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カテゴリー ダメダメ家庭の人からのメール
配信日 09年5月27日
タイトル 当たりで大ハズレ
ダメダメ家庭の問題を考えるにあたって「似て非なるもの」に注意する必要がある。そのようなことは、このメールマガジンで頻繁に書いています。
一般的なやり取りにおいては、それほど区別する必要がなくても、その区別を明確に意識することで、ダメダメならではの問題点が見えてくることも多い。

さて、このメールマガジンでは、相談という場において「情報の小出し」が多い・・・そんなことを書いたりしています。そもそも抑圧的で自己逃避のダメダメ人間は、相談の場においても、「自分のトラブルを解決したい!」なんて強い決意を持って相談して来ているのではないわけ。何となく困ったなぁ・・・だから、ちょっとあの人に相談してみようかぁ・・・その程度のニュアンスなんですね。何もしないのは、ちょっとマズイから、とりあえず相談という形を踏んでおこうか・・・それくらいの感覚。
「この問題を解決する。」という肯定的な発想ではなく、「何しないのはマズイ。」という二重否定になっているわけです。

だから、とりあえず・・・くらいの軽い感覚で、人に相談を持ちかけたりすることになる。
相談する前の時点で、的確な現状認識なり、相談の進み方についてのグランドデザインなんてありようもないし、解決のイメージもない。
思い付いたことで、自分の都合のいいことを、その都度、断片的なスタイルで、相談相手に投げつけることになる。
相談の場において、現状の詳細な説明もなく、あるいは自分の希望もなく、「何となく・・・」のまま突っ走ってしまうわけ。
まあ、日頃からそんな態度だからこそトラブルになるわけですが。

「しかし、情報の小出しということは、マトモな人でもやっているのでは?」
そんな疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう。
「そもそも見ず知らずの人だったり、初対面の人に、色々と差し障りのあることをベラベラしゃべる方がおかしいのでは?」
そんな疑問を持たれるのも当然です。

やり取りにおける最初の頃だったら、相手のこともよく分からない。その分野における洞察力のレヴェルだったり、自分の文章への読解力のレヴェルとか、ジェントルに対応してくれるのか?あるいは、相談内容を他の人にべらべらしゃべったりしたら論外。あるいは、やり取りにおいては、やっぱりお互いの相性のようなものもある。
そんな「見極め」をする必要があるもの。

だから、やり取りの最初においては、ある意味において「小出し」になってしまうのもしょうがない。
一般のマトモな人においても、そんな小出しはあるわけです。

しかし、ダメダメ家庭の小出しは、違うものなんですね。
それこそ離婚の相談において、散々にやり取りをやった後になって、「実はワタシは再婚で、今の夫は二度目です・・・」なんて出てくるわけ。
まさに百陣の功も一気に霧散してしまう。
「今までのやり取りはなんだったんだ?」って思ってしまいますよ。

もちろん、私は慣れていますから、「この人は、色々と隠しているな。後で何か出てくるんだろうな。」と事前に予想できますよ。小出しをする人は、文章が小出しにふさわしい調子になっているものなんですね。だから「小出しはやめてくださいね。」って前々から警告することになる。しかし、それでもやってくるわけ。それも、エピソード的な小出しならまだしも、本筋での小出しなんだから、スゴイものですよ。いやぁ・・・小出しもここまでくると巨匠芸だなぁ・・・と感嘆してしまうほど。

マトモな人においても、やり取りの『最初』においては、全部の情報を出すわけではない・・・
そんな状況だと、日本語的に言うと、「小出し」と言うよりも、「当たりを付ける」という言い回しの方が適切でしょうね。あるいは、ちょっと上から目線になってしまいますが、「値踏みをする」そんな言い回しの方が適切でしょう。

一般のマトモな人同士におけるやり取りにおいては、「小出し」も「当たりを付ける」も、それほど区別を付ける必要はないのかもしれませんが、ダメダメな人とのやり取りにおいては、その区別を付けることは重要になってくるわけです。

