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カテゴリー トラブル発生時の行動
配信日 09年10月9日  (10年6月2日,11年1月18日 記述を追加)
タイトル 理由より「きっかけ」
以前に「きっかけへの配慮」という文章を配信しております。
それこそセミナーのような集会でも、聴講者が最初に質問なり発言するには勇気がいるもの。だったらコーディネーターが「さくら」でも用意して、一般の参加者が質問しやすい雰囲気を作る必要もあるでしょ?
あるいは、コンサートで拍手するタイミングがわからない人が多い場合には、分かっている人が、ちょっと早めに拍手をしてあげる・・・そんな配慮もあった方がいいでしょう。
そんな「きっかけ」があると場も盛り上がるでしょ?場に安心感が漂ってくるものなんですね。

とは言え、きっかけがありさえすれば、それでいい・・・というわけではありません。
会議だったら、それこそ参加者なりパネリストなりの選択、会場の設定、開催時間帯など、様々に考慮することがある。それらをしっかり準備した上で、そして、「どなたか質問はありませんか?」となった段階で、初めて「さくら」も意味を持つことになる。
「さくら」だけは会議も運営できませんよ。中身に内容がなければ、皆さんも途中退場してしまいますよ。

きっかけは、準備の一部にすぎないといえます。
それまでの準備の積み重ねこそが重要なんですね。

何かトラブルなり事件があると、「この事件の理由は何だ?」などと大騒ぎしたりするものですが、そんな大騒ぎをしている連中が見つけようとしているのは「きっかけ」の方であって、積み重なっていた「理由」ではないことが通例です。

それこそ、以前にアメリカのマイケル・ジャクソンさんが薬物中毒とかでお亡くなりになりましたが、「自殺か?他殺か?薬物の過剰摂取による死か?」様々に言われましたよね?それこそ、マイケルの親が大騒ぎしたようです。
今のところは、警察的には、医師による他殺ということになっているようです。

しかし、自分で過剰に摂取した薬物の結果だろうが、医師による他殺だろうが、そんな結論にはそれほど意味はないでしょ?
そもそもマイケルだってバカではない。自分が薬物を過剰に摂取して、身体がやせ細っていっているんだから、「健康になりたい!」と本気で思っていたら、別の医師に診てもらいますよ。あるいは、治したいと本気で考えたら、入院するでしょ?彼はお金もあるんだし。
「健康になりたい!」と思えないこと・・・それこそが最重要な問題でしょ?
「健康になりたい」と思えない日々の積み重ね・・・それが重要なのであって、何月何日にこれこれの薬物を過剰に摂取した・・・とかの問題ではありませんよ。
しかし、当事者意識のないダメダメな人ほど、普段は何も考えていないから、目立つきっかけがあると、それを指摘して大騒ぎすることになる。

それこそ、大騒ぎしたマイケルの親ですが、その親は、子供であるマイケルの体調を死ぬ前にはどのように認識していたの?あれだけ痩せていたんだから、親として対処するのがスジなのでは?「困っていたら相談しなさい。」・・・なんて息子であるマイケルに対して言っていたの?

このような例だと、ロシアの作曲家であるチャイコフスキーのケースもあります。
「チャイコフスキーの死は自殺か?それとも当局の発表通りのコレラによる病死なのか?」そんなことが話題になったりすることもあります。しかし、コレラが流行っている場所で、わざわざ生水を飲んで、コレラになることは、たとえ、コレラが死の直接的な原因だったとしても、それは死の「きっかけ」であっても、理由にはならないでしょ?そもそもチャイコフスキーは、以前に自殺未遂を起こしているわけですし、死の前に完成させた交響曲に「悲愴」とタイトルを自分で付けました。曲自体も、陰々滅々とした音楽です。まあ、いかにも辞世の曲という雰囲気。
はっきり言えば、「死ぬ気、マンマン」なんですね。

そんな彼としては、生水を飲んでコレラになったのは、それがたとえ事実としても、死のきっかけであって、死の理由とは言えない。
法律的なり病理的には、コレラか自殺かは、その違いによる意味はあっても、心理的なり芸術的には、その違いには意味はないわけです。

同じようなこととして、ちょっと前(09年)に日本のマンガ家さんが山から落ちてお亡くなりになりましたが、そのケースも同じといえるでしょう。たとえ本当に事故であっても、山に一人で登る・・・そんなことは、その人の苦悩の反映でしょ?単なるレジャーだったら、一人では登りませんし、命の危険になるようなことはしないでしょ?

