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カテゴリー ダメダメ家庭の人からのメール
配信日 09年8月21日 (10年12月11日 記述を追加)
タイトル 不快感の表明
ニュースなどで、国際問題の話題になったときに、「不快感の表明」なんて言葉が出てきますよね?
アメリカの政府高官が日本の対応に、「不快感を表明した。」とか・・・

まあ、アメリカが不快に思ったのなら、やっぱり対応しないと、色々とマズイ・・・それが現実というもの。

アメリカが不快感を持ったら、何がしかのアクションを起こさないといけないわけですが、じゃあ、北朝鮮が日本に対し不快感を表明したら?不快に思われてしまった側は、何かアクションを起こさないといけないの?

というか、北朝鮮って、いつだって「不快感を表明」しているでしょ?いちいち、アクションなど起こしていられませんよ。どうせ何をやっても、不快に思う人たちなんですからね。
あるいは、アメリカが不快に思ったのならアクションを起こす必要があるわけですが、それこそアフリカの聞いたこともない小さい国が、日本に対して「不快感を表明」したら、アクションを起こす必要があるの?
理想は理想でいいとして、あるいは、正論は正論でいいとして、現実的には、そんな必要はありませんよね?

しかし、その聞いたことがないようなアフリカの小さな国が、日本に対して要望を言う際に、「自分たちの現状をしっかり認識して、その日本への要望も日本に配慮した言葉」で表現されていたら?「自分たちはこのようなことをしたい。今現在はこんな状況である。日本はこの点が得意そうだ。だから、できればこの点をサポートしてほしい。」
そんなスタイルで表現された要望だったら、対応する必要はなくても、「対応してみようかな?」あるいは「助けてあげたいな。」と思うでしょ?

国自体に力がなくても、その言葉に力があるのなら、ちゃんとした扱いは受けるものなんですね。

ダメダメ家庭の物言いには、単に「不快感の表明」のレヴェルで終わっているケースが多い。代表的な例は、まさに逆上メール。この私に不快感を表明して来る。
だからと言って、その逆上を受けて、じゃあ、この私はどうすればいいの?
まあ、文章のネタになるからありがたいとは言えるんですが。

あるいは、逆上までは行かないにせよ、単に「不快感の表明」のレヴェルで止まっているメールの文章も多いんですね。「傷ついた。」とか「気に入らない。」とか・・・
かと言って、そんな「不快感」に私が配慮する必要はないでしょ?
「ワタシ・・・アンタの文章によって傷ついたわ!」なんて言われても、『あっ?そうなの?』でオシマイですよ。まあ、それこそ「想定済み」ですしね。

不快感というものは、まさに「感想」であって、どんな感想を持つのも読み手の自由といえますが、逆に言うと、不快感を表明されても、それに対する感想も、こちらの自由でしょ?現実的には、「人に不快感を表明する前に、自身の文章力を磨いたら?バーカ!」「ピョンヤン放送のような文章しか書けないのか?このアホ。」と思うだけ。

アフリカの聞いたことのない国のケースじゃあありませんが、自分の現状を十分に認識して、相手にも配慮して、わかりやすく自分の考えなり要望を伝えればいいわけでしょ?
「アナタの文章は、このような観点が抜けているのでは?」とか、
「アナタとは別の、たとえば、このような考え方の方が、現状を認識しやすいのでは?」とか、
「このような事については、アナタとしては、どのように考えるの?」とか・・・
顔の見えない人であっても、文章そのものに力があれば、ちゃんと対応してもらえるわけ。

感想を言われても、「じゃあ、どうすればいいの?」と思うだけですが、意見を言われたら、その意見が傾聴に値するものであれば、そのような扱いを受けますよ。
逆に言うと、相手に対して意見を述べる前に、「相手に何をわかってほしのか?」その点については、自分で考える必要があるわけでしょ?
不快感はいいとして、その不快感の正体を自分でも分かっているの?

しかし、ダメダメ人間は、自分で考えることをしない。
だから、意見のレヴェルにまで到達できずに、感想とまり。
そして、ダメダメ家庭の人間は、被害者意識が強い。だからスグに不快感を持ってしまう。対抗心や被害者意識が強いので、不快感を表明する自分が好き。
そして、自分でじっくり考えることなしに、その不快感をぶつけるわけ。
不快感を表明する文章は、その不快感の最中に書いているので、文章レヴェルも低いもの。
使用する語句の問題というよりも、主要テーマと付随するエピソードのバランスが悪い。
というか、「どんな人に対して、どんなことを分かってほしいのか?」その点について何も考えていない。
不快感を表明するのも結構ですが、その不快感が収まった段階で表明しないと、安っぽくなってしまうもの。

