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カテゴリー ダメダメ家庭出身者の活躍分野
配信日 09年11月9日
タイトル 恵んでやれる立場
ダメダメ人間は会話の能力がない。
相手の話を真摯に聞いて、自分の考えを相手にわかりやすく伝える発想なり意欲がない。発想も意欲もないんだから、現実としての能力もない。
だからどうしても序列意識が強くなってしまう。
上の立場から、相手に命令を下すというコミュニケーションしか存在しない。

おまけにダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。
自分自身で達成したいものもない。だから、現実として達成したものもなく、自分に自信がなく、自分の価値が自分でもわからない。そんな人は、「手っ取り早く」自分の価値を得ようと考えることになる。

序列意識と、そのような「手っ取り早い」存在価値が、組み合わさると、そんな人は、「恵んでやる」という立場に立とうとすることになる。

「恵んでやる」という立場ということでは、このメールマガジンで頻繁に触れておりますが、ボランティアの連中が、その典型でしょ?
まさに「上の立場」から、「恵んでやって」、そのことによって、自分自身の価値が出来上がる・・・彼らは、そんなふうに考えているようでしょ?
ボランティアをやっている人って、対等な立場での会話ができるような人ではないでしょ?一方的に発信するだけですよね?

その物言いも上からの物言いが多い。しかし、序列意識が強いので、「この人にはかなわない。」と見ると、途端に妙にへりくだった下からの物言いになったりする。
どのみち、自分自身に自信がないし、信念もない。一人の人間として自立していない。だからこそ序列の中の関係性だけが頼りになってしまう。

あるいは、似た状況だと、いわゆる介護の仕事があります。
まあ、介護の仕事も大変でしょう。自分自身の使命感を持って、そのような仕事をなさっている方も、当然にいらっしゃるでしょう。しかし、そうではない人も、やっぱりいるわけです。対等な立場でのコミュニケーションができなくて、「手っ取り早く」自分の価値が得られ、それに「相手が逆らえない状況」にある職業・・・そんな観点から、介護の仕事をしている人もいるんですね。

だから、介護の仕事で、相手を虐待したとかの事件も発生しているでしょ?
それって、「こんなに尽くしているのに・・・」「こんなに恵んでやっているのに・・・」という感情が、被害者意識に結びつくと、虐待行為となってしまう。以前に書いた文章だと「被害を認められない被害」を意識してしまう。
報復行為を行うことで、「自分こそが被害者なんだ!」と確認する儀式としているわけです。

あるいは、この私は、介護の仕事をなさっておられる方からの逆上メールをいただいたことがあります。まあ、会社のメールアドレスを使っているんだからバレバレですよ。ちなみに、その際のメールマガジンの内容は、介護とは何も関係のないマターについての文章です。
まあ、仕事内容というよりも、個人としてドンピシャだったんでしょうね。
しっかし、そんなスグに逆上する人が、介護の仕事って・・・
しかし、そんなスグに逆上するような人間ができるのは、介護などの「恵んでやる」という立場が得られる仕事・・・そうとも言えるでしょ?

介護が必要になったときには、やっぱりそのスタッフの品定めをしっかりやらないと、後々とんでもない事態になってしまうことになる。
老人介護だけでなく、幼児保育とか・・・この手の介護に近い領域では、虐待に近い事件があったりしますよね?対等の立場でのコミュニケーションが取れない人は、そんな序列が形成される場所に逃げ込んで、結局はトラブルになり、当人の被害者意識が爆発し、勝手な理屈で報復行為・・・そんな危険性がどうしても避けられない。

当然のこととして、類は友を呼ぶわけですから、ダメダメなスタッフはダメダメな組織に集まることになりますし、マトモな人はマトモな組織に集まることになります。
それこそグチばかり言っているようなスタッフに対して他のスタッフがどのような対処をするのか?それによってダメダメな人間の居心地も決まるでしょ?一つの腐ったミカンに対してどのように処置するのか?それによって、全体のレヴェルも判ることになる。
一人のダメダメなスタッフがいることは、他のスタッフもかなりダメダメであることが予想されるわけです。

このような「恵んでやれる」を、ちょっとモディファイすると「教えてやれる」立場となり、加えて「相手が逆らえない状況」が合わさると、学校の教員も、実に近いパターンと言えます。
もちろん、使命感なりを持って教育に取り組んでいる教員もいるでしょうが、会話の能力の低さゆえに、教員をやっている人もいる・・・と言うか、そんな人の具体例を、誰だってご存じなのでは?