あるいは、先日(09年)に財務大臣をされた中川昭一さんがお亡くなりになりましたが、「自殺かそれとも病死か?」で色々と言われましたが、そもそも、日頃からあれほど飲酒をするくらいなんだから、いずれはこの手のトラブルが発生しますよ。小さなトラブルの時点で、対処していない・・・当人自身も、家族などの周囲の人も・・・それこそが理由であって、特定の薬物の摂取の問題は重要とはいえませんよ。

あるいは、10年に大阪で、「ネット上で知り合った人の養女になった30歳代の女性が養父母に殺害されたのでは?」という事件がありました。殺害された女性は、離婚して、生活苦状態。だから、よく知らない人の養女になったのでしょうが、そんな生活苦だったら、知らぬ人の養女になる以前に、自分の親と相談するのがスジというものでしょ?
しかし、それができない実家なんでしょうね。
つまり、離婚して、生活苦にあった状態でも、そして、自分の子供を施設に入れなければならない状態でも、実家の敷居が高い・・・それこそが、その事件の理由であって、保険金がどうのこうのという問題が本質ではありませんよ。

トラブルが発生する際には、それまでに様々な「理由」が蓄積されているのであって、たまたま最後のトリガーによって、ドッカーンとなってしまったというだけ。
トリガーに意味があるのではなく、理由の蓄積に意味があるわけです。
しかし、マイケル・ジャクソンの親のように、当事者意識がないがゆえに、「きっかけ」だけに注目してしまう。逆に言えば、「きっかけ」さえなければ、何も起こらない・・・そんな安直な発想を持ったりすることも多い。

「ワタシは今まであの方とは付き合いがほとんどないから、今は、ちょっとモメているけど、大きな事態にはならないはず。」・・・そんな言葉を語ったりする人もいるでしょ?それはダメダメというよりも、ちょっと楽観的すぎますよ。
だって、その問題になっている方が、今までの別の人とのやり取りで、色々と蓄積しているものもあるわけでしょ?それが臨界点寸前にまで達していたら、ちょっとのことでドッカーンとなってしまいますよ。

20度の水を100度にまで沸騰させるのか?
95度のお湯を100度にまで沸騰させるのか?

精神的な温度は見た目だけではわからない。人に合わせているが故に、自分の感情を抑圧し、だからこそ、不満が沸騰寸前になっている人も多い。
そんな人は、「平常心の外見」であるがゆえに、いや、「平常心の外見を保つために」沸騰寸前になっている。
95度のお湯を沸騰させるためには、それこそカミュの「異邦人」のように「太陽がまぶしかったから」そんなきっかけで十分になってしまう。
現実逃避であり、自己逃避であるがゆえに、目立つきっかけにすべての原因を押しつけてしまう。逆に言えば、「きっかけ」がなければそれでいいはず・・・と安直な発想を持っているのがダメダメ家庭。

それこそ夫婦の離婚における、子供への影響なんて、その典型でしょ?

そもそも、離婚が遡上に上るような夫婦は、実際に離婚しなくても、つまりきっかけがなくても、子供にしてみれば、修羅場となっている。日々、暴発の「理由」が積み重なっている。
そして、そんな夫婦は「離婚しない」という結論を出す。
「離婚しない」という二重否定であって、「やり直す」という肯定形ではない。
だから、「離婚しない」という結論の後でも、やっぱり離婚の問題は遡上に上るし、「あの時に離婚しておけばよかった・・・」とグチりだす。

しかし、子供の前で離婚について語っている夫婦は、「ワタシたちは、離婚しないのだから、子供は大丈夫だ。」などと周囲には言っているもの。
たしかに「きっかけ」は起こさなかったかもしれませんが、毎日離婚について聞かされれば、実際に離婚していなくても、子供の心理としては一緒でしょ?というか、離婚してしまえば、もう離婚についての話は聞かなくてもよくなりますよね?ソッチの方がまだマシといえるのでは?その上、ダメダメな親は、「オマエのために離婚しないでやったぞ!」と子供に対し恩を着せようとする始末。そんな言葉を聞かされ続ければ、結果的に子供が暴発する理由になってしまうのは誰でも分かることでしょ?

