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カテゴリー | 会話のスタイル(聞き手側) |
配信日 | 09年7月27日 (10年6月12日 記述を追加) |
タイトル | 実家の話題への食いつき |
ダメダメ家庭の人間は被害者意識が強く、子育ても親である自分がこうむった被害と考えている・・・このことはこのメールマガジンで頻繁に書いております。 だから、ダメダメな親は、「親に迷惑をかけるな!」と、自分の子供に厳命し続けることになる。 そんなダメダメな家庭で育った子供は、自分の親に迷惑がかかりそうな事態になると、パニック状態になってしまう。だからこそ、ドメスティック・ヴァイオレンスのような事態になっても、実家に助けを求めることをしないで、自分ひとりで解決しようと、相手を殺すことになる。 そして、ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。自分で何が達成したいものがあるわけではない。そんな人は、自分自身の問題から逃避してしまって、あらゆることを他者の問題にしてしまう。 そして、持ち前の被害者意識と結びついて「アイツのせいで・・・うまく行かない!」と恨みの心を持ち、他者を犯人認定することになる。 ダメダメ人間が考えることといったら、「誰のせいで、うまく行かないのか?」とか「何のせいで、こうなったのか?」という犯人探しだけ。つまり、その手のダメダメ人間は、「考えること = 犯人探し」になっているわけ。 だからこそ、実家の問題は考えたくない。 実家の問題を自覚し、それを自分自身の改善につなげていく・・・そんな発想はできないわけ。考えた時点で犯人探しなんだから、実家の問題を考えてしまうと、これ即ち、親を犯人認定して、親に迷惑がかかることになってしまう。 そんな人は、実家に関わる問題には過剰に反応するものなんですね。 実家の問題なり、親の問題に話題が近づくだけで、逆上気味になってしまう。 代表的なマターといえば、名前の問題があります。 当人の名前は、当然のこととして、その人の親が決めたわけでしょ? だから名前の問題に話題が移ったりすると、過剰に反応するわけ。 実際にそんな人って、いるでしょ? まあ、「オイオイ、これは、ちょっとぉ・・・」と言いたくなる名前をお持ち方が、「ワタシの親は、こんな気持ちで、ワタシの名前を・・・」と顔を真っ赤にして主張するような光景。その名前についての親の意向について、心から納得していれば、そんなに逆上する必要はないじゃないの?しかし、親の問題なり実家の問題を考えたくないという心理があるので、逆上気味になってしまう。逆上することで、思考から逃避するわけ。 何も名前の由来のようなマターばかりではなく、親の職業とか、旅行とかの子供時代の体験とか、あるいは食事や料理の話題とか、あるいは親戚の話題とか・・・ そのような実家に関する話題には過剰反応をするわけ。 そして、そんな話題から逃げようとする。 完全な親なんていないわけだから、立派な親でも、ちょっとは欠点があったりするものでしょ?それを認識すれば、立派だったというその人の親よりも、さらに立派になれるんじゃないの? しかし、抑圧的なダメダメ人間は、そもそも思考から逃避しているんだから、「どの点が優れていて、どの点に問題があったか?」そんな具体的な各論での考察はできないわけ。 だから「全部」とかの言葉が、スグに登場してしまう。 あるいは、「ワタシの家庭は、マトモな家庭だったわ!」と猪突に言いだしたり、ダメダメにお約束の「ふつう」という言葉を持ち出し、具体的に考え、説明することから逃避するわけ。 ヘンな話になりますが、その親がダメダメであるがゆえに、そんな家庭で育った子供は、親の欠点は言えないわけ。子供は親については思考停止になってしまうわけ。そして、思考そのものを、「親に迷惑がかかってしまう!」と心理的な恐怖を持つようになってしまうわけ。 そもそも、実家に関わることで、良かったことなんて何も持っていないのがダメダメ家庭の子供。 トラブルなどになった際に、親のおかげで助かった・・・そんな体験がまるでない。 子供にとって頼りになる姿などは見たこともないし、的確に認識し、判断し、対処する姿も見たことがない。 トラブル状況の時だけでなく、平時においても、親は何も役に立たない。 進学へのサポートがあるわけでもないし、そもそも子供の向上心に対してサポートしない。 周囲にマトモな人間が少ないし、人との出会いが質的にも量的にも少ない。そして、子供のために有意義な出会いを作ってあげようとも考えない。 あるいは、社会との接点もなく、将来の職業についての情報も子供にもたらさない。 だから、子供の将来に対しては、何も役には立たない。 ホント、ただ、子供にメシを食わせているというだけの親。 