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カテゴリー ダメダメ家庭の認定行動
配信日 09年5月29日 (11年2月2日 記述を追加)
タイトル 認定崩壊への恐怖
以前に、このメールマガジンで「アルファ症候群」というお題の文章を配信いたしました。
アルファ症候群とは、もともとは犬の心理の問題です。犬は序列意識が強いので、「『ボクはこの集団のボス(=アルファ)なんだ。』と、いったん認識してしまうと、その集団のボスとして行動してしまう。だから下の序列の存在に対して強圧的な行動を取るようになる。部下が犬ならともかく、飼い主たる人間に対しても、ボスとして強圧的な行動を取ったりしてトラブルになる。」そんな内容でした。

犬をかわいがりすぎると、その犬も間違った認識を持ってしまい、その認識と現実とのギャップに混乱してしまう。
犬は、現実を元に、自分の認識を修正することも難しい。だって所詮は犬。認識能力も思考能力も人間とは比較になりませんよ。
だから、アルファ症候群のような症状になってしまう。
このようなアルファ症候群は、犬だけでなく、序列意識が強い人間でも発生したします。それこそ韓国人が日本に対して「立場をわきまえさせる。」ように行動しますが、それはアルファ症候群に典型的な症例と言えるでしょう。

あるいは、最初にとりあえず設定した順番と、後になって齟齬が発生する場合がありますよね?「あれっ?!この人・・・自分より年齢が若くて下の序列かな?と思っていたけど、実は単に若く見えるだけで、実際は、ワタシよりも年上なんだ・・・」まあ、これくらいなら、誰にでもあったりすること。しかし、マトモな人にとって、人との関わりにおいて、対等な関係が基本であるのに対し、ダメダメ人間は、上下関係が基本となっている。だから序列の乱れは、人間関係の根本の乱れになってしまう。だから、心理的に混乱してしまう。「ああ!この現実を、どう受け入れようか?けど、どうしていいのか分からない!」ということで、やっぱり逆上することに。

本来なら、序列を基本として人間関係を見る必要もないわけでしょ?あるいは、序列を参考にするにしても、それを現実に即した形に後になって修正すればいいだけ。たとえば、犬であってもマトモに育てられた犬だったら、序列の修正という作業も、犬なりにはできますよね?

しかし、ダメダメ人間は、そもそも自分で考えないし、会話の能力もない。会話の積み重ねによって、状況を判断して、以前の認定を修正していくこともできない。その点では、マトモな犬よりもダメダメなんですね。
結局は、自分の脳内序列を強引に現実に適用しようとして、周囲と悶着を起こす。

そもそもダメダメ家庭の人間は、抑圧的であり、自己逃避。自分で現実を見て、自分で考えることを抑圧し、そこから逃避している。だから、いったん認定してしまったものを、後になって現実に即した形で修正することができない。
それに、そもそも「認定行動」自体が、その人の抑圧的な心理とつながっている。
それこそアルファ症候群を引き起こす序列の認定もそのパターンです。対等の立場で会話ができない人間は、序列を認定することで、「命令すればいいのか?服従すればいいのか?」という点について、その都度判断することから逃避してしまう。ダメダメ人間はとにもかくにも自分で判断したくはない。
自分で判断することからの逃避としての序列認定なんだから、それを後になって、自分で判断して修正することなんてありえませんよ。

あるいは、これも以前にこのメールマガジンで取り上げましたが、ダメダメ人間は「規範認定」をすることがあります。これはアルファ症候群とは方向が逆のパターンといえます。「あの○○はワタシの規範だ!とにもかくにも、その○○に従うべきなんだ!」そのように、規範を自らに課すわけです。
逆に言うと、後はその規範に従っていればいいだけとなる。だから自分で判断することから解放されることになる。規範認定はいわば「ベータ症候群」とでも言えるでしょうか。自分自身を、自分が規範とするアルファの存在に従う立場(いわばベータ)と規定してしまうわけです。
規範によって縛られることによって、思考から解放される。
エーリッヒ・フロムが言う「マゾヒズム」そのものなんですね。

あるいは、これも以前にこのメールマガジンで取り上げておりますが、「犯人認定」とか「敵認定」などもそのパターンです。対抗心が強いダメダメ人間は、「あの○○のせいで、うまくいかない!」と、諸悪の根源を認定してしまい、後は、その犯人認定したものを恨むだけ。
逆に言うと、恨むだけなので、その後は自分で認識もせず、自分で判断しなくてもよくなる。

