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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 09年6月22日 (10年7月21日 記述を追加)
タイトル 責任のある文章 (読める文章を書く能力)
世の中には、文章のうまい人もいれば、残念ながらあまり上手ではない方もいらっしゃいます。これはしょうがない。持って生まれた才能の問題もありますよ。
じゃあ、「文章がうまければ、すべて期待どおりに進むのか?」というと、そうとは言えない。

この私が人から頼まれて、その人が運営しているサイトの掲示板に書き込んだりすると、まあ、レスが付かない。
にぎやかしのための「付き合い」で書き込んだのに、結果的に掲示板が閑散となってしまう。
私としては、何も高邁な文章を書き込んだりはしないのですが、やっぱり書きなれているので、どうしても「うますぎる」ことになってしまう。
短いながらも、まとまっていて、ちょっとしたシャレやヒネリもある・・・
そんな文章が書き込まれている後で、書き込むことは勇気がいるんでしょうね。

と言うわけで、私としては人から依頼されない限り、インターネットの掲示板には書き込みません。インターネットの掲示板は、うますぎる文章は敬遠されるもの。

まあ、インターネットの掲示板などは、特に利用しなくても差し障りがあるわけでなし・・・そんなところに無理に関わる必要もありませんよ。しかし、掲示板が好きな人もいらっしゃるでしょう。
しかし、そんなところに入り浸っていると、それにフィットした文章のスタイルになってしまうもの。だから別の分野での文章でも、「ああ!この人は、掲示板常駐者だな!」とわかったりします。

何も掲示板での特徴的で局所的な表現が、別の文章にも出てしまうということではなく、責任感のない文章といいましょうか、当事者意識がない傍観者感覚の文章とも言えるでしょうし、それとも会話の精神がない文章といいましょうか、あるいは、尊厳のない文章ともいえるでしょう。
あるいは、「言いたいこと」はそれなりにあるんだろうけど、相手に対して「分かってほしいこと」、それ自体が当人でもわかっていない人が書いている・・・そんな雰囲気が漂っていたりする文章です。

言葉はそれなりに並んでいて、文章もそれなりにまとまっていると言えるわけですが、「で、だから何なんさ?」と思わされる文章もあったりするでしょ?
そんな文章の書き手は、往々にして、文章の読み手が見えていないわけ。あるいは、どんな人が読んでくれるのか、何も想定していないまま文書を書いている。
本来なら、相手にこのことをわかってほしいという気持ちがあるのなら、文章の読み手のキャラクターも考慮するでしょ?
使用するボキャブラリーとか、修辞法などの表現手段とかの選択において、対象者のキャラクターの想定がないと何もできませんよ。
それを考慮していないと言うことは、書いている当人に「分かってほしい」という気持ち自体がないことなんですね。

文章における責任感の問題と掲示板との結びつきとなると、いわゆる匿名の問題を想起される方も多いでしょう。
匿名だから無責任なことが書ける。
これは現実的にはそのとおり。

しかし、「匿名でない場合には、責任感があるのか?」というと、これは別問題なんですね。
それこそ逆上メールでメールの署名入りなんてものもあったりするもの。
あるいは、顔と名前も知っている知人からの逆上メールを送りつけられた・・・そのような方もいらっしゃいます。
逆上メールなんて、まさに「言いたいこと」と、「わかってほしいこと」が乖離した典型と言えるでしょ?

名前があったとしても、その人に「この点をわかってほしい!」という気持ちや、自分自身の尊厳への配慮がない場合には、文章自体から責任感が漂って来ないものなんですよ。

逆に言うと、そこいらでネットショップを運営している「おとっつぁん」の文章で、文章自体はうまくはないけど、気持ちは伝わるという場合もあったりします。
まあ、その「おとっつぁん」も、その人なりに必死で文章をまとめたんでしょうね。読んでいて微笑ましく思ったりもいたしますが、「このことを伝えたい」という気持ちは伝わるものですよ。そんな気持ちが感じられる人が運営しているショップなら信頼できるでしょ?

逆に、文章自体はまとまっていて、文章も「悪くはない」んだけど、インパクトが弱い・・・
それって、文章のうまい下手の問題というより、その人の尊厳だったり、当事者意識の問題だったりするわけ。

尊厳を持った個人が、広い世界に対して、自分の思考なり思いを発信する・・・
その気持ちがあれば、文章表現のヘタさは何とかなるもの。
強い思いなり、尊厳なりを持っていなかったり、意識していないと、たとえ署名があっても、「あーでもない、こーでもない。」で終わってしまうもの。

そして、普段から尊厳を意識している人は、その尊厳が文章に表れるものなんですね。逆にいうと、普段からあまり無責任な感覚で文章を書いていると、その人自身の尊厳が抜け落ちてしまうわけ。
尊厳が抜けた文章は、心を荒ませるだけ。そんな人が運営しているショップだったらトラブルがあったら、スグにトンズラする可能性が高いわけ。まさに、減点法的に「悪くはない」を志向している人なので、悪くなったら、本当にトンズラするもの。

