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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の行動
配信日 09年6月1日  (10年6月18日,11年2月15日 記述を追加)
タイトル
以前より「反面教師」という言葉を頻繁に取り上げております。
現実的には、反面教師という言葉を頻繁に使うようになったらダメダメも重症と言えるでしょう。
たとえ、自分にとって障害となるような存在がいたとしても、それを常に意識してもしょうがないでしょ?しかし、被害者意識が強いダメダメ人間は、自分と関わりのある誰かを犯人認定して、常に意識し、それを反面教師という言葉で表現することになる。
「ワタシが反面教師としている○○のせいで・・・ワタシはうまくいかない!」そのように周囲に説明することになる。
特にダメダメ家庭出身者の中には、「ワタシはワタシの親を反面教師にしている!」なんて豪語する人もいたりするんですね。
そんな反面教師を掲げるよりも、「正面」教師を見つけて参考にした方がラクですし、現実的な改善につながりますよ。

かと言って・・・
ダメダメ家庭の親が、「正面?」教師になりえないのは、当然のこと。
ダメダメ家庭出身者としては、そんな家庭で育ったので、親のイヤな面をいっぱい見ているし、単に見ているだけではなく、その親により、実際に不快な思いをし続けてきている。

重要なことは、それを認識し、顕在化することでしょ?
それを恨むとか恨まないとかの、感情面で対処するのではなく、もっと知的に認識しないとね。
ダメダメ家庭の正式名称である「機能不全家族」の「不全な機能」の個別の具体論まで踏み込んでいかないと、次にはつながっていきませんよ。

とは言え、ダメダメ家庭で育つと自分自身を抑圧するようになってしまう。認識すること自体から逃避するようになり、親の問題点を知的に認識することができない。
しかし、そんな状態でも、親の問題点による不快さや、親の機能不全は続くことになる。
そうなると、一種の反動のようなことが生じることになる。

たとえば、平気で子供との約束を反故にするような親の元で育つと、自分がいったん決めたことを鉄の意志を持って遂行するような人間になる。
こんなことを書くと、「鉄の意志を持って約束を守るって・・・それは誠に結構なことじゃないか!」とおっしゃりたいでしょ?

もちろん、結構なことではあるんですが、「なぜ、そうなっているのか?」が自覚できていないと面倒なことになってしまう。そもそも、自分の決めたことを鉄の意志で、つまり自分の命を懸けて遂行する人間なんだから、逆に言うと、人と約束をすること・・・それ自体を警戒するようになってしまう。だから、ちょっとした約束もできなくなってしまう。
約束すること自体に恐怖感を持つので、達成するものが少ない。だから自信を持ちにくい。自信がないから、なおのこと強迫的に行動してしまう。
そして、いったん「自分はこれをやるんだ!」と決意してしまったら、周囲の人間の迷惑などお構いなしに、つまり状況判断もなしに突っ走ってしまうことになる。以前に書いた「引き返す勇気」が持てない状態。だからトラブルが発生しやすい。いわば、自分が決めた約束を、一種の「規範」として、自分自身の認識なり行動を「縛る」ようになってしまう。一回の約束にこだわることで、それ以降は、自己逃避してしまうわけです。

以前に取り上げたマルグリット・デュラスの小説「ラ・マン」でもそんな記述がありました。主人公の少女の母親は、実家との約束を鉄の意志で、どんなに現状がムチャクチャな状況であっても、遂行しようとした・・・とかの記述がありました。
そんな記述から、マルグリット・デュラスの母親の実家にいる親が、約束を平気で反故にする人間であることが推定できるわけです。デュラスの母親は、彼女の親・・・つまりデュラスにとっての祖父母に対して、不信感を持っていたことが推定できてくる。
鉄の意志というものは、「あんなふうには死んでもなりたくない!」「ここで、いい加減なことをしてしまったら、ワタシには生きる価値がない!」そんな恐怖心とつながっているものなんですね。だから、行動が強迫的になってしまう。だからこそ、コケやすい。

まあ、鉄の意志までのレヴェルにはいかなくても、世の中には「妙に律儀な人」っていたりするでしょ?律儀さが、その人のそれ以外のキャラクターから浮いているケースもありますよね。食べるものには関心がないし、服装にも関心がなさそうなのに、約束を守ることだけは、実に律儀だ・・・そんな律儀さは、約束を反故にし続けたその人の親への反発であり反動なんですね。

あるいは、だらしない親の元に育った子供は、意外に几帳面でしっかりものになったりするもの。何も子供がなりたくてしっかりしているわけではなく、ならざるを得ないからなってしまっただけ。家族全員がだらしなかったら、結局は、学校において社会との接点がある子供に対しプレッシャーが向かってしまうだけ。このような几帳面さは、肯定的な目標を掲げ、それを達成したのではなく、「あんな、だらしない人間にはなりたくない!」と言う、いわば二重否定的な状況と言えます。