特にダメダメな人と疑われる人とのやり取りの最初においては、この「当たりを付ける」ことは重要になってくるもの。ダメダメな人は、スグに逆上したりする人なんてザラですし、ヘタをすると入れ込まれたりする。あるいは、やり取りの内容を平気でおおっぴらにする人も多い。

私は、個人間でのやり取りの言葉を、メールマガジンの文章に使うこともありますが、それはあくまで小道具としての使い方です。設定というか、舞台として、いただいた文章全体を使うことはありません。ちょっとした言い回しを借りたりすることはありますが、文章全体を使うことはありません。だって、私の文章は、個人の問題を指摘することが重要なのではなく、とある個人に現れていたり、あるいは、とある個人が遭遇した、ダメダメな事例の一般的な問題を明らかにすることが重要だと考えているからです。逆上メールだったら、文章の全部を取り上げることもありますが、発信者から無言の了解をいただいておりますし、短い文章なので、個人のプライヴァシーは問題になりませんからね。別に、意趣返しではありませんよ。ダメダメの実例として有効であるから取り上げているだけです。
個人の問題をあげつらっても、しょうーもないだけですよ。あくまで一般的な観点から考えているでしょ?

とは言え、そんな判断もできない人もいたりするし、そんな人がインターネット上にサイトを持っていたりする例も多い。ダメダメをウォッチしている私としては、そんなサイトには、色々と興味もある。
だから、最初にお便りを出す際には、まずは「当たりを付ける」必要があるわけ。
まあ、こんな発想は皆さんもなさるでしょ?

実は、ダメダメな人とのやり取りにおいては、この最初の「当たりを付ける」段階でモメたりすることも多いんですよ。
こちらからお便りを出すと、いきなり逆切れメールが返ってきたりするもの。

「それはオマエのメールの文章が不謹慎だったからじゃないの?」
そんな疑問を持たれる方も多いでしょうし、そんな面もないわけではないでしょう。
しかし、私だって、最初から肺腑を突くような厳しい文章にはしませんよ。まずは「当たりをつける」のが目的の比較的穏便?なスタイルにしますし、文章の内容についても直接的ではなく、まずは間接的な形でダメダメとつながるようにいたします。
まあ、自慢じゃあありませんが、私にはそれくらいの文章力はありますからね。

しかし、往々にして、その段階で逆切れする人も結構いるんですね。

そもそもダメダメ家庭の人間は、序列意識が強い。このことは頻繁に書いています。
だから、やり取りの最初に考えるのは、「どっちが上なのか?」という序列関係を確定すること。
そんな序列意識に凝り固まった人の元に、「文章なれ」した私からの文章が来たら、身構えてしまうでしょうね。だから、過剰反応になってしまう。

ダメダメ家庭の人間は、序列意識が強いだけではありません。自分自身に自信がなく「他者から値踏みされている」意識を持っている・・・このことは、かなり以前に配信しております。「あの人は、このワタシを値踏みしているんだろう・・・だからアイツから安く見られないように、大きく見せないと!」と思いつめてしまう。
だからこそ、「文章なれ」した人からの文章は、脅威になってしまう。

しかし、本来は、人それぞれの視点があるわけですし、人それぞれの考え方があるもの。
私と実際にやり取りした方は、この私が、私とは違った視点を否定はしないことはご存知でしょう。それこそ歴史的な事件を題材にした絵画を見る際に、その題材となった歴史的事件や人物から見る人もいれば、美術的な見地から見る人もいる。「どっちが正しいか?」という排他的な問題ではありませんよ。それぞれの見方があるわけですし、それを語り合うことで、相互理解が深まるわけでしょ?私がよくやるのは、別の視点を提示することであって、それまでの視点を否定することではありません。

だから、やり取りに当たっては、自分なりの視点なり考え方を、明確にジェントルに相手に伝えることができればそれでいいのでは?
何も無理に合意する必要もないでしょう。理解されるかどうかについても、相手の問題もありますしね。

