトラブルが多発することになる。そんな流れは結構ポピュラーな事例でしょ?そんな家庭で育った子供を実際にご覧になった方も多いのでは?

被差別意識があるので、不公平感に対するセンシビリティは高い。
ちょっとでも不公平と感じるものがあると大騒ぎすることになる。

昨今話題のモンスターペアレントの方々ですが、そんな傾向があるでしょ?
そんな方々からの抗議を受けて、結果的に成績をつけないようになってしまった学校もあるとか・・・

何回も書いていますが、ダメダメ人間は、自分自身でやりたいことについて考えることから逃避している。
そしてそんな自己逃避の親が子供に言うのは「ふつうになれ!」。
親からのそんな命令があるので、子供は「ふつうになろう」と、必死で「人に合わせる」ことになる。
そんなことだから、「ふつう」とは違っている、人と違っている面に過剰に反応してしまう。人とまったく同じでないと、精神的な不安になってしまうわけ。それにダメダメ家庭の減点法と相まって、「人と違っている面」をマイナスとして認識することになる。だから、人と違っている点が許せない。
だから、いわば強迫的に「人と同じになろうとする。」

こうなると、いわゆる悪平等状態。
しかし、そんな悪平等状態も、「人に合わせすぎる」「ふつうになりたい!」「自分の希望がない。」という抑圧的なダメダメ人間にはラクな状態。
悪平等状態も「人に合わせなきゃいけない!」と強迫的に思っている人にしてみれば、いわば楽園のようなもの。しかし、そんな状態はマトモな人にしてみれば、地獄そのものですよ。

被差別意識を叫ぶ人から見えるのは、子供に対し「ふつうになれ!」と命令し続けたその人の親の姿。いわゆる悪平等も、別の言い方をすると「ふつう状態の極北」と言えるでしょ?それを自覚しないままだと、そんな強迫的な「ふつう」願望が進行し連鎖するだけ。

被差別意識に基づく被害感情も、その結果としての悪平等状態も、「ふつうにならなきゃいけない!」という強迫観念の結果と見れば、実に理解しやすいでしょ?

「この門より入るもの、希望を捨てよ!」
ダメダメ家庭の中では必要な態度ですが、ダメダメ家庭の人間は、そんな理想を、ダメダメ家庭の外でも実現しようとするわけ。そんな発想と、被害者意識から、周囲の人との違いを発見すると「ワタシは差別されている!」と大騒ぎすることになる。

「自分はこんなことをしたいのだけど、この面が社会的にハンディとなっているから、その点を修正してほしい。」という依頼なら、周囲としても、対処する必要があるでしょうし、対処もしやすい。
しかし、「ワタシたちは差別されている!」というクレームを叫ぶ人は、「区別して」、そんな人からは離れるしかないわけです。

(終了)
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発信後記

本文中にも書きましたが、「人に合わせなきゃいけない!」という強迫観念と、被害者意識が結びつくと、被差別意識になることは、簡単に理解できるでしょ?
ダメダメというものは、一見エキセントリックな表層を持っていても、基本となるダメダメの要素の組み合わせに過ぎないわけ。
そして、その手の被害者意識は、エキセントリックに叫ぶことによって、「自分は○○による被害者」と自分自身を納得させてしまうわけ。

昨今ご活躍のモンスターペアレンツなどで、この手の被差別意識は、今後とも見ることが多いでしょうから、皆さんも注意してみてくださいな。
R.10/10/4