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カテゴリー | チェックポイント |
配信日 | 09年9月30日 (10年10月28日 記述を追加) |
タイトル | 言葉が語るもの |
このメールマガジンを購読されておられる方はどのような感想を持っていらっしゃるでしょうか? 「きっついことを書いているなぁ・・・」 まあ、そのパターンは当然にあるでしょう。 あとは、 「ムダに色々と知っている人だなぁ・・・」 そんなパターンも、やっぱりあるでしょう。 このメールマガジンでは、ダメダメ家庭に直接には関係ないことでも、ダメダメ家庭を理解するに役に立つ様々な事項に言及したりしています。間接的に見た方がよく見えることってあったりするものでしょ? それに伴って、色々なジャンルの言葉が登場したりしています。 とは言え、このメールマガジンで使っている言葉は、むしろ保守的な選択です。 一般的な単語を主に使っています。 一時的な「はやり言葉」は、意外にも少なくなっております。 私としては、一般的な言葉を、意外な組み合わせを用いることによって、新鮮な言葉にしていきたい・・・それによって、ダメダメ家庭を考える「新たな」言葉にしたいと思っているんですよ。そして見逃されているような違和感を表現したいと思っています。 まあ、美術でいうとルネ・マグリット風ですね。 言葉というものは、相手にわかってもらうために使っているわけですから、対象となる人々のボキャブラリィを考慮する必要がある。専門的な言葉を使うにせよ、その言葉の意味がわからなくても、それなりに伝わるようにしないとね。 必要に応じて、別の言い方で「言い換え」をすることも必要でしょう。 やり取りの際には、自分が知っている単語のパレットの全部を使うものではない。「言い換え」ができるくらいによくわかっている単語を組み合わせて、文章を作っていかないといけない。 ・・・と私は考え、このメールマガジンの文章を書いています。 さて、「この人は・・・よくこんな言葉を知っているなぁ・・・」と思われているかも知れない私ですが、こんな私でも「この人は・・・よく、こんな言葉を知っているなぁ・・・」と言うか、「この人は・・・よく、こんな言葉を使っているなぁ・・・」と思ってしまうこともあります。 当然のこととして、その単語を「知っている」ことと、「使える」ことは違っている。 その単語を使えるということは、その単語が指し示すものに「なじんでいる」から「使える」わけでしょ? だから、使っている言葉から、色々と見えてきたりするものなんですね。 このメールマガジンで、たびたび逆上メールについて言及しております。 まあ、色々な「ののしり」の言葉があったりするもの。 それは別にいいとして、そんな逆上時だからこそ、つまり我を忘れている状態だからこそ、判断能力が欠如し、普段から「なじんでいる」言葉を使ってしまうことになる。 以前に実際にいただいた逆上メールで、「オマエは『にちゃんねら』か!」という、ののしりの言葉がありました。 『にちゃんねら』って・・・有名なインターネットの掲示板でしょ?そこに入り浸っている人のことですよね? 私も、その存在も、その単語も知ってはいますが・・・そんな単語にはなじんではいませんよ。だからこのメールマガジンでは、そんな単語は使っていません。 そんな『にちゃんねら』なんて言葉を、サクっと使える人って、いったいどんな日々なんだろう?逆上メールをいただいて、不思議に思ってしまいました。 まあ、その人が、実に、その掲示板を意識し、ある意味において、なじんでいないと、そんな単語は使えませんよ。少なくとも、その面での実践的な知識は、私よりもはるかに上でしょう。 『にちゃんねら』なんて言葉で、この私を罵倒したつもりなんでしょうが、そんな言葉から、その人の日常が見えてくるものなんですね。 前にも書いておりますが、相手を罵倒している時ほど、まさに平常心を喪失しているがゆえに、その人の日常が表現されることになってしまう。 このようなことでは、以前に、政治に関係して面白い記事がありました。 日本の民主党で、以前に代表をされておられた前原氏に対して、民主党の別の人が、抗議のメールを送りつけたんだそう。