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カテゴリー 判断と選択
配信日 09年8月31日
タイトル スパム感覚
このメールマガジンを発行している私は、当然のこととしてバックナンバーのホームページを持っていて、そこには連絡用のアドレスも表記してあります。ちなみにアドレスはこのメールマガジンにも記載してあります。
だからやってくるのがスパムメール。
ただ、これは予め予想されたこと。だからこそアドレスはマイクロソフトのホットメールにしているわけです。

スパムメールが来るのは想定の範囲内だったので何も驚きませんが、想定していなかった意外なパターンのスパムメールもあったりするもの。
そもそもスパムメールというものは、送信先のキャラクターについて考慮せず、当たりかまわず送りつけるわけですから、もともと「いかがわしさ」を持っている。逆に言うと、ある種の「いかがわしい」商品のコマーシャルには、「それなり」の効果もあるんでしょう。
それこそ薬品とか、アダルトな商品とか・・・

そんなものだったら、スパムメールを使ってPRすることも、「それなり」に納得できるものですよ。もちろん、私としては即効で削除いたしますが。
アダルト系の商品となると、たとえばDVDのようなものなら、現実的にPR効果もあるんでしょうネ。「その気」になったら、買う人もいるんでしょう。

しかし、じゃあ、「出会い系」のようなものは?
この「出会い系」のスパムも実に多い。私個人は、その手の出会い系のサイトに行ったことはないので、全然わかりませんが、出会いだったら、ある種の制限が必要となってくるのでは?何も年収とか年齢とか容姿の問題以上に、場所の問題があるでしょ?
たとえ、やり取りが弾んだとしても、東京に住んでいる人間が、北海道や九州の人間に会いに出かけることは現実的に難しい。

当たりかまわず、スパムメールでPRするのはいいとして、場所の問題はどうなっているんだろう?ただ、その手のアダルト系だったら、もともとが「いかがわしい」わけですから、そんなPR手法でいいんでしょうね。それにDVDや薬品だったら郵送すればいいだけ。距離的な問題は発生しない。

アダルト系のスパムは、心理的な意味ではスパムではない。
そもそもアダルト系だったら、そんなPR手法しかとれない。
対象とするポルノ愛好家なり、その商品の特質を踏まえているとは言えるでしょ?

実は、スパムメールを受けて、「あれれ?」と思ってしまうのが、「形の上では」いかがわしくはない商品をPRしたスパムメールです。
それこそ美容院をPRしたスパムとか、不動産屋さんをPRしたスパムなどもあったりします。美容院からのPRを受けて、たとえ興味を持ったとしても、その近所でなければ、行けないでしょ?
わざわざ飛行機に乗って、美容院に行くの?

そんなスパムメールを受けると、PRどころか、「そのお店はいかがわしい!」と思うのは当然のこと。それこそ、その美容院がたまたま近所にあっても、そんないかがわしいPR手法をとっているお店には行きませんよ。その店が遠くだったら、どのみち行かないわけですし、近くにあっても、行くわけもない。じゃあ、どんな目的でPRしているの?

アダルト系など、もともとがいかがわしい商品だったら、ビックリしないわけですが、一応はカタギの商品だったら、スパムメールでのPRは逆効果なのでは?

商品のPRだったら、「その商品のどんな点を、どんな人にわかってほしいのか?」
そんな発想が必要になってくるでしょ?

