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カテゴリー 会話のスタイル(発言側)
配信日 09年5月15日 (10年7月5日に記述を追加)
タイトル 評価者然としたコメント (上から目線のコメント)
ダメダメ家庭の人間は、当事者意識がない。
自分の問題を、自分の力で解決して行くという発想がない。だからこそ、継続した問題意識もない。問題意識もないんだから、危機意識もなく、逆に言うと、お気楽に、余裕シャクシャクでいられたりする。しかし、危機意識もないんだから、トラブルに合いやすい。そして、実際にトラブルになって、「どうして、こんなことに?!」と大騒ぎするだけ。

当事者意識がないと言うよりも、現状を認識することや自分自身の感情や希望を抑圧している。
希望を抑圧しているんだから、ますます「自分で達成したいもの」がなくなってしまうし、感情を抑圧しているんだから、自分が困って苦悩しているという感情そのものを抑圧する。
言葉の上では「困った!困った!」と周囲に語っても、現状認識や希望を抑圧しているんだから、実は本心から困っているわけではない。だって、その「本心」そのものを抑圧しているわけですからね。

その手の人が言う「困った!困った!」という言葉は、「自分は被害者である。」という主張であって、「ワタシは被害者なんだから、後はアナタたちが対処してよ!」と周囲に要求するもの。自分の問題の対処を他者に要求することで、まさに自己逃避してしまう。
本当の意味で問題意識があるわけではないので、他者の文章や見解に接しても、実感が伴わない。「ピンっ!」と来る瞬間がない。これについては、前回配信の文章において書いております。

たとえば、文章作品を読んでも、映画などを見ても、人の話を聞いても、何とも傍観者然というか、評価者然としたスタンスとなっている。まるで、テレビでのコメンテイターのようなもの。
傍観者なので、「この作品から、自分の問題を解決するための示唆が見つかった!」と狂喜するなんてこととは無縁。
肯定する際には、「うーむ、よい作品だ!」となったり、否定的な場合には、「ふんっ!くだらない!」とか、「つまらない。」とか、「過激な物言いだ!」とか、「偏見に満ちている。」とかの、なんともまあ、概括的で、上の立ち位置から作品を評価するような趣でコメントとなる。
上の立ち位置と言っても、常に何かを否定するしか能がないダメダメ家庭の人間は、やっぱり、作品を否定することが多いもの。
「くだらない!」とか「つまらない!」とかのコメントになることが多い。

その中で「くだらない」という言葉は、以前に取り上げました。「くだらない」なんて、人の好みや考えを言下に否定するような人間こそ、まさに「くだらない」もの。
実際にその「くだらない」なんて言っている人に聞いてみてご覧なさいな。
「その本がくだらないのはいいとして、じゃあ、アナタが価値があると思う本とかテレビの番組って、具体的には何なの?」
そんな質問に対し、スグには回答が返って来ないものなんですね。
回答があるとしても、ちょっと怪訝な表情の後で、いかにも「権威筋ご推薦」の作品が提示されるだけ。そんな「ご立派な作品」を提示された後で、「じゃあ、 その作品のどこがいいの?」「どんな感じで役に立ったの?」なんて続けて聞いたらどうなるでしょうか?
『どうして、そんなことを聞くのよ!キーっ!』『アンタには関係ないでしょ?!』とお約束の逆上。
まあ、関係ないのはいいとして、「じゃあ、そんな関係のない人間に対して、自身の感想なんて言わなければいいのに・・・」と、思うでしょ?

人の好みに対して「くだらない」なんて否定的に言うよりも、「自分はコッチの方が好きだ!」と肯定的に言えばいいじゃないの?
その「くだらない」という言葉は、上の立場から一刀両断して喜んでいる人の言葉といえます。それこそ、親が子供の好みを否定する際にはお約束の言葉でしょ?それに対し「つまらない」という言葉は、比較的対等に近い立場ですよね?
だから自分自身の文章を評価する際にも、使われたりするもの。
自分が書いた文章を「くだらない」という人はいないでしょう。しかし、自分が書いた文章を「つまらない」と否定的に評価する人はいますよね?