前原さんは小沢さんとは仲が悪いとのことなので、小沢シンパからの抗議のようです。 その文面がスゴイ! 「妄言」を「糾弾」するとかの、おどろおどろしい単語が並んでいる。 「妄言」って・・・確かに日本語ではあるけど、一般の日本人は使わない言葉だよなぁ・・・ その言葉は、韓国の政治家やマスコミ関係者のご用達の言葉じゃないの? だって、あの前原さんの行動にクギを刺すつもりがあるのなら、「妄言」を「糾弾」なんて言葉を使うのではなく、「アタマの軽いボーヤは黙ってな!」とかの言葉の方が、彼には効果があるでしょ? まあ、私だったら、スペインの王様風に「?por que no te callas?」とでも言いますよ。 そんな言葉だと、「アンタなんて、あのレヴェルと一緒だよ!」そんな雰囲気が出てくる。そんな、ちょっと間接的で凝った言い回しの方が、相手には打撃じゃないの? どの言い回しが効果的なのかは、相手の理解力にもよりますから一概に判断はできません。しかし、あまりに一般的な言い回しから外れてしまうと、その外れた方向が、発した人のキャラクターを示してしまうものなんですね。 「妄言」という言葉を使ったら、日本ではなくどこか別の国の人と普段からやり取りしている、だからそんな言葉になじんでいる・・・そんなことが見えてくる。 相手を罵倒する言葉で、自分の「お里」がバレて、相手先ではなく、当人の側が、周囲からの失笑を買ってしまう。 何も罵倒ほどの強い調子ではなくても、使っている言葉は、その言葉が日常的に使われている状況を示している。 たとえば、某新聞で、「我々日本人同胞」なる言葉が登場していたようです。 まあ、「日本人同胞」という言葉も、日本人は「使わない」もの。「知っていても」「使わない」でしょ? そんな「同胞」という言葉が日常化された状況はどんな状況なのか? ちょっとした言葉から、背景となっている日常も見えてくる。 相手を非難して「ああ!いい気持ち!」「やったぁ!アイツを、ののしってやったぞ!」と喜んでいるのかもしれませんが、その言葉になじむことになった、当人の「お里」や「バックボーン」が見えてしまう・・・ 古典ギャグでは、まさに、「おなじみ」でしょ? そもそも、その「非難」という言葉すら一般の人は使いませんよ。使うとしたら「○○という評価」のような物言いでしょ? しかし、ダメダメ人間は被害者意識が強いので、スグに自分の被害感情がバクハツする。だから、相手を非難する。逆に言うと、「非難」という言葉をスグに使う人は、被害者意識が強いダメダメ人間であることがわかってくる。 「非難」なんて言葉を頻繁に使う人は、思考を抑圧しているので、ちょっとしたやり取りでも、人の話を聞かないスタイルなり、単純な二項対立のスタイルでしか物事を認識しようとしないもの。普段から思考を抑圧しているので、問題点なり改善点を指摘されても、自分が新たに考えなければならない義務を感じ、不快に思ってしまう。だからちょっとした指摘でも、自分に対する非難と認識して、感情的に怒り出すもの。 皆さんも、この「非難」という言葉に注目してみてくださいな。 使われている言葉や知識からは、その人の背景となっている問題意識なり現状が見えてくる。たとえば、結婚可能年齢について、スグに出てくる人は、そんなことを常に考えていることがわかる。18歳になれば・・・自分たちも結婚できる・・・一般の人はそんなことを知らないし、知る必要がないでしょ? あるいは、自殺についての知識なんて、一般の人は知りませんよ。 この私に対して「リストカット時には手首を水の中に入れるのは、常識だ!どうしてオマエはそんなことも知らないのか?」などと説教した人がいましたが・・・いったい、どの筋の常識なんだか? また、死刑の方法なんて、一般人は知らないもの。絞首刑でも電気椅子でも、どっちでも関係ありませんよ。たまに、「絞首刑は憲法で禁止されている残虐な刑罰ではないか?」との指摘があったりしますが、一般の人にしてみればどうでもいいことでしょ? そんなことを議論し、ネタとなる時点で、その人について色々と見えてくる。 あるいは、子供が豊富な経済知識を語るとすれば、そんなことばかり議論になっている家庭環境ということ。