悪くはないという雰囲気の文章は、言いたいことが当人でもわかっていない抑圧的な人が書いたりするもの。そんな人は、何かあるとスグに逃避したり、まさに我を忘れて逆上したりするもの。
そうなると、悪くはないどころか、悪い文章を書いたりするもの。

ダメダメ家庭の人間が書く悪い文章のパターンとしては、よくある誤字脱字の問題ばかりではなく、句読点の不適切さに顕著に見られるもの。句読点の問題も、誤字脱字の問題も、書く文章だけの問題であって、話す言葉の問題ではありませんよね?つまり、句読点が不適切で、誤字脱字の多い文章を書く人は、文章を書きなれていないというより、読みなれていないことがわかるわけです。

文章を書きなれている・・・ことは、すべての人に必要なことではないでしょう。
しかし、ある程度は、読みなれる必要はあるでしょ?それが文明人というものですよ。
文章を読みなれている人は、普段、書きなれていなくても、「それなり」の文章はちゃんと書けるものなんですね。だって、自分の書いた文章を、自分でも読み直すわけでしょ?その時に、普段読んでいる文章とアタマの中で比較しますよ。そして読み直している段階で、「この表現は誤解されやすいから、別の表現を使おう!」とか考えたりするものでしょ?
上手い文章は書きなれていないと難しいものですが、的確な文章は読みなれていれば可能なんですね。

逆に言うと、不適切な日本語は、その人は、普段、文章を読みなれていないことの証明になるわけ。あるいは、自分が書いた文章を、読み直すこともしていないことが想定できるわけ。

以前より、たびたび言及しておりますボクシングの亀田親子ですが、かなり以前に、その父親の方が、何かの記念として、息子さんに手紙を出したとの報道がありました。
ただ、その手紙の文面が、以前にあったアニメのセリフのパクリだったとか・・・

まあ、いい歳をしたオッサンがアニメのセリフのパクリをやっては、格好悪い。しかし、その手紙の写真を見た私は別の面に興味を持ったわけです。その文章中の誤字脱字の頻発はともかく、その手紙の文章には句読点がないんですね。

句読点の使い方って、それこそ小学生レヴェルの国語の問題とも言えますが、言うほど簡単な問題ではありません。意味はつながっているけど、音声的には「とりあえず」一呼吸置いてほしい・・・それが「、」つまり「読点」でしょ?それに対し、意味が一区切りした・・・それが「。」つまり「句点」でしょ?
逆に言うと、的確な「句点」を使用するには、意味の流れがわかっていないと出来ないことでしょ?

しかし、ダメダメ家庭の人間は、そもそも自分が言っていること・・・それ自体がわかっていない。誰かに伝えたいことは「ワタシがかわいそうな人間であることをわかってほしい!」ただそれだけ。
そんな人の文章は、往々にしてグチグチと自分の被害を並べたスタイルになってしまうわけ。グチグチと並べているだけなので、意味の流れそのものがない。だから句点も必要なくなるわけ。

そんなグチグチと自分の被害を並べただけの文章って、インターネットの掲示板などで、たまにあったりしますよね?そんな人の文章って、句読点が実に少ないものでしょ?

「。」と「、」の使い方だけで、その人の知性のレヴェルってわかったりするものなんですよ。文章中の単語として、それなりの用語は使うことができても、その人の文章の句読点が不適切な場合には、「学力」はあっても、「知性」なり「思考力」がないパターンといえるでしょう。
日頃から「学ぶ」だけの受身のスタンスだから、いざ自分で発信しようとしても、それができないわけ。表現能力としてできないだけでなく、「何を伝えるのか?」という内容時点から、自分なりにまとめることもできず、他者に対して発信もできない。
そんな人の文章は、小難しい用語が頻発していても、句読点がメチャクチャなものなんですよ。今後、皆さんも注意してみてくださいな。

その人の学力と知性の違いは、その文章をよく注意すれば見えてくる。
もちろん、学力も思考力も欠如しているパターンの方がダメダメにはポピュラーでしょう。まあ、亀田さんのお父さんは、句読点がない文章を書いたということは、それだけ他者の文章を読んでいないことがわかるわけですし、自分が言っていることが自分でもわかっていないことが見えてしまうわけ。そんな人だからこそ、自分の相手をしてくれるのは、自分の子供だけになってしまう。

亀田さんの父親は、まあ、もともとがその程度なんでしょうが、普段は、一応は、句読点付の文章を書ける人でも、逆上すると句読点が霧散するパターンもあります。
まあ、私はいっぱいもらっていますよ。

あと、主語、述語、目的語、代名詞の的確な使用や、当然のこととして日本語文法の遵守は必要でしょ?以前にも書きましたが、ダメダメな人ほど主語が抜けやすい。そんな文章を書く人は、当事者意識がないもの。主語の存在と当事者意識は関係が深いわけ。まさに文は体を表すものなんですよ。文の主語を明確にするくらいなら、本来なら小学生でもできることでしょ?マトモに生活していれば、それなりに文章を書く必要があるもの。文芸的な文章ではなくてもいいから、的確な文章であることが必要。

当事者意識がないと、文章に主語が抜けやすいわけですが、主語が形の上ではあったとしても、その雰囲気として傍観者然、あるいは評価者然とした表現になってしまう。
まさに第3者が、高いところから評価するという趣。

高いところから人の見解を評価するのはいいとして、言及している視点なり考え方なり事件によって、当人自身はどうなったの?その考えを取り入れると、当人の事態は改善するの?
そっちの方が重要でしょ?

