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カテゴリー やり取りと距離感
配信日 09年4月22日 (10年12月8日 記述を追加)
タイトル 巣立った後
以前に相撲部屋での殺人事件がありました。17歳の弟子をリンチして殺してしまった事件です。すべての相撲部屋があんなことをやっているわけではないでしょうが、それぞれキレイ事だけではないでしょう。

それに、仕事としてお相撲を取っているんだから、当然のこととして色々と厳しいでしょ?
学校のクラブ活動と同じレヴェルのはずがありませんし、逆に言うと、それではダメでしょ?自分にとって役に立つ厳しさであることが重要なのであって、楽しければいいというわけではないでしょ?
「現役の頃は、この厳しさが辛かったけど、今となっては、いい思い出だし、あの厳しさが今の自分に役に立っている・・・」そのように思えればいいわけでしょ?

後になったら、あの厳しさの意義や価値がわかってきた・・・
そんな感慨を持ったら、OBやOGとして、遊びに行ったりしますよね?
「オレも昔は、ここで汗や涙を流したもんだ!いやぁ・・・懐かしい!」

そんなOBやOGが多くいて、交流が続いていたら、その活動は立派な活動と言えるでしょ?
「巣立った後に、どのような距離を取るのか?」
そこから見えてくるものがあるわけ。
しかし、ダメダメな組織の出身者は、いったん巣立ってしまうと、戻って来ない。

そもそも、その組織の中でのことが、後々になっても、何も役には立たない。これはダメダメな組織の代表例と言えるダメダメ家庭がその典型と言えます。
子供時代のダメダメ家庭での日々を、単に感情的にイヤだったというだけでなく、マイナスとして、後々までずっと背負っていかなくてはならない。これは経歴のような記録にまつわることではなく、たとえばそこで培った常識とか考え方が、一般のマトモな社会とは違っているわけ。
それこそ北朝鮮から逃げ出した人が、マトモな別の社会で生き難いようなもの。
北朝鮮からの脱北者にしてみれば、その経歴というよりも、北朝鮮での常識なり考え方の枠組みによる齟齬によって、後々まで困ることになるわけでしょ?

「ダメダメ家庭の中での常識を持っている自分をどのように修正していくのか?」
「どのようにして、周囲とトラブルにならないようにしていくのか?」
その点に注意しながら生きていくだけで、精神的な疲労になってしまう。
そんな事態に自分を追い込んだ過去の日々なんて、忘れたいだけですよ。

だから、その組織について考えるに際し、「巣立つ前の人たちがどのような態度なのか?」という点を見るよりも、「巣立った後の人たちがどんな態度なのか?」という点を見た方が、その組織の内実についてよくわかるわけです。

それこそ、ダメダメ家庭の人間は兄弟仲が悪いもの。子供の頃だけでなく、巣立った後でも、ずっと兄弟仲が悪いものなんですね。だって、一緒にいた時の思い出に楽しい思い出があるわけでもないし、それに、何回も書いていますが、その時の体験が後々の生活にマイナスになっているだけ。共有している時間や体験が不快なものなんだから、巣立った後に、兄弟が仲良くなんて行きませんよ。

兄弟の間だけでなく、いったん、巣立ってしまうと、もう音沙汰がなくなってしまう。
だからこそ、ダメダメな集団は、自分の元から巣立たないようにすることになる。
「信じられるのは血がつながった家族だけ!」
「オマエのために、自分の人生を棒に振った!」
「ここの外の世界は、ここよりも、もっとヒドイぞ!」
そんな言い方をして、自分の子供が巣立たないようにする。

このようなことは、ダメダメ家庭のOB,OG集団と言えるボランティアの人たちにも顕著でしょ?
「アナタは何も悪くないわ!」
→「だから、このままでいきましょうよ!」そんなロジックがお約束となっている。
結局は、サポート対象の人が、自分の保護下から巣立ってしまうと、自分たちの相手をしてくれないことがわかっているだけでなく、自分たちがやった「施し」が、その人の将来に役に立たないことが、何となくわかっているわけ。

「あの時の、あの人たちからのサポートはありがたかった!」
そう言ってもらえる自信があるのなら、喜んで巣立たせようとしますよ。

「支配・被支配の構図」の範疇にいる内は、被支配の側は、支配者に従わざるを得ない。そんな状況下における被支配者の言葉などには、あまり意味はないもの。それについては、その集団がダメダメであるほど、その傾向は顕著と言えます。このような状態は、北朝鮮を見ればすぐにわかることでしょ?支配されている立場だと、どんなに不満を持っていても、周囲に対して「うまく行っている。」と言わざるを得ない。
そんな状態だから、被支配の側は、面従腹背状態になってしまって、以前に書いた臥薪嘗胆を決め込むようになってしまう。