そんな家庭環境の子供は、それこそ、友人の家に行ったりすると、家庭環境の違いに愕然とする。 「へぇ!これがマトモな家庭というものなのか?!」 「ウチの家庭って、いったい何なの?!」 学校での親の参観なんて、親の服装で情けなくなってしまう。 そんなことについて、親に対して苦情をいうと、「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」「行ってやっているだけで感謝しろよ!」と逆切れされるだけ。 そんな体験を積み重ねているんだから、実家の話題は、いわば強迫的なまでに避けようとしますよ。 いわば「親に迷惑をかけるな!」という洗脳状態にあるようなもの。 洗脳状態から抜け出ようとはしないし、そこを指摘されるとパニックになる。 だから、必死になって話題をリードしようとし、話を外に逸らそうとする。 ダメダメであるがゆえに、実家の問題が言えない状況と似た状況が発生しているのは、故郷についての問題です。 思考停止のダメダメであるがゆえに、そんな人は、自分の故郷について、具体的な「各論」で語れないわけ。そしてその故郷の問題に話題が行きそうになったら、感情的に逆上することになる。そして「アッチの方がひどいじゃないか!」などと言い回しになってしまう。 そのようなことは、まさに大阪人がいつもやっていることでしょ? あるいは、韓国人や中国人のおなじみの行動でしょ? 自分の故郷について、誇りがあるのなら、その美点を、具体的な各論で客観的に語ればいいだけ。しかし、思考停止であるがゆえに、各論では語れない。 だからこそ、ダメダメな地域こそ、その地域の悪口を言われると感情的になってしまうわけ。このようなことはロシアも同じなんだそう。 何もその地域に誇りがあるのなら、それを認めない人など放っておけばいいだけ。 「あのバカが何を言っているの?」「イヤならアンタなんて来なくて結構!」でオシマイですよ。 しかし、思考停止ゆえの、故郷崇拝なので、そんな余裕ある態度は取れない。 ただ感情的に、他の地域の悪口を言うだけ。肯定ではなく、そうでないものを否定するという二重否定しかできない。 自己逃避で思考停止の人間は、自分自身なり自分の親の問題に話題が行きそうになったら、逆上気味になってしまう。逆に言うと、その手の話題に冷静に対応できる人だったら、マトモな人の可能性が高いわけ。 「親に迷惑をかけない」ように育てられた「いい子」というものは、「自分の親に迷惑をかからない」ようにするために、平気で人に対して暴力を振るったり、暴力的な言動をしたりするもの。 暴力的な言動とは限りませんが、往々にして子供の側が、親をかばったりするもの。 そんな光景をノンキに横で眺める、その親・・・そんな光景はポピュラーでしょ? それこそ、ボクシングの亀田親子なんて、そのパターンでしたし、児童虐待の現場では、虐待されている子供の側が、虐待している親をかばうもの。あるいは、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者の女性は、実家をかばったりする。そして「ワタシは親を恨んでいない!」と周囲に主張。 トラブルになって、親を前にして、子供の側が周囲の人間に対して必死で謝罪している状態。ダメダメな親は、子供を守るという意識がない。むしろ、子供の不始末による被害を真っ先に考えるだけ。子供の謝罪というシーンにおいて、ダメダメな親は、自分の子供の側に感情移入をしているのではないわけ。謝罪されている側に感情移入しているわけです。 「オレも、コイツによる被害者なんだよ!アンタと一緒さ!」 「アンタたちも、このワタシが、この子供による被害者だとわかっただろ!」 「ホント!出来の悪い子供で困ったものだよ!」 親としては、そう言いたいんですね。 子供を育てる当事者意識がないので、子供が事件を起こして裁判になっても、まったくの他人事。そんな光景は、それこそ茨城県での通り魔事件での親に典型的に見られたでしょ? 逆に言うと、そんな光景から、子供の側が親を守らないといけないという日常が見えてくるわけ。「いったい、誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?」というグチがお約束であり、だから、不都合なことがあると、全部子供のせいになって、子供が親をかばう必要があるわけ。 親は自分の被害を子供に語ってばかりいるので、子供は親に負い目を持っている。親にこれ以上被害を与えないように必死で配慮する。だから精神的に疲れてしまい、ますますトラブルになり、攻撃的になる。自分ひとりで解決しようとして、ますます悪化する。 そんな、親への負い目が、トラブルの根本の原因とわかった頃は刑務所ですよ。 