「つまらない」のはいいとして、じゃあ、どのようにつまらないの?
表現においては、何を伝えるのか?(=WHAT)の問題と、どのように伝えるのか?(=HOW)の問題があるでしょ?
単純に「つまらない」と言われても色々なケースが考えられる。

「何を言いたいのか?」、つまりWHATが、そもそも存在しない。
言いたいことがありそうだが、不明確。
「どのように伝えるのか?」つまりHOWが、一人よがりで、まったく考慮されていない。

そのような様々なケースが考えられますよね?
文章から何を言いたいのかが明確に分かっても、それに同意できないようなケースでは「つまらない」という言葉ではなくて、「気に入らない」「同意できない」という言葉になります。
単純に「つまらない」という言葉で評価してしまうと、それがWHATの面の内容の問題なのか?HOWの技術不足の問題なのか?思考や判断が先に進めない。

他者の作品を「つまらない」と思った段階で、ちょっとその評価された対象の作品を考えてみましょう。
「何を言いたいのか?」がそもそも存在しないのに文章にまとめているような段階だったら、「この文章の書き手は、自分自身から逃避しているんだなぁ・・・」と分かったりする。
つまらないどころか、結構、有益でしょ?もちろん、ダメダメの実例として有益という意味です。
あるいは、当人なりの言いたいことはそれなりにあるんだろうけど、書いている当人にとっても不明確なケースでも、やっぱり自己からの逃避の実例として参考になってくる。以前に書いた熟慮逃避のケースといえます。
「どのように伝えるのか?」という表現手法が独りよがりの場合には、「つまらない」という言葉よりも「未熟」という言葉の方が適切でしょう。

その作品に満足しなかったと言っても、それぞれの状況で、より適切な言葉があるわけです。
「つまらない」という言葉で納得してしまうと、それ以上は思考が進まなくなってしまうものですが、どの点がどのように問題なのかについて具体的に考えると、色々と示唆が得られるものなんですね。
インターネットには、作品の感想などを書き込むようなサイトがあるそうですが、「つまらない」なんて感想は、それこそつまらない。もっと具体的な細部にまで目を向けていかないと、作品の受け手の側だって、その地点どまりで終わってしまいますよ。

あるいは、自分自身が書いた文章を「つまらなかった」と言ったりする人がいますが、「つまらない」という言葉を使ってしまうと、思考が進まないでしょ?そんな書き手は、次も「つまらない」文章を書いてしまうものなんですね。
あるいは、私の文章に対する感想でも「○月○日配信の文章にはこの観点が抜けている、だから不適切だ!」そんな感想ならありでしょう。しかし、ただ「つまらない」とか「過激だ!」では、何がどうなのか分からない。
逆に言うと、そんな「つまらない」という感想を送りつけた人は、そのことについて考えたくない状態なんですね。思考停止を獲得するための感想文となっている。まあ、思考停止のために儀式が必要とさせてしまう文章は、ある意味において、力がある文章ですよ。それだけ読み手の心をざわつかせたわけですからね。

ちなみに、私自身は昔に配信した文章を読み直すことがありますが、「つまらない」とは決して思いません。ただ、「今だったら、もっと上手に書くのに・・・この当時はヘタだなぁ・・・」とか、あるいは、「この文章に、あの文章で使ったエピソードを入れると、もっと厚みが増したのになぁ・・・」と苦笑いするだけ。あるいは、「論理展開がちょっと端折すぎているなぁ・・・ちょっと補筆しないと・・・」と考えたりもする。表現力やエピソードの絡ませ方なり、論理展開の進め方については、やっぱり経験を重ねるごとに上達してくるもの。HOWの面においては、進歩もありますよ。しかし、「何を言いたいのか?」というWHATについては、書き始めた当時も、書きなれた今も大きく変わるものではないでしょ?もちろん、その視点がよりシンプルになり、遠くまで見通せるようになって来た・・・そのようなことは言えるでしょうね。

ダメダメ家庭の人間は、自分が判断しなくて済むように、判断材料よりも評価の方を求めるものです。それにダメダメ家庭の人間は常に否定形の発想をする。
そうして、その評価も包括的なものであって、個別の事項に目が行かない。
そんな否定評価の言葉として「つまらない」という言葉はまさにうってつけ。

「ちょっと違うんじゃないかな?」と思って、その違和感から思考を発展させて行く。
私としてはそんなことができればいいなぁ・・・と思っています。
だから個別の点について、「この点に注目してみましょうよ!」なんてスタイルでしょ?
しかし、「つまらない」という言葉は、「ちょっとした違和感」ではないでしょ?問答無用で一刀両断でしょ?
そこからは、何も始まっていかないものなんですね。
皆さんも、これからは、「つまらない」という言葉に注目してみてくださいな。そんな単語を使う人は、別の面でのダメダメもあるものなんですよ。

否定的なコメントをする場合でも、「つまらない」とか「くだらない」なんて言うよりも、「私とは趣味が違う」とか「関心外」とか「役に立たない」とでも言えばいいだけ。
そもそもつまらないのなら無理にコメントを出す必要はないでしょ?その作品に関心があって、否定的なコメントをどうしても出したいのなら、
「この人は、この部分は○○という表現を使っているけど、もっとレヴェルが高い人だったら、△△という表現を使うはず。実際に、★★さんが書いた☆☆という作品ではそうなっていた。
今回の○○という表現だからこそ、広がりや深みが出てこない。この差が、巨匠と二流の差だよ。」そんな感じのコメントが有効ですよ。もし、そんなコメントが出来るのならの話ですが。
出来ないのなら、無理にコメントを出すのではなく、人から聞かれたら「ワタシの関心外。」「ワタシとは趣味が違う。」で十分ですよ。