しかし、ダメダメ人間は、自分の考えそれ自体がない。当然のこととして、それを伝える能力もない。だから、やり取りの成果としての相互理解なんてありえないわけ。そんな人の成果は、どっちが勝ったのか、そんな点のみになってしまう。

だから、そんな人は、やり取りの最初から「勝つ気マンマン」なんですね。

ダメダメ家庭のやり取りは、言葉が飛び交っていても、「相手の話を聞き、自分の意向を相手にわかりやすく伝える。」そんな発想がない。
しかし、なまじっか、言葉だけは飛び交っているので、「自分たちはやり取りをしているんだ!ワタシは意欲を持って伝えようとしているんだ!」と自分たちで誤解してしまうもの。
だからこそ、「どうして分かってくれないんだ?!」と被害者意識に陥ってしまう。

しかし、「どうしてわかってくれないんだ?」も何も、「じゃあ、アナタの何を分かればいいの?」なんて質問が来たりすると、さらに逆上する始末。

そもそもダメダメ人間は自分自身から逃避している。
「相手に分かってほしいことが何なのか?」そのことを自覚すること自体から逃避しているわけ。
自分自身から逃避しているんだから、相互理解も何もない。
むしろ、「自分から逃避している自分」という、自分自身の心の弱さを見たくない。だから相互理解ではなく「相手に勝つ」という目的が主になってしまう。
そうやって、どんどんと自分自身より相手を見るようになってしまう。

そうやって、相手の「あら探し」に励み、「揚げ足取り」に終始することになる。
そんな人がよく使ったりする言葉が「論破」。

インターネットの掲示板なり、あるいはある種の討論においても、この「論破」なる言葉が登場したりするものですよね?しかし、一般の社会において、そんな「論破」なんて言葉は使わないでしょ?そもそもその「論破」なんて言葉を使っている時点で、「ワタシは一般社会から遊離している。」と自分で言っているようなものですよ。
その「論破」という言葉を使う人の言葉で、印象に残っている例ってありますか?だって揚げ足取りしかできない人間の言葉なんて、実質上は中身がゼロでしょ?

しかし、コンプレックスの強いダメダメ人間は、逆に言うと、自分を実体以上に大きく見せようとして、相手に勝つことに執心することになる。揚げ足取りしかしない人の周囲には、マトモな人が寄ってくるわけもなく・・・結局は、会話の精神が不在で、相互理解とは縁がないダメダメ人間ばかりになってしまう。
そんなダメダメ人間同士で、「熱い」議論が勃発。
そうして「オレはアイツを論破した!!」

まあ、たぶん・・・その人たちなりには、実のある議論なんでしょうねぇ・・・
しかし、そんな議論を周囲の人はどんな表情で見ているのかな?

そんなことはちょっとでも冷静になって考えれば、小学生でもわかることですが、相手を論破することはできても、そんな状況を知的に分析できないのがダメダメ人間の頭脳というもの。
むしろ、周囲からの冷たい視線を受けて、ますます自分を大きく見せようと張り切る始末。
相手に勝つことで、序列を上げようと意気込んでしまうわけ。

ダメダメ人間とやり取りすると、「オマエに勝ちたい!」なんて、最初から「勝つ気」マンマンなことが多いもの。そうして、相手に粗暴な言葉を投げつけ、大威張り。あるいは、以前に取り上げた「笑」なる表記を相手に投げつけることになる。
ダメダメ人間は、被害者意識が強いので、「自分をかわいそうな被害者」としてしか説明できないように、自己逃避状態だと、「自分はアイツに勝った!」「アイツを笑い飛ばしてやった!」と周囲に説明したがるもの。

勝利者としてしか、自分を説明できない人間に尊厳があった例がありますか?
相手を論破しようとやり取りを始めて、中身のある会話になった事例があると思いますか?そんな簡単なことがわからない人が、よく使う言葉が「論破」なる言葉・・・現実はそうでしょ?