また、同じような例となると、人に合わせるだけの影の薄い親の元に育った子供は、「自分で何とかしなきゃ!」と思っていて強圧的になってしまったりする。人に合わせるだけの親なんて、子供にとっては頼りになりませんよ。だからトラブルが起こったら全部、子供自身で解決する必要があるので、強圧的にならざるを得ない。
強圧的な祖父母と、影が薄く、人に合わせるだけの父母、そして強圧的な子供。そんな隔世遺伝的な組み合わせって、実際にあったりするでしょ?

あるいは、日頃からグチばかりを言っていた親の元で育った人間は、グチとか弱音に対して、過剰なまでに不快感を持つこともある。
だから、人に相談する際にも、弱音を吐かない形で相談しなくては・・・と、無理に力を入れてしまって、スムーズにやり取りができなくなってしまう。
まずは、「自分が、どうしてこんなにも、弱音とかグチが嫌いなのか?」その点を考えてみると、自分について色々とわかることもあるし、逆に言うと、その点がトラブルの原因のこともある。親に対する反動なら、それを自覚すると、自分自身について色々と見えてくることになる。

やたら、反面教師という言葉を掲げて、親に対する反発と語っていても、そこに「自分自身を知る」という面がなければ、事態は悪くなるばかり。実際問題として、反面教師という言葉を掲げる人は、宣言するだけで、実際の行動は親と一緒なことが通例となっている。
「悪いのは全部○○のせいだ!」という物言いや発想において、親と全く同じ。
しかし、宣言しない形での、どちらかというと無意識的な反動だったら、行動やキャラクターは親と違うこともある。
かと言って、まったく別のキャラクターとはいえない。鏡に写った自分の姿は、「向き」は逆でも、それ以外は同じでしょ?
妙に律儀であって、約束については、鉄の意志を持って遂行するような人でも、それ以外の面で、親と似ている面があったりする。そして周囲から、親と似た面を指摘されたらどうなってしまうの?

もう、そうなってしまうとパニックになってしまう。
「ああ!ワタシも『あの人』と同じだったんだわ!!」
無意識的に押さえつけてきた親への不満が一度に噴出してしまうことになる。
なまじっか、几帳面だったり、言葉に対して慎重だったりするので、親と似た面を指摘されると対処ができない。こうなると無限ループに陥ってしまい、結局はドッカーンとなってしまう。
反面教師を掲げることがダメダメと言っても、親と同じ行動を取ることが解決ということではありませんよ。親に対する不満を、意識化、顕在化しないと、その手の爆弾を抱えて生きることになってしまうというだけです。

親への不満から来る反動のスタイルもあるわけですが、自分自身への不満を、他に転化するようなパターンの反動もあったりしますよね?

実に顕著に見られるのが、子供の名前です。
自分の子供につける名前は、自分自身が内々に感じている不満が反映されていたりするもの。たとえば、以前にも書きましたが「自分はちっぽけな人間だ、こんな小さい自分はイヤだ!」と思っていたりすると、子供の名前に「大」の字を使ったりするもの。

あるいは、自分は恵まれていないなぁ・・・幸が薄いなぁ・・・なんて思っていたら、「恵」とか「幸」なる漢字を使うことになる。また、夢が持てないなぁ・・・と思っていたら、名前に「夢」の字を使ったりする。まあ、韓国の人で「夢」の字が入っている名前の人がいますが、その名前をつけた親は、きっと夢のない日々があったのでは?

あるいは、最近の流行だと、自分に知性にコンプレックスを持っていると、無闇に「難しい漢字」を使ったり、難読な名前をつけたりする。
ああ!ワタシはこんな難しい漢字を使えるんだ!
ああ!ワタシはこんなに難しい読み方もできるんだ!

ああ、ホント、立派な知性だなぁ・・・

あるいは、人種的なコンプレックスを持っていると、それこそヨーロッパ風の名前にしたりする。
ああ!ワタシも、あんな白人に産まれたかった!!

それとも、それは劇場的な名前という観点もあるでしょう。アニメの登場人物のような名前の例もありますよね?
ああ!ワタシも、こんな平凡な日々ではなく、あの物語のような、ドキドキハラハラの波乱万丈の日々がほしい!!

子供の名前ばかりではなく、たとえば会社の名前にも、そんな不満が反映している例がありますよね?以前に騒ぎになった「ライブドア(LIVEDOOR)」という名前ですが、その会社の社長をされた堀江さんが持っていた「社会の窓は自分には閉ざされている!」という不満の反映と見ることができるでしょ?