ボクシングの亀田親子なんて、現在進行中で、そんな流れでしょ? そもそもトラブルが起こっても、実家の話題に過敏に反応するんだから、逆に言うと、「遠くから検討する」ようになってしまう。自分の実家との関わりから遠い一般論ばかりで議論するようになってしまうわけ。あるいは、周囲に通りのいい、「難しいこと」から手をつけるようになる。このようなことについては以前に配信しております。 ダメダメ家庭の人間は、真っ先に自分の被害について考える。だから、問題が起こって失われた自分の体面を補うことを第一とするわけ。だから「外面的で立派に見える善後策」を取ろうとするわけ。何かうまく行かない状態になったときに、検討する順番も違っているわけ。しかし、自分の身近なケースから目を背け、遠いところでのケースを検討しても、結局は議論のための議論になるだけでしょ? 本気で問題を解決するためには、自分の身近なケースに当てはめて考えることが一番簡単だし、実質的な議論になるに決まっているでしょ? 自分の身近な問題ということで、自分の両親に当てはめれば一番簡単。 しかし、そこから逃避して、どんどんと一般論に逃げ込み、べき論を主張するようになる。 そんな人たちは、被害者意識で結びついているので、他者へは攻撃的。 周囲に対し、べき論を使って攻撃的な主張はしても、わかりやすいように説明することはできない。「何が問題なのか?」説明できない。「自分がかわいそうな被害者」という論理だけで説明して、それを導くように説明するので、聞いても現状が何もわからない。 結局は、事態を解決したいとは考えていないわけ。「ワタシをかわいそうな被害者である」と認めて欲しいだけ。 何もドメスティック・ヴァイオレンスのような事例ばかりではなく、それこそ女性運動なり市民運動なんて、その典型でしょ? だからこそ、その手の人は、自分の実家から遠くにある問題に首を突っ込んで、どんどんと実家の問題から逃避してしまう。 自分の親については、周囲の人が何を言おうと、自分が信じていればそれで十分ですよ。 しかし、自分に自信がないので、逆に他者の評価に依存するようになってしまう。そんな自信のなさの原因を考えれば、色々と見えてくるわけですが、まさに親譲りの自己逃避で、そんな思考には至らない。だから自分での判断から逃避し、どんどんと他者に依存するようになり、だからこそ、周囲に対して必死になってしまう。 その必死さが、攻撃性に転化して、実際に事件になってしまう。 そして、実際に事件になっても、ダメダメな親は、やっぱり他人事。 ダメダメ家庭って、実際にそんな感じでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 千葉で起こったストーカー殺人事件で、被害者の次女さんが逃亡中になぜ逃げなかったのか?とかで議論になっているそうですが・・・ 案の定、ストックホルム症候群とかのありきたりな説明がでているようですね。 そのような状況下において、犯人が顔見知りなのか?まったく知らない人間なのか?それによって、心理的な状況が全然違うでしょ? その事件の前まで、全然知らない人間に拘束されたのだったら、それこそストックホルム症候群の考え方も有効でしょう。だってそのときに初めて心理的な関係ができたわけですからね。 しかし、もともと知っている人からの拘束だったら、つまり前から心理的関係があった場合には、ストックホルム症候群とは別の考え方の方が有効じゃないの? このメールマガジンでは、ダメダメ家庭における子供は、「生きる意欲を捨てないと生きてはいけない。」ということを頻繁に書いています。まさに「この門より入るもの希望を捨てよ!」となっているわけ。そしてそんな状況に心理的に適応してしまっている。 つまりダメダメ家庭の子供は、スグに自分の意志を捨ててしまう能力?があるわけ。 今回の次女さんが、逃亡への意志を持たず、そのアクションを起こさなかったのは、その「意志を捨てる能力」が発現しただけ。そして、抑圧的なダメダメ家庭の人間は、ある種のマゾヒズムを持っていて、支配される状況を自ら求めてしまうわけ。 ある存在を、自分の支配者と認定してしまったら、あとはその存在に盲目的に従うことになる。拘束されることによって、自己逃避してしまうわけ。 それはまさに抑圧的な家庭環境に心理的に適応した結果であって、逆に言うと、その次女さんが、逃亡する意志を持っていれば、まずもって実家から逃亡していますよ。 家庭問題は、まさに過程の問題であって、その事件の前の状況を考えないとトンチンカンなものになるだけ。とはいえ、事件の前の過程の問題まで目を向けた議論はなされているのかな? 事件後に、そんなことができる人が、その関係者の近くにいれば、逆に言うと、事件にはならなかったでしょうね。 |
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R.10/6/16 |