ただ、教員のように、「教えてやるという立場」を得るためには、それなりの知識や学力が必要となる。こうなると、誰でもできるというわけではない。
しかし、「教えてやる」ではなく「恵んでやる」立場を得るためには、自分の努力は何もいらないでしょ?
ダメダメな人は、その「恵んでやる立場」を獲得するために、ある種の嗅覚のようなものを持っているもの。たとえば、「語られる被害」に対して、実に鋭敏に反応するもの。
この点については、以前に配信しております。
「ワタシは○○による被害者だ!」などと荒野で呼ばわる声があったら、まさに馳せ参じることになる。
そうして「まあ、なんてお気の毒な!」と同情の声を寄せる。
そして某かを相手に恵むことになる。
そうすると、支配・被支配の関係が成立するでしょ?

そもそも自分の被害ばかりを語るような人間は、当事者意識がない人間なんだから、「○○について協力してほしい。」などとは言ってこない。ただ嘆いているだけ。だから、相手に即した協力などをする必要もなく、一緒に嘆いていて、そして某かの施しをすれば、相手を簡単に支配できてしまう。
まさに、「この人は、ワタシのことを分かってくれる!」と思わせることができる。

そして、その支配の構図をより確かなものにするために、相手から依存されるように持って行く。それこそボランティアの連中は、貧困地域に出かけて行って、子供をどんどんと作らせようとしますよね?そんな環境の子供が自立できるわけもなく、結局は依存関係・・・別の言い方をすると、支配・被支配の構図がより強固になってしまう。
それが、自己逃避で、会話不全のダメダメ人間には心地いい。

本来なら、貧困状態だったら、少なくとも子供を作るのは、回避するのがスジなのでは?生まれる子供は環境を選べないわけですからね。親となる人間が、少しは子供のことを考える必要があるでしょ?親が考えられないのなら、周囲の人間がアドヴァイスする必要があるでしょ?それこそが本当のサポートなのでは?しかし、ダメダメな人間は、「アナタたちは、何も悪くないのよ!」などと甘言を与え、困っている人が何も考えない状態を温存させることになる。そんな状況を受けて、結果的にどんどんと子供を作り、被支配の立場を確定していってしまう。

この手の「恵んでやる立場」を求める人間は、反抗のような行動は、むしろ賞賛するもの。
「悪いのは全部△△のせいだ!あの△△をやっつけろ!」そんなアジテーションは大好き。しかし、「もう、こんなニッチもサッチもいかない場所から離れた方がいいのでは?」なんて回避の論理には、厳しい対応を取るもの。反抗の論理は、どのように転んでも「支配・被支配の構図」になるだけ。その支配者が変わるだけ。しかし、回避の論理だと、そもそもの「支配・被支配の構図」そのものが崩壊してしまうでしょ?「恵んでやる立場」を求める人間には、困ることなんですね。

このような「恵んでやる」立場となると、ボランティアとか介護とか幼児保育の領域、あるいは学校教育の領域以上に、明確なのが、親子関係なのは当然のこと。
親にしてみれば、子供に対して、「育ててやっている」と、言いやすい・・・このことは確かでしょ?

だから、ダメダメ家庭の出身者には、とにかく子供がほしい・・・と言うより、親子関係を築きたい・・・もっと別の言い方をすると、自分だけが恵んでやれる「被支配者」の立場の存在がほしい・・・
そのように考える人もいたりする。

「自分自身がちゃんとした親であるかどうか?」などについては何も考えずに、サクサクと妊娠してしまう。サクサクと妊娠というより、積極的に子供を持とうとする。
このようなケースは、特に女性に発生します。
そのような女性は、子供の父親・・・つまり自分の配偶者については、実にいい加減なもの。できちゃった婚どころか、結婚する予定もない男性との子供を持とうとする。あるいは、とりあえず結婚して、妊娠がわかったらサクサクと離婚するとか・・・

いわばシングルマザーの境遇を、積極的に作っていくわけです。
だって、そのようなシングルマザーだったら、子供は、親である自分が恵んでやれる立場でしょ?それも、まさに自分の身を削って「恵んでやる」状況が成立する。
こんな状況なんだから、子供にしてみれば、親には逆らえませんよ。
だから、会話の能力がないダメダメ家庭出身者にしてみれば、実に都合がいいことになる。むしろ、夫がいたら、子供を自由に支配できないので厄介になってしまう。

自分の親はダメダメだった・・・とグチばかり言っている女性が、結婚するつもりもないのに、子供だけ作って大喜び!
なんて事例は、実際に存在するわけです。具体例をご存じの方も多いのでは?
しかし、そんな会話不全の人間が子育てをしても、うまくいくわけもなく、結局は、子供なり子育てについてグチることになる。

何回も書いていますが、ダメダメ人間にできるのは、子作りだけ。そんなダメダメ人間の相手になってくれるのは、自分の子供だけ。
結局は支配下にある存在しか相手になってくれない。そして、その支配下の存在に対して恵んでやることで、自分の価値とすることになる。

しかし、手っ取り早く得られた自分の価値など、本当の価値とは言えないし、
手っ取り早く得られた相手とのやり取りも、本当のコミュニケーションとは言えないでしょ?しかし、当事者意識もなく、忍耐のないダメダメ人間は、そんな手っ取り早さにすがってしまう。

そもそもダメダメ人間は、「好意」と「信頼」の区別がつかない。
「オマエに恵んでやっている!」という物言いで相手から好意を得ようとはしても、そして、その自分への好意を強制しても、それでは信頼は得られないでしょ?