このように「くだらない」とか「つまらない」とかの否定的なスタンスの評価者然としたコメントの場合もありますが、形の上では肯定的な評価のケースもあります。
しかし、そんな場合でも、抑圧的なダメダメ人間は、やっぱり上からの立ち位置で、超然としたスタンスで、まさに「この作品をオレ様が評価してやる!」なんて雰囲気になっている。

だから、前にも書いたように「うーん。よく出来ている。」とか「良質の作品だ。」とかのコメントとなる。あるいは、「なかなか、いい点を突いている。」「興味深い。」とかの意味不明の言葉になってしまう。
しっかし、どんな図書館にも置いてあるような巨匠の名作を「良質の作品だ!」も何もないでしょ?そんなコメントを聞かされれば、「コメントしているオマエは、いったい何様なんだ?!」と思うだけ。
もちろん、作品には相性もありますし、当人の持っている問題意識に即していないと、読んでいてもインパクトがないもの。それはそれでいいわけですが、だったら、「自分が現在直面している問題の解決にはつながらなかった。」という感想の方が適切なコメントですよ。

「良質な作品だ。」というコメントは肯定的に受け取ったと思われるかもしれませんが、それって、「つまらなくはない。」という二重否定に近いでしょ?あるいは、「特に違和感は持たなかった。」という二重否定でしょ?そもそも、当人の問題は解決したの?前進したの?
それこそ今にも自殺するような危機的な状況だと、「良質」なんて言葉は出てこないのでは?
逆に言うと、そんな危機意識や覚悟がないと、何も改善できないものでしょ?
石にかじりついても・・・という気迫があれば、「良質」などという、評価者然とした「ほめ言葉」は出てこないでしょ?

評価者然としたコメントをする人は、自分の問題意識との関係で評価しているわけではないでしょ?だって、その当人の問題意識そのものを抑圧しているんだから、その関係も何もありませんよ。
評価者然とした態度は、その立ち位置として、スグに逃げられることを意識している。
第三者然として、傍観者然として、評価者然としている。
テレビのコメンテイターがそうであるように、「○○と思う。」とかの言葉で、その人の感想を述べることはあっても、「○○と考える。」と考察や洞察を述べることはない。
だって、その手のコメンテイターは、思考から逃避しているんですからね。

常に傍観者だから、解決したい自身の問題がない。
あるいは、自分で達成したい目標を持っていない。
だから、自分で考えなくてもいいので、感想を、適宜、言うだけの存在となっている。
自分で何かを生み出すのではなく、人が生み出すのを消費しているだけ。
それこそ「感動をありがとう!」「勇気をもらった!」とかで、感動や勇気のようなものすら、自分では生産できない。

コメントを出すにせよ、「今話題になっているこの考えによって、自分はこんな問題を解決したよ。」そんなコメントだったら、それなりに意味があるでしょう。
しかし、傍観者のコメントなど、何の意味があるの?
というか、そんな傍観者のコメントを聞いて、何が楽しいの?

そんな人は、上からの物言いによって対象を論じても、結局は自己逃避なんですね。
作品との間の距離の遠さは、「逃げ口」への近さを意味している。
以前にも書きましたが、逃げ口を意識し、常に逃げ口の近くにいる人は、永久に出口には到達しないもの。
評価者然とした余裕を捨てない限り、トラブルからの脱却なんて無理ですよ。
しかし、ダメダメな人ほど、余裕がある。その余裕は、逃げ口が近くにあるという感覚であって、出口が見えているという自信ではないんですね。

(終了)
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発信後記

たびたび書きますが、ちょっとした言葉に着目すると、色々なことが見えてくるもの。
「つまらない」とか、「くだらない」とか、「良質な」とか・・・それこそテレビ番組に対しても使われたりする言葉ですが、そんな言葉を使うような人は、まあ、当人の問題意識が希薄な人。

問題意識があれば、「自分の問題を解決するのに役に立ったのか?」その一点から見ることができるでしょ?もちろん、一般的な解決には役に立たなくても、ダメダメのネタとして役に立つような場合もあります。
しかし、そんな場合でも、「つまらない」とか「くだらない」なんて概括的なコメントにはならないもの。

皆さんも、そんなちょっとした言葉に着目してみてくださいな。
R.11/2/5