ダメダメな人とのやり取りにおいては、最初から、「相手を論破しよう!」なんて意欲がマンマンなんですね。論破は出来ても、相手に分かってほしいものがないわけ。というか、相手に分かってほしいものがないことを自覚するのが怖いので論破しかできない。
そもそも、そんな人とやり取りして、楽しくも、有意義でもないんだから、顔も知らない相手だったら、「あっ、そう。どうぞご勝手に・・・アンタが勝ちってことね。それでいいよ!」で「降りて」しまいますよ。

そんな感じで、自己逃避で抑圧的な人は、スグに論争に持ち込もうとしたり、あるいは、自分を大きく見せようと、コチラが聞いてもいないことを言い出したりするもの。
それこそ、メールマガジンを発行しているような人だったら、実に多いのは「ワタシのところの購読者数は多いぞ!」とか「本になったぞ!」とか「購読者から絶賛されたぞ!」の自慢がスグに出てきたりするもの。あるいは、家庭に関してだと「ウチはいい家庭なんだ!」と家庭自慢が来たりするもの。まあ、そんな感じのコミュニケーションしかできない人なんだから、そりゃ、家庭は大事でしょうねぇ・・・

自慢したいのは、別にいいとして・・・そんな自慢話の文章を読むと思ってしまうのは、「まずは、個人宛のメールの文章を、『それなりの』レヴェルの文章にするのが先じゃないの?」ということ。
私宛のメールの文章が、見事な文章だったら、本当に感心もしますし、コッチの方から「きっと多くの人からお褒めの言葉でもいただいているんでしょうねぇ・・・」と社交辞令的なヨイショもしますよ。しかし、支離滅裂で乱暴な言葉ばかりの文章なのに、「ワタシは多くの人から絶賛された!」も何もないじゃないの?

「こんなに多くの人から絶賛されたんだから、オマエも文句を言わずに、ありがたがって読むべきなんだ!このヤロー!」ということなの?それって、自分の取り柄を他者に依存している状態でしょ?結局は、自分に自信がないわけ。他者に依存している状態なので、その他者が必要になってしまい、他者からの評価に異常に気にする自意識過剰状態になっている。だからこそ、過剰反応になってしまう。本来は、自分自身の文章に対して自分で責任を持てればいいだけだし、それしかないのでは?

本当に自分の書いている文章に、自信があったり、使命感があるのなら、他者の評価なんて気にしないはずでしょ?だいたいが、一般的な読み手が喜ぶ文章って、マルグリット・デュラスが言う、面白くない文章、つまり「感じがよくて、何も残らず、夜がなく、沈黙がなく、真の作者がなく、昼間向きで、時間つぶしに最適で、よき旅行のお供・・・」そんなもの。
現実的には、それが商業的に売れる文章なんだから、それでいいわけですが、他人が喜ぶことに意味があるわけではなく、自分に降り降りてきた使命を果たしているかどうかが重要なのでは?あるいは、個人宛のメールだったら、その宛て先の個人の問題意識にフィットしていないと意味がないでしょ?

しかし、ダメダメ家庭の人間は自分に自信がない。だから内心では大きなコンプレックスを抱えている。そして、自分の見たくない部分から逃げ回っている。
まあ、この私の文章が、その「見たくない」部分を指摘する類の文章であることは皆さんも納得されるでしょう。
コンプレックスの強い人にしてみれば、天敵のような文章なんでしょうね。

何もこの私を相手にするのに限らず、コンプレックスの強い人は、やり取りのペースを自分で握ろうと必死でしょ?自分の都合の悪い話題に移らないように、自分の弱い点を指摘されないように、常に自分で仕切りたがる。そして、その「仕切り」も強引なスタイル。人の話を落ち着いて聞くことはできずに、スグに過剰反応したりする。過剰反応のような上からのスタイルではない場合には、小出しをして、下から誘導するわけ。

そんな内心ではビクビクしている人に対し、「当たりをつける」ような文章がやってきたら?まあ、強烈な反応になってしまうのも、当然といえば当然なのかも?
逆に言うと、「当たりをつける」段階での過剰反応で、その人のダメダメっぷりがわかるわけです。表層に直接的には出ていないにせよ、内面にあるコンプレックスが見えてくるもの。

そもそも、当たりをつける文章に過剰に反応する人は、自分では誰かに対し当たりをつけるようなことをしないの?それって、逆に言うと、いつもフルパワーの表現ということでしょ?本来なら、「どの程度、自分の表現能力をセーヴする必要がある相手なのか?」判断した上で、やりとりしないとね。まあ、サイトを持っている人は、「それなりに」文章が書けたり、読めたりする人とは言えるので、逆に言うと、上手な文章の書き手を警戒するのかな?見透かされているように思っちゃうのかな?