このようなことは、何もメールのやり取りだけでなく、現実のやり取りでも、ポピュラーなことでしょ?やたら、ブツブツと不満ばかりを言っている人っていたりしますよね?
そんな文句ばかり言っている人は、「自分で何を伝えたいのか?」「どうしたいのか?」について当人自身でもわかっていないんだから、不満ばかりの言葉を聞かされても、『じゃあ、ワタシはどうすればいいのさっ?』と思うだけ。

アメリカくらいの力のある国だったら、逆に言うと、あまり具体的に言うわけもいかない面もあるでしょう。
しかし、北朝鮮のような泡沫な国だったら、「オレは気に入らない。」だけでは相手にしませんよ。やってほしいことがあるのなら、もっと具体的に言わないとね。
しかし、北朝鮮は、というか、あの将軍さんは、自分の下僕には、やたら具体的に指示を出すくせに、外の世界には、「不快感の表明」止まりでしょ?
このようなことは、何も北朝鮮ばかりではないわけ。

日本のダメダメ家庭でも、偉ぶって「不快感を表明」している人も結構いますが・・・そんな言葉を聞くと「不快感の表明で、対応してもらえるくらいの立派な国や人になってから、表明しなさいよ。」って、思ったりするでしょ?

まあ、逆上メールまで行ってしまっているのなら、処置なしですが、一応丁寧な言葉でも、「不快感の表明」止まりの文章も多くあったりします。
あるいは、以前に取り上げましたが「スサムメール」のようなパターンもあります。細かい部分への反論はするけど、「全体で何が言いたいのか?」について不明になっている文章です。
読む側としては、そんな細かい反論・・・特に粗雑な表現の反論なんて読みはしませんよ。
反論したいのはいいとして、「もっとも重要な面はどこなのか?」についてちゃんと考えないと、鼻の先で笑われるだけ・・・笑われるどころかネタにされたりするだけなんですね。
まさに北朝鮮の金将軍が、やたら細かい指示であったり、単に不快感の表明どまりで、グランドデザインを踏まえた上での、まとまりのある表現ではないのと同じ。

あるいは、最近では、インターネットのニュースサイトでの閲覧者によるコメント欄のようなものがあって、そこに、さも得意気に書き込んでいるコメントを見ることができますよね?
そのコメントが、また、絵に描いたような「不快感の表明」のレヴェルとなっていて、「どんな人に対して、どんなことを分かってほしいのか?」について何も考えないで書いているでしょ?

不快感を表明している人は、いつも某かの不快感を表明しているもの。
現実的には、一つのマターに対して、たまたま不快感を持ったわけではないものでしょ?
それこそ北朝鮮がその典型じゃないですか?不快感を持つ対象は変化しても、不快感を持ち、表明していることは、変わらないもの。
逆に言うと、この私に不快感を表明するくらいならともかく、日常的には、その不快感の表明の対象は、その人の間近にいるその人の子供なんですね。

そもそも、顔も知らない第三者に対して、不快感を表明しても、表明した人自身が阿呆と思われるだけでしょ?
いったい、相手に何を伝えたいの?どうしてほしいの?

しかし、たぶん、こんな不快感の表明は、意外にも効果があるんでしょうね。
以前にこのメールマガジンでは、ダメダメ人間が持つ感情として「嫌われたくない」というものがある・・・そんな文章を配信しております。
減点法のダメダメ人間は、「いい子」志向であって、だからこそ、人から嫌われることに対して恐怖感を持っているもの。
いきなり誰かから「アンタなんて嫌いだ!」などと言われたりすると、その言葉を受けた側は、パニック状態になり、『何を言っているの?キミは誤解しているんだ!ボクはいい子なんだよ!ちょっと説明させてよ!』と、やり取りが始まったりすることもあるわけ。
いわば、相手に対して不快感を表明すると、「構ってもらえる」ことになるわけ。
何かと不快感を表明している人は、そんな成功体験を踏まえての行動なんでしょうね。

たぶん、北朝鮮の人たちも、そんな成功体験がどこかにあるのでは?
まあ、北朝鮮の人がどんな感じで「熱く」語ろうと、日本人には基本的には関係ない。
ネタとして楽しんでいればいいだけ。
「いやぁ〜、体を張って、ギャグやっているなぁ・・・」というところでしょ?

何かを伝えるためには、いわゆる5W1Hが重要になります。
いつ(=WHEN)、どこで(=WHERE)、誰が(=WHO)、誰に(=WHOM)、何を(=WHAT)、どうして(=WHY)、どのように(=HOW)これらの5W1Hを的確に伝えれば、相手にもわかりやすいわけ。その表現そのものに「上手いorヘタ」はあるでしょうが、基本的な伝達事項を押さえておけば、相手にはそれなりに伝わるもの。