それこそ、政治の世界では、以前には「悪いのは全部自民党のせいだ!」と犯人認定していた人としては、政権交代後の不始末に直面するとパニックになってしまう。だから、相変わらず「自民党にせいで・・・」と言い出すことになる。そのような言葉を発することで、自分に納得させているわけです。
もちろん、それは逆になる場合もあり、「悪いのは民主党だ!」と騒いでいる人は、もし、自民党に政権が変わっても、相変わらず「民主党のせいで・・・」と言うことになるでしょう。要は自分で考えたくないし、現実を見たくないわけです。
いったん、「敵認定」や「犯人認定」してしまったら、もうそれを見直すことはできないので、もはや自分を騙す形で突っ走ってしまう。

敵認定は他者に対して設定されるものですが、自分自身を被害者認定するケースもポピュラーでしょ?「ワタシはかわいそうな被害者なんだから、悪いのは全部あの○○のせいだ!」と最初に認定してしまって、後は自分自身を憐れんでいるだけで、自分では何も考えない。それこそ長崎県での小学校6年生の事件の周囲の人たちも、まさにそのパターンだったでしょ?まあ、普段からそんな発想だからこそ事件が起こるわけですよ。

認定行為は、自分が現状認識し、判断することから解放してくれるわけです。その種の人にとっては、縛りとは、心の解放につながり、思考の桎梏からも解放されることになる。おお!これぞマゾヒズムの醍醐味!!
だから、いったん認定したものに対して、疑問を持ちたくない。
だって疑問を持ったら、また自分で認識し、判断しなくてはならないでしょ?それがイヤだから認定行為をしたわけだから、認定行為がいったんなされたら、あとで現実との齟齬があった場合には、むしろ現実を破壊する方向に向かうことになる。

縛られることで満足や安定を得るマゾヒズム人間にしてみれば、その束縛を緩められたり、解かれたりすることは恐怖になってしまう。だから束縛を解こうとする人に対しては、敵認定したり、そのような束縛からの解放行為自体にも、被害者意識が燃え上がってしまう。抑圧的な人間は、いつまでも「縛られたい」わけです。「で、結局は、アンタはどうしたいの?」そんな質問をしてくる人は、自分自身の縛りを解放するものとして、敵視されてしまう。

縛りを尊重し、現実を軽視する。だから、対処するのは、現実の方となる。
まさにアルファ症候群において、自分の認定した序列と現実との間で齟齬をきたしている場合に、現実に対して強圧的に介入するのと同じ。
まあ、犬だったら、そんなことをするのもしょうがない。もともと、知的な面で能力の限界がありますよ。しかし、抑圧的な人間も現状認識や判断を恐怖しているので、やっぱり同じようなことをするもの。これは知的な能力的な問題というよりも心理的な問題なんですね。

いったん認定したものからの変化を受け入れられない、このような例として、ダメダメ家庭によくあるのは介護者認定のようなケースもあります。ダメダメな親ほど、こんなことを言ったりするものでしょ?
「ワタシの老後の面倒は、お兄ちゃんがみてくれる・・・」
ちなみに、上記の「お兄ちゃん」は、当人の兄ではなく、いわゆる長男です。
「長男が親の面倒を見るものだ!見るべきだ!」
まあ、そう思うのは勝手でしょう。
しかし、そんな言葉が頻発しているような親に限って、その長男さんは、その親と完全に疎遠だったりするもの。もう5年以上も顔を合わせていないような間柄なのに、「ワタシの老後の面倒はお兄ちゃんが・・・」なんて周囲に語ったりする。そんな言葉を聞かされて、周囲の人間は対応に困ってしまう。
『えーとぉ・・・どう言えばいいのかなぁ・・・』

本来なら、自分と疎遠なのがミエミエなの人に、自分の老後を預けたりはしないでしょ?
しかし、ダメダメ人間は、そもそも自分で考えないわけだから、「親の面倒は長男が見るものだ!」と一旦自分で決めてしまったら、そのまま突っ走ってしまう。だから周囲が何を言ってもムダ。むしろ「そんなことは言わないで!」とアンナ・カレーニナのように逆上するだけ。
逆に言うと、そんな親だからこそ、その長男さんも愛想を尽かしたのでしょ?
しかし、その手の親は、現実がどうなっていても、その現実を見ようともしないで、以前に認定した役割設定から抜け出せない。
そうして、結局は、「長男は親を棄てた!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」だったり、「政治が悪い!」「なんてヒドイ時代なんだ?!」と、被害者意識に。
そんな人って、皆様の身近にいたりするものでしょ?
なまじっか被害者意識があるので、「自分はかわいそうな被害者である」という理屈をつけることはできる。だから尚のこと自分では何も対処しない。しかし、それこそマトモな犬だったら、まだ『新しい現実』とどうやって折り合っていくのかについて、犬なりに考えますって・・・
しかし、ダメダメ人間は、現実が変わっても、その昔に自分が勝手に認定した役割設定だけで生きている。これは日本人に対してアルファ症候群でからむ韓国人だけでなく、日本人のダメダメ人間も全く共通なんですね。

