トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る 韓国・北朝鮮問題のトピックス(その3)
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ  似て非なるものに関するトピックスの目次へ
カテゴリー ダメダメ家庭の雰囲気
配信日 09年5月18日 (10年8月2日 記述を追加)
タイトル 支配・被支配の構図 (統治と支配の違い)
ダメダメ家庭の人間は、序列意識が強い。
このことは、このメールマガジンで頻繁に触れております。
コミュニケーションが命令と服従だけなので、「どっちが命令を下すのか?どっちが命令を聞くのか?」その立場を確定する序列が重要になってしまうわけ。

序列が違うと言っても、格として見た場合には、それほど違いがありません。「どっちが2番で、どっちが3番なのか?だからどっちが上の序列なのか?」と言っても、順番が違うというだけ。
逆に言えば、そんな「格の違いと序列の違いが区別できない」発想が問題になってしまうこともあるもの。
序列意識が強いダメダメ人間は、格の違いを序列の違いとして認識してしまうので、たとえば親子の関係も序列の違いとして認識し、格の違いとしては認識していないわけ。本来なら親子の間にある違いは序列の違いではなく、格の違いでしょ?

格の違いがあれば、「上の立場」の人間は、下の立場の存在に対し、保護したりする責務があるでしょ?しかし、ダメダメ家庭の人間は、上の立場であっても、下の立場の存在を保護しようなんて考えてはいない。ただ、序列に基づいた命令の流れがあるだけ。
ダメダメ家庭においては、上の立場のものの責務として、下の立場のものを「保護し」「思いやる」なんて発想は持っていないわけ。このことについては、以前には「格に対するセンシビリティ」というタイトルの文章を配信しております。

序列の違いと、格の違いは、質的に大きく違うもの。
このような「格の違い」以外にも、単なる順番の差で示される序列の差ということをもっと超えて、「立場が大きく違う」状況が存在する場合があります。
そうなると、いわば「支配・被支配の構図」が誕生するわけ。

ここで、「支配・被支配」と言っても、支配であって、統治ではありません。
イギリスの王室を、「君臨すれども、統治せず。」なんて言われたりしますが、ダメダメ家庭というものは、「支配すれども、統治せず。」となっているわけ。

「支配すれども、統治せず。」となると、それこそ北朝鮮の金王朝が、まさにその典型でしょ?金王朝は君臨して、北朝鮮の人々を支配しているけど、統治はしていないでしょ?
逆に言えば、ダメダメな人は、統治の責務を認識しないからこそ、何も覚悟もなく「支配」を目指すことになるわけ。

そして、支配を目的とすることで、自己逃避してしまう。
本来なら、何かを統治というものは、その統治した人々を幸福にしたり、あるいは、統治の領域を拡張したりと、その立場を獲得すること自体は、最終目標とは言えないもの。どのように統治するのかが最重要の問題ですよ。

あるいは、統治の問題だったら「どうやって、みんなの富を増やしていくのか?」なんて問題も発生するもの。
しかし、ダメダメな地域ではそんな発想がないので、富の再生産がないことになる。
それこそ、支配者が被支配者に対してワイロを要求するようになるわけ。
それは支配者の役得かもしれませんが、統治者の義務からは外れているでしょ?
ダメダメな地域では、支配者は、得た地位によってお金を得て、そのお金によって、土地とか、宝石とか、お妾さんに出費しても、本来の統治者の役割である富の再生産に回すようなことはしないでしょ?
だから被支配者は貧しくなるばかり。
それを指摘されると、「悪いのは全部○○のせいだ!」と他者を犯人認定。
中国とかロシアとか、韓国・北朝鮮とか、イスラムって、そんな感じでしょ?

ダメダメな領域ほど、支配者はラクだし、儲かる。だからこそ、支配者になりたがる。そのようなプラグマティックな意味ばかりではなく、ダメダメ人間の抑圧的な傾向からも、支配欲が発生するもの。
自己逃避のダメダメ人間は、支配そのものを目的化することで、あるいは支配する立場を得ることを目的とすることで、自分自身の問題から逃避してしまうわけ。

そんな人は、支配を目的化した用語を使ったりするもの。
たとえば「制圧」とか「征服」とかの、一般の社会では使わないような言葉を持ち出してくる。それこそ、大阪の芸能人が、よく「東京制圧!」とか言って喜んでいますよね?
あるいは、韓国の芸能人が、「日本制圧!」とか・・・
征服とか制圧はいいとして、じゃあ、その芸人さんは、東京や日本でどんな活動をするの?
本来は、それが重要でしょ?