子供にとっての悪影響について、親の離婚についての例でまとめると、実際に離婚するのが「きっかけ」であって、「オマエのために離婚しないでやっている。」と子供の前で言い続けること・・・それが、子供のトラブルの理由と言えるでしょう。
思考停止で抑圧的になると、「理由」には目もくれず、「きっかけ」だけを議論する。トラブルのきっかけというと、要は犯人探し。

それこそ、ちょっと前に自民党は、次々と総裁が変わりましたが、総裁なんて、トラブルの「きっかけ」のようなもの。ちょっとした「きっかけ」でトラブルが起こってしまう理由の蓄積については、つまりトラブルの土壌については、何も対処しないし、そもそも認識しようとしていない。

総裁を変えれば大丈夫だろう・・・そんな発想がダメダメというもの。
そんな姿は、「ああ!もうイヤだ!アンタなんかとは離婚してやる!」と子供の前で毎日モメながら、結局は離婚しない夫婦と同じ。

きっかけだけに目が行ってしまうので、そのきっかけにトラブルの原因を押しつけたり、逆の方向に向かうと、「こうなれば、あっという間にすべて解決するはずだ!」と「約束の地」の発想を持ったりする。

たとえば「子供を持ったら、自分の生涯もバラ色になるはず!」そんな期待を語ることになる。
しかし、出産はきっかけでしょ?本来は、出産前の準備なり、出産後の、子供へのサポートが親を成長させるものなのでは?しかし、ダメダメな親は、出産前の準備など何もしないし、出産後も何もしない。だから、バラ色の生涯が、自動的に「やってくる」わけがない。
きっかけに過度な期待をして、結果的にうまくいかずに、「あれだけ期待したのに裏切られた!」と子供を虐待するようになる。

ダメダメな環境においては、認識や思考を抑圧しているので、「きっかけ」だけが話題になり、「理由」が見過ごされてしまう。
「きっかけ」だけに目が行ってしまい、何かあると、きっかけの関係者を犯人認定して、その犯人を恨むようになる。そのようなことは以前に紹介した中国の「愛人撲滅の団体」もその典型でした。きっかけだけを見て、理由を見ないわけだから、結局は、また同じようなことが起こってしまう。

あるいは、以前に芸能人の酒井法子さんが話題になりましたが、「彼女が、どうして転落したのか?」「ダメオトコと結婚したのが悪かったのか?」そんなことを言っていた人もいたようですが、そうではありませんよ。ちょっとした過程の積み重ねによって、沸騰寸前になっていたわけです。実際に「うまく行っていた。」わけではなく、ただ「うまく行っているように見えていた。」「うまく行っているように、自分自身なり周囲の人々を騙していた。」だけなんですね。

ある人が起こしたトラブルの理由についての考えを聞くと、「あの○○のせいで・・・こうなってしまった・・・」なんて物言いがよく出てきます。しかし、逆に言うと、そんなシンプルなスタイルで言えてしまうということは、トラブルの「きっかけ」だけしか認識していなくて、トラブルの「理由」は何も判っていないということ。
そんな人と一緒にいると、「あの時、アナタと一緒にいたから、こんなことになってしまったわ!どうしてくれるのよ?!」などと言われてしまうものなんですよ。
これでは、クレーマー事件も発生するのも当然でしょ?