いったん認定したら、それが現実との間で齟齬が発生しても、その齟齬を見ないようにしたり、現実に対して、「べき論」を掲げ問答無用で行動する。
そんな行動は、当人なりの正義感に基づいているので、「正義のためなんだから、過激な方法も許される。」と思っている。
犯人認定のようなものだったら、報復行為を計画し、実行することで、その犯人認定を確定させようとする。そして報復手段が過激であればあるほど、その犯人認定を、自分自身に納得させることができてしまう。

それこそ、厚生省の事務次官OBを殺害した人なんて、その典型でしょ?
あるいは、中央大学で教授を殺害した人も、そのパターン。
いったん設定した犯人認定を守るためにこそ、行動をすることになる。
犯人認定を見直すことは絶対にない。
認定が崩壊することは、自分が現状認識や判断と直面することにつながる。これは抑圧的な人間にしてみれば、恐怖そのもの。自分で考える恐怖に比べれば、自分が死ぬ恐怖なんて、大したことではない・・・それが抑圧的な人間というもの。

だから自分が設定した設定に対して「上塗り」をすることによって、本質を見ない方向に進んだりする。
それこそ、何かを敵認定したら、「敵の敵は味方」なる論理で、あるいは、あるものを味方認定をすることで、敵認定の体系を拡大していく。
そうやって、新たに味方認定するものが誕生したので、その味方に対する敵が新たに設定される。そうすると、また別の味方なり敵も設定することができるので、結果として壮大なスケールの敵認定体系ができてしまう。

それこそ、日本政府を敵認定している方々もいらっしゃいますが、そうなると日本の敵といえる北朝鮮は味方認定され、北朝鮮の敵は、新たな敵認定の対象になり・・・延々と続くことになる。
あるいは、アメリカを敵認定した場合にも、「敵の敵は味方」とか「敵の味方は敵」とかでどんどんと体系が膨らんで行く。
アメリカや日本政府を気に入らないならそれで当人の勝手ですが、その敵認定を壮大な体系にすることで、最初の敵認定をぼかしてしまうわけです。ぼかしてしまうので、どんどんと自己逃避状態が進行してしまう。最初の敵認定を疑うことは当人のアイデンティティの崩壊を招いてしまう。だから最初の認定に「衣」を着せてしまうわけです。

結果的に壮大なスケールの認定体系が誕生することになる。しかし、こうなると何がなんだか当人でもわからない状態になってしまう。しかし、自己逃避の人間にしてみれば、何がなんだかわからない状態こそ、当人が心の奥底で求めているもの。
だからこそ、そんな体系に対する疑問にも過剰に反応することになる。
それこそ質問なり反論に対しては、逆上気味の反応となる。あるいは、認定体系を守るためにこそ、テロのような自滅的な行動を取ったりする。命を懸けて行動することで、まさに「思考停止」状態を得ることができてしまう。
そもそも、日本政府を敵認定する認定行動だって、往々にして、自分の父親への「無意識的な」敵認定への「衣」に過ぎないもの。厚生省事務次官OB殺害事件のケースも、あるいは社民党の方々のケースも、本質的には、というか無意識的には、自分の父親を敵認定しているわけでしょ?
最初の敵認定に、衣を着せ、膨らませることで、本質から逃避してしまっている。

そして、そんな人が個人として行動するばかりではなく、同類が集まって集団で行動するようになる。集団という体系化が起こってしまう。認定対象が膨らむと同時に、認定行為も膨らんでしまう。そうして、一緒になって「敵認定」や「規範認定」の世界に浸りこむ。
周囲が全員そんな「認定行為」に逃げ込んでいる同志なので、周囲から的確なアドヴァイスもなく、認定行為がエスカレートするばかり。ちょっとでも問題点を指摘されると、集団ヒステリー状態になり、つるし上げを行うようになる。そのつるし上げ行為が、まさに自分たちが設定する犯人認定体系を確認する儀式となっている。

問題点を指摘されると逆上するわけですが、ちょっとしたやり取りの場合でも、過激な反応になってしまう。関係性を「認定」してしまって、その後は疑いがないわけですから、ちょっとでもそれに合致する見解があったりすると、「わが意を得たり!」と歓喜する始末。人の話を、自分の認定を補足する情報としてしか受け取らず、視点が固定化されている。

だから、そんな人は「絶対」という言葉が頻発しているもの。必要以上に「強い」言葉を使って、認識や判断から逃避してしまう。だから「絶対悪」とか「絶対善」とかの用語が登場して来てしまう。自分と違う見解は、まさに絶対悪認定して、糾弾することになる。
抑圧的な人は、そんな言葉をよく使うものですし、そんな言葉が「使える」領域に行きたがるでしょ?それこそドメスティック・ヴァイオレンスのボランティアの連中なんて、その典型です。暴力オトコを「絶対悪」認定して、つるし上げて大喜び。そんなことだから、その女性が、また同じキャラクターの暴力オトコとくっついて同じような修羅場になってしまう。そうなるとボランティアは、またまた絶対悪認定して、同じようにつるし上げ。つるし上げることで、自分が認定した関係を確認している。
抑圧的な人間は、そんな認定確認行為を延々とやっているもの。あるいは、平和運動のように、認定に対し疑念が提示されにくい分野に行きたがる。自分なりに考え、説明することが怖い。