それだけ、金銭の面でギスギスしていて、精神的に余裕がない日常が見えてくる。 使われている知識なり、言葉や文字から、その人の背景なり日常が見えてくるということでは、たとえば子供の名前などにも典型的に見られるものでしょ? 意識的にせよ、無意識的にせよ、それだけアタマの中で「引っ掛かって」いたからこそ、そんな漢字が出て来るんでしょ? 以前にも書きましたが、「自分はちっぽけな人間だ!自分の小ささがイヤだ!」とコンプレックスを持っていれば、子供の名前に「大」の字を使ったりする。 あるいは、ワタシは恵まれていないなぁ、幸せではないなぁ・・・なんて、漠然とした不満を持っていれば、子供の名前に「恵」や「幸」の字が入ったりする。また、自分は愛されていないなぁ・・・なんて普段から思っていれば、「愛」の字を使ったりする。 もちろん、「大きくなれよ!」「恵まれてほしい!」「人々から愛されてほしい!」などの単純な肯定形のパターンもあるでしょうが、二重否定というかコンプレックスからくるパターンも現実にあるでしょ? 二重否定のパターンとなると、ヨーロッパに対するコンプレックスがあれば、子供の名前を外国人風にすることになる。ヨーロッパ人ではない自分を否定したいという二重否定的な発想になっている。単にヨーロッパが好きだという肯定形の発想なら、よっぽどの程度でないかぎり、日本人の名前をヨーロッパ風にはしませんよ。二重否定だからこそのヨーロッパ風の名前なんですね。 アタマの中や心の中での引っ掛かりを反映している漢字の名前のケースとなると、ちょっと前に話題になった芸能人の「酒井法子」さんがそのパターンと言えるでしょう。 酒井さんの父親は、任侠の人とのことですが、そんな人だからこそ「法」という字は、よく見たり、色々と意識しますって・・・だから、子供の名前に使ったのでは? なんでも「漢字には、それ相応の霊力があって、その霊力によって、子供の運命が・・・」 などと書いてある本を読んだことがありますが、何も霊力などというオカルト的な用語を用いなくても、その漢字を使った親の心理を読み解けば、子供が置かれている状況も見えてくるもの。 この例として面白いのは、酔っ払いの大臣の中川昭一さんです。昭一の「昭」の字は、もちろん元号の昭和の昭ですが、その「つくり」である「召」から、宴席との親近性が高いんだとか・・・つまり、その名前を付けた親が、それだけ宴席の場に近かったことがわかる。あと「昭一」の「一」ですが、「一番になりたい!」という心理の反映であり、逆に言うと、無理をしてでも一番になろうとする心理との親和性が高いとのこと。そして無理をしすぎて破滅してしまう危険性と隣り合わせ。 これは、中川昭一さんの御尊父である中川一郎さんがそのパターンですし、息子も後に続いたといえます。子供の名前からは、子供当人よりも、名前を付けた親の心理が見えてきますし、だからこそ、子供の境遇も見えてくる。 あるいは、やたらオカルト系の言葉に詳しいとしたら、ソッチ系に親しんでいることが想定できるでしょ? 単にオカルトに詳しいのならいいわけですが、オカルト好きと現実逃避は表裏一体。 現実逃避であるがゆえに、自分で対処する発想がなく、何かトラブルがあると、それを自分がこうむった被害とみなし、大騒ぎしたりする・・・ そんな騒ぎも、ちょっとしたオカルト用語を聞いた時点で予想できたりするもの。 また別のパターンとなると、語られない言葉や知らない言葉から見えてくるもの。 「その○○って言葉どういう意味なの?」 何気ないやり取りの最中で、そんな質問がありますよね? 質問された言葉が、専門的なり、ちょっと文芸的な言い回しだったら、そんな質問も、どってことはありませんが、一般的にはポピュラーな言葉なのに、その家庭では使われない・・・そんなパターンもあったりするもの。 ダメダメ家庭に無縁な言葉として「親バカ」という言葉があります。 ダメダメ家庭出身者は、「その『親バカ』って言葉はどういう意味なの?」などと聞いたりする。だって、自分の出身家庭では、そもそも「子供をかわいがる親」というのは、理解しがたい異次元の存在なんですからね。そんな言葉に対しては実感がありませんよ。 