そんな過剰反応してきた人に対して、「何なんだ!この返事の文章は!ヨシ!やっつけてやる!」なんて対抗心を燃やしても、危険なだけ。
以前にも書きましたが、そんな事態になったら、速やかな撤退戦を始めるのがベストなんですよ。支離滅裂な文章なのでツッコミどころは満載なんですが、それに突っ込んだら「反論が反論を呼ぶ」「揚げ足取りの応酬」という、ダメダメ人間にとってのお得意のやり取りになるだけ。

「当たりをつける」という最初の段階で、大ハズレだったとしても、それは「当たりをつける」という目的は達したわけでしょ?「当たりをつける」ことは、「当たり」と「ハズレ」の見極めをすること。だから「ハズレ」と判っても、十分な成果と言えるでしょ?
それこそが、試合に負けても、勝負には勝ったことでしょ?
ダメダメにおいては、「試合に勝つ」と「勝負に勝つ」も、やっぱり似て非なるものなんですよ。上手な撤退は、勝利であり、相手を論破するのは、敗北なんですね。

(終了)
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発信後記

こんなメールマガジンを発行しているので、逆上メールとか逆切れメールとかは、色々といただいております。
ただ、今のところは脅迫メールはいただいておりません。
サスガにそれはねぇ・・・

何でも、関西の芸人の中田カウスという人の元に脅迫状がやってきて、今のところでは同僚の芸人さんが、その脅迫状の書き手ではないかとされているようです。
その脅迫状は、ニュースサイトにアップされておりますので、見ることができます。
ちなみに、アドレスとしては、
http://www.iza.ne.jp/news/newsphoto/slideshow/all/all/date/186387/

この脅迫状は、実に面白い。
まずもって文章がまとまっている。
おまけにリズムがよく、テンポがいい。
たとえば、中間部で「必ず、必ず、必ずだ。」とたたみかけるような表現を用いて、リズムを整え、高揚感を演出している。

ここの表現で思い出したのは、映画「マイ・フェア・レイディ」でイライザの親父さんのアルフレッドがヒギンズ教授にたかる際に使った表現、「I’m willing to tell you. I’m wanting to tell you. I’m waiting to tell you.」と言うたたみかける表現。意味的には「オレはアンタと話をしたいんだよ!」となるわけですが、同じ言葉や似た表現を繰り返すことによって、リズムをつくり、表現の強度を上げるわけ。そんな言葉を聞かされたヒギンズ教授が、「こいつ・・・すっごいなぁ・・・」とビックリしていたシーンを覚えている方もいらっしゃるのでは?

まあ、同じ言葉を繰り返すことでリズムを整え、テンポを上げていく手法は、表現手法としては、ありきたりとは言えますが、脅迫状でそれをやるとはねぇ・・・
あるいは、最後に感嘆符「!」が付いていますが、なんとも芸が細かい!!!

これだけの文章を書けるのは、日本語のプロでないと無理ですよ。言葉でメシを食べている人のレヴェル。
正確な表現ということだけでなく、日頃からリズムとかテンポとか強度にも配慮して日本語を使っている人でないと、これだけの日本語は簡単には書けませんよ。
たたみかける表現といい、最後の感嘆符といい、実に劇場的な表現。

この脅迫状は、なぜだか自筆で書かれておりますので、その文字の筆跡鑑定から、可能性を絞っているそうですが、文章自体からも見えてくるものが多いわけ。
だから電子メールのような文章でも、色々とわかるわけです。
R.10/12/22