そんな状況にちょっとでも疑問を呈すると、スグに「どうして、ワタシたちにそんなことを言うの?!」と逆上するもの。あるいは、ちょっとでも合意すると、「そうなのよね!ワタシたちはかわいそうな被害者なのよね!」と大喜び。
何を言っても、「自分たちはかわいそう!」と大前提になってしまって、自分自身を被害者認定している状態なので、何を話してもムダとなってしまう。視点が固定化されている人とやり取りしても、楽しくないだけでなく、実際に危険なんですよ。

それこそ、いったん「恋人認定」してしまったら、その恋人認定を守るためにこそ、「付きまとう」ことになる。そんな人は恋人当人や自分の恋心よりも、『恋人認定』の方が重要になっているわけです。恋人認定の場合だと、付きまとうという行為によって、自分に対する「念押し」儀式としてしまう。現実を認めることを拒否するわけです。あるいは、以前に取り上げたプッチーニのオペラ「蝶々夫人」では、「彼は帰ってくるわ!」と夫認定というか救済者認定して、それを絶対に見直そうとはしない。その認定に対し、ちょっとでも疑問を提示されれば逆切れしてしまう。その逆切れの強い調子が、自分の認定の念押し行為となる。しかし、結局はその認定が崩壊し自害することになる。

そんな念押し行為は、認定行為の近くでは必ず起こっているもの。
序列認定の念押しとしての、アルファ症候群だけでなく、
犯人認定したら、必要以上に残虐な方法で殺害したり、
加害者認定したら、中傷を触れ回ったり、いやがらせをしたり、クレームを付け続ける。
あるいは、自分で自分を幸福認定したら、自分のペースで「ワタシは幸福よ!」と周囲に主張する。

いったん認定してしまったら、認定した関係性そのものに対しては、修正が利かないので、現実に対してアクションを起こす。それは単に人の話を聞く能力がないというよりも、人の話によって、自分の認定体系が崩壊することへの恐怖に由来しているわけです。アクションそのものも、いわば認定を自分に確認するための儀式であって、現実を改善するためのものではない。

人間が大きな行動をする背景には、恐怖が由来しているもの。
自分を思考から解放してくれる認定体系が崩壊する予兆は、抑圧的な人間にしてみれば、恐怖そのもの。
抑圧的なダメダメ人間は、その認定体系を守るために、あるいは認定崩壊を見ないために、命を捨てることも辞さない。自分自身よりも、あるいはやり取りしている相手よりも、認定した関係性が重要になっている。
ちょっとした反応を見るだけで、その人が、認定した関係性に心理的に依存している状態が見えたりするもの。その段階で早めに避けないと危険なんですね。

(終了)
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発信後記

明日の土曜日のシリーズでも、本日の文章と似た内容を取り上げます。
その折にも記載いたしますが、たとえば、恋人に付きまとうストーカーは、恋人や恋心よりも、恋人認定という認定そのものが重要視されていると理解すれば、その手の人々の行為も理解できるようになるでしょ?

恋人認定が重要視されているから、実際の相手や、ヘタをすれば自分自身の生命を捨てることにも躊躇しない。
一般人は、ストーカー行為は倫理的な問題と考えているのでしょうが、むしろ心理的な問題なんですね。

認定が重要視されてしまっているので、「これくらいなら・・・」と中途半端に応じたりすると、その種の人々が持っている認定を心理的に強化してしまう。
それこそ、ストーカーされて、怖くなってヘタにやさしいことを言ったりすると、その言葉を受けて、「やっぱりオレの恋人認定は正しかったんだ!」となってしまうわけ。

この種のことは、クレーマーでも同じ。ヘタに謝罪してしまうと、「やっぱり、オレはこの会社による被害者なんだ!」と確認してしまうわけです。
中途半端な謝罪は、問題の解決には逆効果。
それこそ韓国が日本に対し、いつまでも「謝罪せよ!」と言ってきますが、日本としては最初の要求に応じてしまったのが致命的なミス。最初の謝罪によって「オレたち韓国は日本による被害者なんだ!」という被害者認定を強化してしまったわけ。

アルファ症候群に陥った犬の更正と同じで、一貫した態度が必要になるわけです。
ただ、もっとも基本的な態度は、そんなメンドウな人間には関わらないこと・・・これについては、いつも言っていることですが。
R.11/2/2