だから、いったん支配関係が崩れると、二度と出会うこともないわけ。耐えがたきを耐えて、やっと出られたんだから、戻って来るわけがありませんよ。
それこそ、ダメダメな家庭だけではなく、学校だって、子供を支配している類のダメダメな学校だったら、そんな学校にOB,OGとして遊びに行くことはありませんし、同窓会なども開催されないでしょ?さながら強制収容所や刑務所のOB会が開かれないようなもの。
同窓会の開催頻度や出席率をみれば、その学校のマトモさがわかるわけ。それは入学の際の偏差値よりも、意味があるわけです。

学校の教員について評価することだって、その教員の指導の価値が、卒業した後になって、よくわかることもあるわけでしょ?厳しい指導の価値が後になってありがたく思えることもあるでしょうし、あの厳しさは単に性格の悪さやコミュニケーション能力の低さ以外の何物でもなかった・・・と卒業後に改めてわかることも多い。学校による厳しい管理を親から求めているケースもありますが、その厳しい管理によって、子供が押さえつけられているだけなのか?将来のために色々なことを習得するための手法なのか?それは巣立った後になってわかるわけ。ダメダメな親は、子供が「とりあえず」問題行動をしないような管理を学校に求めてくるもの。ただ、問題が見えなければそれでいい、というだけ。だからこそ、巣立った後になって、当人にしてみれば何も役に立たないわけ。

あるいは、日教組などの学校での組合活動でも、卒業生が高く評価しているのなら、それはそれで意味があることですよ。しかし、日教組って、何よりも卒業生から嫌われているでしょ?私は何も理念的なり政治的な問題を云々しているわけではないんですよ。日教組も卒業生からアンケートでも取ってみたら?そうすれば自分たちの活動を見つめられるだろうに・・・そのように思うだけです。

学校も親子2代のリピーターが多ければ、いい学校と言えるわけでしょ?
親がいい学校と思ったから、自分の子供にもその学校に行かせ、結果として2代3代続いてその学校の卒業生・・・それこそが、いい学校というものでしょ?
ただ、ダメダメな環境だと、「て・き・と・う」な感覚で、場所的に近い学校に通わせる・・・そこで結果的に親子2代続けてと言う事例ももちろんあります。わざわざ2代続けてなのか?てきとうに2代続いたのか?ただ、「て・き・と・う」の場合は、子供はその学校に行かせても、自分は同窓会には行かないわけ。

同窓会の参加回数・・・それって、まさにマトモな度合いをよく表しているもの。
ダメダメ家庭では、近くにあるダメダメな学校に、何の疑問もなく子供を通わせる。だから、子供も学校で不快な思いばかり。そんなダメダメな学校だから、同窓会も開催されにくいし、参加者も少ないことになる。

学校の同窓会に行かないくらいならともかく、ダメダメ家庭出身者にしてみれば、いったん実家を出ると、実家に二度と行かなくなってしまう。親が学校の同窓会に行っている姿なんて見たことがないダメダメ家庭の子供が、自分の実家に遊びに戻ったりはしない・・・って、ある意味において、当たり前のこと。まさに、子は親の鏡ですよ。

前にも書いておりますが、ダメダメな組織は、「支配・被支配の構図」になっており、その組織の長は、支配者ではあっても、保護者でも、指導者でも、統治者でもない。
保護者や指導者としての役割を果たしていたのだったら、巣立った側も、後になってOB,OGとして遊びに行くことはあるでしょう。しかし、支配されていた組織に遊びに行くことなんてありませんよ。逆に言うと、巣立った側が、遊びに戻ったりしないことから、その場所の主催者が保護者や指導者の役割を果たしていないことが見えてくるわけです。

料理について、「中華料理は火力がきめて」などと言われたりするものですが、マトモ家庭やマトモな学校は、巣立った後でも下からエネルギーをもらえるもの。
しかし、ダメダメな組織では、下からエネルギーをもらうどころか、上から冷や水を浴びせられるだけ。
だからこそ、おいしい料理にならないだけでなく、そんなところには二度と戻らないということになってしまう。

ダメダメ家庭においては、実家で、冠婚葬祭やいわゆる法事とか、年賀や以前に書いたお墓参りとか・・・そんなものとも無縁となる。開催しても出席率が低い。
しかし、そもそも、葬儀における出席率・・・なんて概念自体がマトモな人には理解できないものでしょ?しかし、ダメダメ家庭においては現実として、そんな出席率も話題になってくるわけです。