しかし、それを考えることから逃避してしまい、征服とか制圧そのものが目的化されてしまうわけ。そもそもダメダメ人間は、「勝ち負け」だけで判断するもの。「ヤツラに勝って、制圧したぞ!」そう言いたいわけ。

支配が目的化されているので、それを確認するような物言いが多くなる。
それこそ、「誰がオマエを養っていると思っているんだ?!」なんて物言いが頻発することに。あるいは「教えてやる」とか「恵んでやる」とか「出演してやる」なんて恩着せがましい物言いが多くなる。あるいは、自分の支配下にある女性に対して「ご主人さま!」と言わせるとか・・・そんな事件が実際にありました。そんな行為は、その人の出身となったダメダメ家庭の反映なんですね。

そんな環境に育ってしまうと、まさに親譲りで、相手を「支配」することをもくろむパターンになったり、逆に、「支配」に対して過敏に反応するようになるわけ。
ちょっとでも力のあるものに接すると、「この○○は、ワタシを支配しようとしているのでは?!」と、警戒することになってしまう。

それこそ、「日の丸」とか「君が代」などにも過剰反応することになる。
そんな過剰反応も、支配されることに対する過敏な恐怖感を理解していると、簡単に理解できるでしょ?前にも書きましたが、ダメダメな環境においては、「支配すれども、統治せず。」の状況。だから支配されることは、すなわち、死につながってしまう。

ダメダメな地域では、そんな「支配・被支配の構図」で物事を見る人が多いでしょ?
それこそインターネット上にある、市民運動系のサイトって、なぜか関西弁が多い。そうして関西弁で、「あの○○はワタシたちを支配しようとしている!」「ワシらは、アンタらに支配されたくないんや!」と抗議する言葉が踊っている。「相手を支配するか?支配に反抗するのか?」そんな二項対立的な文章が多い。
「関西弁=支配・被支配の構図の文章」って、現実にそんな例が多いでしょ?
逆に言うと、九州弁や東北弁で書かれた、そんな内容のサイトってありますか?

あるいは、韓国人の訳知りコメントって、「日本が我々を支配しようとしている!」なんて警戒感を主張した文章って多いでしょ?
日本だって、本来なら、そんな「しょーもない」連中など支配しても、ジャマくさいだけ。本来は、支配する際には統治も発生するわけですから、そんな連中の統治は面倒だし、価値もありませんよ。
しかし、ダメダメと言うものは、「支配・被支配の構図」で相手との関係を設定し、その支配においては、統治する義務が含まれていないことを理解すれば、そんな警戒感を踏まえた主張も理解できるようになるわけです。

だから、そんなところの芸能人が、「東京制圧!」「日本制圧!」なんて意気込むんでしょうね。芸能界がどうなろうと、どうでもいい話ですが、自分が存在する領域がそんな人間に支配されてしまったらタマらない。

本来なら、そんな「支配・被支配の構図」で見なくても、対等の関係で「お互いが迷惑にならない範囲で自由に行動し」「自分のやりたりことを相手に的確に伝えればいいだけ」、別の言い方をすると、双方の合意を積み重ねながら進めていけばいいと思ってしまうのはマトモな発想ですが、会話不全で自己逃避のダメダメ人間にはできないこと。
他者の支配を目的化することで自己逃避できるわけだから、そんな支配欲に浸ることはダメダメ人間には、心休まるものと言えるわけ。つまり、支配対象の他者を凝視することで、自己逃避するわけです。

ダメダメ人間にとっては、支配欲というのが、自己逃避の具現化であって、目的達成のための統治とは結びついていない。そんな人間に実際に支配されてしまったら、とんでもないことになってしまうもの。支配しても、しょーもない連中であるがゆえに、支配されてしまうとトンデモナイ事態になるわけです。

そんな支配欲を持つ人は、そもそも個人としての尊厳がないので、自分で自分を律する発想がない。支配だからコミュニケーションが問答無用の命令だけ。
そして、その支配関係を利用して「オレに従え!」「ワタシを好きになれ!」と要求するようになる。

そんな要求を受けても、実際に好きになるわけもなく、そして、なりようもない。
だからこそ、支配下にある存在は、自分の感情を抑圧せざるを得ない。
あるいは面従腹背状態になり、臥薪嘗胆を決め込むようになる。
まさに、ダメダメ家庭の親子関係そのまま。

「支配・被支配の構図」で物事を見る人間は、対等の関係では対処できないわけだから、強引に相手を支配しようとするもの。だから、そんな発想が通用する世界に行きたがる。
序列に関わる領域において、自分の序列を上げることだけに熱心の人がいるでしょ?
そして、序列を上げて、最終的に頂点にたったら、もうやることがなくなってしまう。逆に言うと、「その後」をイメージしていないので、どんなズルイことをしても、頂点に立ちたいと思うようになるわけ。トップに立った後でやることについて、何も考えていない状態。ボクシングの亀田親子なんて、まさにそのパターン。

それこそ北朝鮮の金王朝ではありませんが、政治の世界なども、やたら「支配・被支配の構図」を作ろうとする人がいるでしょ?政治の世界だったら、ある種の支配欲が必要でしょう。しかし、抑圧的な人間は、それが最終目的になってしまって、その後の統治のイメージが出てこないわけ。先ごろ辞任された小沢さんなんて、その典型でしょ?
小沢さんは支配のための方法論とか、支配を維持するための方法論には熱心ですが、統治のイメージは何も持っていないでしょ?

