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カテゴリー ダメダメな親は子供に求めているばかり
配信日 09年10月28日
タイトル 親の尻拭い
ダメダメ家庭を作る親は、一般常識がない。そもそも、その親の親だって一般常識がないケースが多い。常識の無さが世代に渡って連鎖している状態。これではその子供に常識が得られるわけがありませんよ。
そんな常識のない親だって、一応は社会の一員。それに子供が学校に通っている場合では、親は子供の保護者という立場だったりするわけ。

保護者と言っても・・・常識のない人間が、自分の子供を保護するって、どうするの?
そんな常識のない親の場合は、自分の子供を保護どころの話ではない。そんな突拍子のない親だって、家の中で「引きこもって」いれば問題は小さい。
しかし、中にはゲンキがよくて、かつ、常識のない親だっていますよね?
一緒にいる子供は、赤面しながら、そんな親と一緒にいることになってしまう。

まあ、赤面するくらいならともかく、子供だって自分の立場があるでしょ?自分の親のことで他の子供に冷やかされたりもしますよね?何とか「ふ・つ・う」の親になってほしい・・・と思っても、そもそも子供のことなど我関せずのダメダメな親は、あくまでマイペース。

となると、親の不始末を、子供の側が必死になってフォローするようになってしまう。
まさに自分の立場は、自分で守らないといけないでしょ?親の突拍子もない行動で、損をするのは子供自身なんですからね。

しかし、子供にしてみれば、自分自身の身を守ることだって、簡単なことではありません。だからこそ、一般的には親という存在が保護者と言われるわけでしょ?しかし、ダメダメな家庭では、むしろ親の保護を子供がする状態。

そもそもダメダメな親は、「子育ては迷惑なこと」と思っていることが多い。だったら子供なんて作らなければいいわけですが、そもそも当事者意識がないので、「て・き・と・う」に子供を作ってしまう。そして、いつもの被害者意識で「あ〜あ!子供のために人生を棒に振った!」とグチるだけ。これでは常識どころではありませんよ。
まだ控え目なダメダメな親だったらいいのですが、積極的なダメダメな親のケースだったら、周囲に自分の非常識を撒き散らすわけです。

それこそ子供が通う学校で保護者の集まりがある。
まずは、その前に、ダメダメな親は子供に言うことになる。
「あ〜あ、メンドウだ!そんなもの行きたくない!」
しかし、親が出席しないと、学校から指導を受けるのは子供の側。だから、親が出席するように、必死で折衝する。何とか出席させても、その保護者の集まりの場でトンチンカンなことを言い出す始末。そもそも服装からして、「おいおい!あの服装は・・・」と言った装い。今度は、その尻拭いを子供が必死でやることになってしまう。
かと言って、親の側は「オマエがうるさいから出てやったぞ!感謝しろよ!」と要求する。

あるいは、親が家に引きこもっていても、子供がその家に学校の友人を連れてくるなんてことは必ずあるもの。そんな時の親の対応がまた非常識。それこそ夕方なのにパジャマのまま現れて、「あら?いらっしゃい・・・」と、だらけた挨拶。
オマケにお茶やお茶菓子や、食器も、ズボラそのもの。
それに家や部屋も、汚れていたり、殺伐としていたりする。当然のこととしてトイレも汚れている。そんな情景が、いかに世間との接触がない家庭なのか、無言の内に如実に語っている。

それに友人が帰った後では、「オマエのために、また面倒なことに・・・ああ!鬱陶しかった!」とブチブチとグチることになる。そんなことだと、友人同士の交流もできないでしょ?だって、相手方の家に行くばかりになって、自分の家に呼べないんだから、結局は交流もできなくなりますよ。
しかし、ダメダメな親は、そんな困り果てている子供に対し「友人はたくさん作っておけよ!」とありがたい説教をする始末。その言葉を受けて、友人を家に呼べば、その友人がビックリし、親からは、お小言で、子供が、ますます困り果てるばかり。
友人との交流によって、心理的なストレスが蓄積されるばかり。

そんな親は、そもそも自分の子供に付ける名前からして非常識。
子供は生まれながらにして、親の不始末の尻拭いをするように運命付けられてしまっている状態。

物事はできる人間がやるしかない。
常識のない人間は、常識的な行動ができない。
だから、「より常識がある」子供の側が、配慮して、考えて行動するしかない。

あるいは、ご近所付き合いにおいても、常識のない親が前に出て行くとトラブルになるばかり。だから子供が色々と配慮して、トラブルにならないようにする必要がある。だってトラブルになって困るのは子供の側であって、当事者意識がない親の側ではない。

非常識な人間に、「アンタ!ちょっとは常識を持ってよ!」と言ってもムダでしょ?そもそも、元々そんな常識はないわけですからね。常識のない人間の振る舞いは、少しでも常識のある人間がフォローするしかないでしょ?