実際にトラブルが発生してしまっても、そのトラブルを生み出すに至った土壌には目もくれず、ひたすら目立つきっかけを探すだけ。
本来は、トラブルを発生させる土壌の問題にまで目を向ける必要があるわけです。
実際に発生してしまったトラブルというのは、その土壌からパラレル的に発生しているもの。それこそ、プラトンの洞窟の喩えのように、ダメダメのイデアが、様々なフィールドで発現しているわけです。スクリーンが違っていると、見え方が多少は違ってしまうわけですが、その本質は共通しているものなんですね。しかし、ダメダメな人間は、シリアル的にしか物事を見ない。
だから、目先のきっかけだけに注目することになる。

それこそ、自分の子供が自殺をした。そんな事態になっても、目立つきっかけを探すだけで、その行為の土壌となった子供の心理については何も考えない。
そんなダメ親については、以前にソフィア・コッポラ監督の「ヴァージン・ス−サイズ」という映画を取り上げております。
自殺に至った心理を考えないから、結局は何も対処せず、その自殺行為がたとえ未遂で終わってしまっても、またやってしまうことになる。
そうして、ダメ親は「どうして、こんなことに?!」「ああ!ワタシって、何てかわいそうなの?」と勝手に嘆くだけ。だからこそ、パラレル的に次の自殺が続くことになる。

認識から逃避し、思考停止のダメダメ人間は、「きっかけ」だけしか見ないどころか、「きっかけ」すら見ようとしないパターンもあります。以前にも書きましたが、ダメダメな親というものは、子供が自殺行為をして、一命を取り留めたとしても、たとえば睡眠薬とかカミソリとかの危険物を子供の前から除去する・・・そんなこともしない。ダメダメ家庭の親にしてみれば、子供の自殺によって、親が迷惑を受けた・・・そんな認識になっている。「親は子供の自殺行為による被害者なんだ!」そんな確信を持っている。だからヘタをすれば、一命を取り留めた子供に対して怒り出すことになる。
「オマエのせいで、また迷惑を受けた!」
「あ〜あ、いったい、いつになったら世話がかからないようになるんだか?!」
そんな説教がどんな結果を生むのか?そんなことはマトモな感覚を持っていれば幼稚園児でもわかることでしょ?しかし、ダメダメ家庭の親は何も考えないで、クレームを付けるだけ。ヘタに自分で考え、対処してしまうと、うまくいかなくなったら、その対処に対する結果責任が発生してしまう。だから「ワタシは悪くない!」と言えなくなってしまう。

弁明が出来ない事態を避けるために、自分では何もせず、ただ、自分とは関係ない目立つきっかけを探したり、あるいは「時代が悪い!」「政治が悪い!」と周囲を恨むだけ。逆に言うと、そんなクレームを語ることにより、自分こそが被害者なんだと自分に納得させている。
しっかし、「時代が悪い。」も何も・・・自分の子供がリストカットしたら、子供の目の前からカミソリをどけておくくらいは、どんな時代でもできることでしょ?

しかし、そんな簡単なこともせず、被害を主張するばかり。そしてダメダメな周囲は、そんな親を、「子供を愛さない親はいない!」と弁護する。そんな高邁な弁護を得て、ダメダメな親は、ますます何もせず、やることといったら犯人探しだけ。

目立つきっかけにすべての原因を押しつける家庭なり周囲・・・それこそが、トラブルの理由なんですね。

(終了)
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発信後記

本文中で「クレヨンしんちゃん」の作者さんの事件について、軽く触れましたが、明日の文章は、それに関連して?一人で山に登ることについての文章を配信したします。

あと、本文中にも書きましたが、子供が自殺行為をして、そのことについて、その子供を叱りつける・・・それがダメダメ家庭であり、ダメダメな環境。
被害者意識が強いダメダメ人間は、「自分こそが一番かわいそうな人間なんだ!」ということについて疑いを持ったりはしないわけ。だから家族や周囲の人間がどんなに困っていても知らん顔。だからこそ、トラブルの理由が積み重なり、ドッカーンと行ってしまう。

逆に言うと、理由が積み重なっている段階で、適切に対処すれば、ドッカーンにはならないわけです。
R.11/1/18