そのような基本的な事項を押さえていないと、「熱く」語られても、「いったい、何を言っているの?この人?」とか「で、結局は、アンタは何が言いたいの?」と思わされるだけ。
「不快感」自体はいいとして、それは所詮は「感想」ですよ。
どんな感想を持つのも自由ですが、相手に対して伝える前に、それを「確たる見解」のレヴェルまで統合する必要があるでしょ・
しかし、ダメダメ人間は、断片的な感想どまりであって、確たる見解にまで統合する心理的な能力を失調している。だから、不快感の「感」の面がどんどんと肥大化するばかり。
そんな姿は、まさにピョンヤン放送そのもの。あるいは、インターネットの掲示板や、前に書いたニュースサイトの閲覧者のコメント欄でのコメントになってしまう。

相手の見解に対して合意できないのなら、それについて論理的にそして客観的に記述すればいいだけ。しかし、統合能力が失調しているダメダメ人間は、感想という断片のままで投げ付けるしか能がない。
逆に言うと、そんな断片的な感想で済む場所でしか住み着けない。
そんな場所に住み着いて、断片的で、被害者意識に満ちたコメントを書き込んで喜んでいる始末。
そうして、「どうして、分かってくれないんだ?!」「ああ!オレってなんてかわいそうなんだ?!」と大仰な嘆きとなる。

ピョンヤン放送だけでなく、日本のダメダメ人間でも同じようなことを言ったりするでしょ?
「ああ!こんなに一生懸命語ったのに、どうしてわかってくれないんだ!」
そんなことを言う人に限って、その話に肝心の5W1Hが全くなかったりするわけ。単に「自分たちはかわいそうな被害者なんだ!」と「声を大にして」「こぶしを効かせて」叫んでいるだけ。

そんなわかりにくい話を聞かされた周囲の人が、「で、結局は、アンタは何が言いたいの?」などと言い出したりすると、持ち前の被害者意識に火がついて、お約束の逆上状態に。
当事者意識がなく、被害者意識だけの人は、自分自身が言いたいことが本当にはわかっていない。だから「で、結局は、アンタは何が言いたいの?」という、やり取りの相手からの質問ですら、「自分を追い込み、窮地に陥れようとしている!」などと思ってしまうんですね。

ただでさえ、会話の能力が乏しいのに、その上に逆上までするんだから、ますます何を言っているのかサッパリわからなくなる。
たとえば、ドメスティック・ヴァイオレンスもそんな状況となっている。あのような現場は、夫婦そろって会話の能力が欠如した状態と言えます。お互いが「ああ!こんなに一生懸命語ったのに、どうしてわかってくれないんだ!」と、被害者意識に浸っているわけ。当人なりには一生懸命に語ったつもりであっても、それは単に「感情を込めて」「こぶしを効かせて」語っただけで、客観性のある説明はまったくしていない。

様々な点に、不快感を持つ気持ちはわからないわけでもありませんよ。
しかし、世の中には「産みの苦しみ」というものもあるわけでしょ?

「その不快感なり苦しみを、新たなる再生につなげていけるのか?」そういう問題になるわけですし、別の言い方をすると、そんな苦しみなり不快感もないようなら、「再生」なんてありえませんよ。「ノホホ〜ンとしていたら、自然にダメダメから脱却していた・・・」そんなことがあり得るわけがない。

そういう意味で、私の文章で「不快感」を持ったのなら、それはそれで、そのこと自体が私の意図したところなんですよ。だからこそ、その不快感の正体を考えてみて、それから自分なりの意見をまとめるなりすればいいわけ。「不快感を契機とするのか?そこ止まりなのか?」その点が「ダメダメとまりなのか?そこから脱却できるのか?」の差になってくるものなんですね。

誰かに対して不快感を表明して悦に浸っているよりも、そんな不快感を与える人間とはサヨナラした方がお互いにとっていいこと。しかし、被害者意識が強く、被害しか語るものがないので、「あの○○によって不快な思いをさせられた・・・」と被害を表明することになる。結局は、そんな行動を続けることになり、ストーカーとかクレーマーのような事態に。
そんな修羅場に陥りたくなかったら、会話の能力を向上させる・・・そうすれば、ダメな人間は寄ってこなくなりますし、トラブルも減っていきますよ。

(終了)
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発信後記

ちなみに、不快感を持つことが問題なのではなく、不快感を表明する際には、単なる感想ではなく、ある種の意見なり見解までまとめ上げた上で、表明した方がいいと申し上げているだけです。
同意したという感想ならともかく、同意できないということなら、それを単なる感想として伝えても、意味はないでしょ?

圧倒的に文章力がある人からの「同意できない」という感想だったら、その感想をいただいたら私としても考えることになりますが、ヘタクソな文章で書かれた「同意できない」という感想は、その人の知的レヴェルの低さに注目するだけ。

逆に言うと、そんな人は、自分の子供に対しても、わけのわからないヘタクソな表現で文句ばかり・・・ということをやっているわけ。不快感の表明から見えてくるものは、結構あったりするもの。
そういう意味では参考になったりするんですよ。だから私としては歓迎いたします。
R.10/12/11