あるいは、常識と言っても、ダメダメ家庭の常識と、マトモな社会との常識は違っている。そのダブルスタンダードの間の乖離を必死になって調整しているのが、ダメダメ家庭の子供。それを家庭内で相談しようにも、親は当事者意識がないし、一般人が持っている常識もない。だから相談のしようもない。

ここで、常識がない側が子供で、常識のある側が大人のケースだったら、ダメダメとは言えない。子供なんてそんなもの。成長にしたがって一般社会の常識を会得していけばいいだけ。
しかし、親に一般常識がなければどうするの?
子供は親から常識を習得することができないだけでなく、親の常識はずれの行動のフォローに振り回されるばかり。親の行動を無視して損をするのは子供自身。とてもじゃないけど、無視はできない。

しかし、子供にしてみれば疲れちゃうでしょ?
いつも親の行動を監視しないとダメなんて・・・
それに親から常識を受け継いでいるわけではないので、子供だって、一般常識を周囲の人間の行動から判断していく必要があるでしょ?

どうしても周囲をうかがうような人間にならざるを得ない。
子供の頃から、そんなに気を使っていれば、どうなっちゃうの?
それこそ、同じような苦労をしてきた人間に「入れ込んだり」「入れ込まれたり」しますよね?
様々な事件だって起こるのも当然ですよ。
そもそもそんな常識のない人間が親になってはダメなんですが、逆に言うと、常識のない人間は、「常識のない人間は子供を作ってはいけない。」という「常識」は持っていない。だから、何の覚悟もなく子供を作ってしまう。だから、このような事態は、必然的に起こってしまうんですね。

ダメダメな親は、当事者意識がないので、「メンドウなことは、全部ウチの子にやらせればいいわ!」と思っている。逆に言うと、「そのために」「わざわざ」子供を作って、産んでやったと、子供の前で公言している。

マトモな親は「自分が生まれてヨカッタ。」と思っているからこそ、子供を作るもの。
しかし、ダメダメな親は「自分が生まれてヨカッタ。」と思いがたいために、子供を作る。だから子供に過剰に期待する。それこそ、生活の道具、収入源や、生き甲斐や世間体、あるいは、「肉親の情」や「『ふ・つ・う』という外観の家庭」等を子供から得ようとする。
しかし、子供だっていきなりそんなに期待されても応えられませんよ。そもそも親から何も得ていないわけですからね。どうやって親に提供するの?

ダメダメな親は、「子供の可能性を見いだし、それを伸ばして上げたい。」なんてことは考えない。「自分がこうしたいから、子供にこうさせたいから、子供がそれに従うようになってほしい!」そのように考えている。
そういう意味では、ダメダメな親は、子育てに対しては、当事者意識はまるでないにせよ、明確な目的意識を持っている。被害者意識が強いダメダメな親は、子育てという被害に対する補償として、親の側が子供に何でも要求する権利があると、確信している。
奴隷を買った「御主人様」が、奴隷に対して言うセリフ「オマエのために金を使ったんだから、その分は働けよ!」と全く同じ。

子供が親に対して果たす機能については、それなりに認識しているわけです。
そんなダメダメ家庭(=機能不全家族)は、社会学のテンニースが言うゲマインシャフト(友愛集団)ではなく、ゲゼルシャフト(機能集団)に近い。子供には明確な機能というか役割がある状態。しかし、親としての役割なり機能は考えない。ダメダメな親は子供のサポートはしない。機能不全家族というものは、子供の機能は考えても、保護者たる親の機能は何も考えない家庭なんですね。
だから、子供にトラブルがあると、「いったい、いつになったら、ワタシに面倒をかけないで済むようになるんだか・・・」と子供を見るだけ。子供の果たすべきタスクを常に要求し続ける。

それこそ、
「オマエは将来は、ワタシの老後の面倒を見るんだ!」
「ワタシの葬式はちゃんとするんだぞ!」
「死んだ後の供養をしっかりしろ!」

と、子供に対し要求する。そんなことを言われても・・・子供としては・・・
「まあ、ホント・・・アンタのお葬式を早く上げたいものだよ!」なんてことになってしまう。そんな表情をしていると、やっぱりお約束の言葉。
「いったい、誰のためにこんな苦労をしていると思っているんだ?!」

それに、この手の親は、ある種の信仰心をもっているケースが多いもの。
そもそもダメダメな人間は、ある種の宗教に走りがち。自分自身で考えることから逃避するので、誰か権威スジの人から、「こうすべき!」と言ってほしい。それに、「恋に恋する」ように妄想的なオカルト趣味があったりする。あるいは、都合が悪くなると、「あの○○先生がこう言っているんだから・・・」と、スグに逃げられる状況がほしい。「信仰家」になる要素は強く持っている。

天国での幸福のために、今現在の現世の幸福を犠牲にすることに喜びを感じる始末。逆に言うと、それを大義名分にして、現実逃避してしまう。そして、現世を犠牲にしているがゆえに、「自分はすべてを捧げている!」と勝手に自画自賛。まあ、本人が犠牲になるのは本人の勝手でしょう。しかし、その手のダメダメな親が犠牲にし、生贄として捧げてしまうのは、本人ではなく自分の子供の方なんですね。
そんな明確な目的意識があるがゆえに、普段から、遊びにはお金を使わず、家族でイヴェントをするわけでもない。
そうして、子供は親から「使命」や「役割」を聞かされ続ける。