しかし、抑圧的な人間は、そんな発想ができないわけ。そもそも自分自身を抑圧しているので、他者に「わかってほしいこと」それ自体が存在しない。だから「わかってほしい対象」の人についてもイメージできないわけです。

分かってほしいことが明確になっているのなら、対象とする人のイメージも明確になりますよ。何事もある種の前提条件があるわけでしょ?
美容院とか不動産屋さんのようなものなら、当然のこととして、場所が制限要因になりますよ。投資情報のスパムも多くありますが、投資情報なんて・・・元手のある人に対して発信しないとね。そして元手のある人は、そんなスパムには引っ掛からないのでは?あるいは、文章のようなものなら、読解力とか教養とか問題意識とか、あるいは意図的に方言を使って、住所を制限要因とする場合もある・・・それ以外の人を排除するつもりはなくても、前提となる条件については、発信者は明確に自覚していないとね。

このメールマガジンの文章だって、基本的には誰でもウェルカムですが、「このレヴェルの人には、この程度はわかってもらえる。」「それ以外の人は、誤解されてもしょうがない。」そんな前提はありますよ。日本語が読めれば、誰でもわかる・・・そんな観点では文章を書いていません。伝えたいこと、分かってほしいことが明確だったら、どうしてもそのようなことは発生するもの。

逆に言うと、対象者についての条件が明確ではない場合には、「伝えたいこと」自体が明確ではないわけ。
それだけ自分自身を抑圧しているわけです。

対象者については誰でもいい・・・それがある種のスパム感覚となるわけですが、そんなスタイルはまさに抑圧状況においては頻繁に発生しているでしょ?

「結婚相手はオンナだったら誰でもいい!」これもある種のスパム感覚ですよね?
あるいは「就職するのは、公務員だったら何でもいい!」そんな言葉もポピュラーでしょ?逆に言うと、その手の人は、「自分が何をしたいのか?」「将来はどうなってほしいのか?」それについて考えることから逃避しているわけ。

それくらいならまだしも、そのスパム感覚が進行すると「誰でもいいから殺したかった!」となってしまう。殺害する対象がスパム化してしまう。往々にしてその手の人は、一番殺したい対象について考えることを抑圧しているわけ。そしてその殺したい対象は、当人の親であることが通例。親を殺したいと考えることから逃避するために、「誰でもいいから」なんて文言になってしまう。

スパムというものは、やりたいこと、伝えたいことを考えることからの逃避であり抑圧であり、一種の思考停止状態である・・・だからこそ、その手のスパムを発信する側は、その点を指摘されると逆上したりするもの。考えたくないがゆえにスパムとなっているわけだから、考えることを要求されると、心理的な恐怖を持ってしまう。
実際問題として、「どんなことを、どんな人に対して分かってほしいのか?」
そんな思考から逃避した人に限って、「どうして分かってくれないの?!」などと逆上したりするものでしょ?
「どうして分かってくれないの?」も何もねぇ・・・じゃあ、いったい何を分かればいいのさ?

あるいは「オマエには役に立っていないのかもしれないけど、役に立っている人も、世の中のどこかにいるハズだ!」と反論したりするもの。
結果的に役に立つ以前に、本来は最初の段階で、「このような人は、このような点が役に立つようにやっている。」そのように説明できるのがスジなのでは?結果として「どこかの人に」役に立つケースがあっても、まずは対象を明確化しないと、何もできませんよ。それに「どのように内容を充実させるのか?」そのようなことを検討する場合には、その対象者のキャラクターによって違ってくるでしょ?以前にソクラテスの「重要なことは生きることではなく、よく生きることだ!」という言葉をモディファイして「重要なのは、伝わることではなく、よく伝わることだ!」と書いたことがありますが、「よく伝える」ためには、対象者についての考察も必要になってくるもの。

対象者については、原則的に無制限のスタイルとなると、新聞などのマスコミがまさにそうですよね?
新聞なんて、ちょっと離れた視点から見ると、スパムの要素を兼ね備えている。対象のキャラクターを考えずに、あたりかまわず撒き散らしている。
日本語さえ読めれば、誰でもいい・・・記事の文章だってそんなスタンスでしょ?
対象とする人の知的レヴェルについて、どのように考えているの?

新聞記事に対し『中身がない記事が多い。』と指摘されると、「役に立っている人もどこかにいる!」と反論があったりする。しかし、それってアダルト系のスパムメールを擁護する言葉と同じ。
結果的に役に立つ以前に、受け手についての知的レヴェルのマーケティングが最初に必要なのでは?