そもそも、祀られている人に対して何の親近感もないので、出席率も悪い。
というか、そもそもお墓参りとか葬儀や法事を開催しないことも多い。結婚式だって、開催も少ない。
呼ぼうと思っても、参加候補者が音信不通で連絡が取れないことも多い。
だからどうしても出席率が低い。祖父母の葬儀に孫の出席率は50%以下・・・なんて事態が現実として起こってしまう。
逆に言うと、それが何となく予想できるからこそ、自分たちの支配領域から「出さない」ようにして、いつまでも支配をしようとするわけ。

「支配・被支配の構図」になっている組織においては、いったん巣立ってしまうと関係性がなくなってしまう。だって、その場所に戻ることは、「被支配者」の立場に戻ることを意味しているわけですからね。その場所が、「支配・被支配の構図」になっているがゆえに、巣立った側が戻ってこないわけですが、同じように、その組織の長の側が、巣立った側の様子を見に出掛けるということもしない。
保護者としての立ち位置だったら、巣立ったものの現在の様子を見に出掛けることもありますよね?
しかし、支配者なんだから、関係が途切れたら、どうしようもないわけ。
だから、巣立った人間に対し、「来なさい!」と要求することはあっても、「アナタのところに遊びに行きたいけどいいか?」という問いかけはしない。
自分の陣地からはでようとしないわけです。まさに、北朝鮮の支配者がそのパターンでしょ?
それは「支配・被支配の構図」が成立していて、かつ、自分が支配者となる状況でないと対処ができないからなんですね。
逆に言うと、「巣立った子供が連絡をよこさない。」と周囲にグチばかり言っている親は、自分の側からは何もアクションをしないものでしょ?つまり、もともと保護する発想がなかったわけ。ただ、支配していただけなんですね。

自分の支配下にある国民や、相撲部屋の現役力士や、学校の生徒や、自分の子供がどのように評価の言葉を発しているのか?
あるいは、現時点でボランティアからの「施し」に依存している恵まれない人が、どのように評価の言葉を発しているのか?
そんな点から考えるよりも、「巣立った後で、どのように評価し、距離を取っているのか?」
ダメダメって、そんな点からスグにわかったりするものなんですよ。
ダメダメな組織では、巣立った後になると、継続してコンタクトを取っている人が少ない。
それは巣立たせなかった結果と、巣立ってしまったら音信不通・・・それが合わさっているからなんですね。

(終了)
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発信後記

何でも以前の和歌山県での毒入りカレー事件の裁判があって、最高裁で死刑が確定したとか。
ただ、容疑者の女性は、容疑を否認しているそう。

インターネットでの書き込みの中では「死んでしまえ!」のような強い調子の言葉も散見されました。容疑者が否認しているんだから、何も無理にコメントしなくてもいいのでは?コメントした人は、証拠資料を見たわけではないでしょ?係争中の事件よりも、犯行なり事件の流れが、ある程度は見えている事件をしっかり考えるのが先じゃないの?

裁判所による判決だって、ダメダメの心理がわかっていると、裁判官の判断に疑問を持たざるを得ないケースもあったりするもの。客観的な物的証拠があるのならともかく、状況証拠をマトモな人間の思考スタイルを前提として精査しても、おかしなことになってしまう。事件を犯すのはダメダメ人間だし、そんなダメダメ人間は、ダメダメ人間なりの思考スタイルや行動スタイルを持っているもの。

今回の和歌山県の事件だって、冤罪を主張している段階だったら、部外者がわざわざコメントしなくてもいいじゃないの?しかし、ダメダメな人間は、思考することから逃避している。ダメダメ人間ができるのは詮索だけ。そんなダメダメ人間は、流れが見えている事件については何も考えず、流れについて、まだ見えない事件について、色々と詮索することになる。

今回の事件は、犯行動機が不明確とのことですが、もしその女性が本当に犯人であって、ある程度まで資料が開示されたのなら、私だったら、犯行の心理を説明することができるでしょう。その説明を元に再発防止のアイデアにつながるはず。行動の流れが明確になれば、心理の流れは見えてくるでしょうし、その考察こそが部外者にとっては意味があるのでは?行動の流れについては、その体験を共通化することはしない方がいいでしょうが、心理の流れを理解すれば、逆に言うと、同じ状態になるのを防止できるでしょ?

このメールマガジンでは、似て非なるものに注意する必要があると書いていますが、「詮索」と「考察」は、かなり違うでしょ?
とはいえ、ダメダメ人間にしてみれば、まったく同じなんでしょうね。
R.10/12/8