支配欲が強い人は、相手を支配しようとするわけですが、逆のパターンで「支配されたい」と思っている人もいるもの。
以前にエーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」を取り上げた際に言及いたしましたが、ある種のマゾヒズムを持っている人もいるわけです。
なにせ、「支配されてしまえば」、自分ではもう考えなくてもいいでしょ?
自己逃避の人間にしてみれば、自己責任から解放されて、実にラクチン。
そうして、トラブルが起こったら「アイツのせいで、こんな事態に・・・」と支配者を恨んでいればいいだけ。まさに韓国なんてその典型でしょ?

韓国人がその典型と言えるわけですが、シェークスピアの最後の作品である「テンペスト」に出てくるキャリバンが典型的にそのパターン。
いわば隷属への意思を持ち、強き者に積極的に隷属しようとし、そして不都合な事態になると、「悪いのは全部あの○○のせいだ!」と言い出し、そして「どうやって、あの憎い○○に報復しようか?」と考えることになる。そんな発想の流れは、まさにキャリバンがそうであるように、「育ちの悪い」人間には、頻繁に発現したりするものなんですよ。

そんなマゾヒズム人間は、自分を縛ってくれる存在を待ち望んでいるわけ。だからこそ権威主義的な性格を持つもの。
「我々は権威ある○○に黙って従っていればいいんだ!」と自分に納得させ、周囲の人間に命令する。あるいは、「あ〜あ、誰か、スゴイ力のある人がワタシを支配してくれないかなぁ・・・」と念願することになる。

支配を志向する人は、結局は序列志向であって、会話の能力がない。あるいは、自分の考えを説明する意欲も能力もない。
だから、人から質問されないような、「立派な大義」を掲げたりするものです。
「我々は、こんな立派な正義を掲げているんだから、オマエたちは文句を言わずに我々に従っていなさい!」そんなスタイルに持ち込みたがる。

立派な大義による、問答無用で説明不要の支配関係を形成するとなると、このメールマガジンで頻繁に言及しております、ボランティアの連中なんて、その典型でしょ?
「オマエに恵んでやる!」という立場を作って、弱い立場の人間を支配する。そして、「アナタは悪くないわ!」などと言いながら、その支配体制を維持しようとする。
逆に言うと、反論してくるような人間、つまり当人自身で考えることができる人間は、そんな会話不全のボランティア人間の相手などはしない。というか、ボランティア人間自体が、そんな会話が必要な相手から逃げてしまう。

支配に当たっては、言葉は不要。
しかし、統治に当たっては、言葉は重要になるでしょ?
だから、会話不全のダメダメ人間は、支配とまりであって、支配自体を目的化するわけ。

支配欲はまさにサディズムであって、被支配欲はマゾヒズム。
お互い同士でくっつけば、まさにベストカップルと言えるわけですが、世界はそんな2人のためだけにあるわけではない。周囲の人間にしてみれば、思考停止のサド・マゾのカップルが巻き起こすトラブルに対して迷惑するだけ。

結局は、マトモな人はそんな人から離れて行ってしまうし、残された人間は同類のダメダメばかり。そんな人間が一緒になって家庭を持ったら、その家庭はどんな状態になるの?
支配関係はあっても、家族を保護し、維持し、育成していくという統治の発想がない家庭となってしまうでしょ?
前にも書いていますが、ダメダメ家庭においては、親は子供の「保護者」ではなく、「支配者」なんですね。つまり、ダメダメ家庭においては、子供は保護者不在の日々を送っているわけ。そんな日々だったら、常に切羽詰った心理状態になってしまいますよ。

支配関係というものは、いったん、その関係が崩れたら、修復ができるわけがない。むしろ、次に会うときは敵となっている。それが支配関係というもの。民主党の小沢さんが、いつも、そんな感じですし、皆様が実際にご存知のダメダメ家庭というものも、そうなっているでしょ?
逆に言うと、いったん、その関係が崩れたら修復が効かない関係だったら、その関係が、相互理解に基づいた信頼関係ではなく、「支配・被支配の関係」だったことがわかるわけ。

支配と統治は、似て非なるもの。
外から見る行動とか状態においては、「重なる」ことが多いわけですが、ダメダメの領域では、しっかり区別する必要があるわけですし、その区別によって、見えてくるものも多いものなんですよ。

(終了)
***************************************************
発信後記

本文中に書いていますが、支配と統治は、似て非なるもの。
重なる面も多いわけですが、ダメダメにおいては、「支配すれども、統治せず」。

先ほど辞任された民主党の小沢さんなんて、その典型ですよね?
今週は、その小沢さんにちなんだ文章を配信する予定です。
彼の言動からは、その抑圧的な精神、そして被害者意識が顕著に見えてくるもの。

彼は選挙については、よくわかっているようですが、結局は、自分自身については全然わかっていない人。自分自身から逃避するために、「自分が語ることができる」選挙問題に、ますます逃げ込んでしまう。
彼の言動から、ダメダメの特徴的な面が色々と見えてくるわけ。
小沢さんは、ダメダメを考えるに際し、非常にありがたい人なんですね。
R.10/11/16