新聞を読むと、そこに思考停止の典型が見えるんですね。もともと人からの情報の横流しなんだから、思考停止となるのは、当然といえば当然でしょうが。
だからこそ、被害者意識につながりやすく、スグに逆上したりすることになる。マスコミ関係者と逆上の結びつきって、頻繁に見られるものでしょ?

まあ、スパムというものは、ある種の「いかがわしさ」を持っている。
そもそも対象とする人の知的レヴェルや問題意識に配慮したものではないんだから、受け取った側が「あれれ?」と思ってしまうのも当然のこと。だから、一般的には、そんなものには引っかからない。

しかし、世の中には、そんなスパムに引っかかってしまう人もいるわけでしょ?
アダルト系だったら、まだわかりますよ。まさにスケベ心の琴線に触れたんでしょうね。しかし、そんな「いかにも」なパターン以外のスパムに引っかかってしまう場合もあるわけ。

私の元に寄せられるスパムメールの中には、メールマガジンに対する感想というスタイルで送付してくるケースもあります。その手のスパムはテンプレートができていて、最初にメールマガジンのタイトル名を入れると、あとはPRの文句は共通となっているわけ。
「メールマガジン○○の発行者様・・・いつも購読しています。色々と参考になっています。実はご紹介したいことがあって・・・」と来るわけ。

テンプレートの最初の部分を変えるだけなので、文章を書く側にしてみれば、ある意味においてラクなんでしょう。それに、形の上ではメールマガジンの購読者を装える。
まあ、そんな姑息な手段が、余計にいかがわしく見えるだけなんですが。

しかし、メールマガジンの発行者の中で、そんなスパムに引っかかる人もいたりするんですね。私としてはそっちに対してビックリですよ。
まがりなりにもメールマガジンの文章をまとめるくらいの文章力があるのに、テンプレートの最初の部分を変えただけの文章に引っかかってしまうとは!

引っかかる人は「自分だったら、このメッセージを発信する際には、こんな文章にするだろうな。」そんな思考がないんでしょうね。
スパムメールを発信する側が抑圧的であるように、ひっかかる側も抑圧的なんでしょう。
実際に、ひっかかる人の文章って、対象とする人のイメージが明確ではないもの。
まさに「類は友を呼ぶ」。

スパムメールというものは、やたら外面的な装飾が多いもの。感嘆符が多かったり、メールに強調符がついていたり、メールのタイトルが、やたら「目立つ」ようなものだったりする。
たとえ、いかがわしい商品のPRであっても、文章自体を対象とする人にフィットするものにした方が効果的だと思うんですが、抑圧的な人には、それができないんでしょうね。だから内容ではなく、外見的に目立とうとするしかない。このようなことは、それこそ新聞での扇情的な報道と同じ。受け手のキャラクターが明確であるがゆえに、記事の中身を充実させる「方向」が分かるわけであって、逆に言うと、不特定多数を相手にした場合には、内容は充実させようがない。文章に使用するボキャブラリや、言及する過去の事例や、論理展開などは、当然のこととして対象者についての前提条件がないと使用できませんよ。

中身を充実させる方向がわからないので、外面的に目立たせるしかない・・・そんなスタイルは、最近では、今回(2009年)の選挙における自民党のパンフレットのスタイルが、まさにそれでした。
パンフレットも、対象を絞らないと、文章の中身を充実させようがない。本来なら、上級者用のパンフレットと、ビギナー用のパンフレットを分ければいいだけなんですが、精神的に抑圧されてしまうと、そんな発想もできなくなってしまう。

だからやたら感嘆符を使ったり、扇情的な文句が踊ることになってしまう。そんなスタイルは、別の例だと、ピョンヤン放送の放送スタイルも同じでしょ?
こぶしを効かせて、熱く語っても、何が伝わるの?
今回の自民党のパンフレットも、ピョンヤン放送も、まさに失笑を受けるだけでしょ?