しかし、当事者意識がないダメダメ人間は、当事者意識がなくても大丈夫な環境を求め、その環境に順応することで、ますます当事者意識が欠落してしまう。
結局は、グチの羅列しか能がない人間になってしまう。
インターネットの掲示板なんて、まさにそんな様相でしょ?
そのような傍観者感覚は、言葉使いが荒っぽいことよりも、大問題じゃないの?

第3者的で、評価者的で、傍観者的な人間のコメントなんて、読んでも価値がありませんよ。しかし、逆に言うと、そんな程度の文章だからこそ、安心して読める人間もいるわけ。
そうやって、傍観者感覚がスパイラル的に加速してしまう。傍観者感覚だから、その文章に責任感などは読み取れませんよ。

書きなれている文章と言っても、「言いたいこと」を書く場合の書きなれている場合と、「わかってほしいこと」をまとめる場合の書きなれている文章は大きく違っているわけ。
「わかってほしい」ことが明瞭な文章を書く人は、自分の問題点を客観的に表現できるので、人の知恵も借りやすい。しかし、自分が書きたいことを書くだけの「言い放し」の人は、自分の問題点を自分でも理解していないので、その分だけ改善が難しい。

たとえ、書きなれていないような場合でも、日記でも書いて文章を訓練することくらいは、誰だってできること。つまり当事者意識さえあれば、なんとかなるわけ。
文章力を上達させるためには、毎日は無理にせよ、週に2回くらいは日記を書いてもいいのでは?今だったらブログとかもあるわけですしね。
しかし、書きなれない人ほど、「そんなことが、何になるの?」と何もしない。

あと、パソコンで文章を作成するのだったら関係ありませんが、やっぱり自筆で字を書く場合もありますよね?上手な字でなくてもいいでしょうが、やっぱり丁寧な字でないとマズイでしょ?あるいは書きなれた字であった方がいいでしょ?

以前にちょっと書きましたが、駅前で怪しげな絵画を販売しているお店は、来店者に字を書かせますが、それって、たぶん書きなれた字を書けるのかを見ているでしょうね。あと手を見ると、普段の生活もある程度わかるのでは?

普段、あまり文章を書く機会がないにせよ、ひとつひとつの文章に、尊厳を込めるようにしないと、それがスグに見られてしまうわけ。

個人宛のメールにせよ、あるいはインターネットの掲示板にせよ、ブログにせよ、せっかく文章を書くのなら、自分の尊厳に配慮する。
その配慮が不必要な場所だったら、そんなところからさっさと避難しないと、あとあと厄介なことになってしまうものなんですよ。
相手に分かってほしいことがある人は、わかってもらうために、必死になるもの。
それこそが、文章中に表れた責任感でしょ?
わかってほしいことがないのに、言葉を言い放っている人に限って、「どうして、皆はわかってくれないんだ?!」とグチっていたりする。
そんな人は、「わかるって・・・じゃあ、アンタの何をわかればいいの?」と聞かれると答えられないでしょ?

何度も書きますが、責任ある文章とは、「どんな人に対して、どんなことがわかってほしいのか?」その点が明確な文章といえるでしょう。
ダメダメ人間は、「言いたいこと」はあっても「わかってほしいこと」はない。
だから、独り言に近い表現だったり、やたら強圧的だったりで、聞いていても、何を言っているのかサッパリわからない。

ヘタな文章も、視点を変えると、色々と見えてくるものがあるわけです。
亀田さんの文章は、ホントウに参考になったことを、ここで感謝したいと思います、マル。

(終了)
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発信後記

今週はダメダメ人間が書く文章のスタイルについて、集中的に配信する予定です。

ちなみに、私としては「上手な文章を書けるようにしましょう!」と申し上げているわけではありませんよ。書いた後になって、一回くらいは読み直した方がいいのでは?と申し上げているだけです。

ただ、単純な誤字脱字だったら、書いた当人は、見落としやすい。
なんといっても、書いた当人は、文章の中身がわかっているから、読み飛ばしてしまう。だからちょっと、目線を変えないと見つからない。
PCでの文章作成だったら、字のフォントを変えてみると、誤字が見つかったりするものなんですよ。皆さんも試してみては?

誤字脱字ならともかく、句読点は、その人のレヴェルが如実に見えてくるものです。
インターネットの書き込みをチラっと見ると、そんな句読点がメチャクチャの書き込みがあったりするでしょ?
そんな文章は、まあ、失笑するような内容でしょ?
逆に言うと、句読点がメチャクチャの文章で失笑しないようになってしまったら、かなり危険といえるわけです。
R.10/7/21