そんな環境で育っているので、子供としても、お葬式のために一直線!
・・・なんですが・・・
これが親のお葬式に一直線ならともかく、現実的にはそうはならないでしょ?
それこそ子供が事件を起こして、子供の知人のお葬式なんてことになったり、子供そのもののお葬式をすることになる。

そうなって、ダメダメな親が言うのが、
「どうしてこんなことに?!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」
「ワタシはただ、ふつうの家庭を作りたかっただけなのに!」
一般常識とは無縁なダメダメな親に限って、そんな時に「ふつう」という言葉を臆面もなく使うもの。

ダメダメな親は、自分の子供が、減点のない、手がかからない子供であればそれでいいと思っている。だからこそ、減点のない状態と言える「ふつう」なる文言が気軽に登場してくる。それだけ、発想が減点法であり、その減点を「自分が被った被害」と認識していることを示している。逆に言うと、「ふつう」という言葉がスグに出て来るということは、子育てに被害者意識を持っている可能性が強く、子育てに当事者意識など持っていないことが推測されるもの。
そんな親だったら、子供がトラブルを起こしても、真っ先に自分の被害を考えるだけで、子供のサポートなんてしませんよ。結局は、子供は自分が起こしたトラブルを、自分で解決する必要がある。ヘタに親が出てきたら、ますます面倒になるだけ。

誰かが必死で尻拭いしている状態は、ダメダメな領域では頻発しているもの。
ダメダメ家庭だけでなく、たとえば韓国などのダメダメな集団では、いつも前任者の尻拭いで苦労しているでしょ?それなりに当事者意識がある人が、必死で尻拭いをしているのに、当事者意識のないダメダメ人間は、現在が尻拭い状態であることも分からない。だから、そんな地道な努力している人ではなく、「全部アイツが悪い!」と言うだけの人に同調してしまう。だからこそ、また尻拭いするハメに。結局は疲れ果てて、バカらしくなってしまって、尻拭いすることをやめて、垂れ流しに徹して、「後は、アンタたちに任せたよ!」と前任者と同じ状態になってしまうだけ。

それこそ韓国ばかりではなく、日本もそんな状態になってきたでしょ?
赤字国債を乱発したことを踏まえ、それを必死で尻拭いするのならまだしも、現実的には、更に乱発して、どんどんと後にツケを回している状態。そんな状態だからこそ、少子化にもなるでしょうが、少子化対策の補助金のために国債を発行とか・・・もはや古典ギャグの世界ですよ。

後進国においても、貧困の尻拭いは結局は子供に先送りしているだけ。
自分が貧困から脱出するために、子供をポコポコと作ったりする。
それによって、脱出できるかというと、ますます貧困になるだけなのはバカでもわかること。しかし、そんな状況だとボランティアが喜んで駆けつけ、援助することになる。
しかし、ボランティアをするような人間は、自分たちが必要とされるダメダメな状況を温存しておきたがる。だから未来への教育よりも、その場その場の援助しかしない。
アフリカのヴィクトリア湖で、援助で提供した蚊帳を魚とりに使ってしまって、住民がマラリアになった・・・なる報道がありましたが、そんな事件も自己満足の援助の典型でしょ?

援助した側のボランティアの連中は、「ああ、ボクって、なんていい子なんだろう!!」と思っているんでしょうが、そんな自己満足のために子供の未来が犠牲になってしまう。イラクでつかまったバカなボランティアを例に考えても、援助する側も、される側も、心の貧しさで共通している。経済的に貧困というよりも、思考が貧困であり、認識が貧困であり、覚悟が貧困であり、心が貧困なんですね。逆に言うと、サポートはまずその面から入る必要があるわけです。非常識な大人に対して恵んでやっても、子供がその尻拭いに追われるだけ。

当事者意識がない環境においては、尻拭い役の人に、非難が集まってしまう。非難が集まるから、ますます子供の側が親の尻拭い。
普段から親の尻拭いばかりで、各方面に愛想をよくしないといけないから、ダブルバインドになってしまう。そのしわ寄せが限界を超えて、ドッカーンとなってしまう。
そんな事件の後になって、周囲の人は、「あの子は、挨拶ができるいい子だったのに、いつも親を助けていたのに・・・どうして?」などと発言するもの。
しかし、そんな「いい子」だからこそ、しわ寄せが集約していたわけでしょ?

(終了)
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発信後記

本日のテーマの尻拭いですが・・・まあ、言葉としてはお世辞にも上品な言葉とは言えない。しかし、トラブルがあったら、何らかの善後策をとる必要があるでしょ?
しかし、当事者意識がないと、そんな善後策を何も考えずに、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆いているだけ。
結局は、そのツケが一番弱い立場である子供に集約してしまうわけ。

何も考えない人間に対して、何を言ってもムダ。
ヘタにアドヴァイスすると、「ああ!もうっ、鬱陶しい!放っておいてよ!」と逆ギレするだけだし、「人から言われたから後はオマエがやれ!」と子供に言い渡すだけ。だから子供がますます追い込まれることになる。

何度も書きますが、中途半端な善意は、事態を悪化させるだけなんですね。
R.10/12/29