伝えたいことそれ自体が自分でもわかってしないので、どうしても対象者については「誰でもいい」となってしまう。
そんなスパム感覚に安住してしまうと、「伝えたいものは何か?」そんなことを考える感覚がどんどんと希薄化し、何事もルーティーン化してしまう。
分かってほしいという気持ちが希薄になってしまうので、そんな人の文章を読むと、「いったい何を言いたいの?」そして「いったい誰に対して言っているの?」と思わされることが多いもの。

それこそ、何かの作品に対しての感想の文章を書いてメールとして送ったり、あるいは、掲示板などで公表するのもいいわけですが、その感想の文章の対象者を明確にしないと、文章として意味不明なんですね。作者に対して感想を送るのなら、それ相応の文章にした方がいいわけですし、掲示板で公表するなら、客観的な解説なり紹介でないとマズイでしょ?

しかし、以前にも書きましたが、ダメダメ家庭の人間は「自者と他者の区別がつかない」。というか、他者というものが心理的に認識できない。だから対象者不明確のまま感想をまとめたりする。
そんな文章を読んでも途方に暮れるだけですよ。

その他大勢に対してメッセージを発信するような人は、自分自身が自分自身に対してその他大勢となってしまうわけです。抑圧も重症になってくると、自分自身が自分自身を疎外するようになってしまう。
ギャグでもなく、そんな観点を取り入れると理解しやすい例が多いんですね。

(終了)
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発信後記

今回の選挙で、自民党が、事前の予想のとおりに大敗いたしましたが・・・
勝負というものは、たまたま勝つことはあっても、負けるには十分な理由があるもの。
そもそも参議院選挙の大敗を踏まえて、自民党が何か対処した・・・わけではないんだから、そりゃ負けますよ。

本文中で今回のパンフレットに言及しておりますが、あのパンフレットを見た人の多くが「ダメだ!こりゃ!」と思ったのでは?
あのパンフレットはいったいどんな人を対象にしたパンフレットなんだろう?
あのパンフレットを読んで歓喜した人も実際にいたでしょうが、多くの人が失笑しただけでしょ?
せっかくパンフレットを作るのなら、対象を明確にして、逆に言うと、その対象以外の人の受け取り方も想定しないとね。不快に思ってもいいでしょうし、何も残らないパターンもありでしょう。しかし、政治のパンフレットで失笑はマズいでしょう。

今回の大敗を踏まえ、自民党は立ち直れるのか?
その点が問題になるでしょうが、まさにダメダメからの再生の難しさがわかっている私としては、このままじり貧になる可能性も十分あると考えております。
そもそも今回の選挙で当選した自民党の候補者は、ロートルか世襲ばかり。

この面子だと、ゼロからやり直すことなんてできませんよ。そもそもゼロから立ち上げる必要がないからこその世襲なんだから、ゼロからやり直すなんて世襲議員の発言は、自分自身のレゾンデートルを否定しているようなもの。

それに、参議院での勢力を考えれば、しばらくは自民党は野党暮らし。
自民党は与党であることが、唯一のレゾンデートルなんだから、実力のある議員は、新党を作るか、民主党に引き抜かれますよ。

誰が次の自民党の総裁になるのか?
その点は楽しみですね。
石原さんのような世襲の人だと党内はまとまりやすいでしょうが、再生のための活力はもうないということ。
世襲じゃない人・・・たとえば、舛添さんは、総裁を受けるのか?
舛添さんは今考えている最中でしょうが、受けない可能性が高いのでは?新党を作るフリーハンドは残しておきたいでしょう。
そうやって、どんどんと優秀な人も集まらなくなってしまう。

いったん、ダメダメの方向に回り出すと、後はどんどんとスパイラル進行してしまう。やがて、ドッカーンとなる。
ダメダメ家庭の周辺では、そんな光景はお約束のように繰り広げられているものなんですよ。
R.10/12/27