だから、意味がわからず、人に聞いて、周囲の人を「ドン引き」させてしまうもの。 「あの人・・・難しい経済用語はよく知っているのに、どうして『親バカ』なんてありきたりな言葉を知らないんだろう?」そんなシーンは、様々な作品の中の描写においても、そして現実においてもあったりするもの。 文芸的な作品だと、登場人物が「その『親バカ』って言葉は、どういう意味なの?」と質問することで、その作品の作者さんとしては、その登場人物の出身家庭について、説明しているわけです。 逆の方向で、周囲から「アンタがさっき言った『あの人』って、どういう意味なの?」なんて質問から、その人の状況を表現する・・・このパターンは、以前よりこのメールマガジンで言及したおります。 知らない知識の例だと、たとえば、お菓子についての知識は、ダメダメ家庭では持っていない。だからありふれたお菓子について「それって、どんなお菓子なの?」などと聞くことに。 そんな質問を受けた周囲は、「えっ?」「そんなお菓子も知らないの?」とビックリ。 そんなシーンは現実にもあったりするでしょ? あるいは、多くの選択肢の中から、どんな言葉をチョイスするのか? そんな中から色々と、その人の日常が見えてきたりする。 たとえば、このバックナンバーを収録したサイトの中の文章ですが、色々な呼び方をされたりします。それこそ、記事だったり、コラムだったり、トピックスだったり・・・あるいは、ブログと呼ばれたこともありました。 まあ、記事なりコラムくらの呼称ならともかく、ブログというのは、ちょっと違うのでは? まあ、そんな呼称を使った人は、まさにブログになじんでいるんでしょうね。 それはその人の自由ですよ。 しかし、ブログにせよ、あるいは掲示板の書き込みにせよ、まさに断片が断片のままで集積されていて、議論の場所としての、そして文章としての統合性を失調しているわけでしょ? 実際に、このサイトの文章をブログと呼称された方は、往々にして、「我を忘れる」状態・・・つまり逆上状態になりやすいものなんですよ。 そもそもダメダメ家庭の人間は抑圧的であり、自分自身から逃避している。 だから「一つの案件を、一つの文章」にまとめることができない。 それは文章作成能力の問題ではなく、「で、結局は、自分は何をしたいのか?」その点から逃避しているがゆえに、「一つの案件を、一つの文章」にすることができなくなっている。 そんな人間は、掲示板とかブログでないと対応できない。 記事という呼称を使うのか?コラムという呼称を使うのか?あるいは、ブログという呼称を使うのか?その人としては他の日本語を知ってはいても、結局はなじんでいる言葉を使ってしまう。だからこそ、その人の日常がわかってくる。 語る言葉にせよ、語られない言葉にせよ、言葉というものは、色々と教えてくれるんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 このメールマガジンも、もうすぐ900回目です。 1000回には行かないように、ちょっと前からは、多くの文章を集約した形で発行したりしております。メールマガジンの発行も、いつまでも続けるわけにはいきませんし、終わらせるという覚悟がないと、逆に言うと、終わりそうもない。 以前より書いていますが、ダメダメの問題は、当事者意識の不在と強い被害者意識が、様々な状況で組み合わさって発現するもの。基本がわかっていれば、その「流れ」も簡単に理解できると思います。メールマガジンの発行が終了しても、必要に応じバックナンバーをごらんになってくださいな。 そのバックナンバーのサイトですが、もうすぐ、アクセスカウンターが20000に行きそう。 あのカウンターは、一人の人が、ブラウザの更新をしたら、その都度、カウンターが回るというものではなく、いったん、別の人がアクセスしないと回らないようになっています。 ということで、結構多くの人がご覧になったわけです。 まあ、だからこそ逆上メールも来るわけですが・・・ そして、その逆上メールからネタが取れてしまうから、また続いてしまうことになる。 いいのか?悪いのか? 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R.11/2/14 |