名前の例だと、それこそ自分たちが、「個性のない、色あせた単色の日々」だと不満を持っていたら、「色鮮やか」と言える「彩」の字を使ったりすることになる。
「彩」の字って、単色な日々に対する不満の反映と見ると、理解しやすいでしょ?
まあ、自分たちを「彩の国」なんて、言っていたところがありますが・・・
そんなネーミングをした人は、「自分たちは個性がない。」と内心では不満に思っていたのでは?確かに、あそこで個性と言われても・・・具体的に何だろう?しかし、住む場所に個性なんて必要ないじゃないの?
場所のニックネームくらいならギャグで済む話ですが、子供の名前だったらギャグでは済まない。

その人のキャラクターを考えるに際し、名前をつけた親の心理から考えると、色々と見えてくるもの。特にダメダメ家庭においては、いわばコンプレックスなどが反映した形で名前を選択するので、その名前の漢字が意味するところとは正反対のキャラクターだったりすることも多い。

前にも書きましたが、幸の薄い人の名前ほど「幸」なる漢字が入っていることが多い。あるいは、現在(10年)東京都知事をなさっておられる石原慎太郎さんですが、慎太郎の「慎」の字は、「慎み」とか「慎重」につながる漢字でしょ?
しかし、石原都知事のどこが、「慎み」があり、「慎重」なの?
つまり、その漢字を選定し、子供に要求した、親に対する反動が見えてくる。

名前からうかがえる反動だけでなく、自分の実家が男尊女卑の雰囲気だったら、反動で過激なフェミニズムに走ってしまう・・・そんな例はあるでしょ?フェミニズム運動自体はともかく、そんな無意識的な「反動」から来るものだったら、「それ以外」の面は、その人の親と実に似ていたりするもの。結局は、被害者意識を感情的に爆発させているだけで終わってしまう。

あるいは、自分の意向が受け入れられない家庭環境だったら、その反動から、自己表現にこだわって、文章を書いたりする。しかし、実家で培った抑圧的なキャラクターなので、自分自身や実家の問題はアンタッチャブルになってしまう。自分自身をアンタッチャブルにしたまま、自己表現ということなので、なんともまあ、珍妙な文章になってしまったりするもの。そんな文章って、メールマガジンの領域であったりするでしょ?

あるいは、「弱っちぃ」自分自身がイヤだと、無闇に「ワルぶったり」するもの。
若い頃にそんなヤンチャをやるのはともかく、いい歳をしても、そんな状態だったら、そんな行動は、無意識的な心の傷に由来している可能性が高いといえます。いつまでも無意識のままだと、それが抑圧され、ワルぶりの限度がわからなくて、ワルぶることそれ自体が目的化されてしまう。結局は、自分の現状を否定しているだけ。最後には、自己否定の完遂によって、ドッカーンとなってしまう。

自分の親や、自分の現状に対する不満は不満でいいでしょう。
要は、それを自覚する必要があるというだけ。
名前に反映させたり、無意識的な反動にとどまっていると、不満が解消されず、結果的に無茶な行動に走ってしまうことになる。その手の反動は、被害者意識と結びついていることが通例なので、「自分が一番かわいそうな人間なんだから、他者には何をやってもいいんだ!」なんて発想に向かいやすい。まさに「反面教師」という言葉を掲げる人がそうであるように、反抗する状態に依存してしまう。反抗に依存するということは、その反抗対象にも依存していること。結局は、精神的に自立できないまま。

不満や反発は結構ですが、「具体的には何が不満だったのか?」「じゃあ、何を目指すのか?」それを自分なりに明確にする必要があるといえます。反発にとどまっている段階では、いずれはコケるだけなんですね。
感情的な反発を踏まえて、自分がどうしても達成したいものについて、自分なりに考え、その実現のために自分なりに努力すればいいだけ。
それをしないと、「オレがうまくいかないのは親のせいだ。」と親を犯人認定して終了となってしまう。
しかし、そんな姿は、まさに「子は親の鏡」でしょ?

(終了)
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発信後記

最近は、一週間のうちの月水金の配信においては、特定のテーマなり内容を集中的に取り上げております。
今週は、金曜日に、とあるギャング映画を取り上げる予定にしておりますので、それに関連した文章を配信いたします。本日の文章も、そのギャングの行動に関係したものです。

話は変わりますが、何でも川崎市で殺人事件があって、犯人が、「洗濯機の音」云々と言っているそう。
ダメダメ家庭出身者の聴覚過敏な面は、以前に配信しております。
今回の被害にあわれた方が、上記の文章を読んでおられたら、回避することもできたのでは?
まあ、皆さんは気をつけてくださいな。
R.11/2/15