あるいは、他者をサポートすると言っても、たとえば「弁解」と「協力」は違うもの。
弁解というと、以前に「彼らにも事情があって・・・」なる言葉を取り上げたことがあります。まさに、ある人に成り代わって弁解しているわけですが、そんな弁解が、弁解の対象者の「希望の実現」に結びつくのか?それは別問題でしょ?

困っている人をサポートするには、その困っている人の現状をしっかり理解していないと不可能でしょ?しかし、「恵んでやる!」なんて言い出す人は、自分自身の現状から逃避しているんだから、他人の現状なんて認識できるわけがありませんよ。

「恵んでやる!」なんて言い出す人は、相手と一緒にグチっていることくらいしかできない。いわば相手の尊厳を失わせるサポートしかできないわけです。
しかし、本当の意味でのサポートは、相手の尊厳を伸ばすサポートでしょ?

映画「マイ・フェア・レイディ」でのヒギンズ教授のように、問題点を修正するものでないと、サポートを受ける側には本当の価値はありませんよ。しかし、「恵んでやる!」という立場のダメダメ人間は、その映画のフレディのように自分の善意に酔いしれるだけ。
そんな人に介護されたら、迷惑ですし、そんな人に育てられたら、もっと迷惑でしょ?だから介護を受けたり、育てられる側が精神的に疲れてしまってトラブルになってしまう。

ボランティアの周辺とか、介護のスタッフの周辺では、やっぱりダメダメ家庭の事件が起こっていたりするもの。皆さんも、注意深く見てみると、実例が見つけられると思います。
あるいは、家庭ではシングルマザーで、仕事は介護の仕事というコンボも現実に存在しますよね?それが純粋に経済的な理由ならいいわけですが、「恵んでやる立場」という序列意識や被害者意識の結果の場合も、やっぱり存在してしまう。そんな家庭の子供としては、どうしてもトラブルを起こしてしまう。

しかし、実際にトラブルが発生しても、大元の原因のダメダメな親の方が、持ち前の被害者意識を爆発させ、「どうしてこんなことに?!」「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」そして「ワタシは人に恵んでやっている『いい人』なのに、どうしてこんな目に?!」と逆上するばかり。
ダメダメな介護現場とか、ダメダメ家庭って、そんな状態も、現実としてあるんですね。

抑圧的な人間は、「自分自身でやりたいこと」について考えることから逃避しているので、「支配・被支配」という関係性の構築に、自分の注意を向けたりするもの。
相手を支配すると言っても、「ムチを使った暴力的な支配形態」だけでなく、いわば、「アメを使った優しいサディズム」のパターンもある。

逆に言うと、その手の抑圧的な人間は、恵んでやる立場を「作ってあげる」と、喜んでその立場を求めてしまう。「相手に依存される関係性に依存する心理」となると、このメールマガジンでは共依存という考えについて頻繁に言及しております。
そんな依存症の人間は、「アナタは、このワタシに恵んであげられる立場なのよ!」なんてことになったら、喜んでその状況を求め、維持しようとする。
前にも書きましたが、結婚詐欺の女性の事件ですが、そんな心理に付け込まれたわけです。自己逃避の人間は、支配者あるいは保護者としての立ち位置を得られると、喜んでしまうわけです。

ボランティアくらいで留まっていたら、当人としては、その人の尊厳がなくなっていくだけですが、それが結婚に関する状況だと、尊厳どころか生命までなくなってしまう。
どうせ、自分の命を恵むんだったら、もっと、自分自身で誇りの持てるものを対象としないとね。しかし、自己逃避のダメダメ人間は、その自分自身の誇りについて考えることから逃避してしまう。だから安直な役割にすがってしまう。だから結果的に命まで落とすことになる。
尊厳を安直に扱う人は、命まで安直になってしまうものなんですよ。

(終了)
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発信後記

本日の文章は先週の土曜日の「LOVEとNEEDの違い」に関する文章に関わる文章です。
自己逃避で抑圧的な人間は、「恵んでアゲル」立場を得ることで、自分自身の役割なりアイデンティティとしてしまうわけ。
何回も書きますが「相手から依存されるという関係性に依存」することになる。

そして、「恵む」ことにより、相手との間に心理的支配関係を構築することになる。そして自分が支配しているものを、いわば軽蔑することで、自意識を満足させるわけ。
その手の人間にしてみれば、「恵む」は、「蔑む」ことに繋がっていく。

ダメダメ家庭の人間が、誰かを軽蔑したいと切望していることは、最近では、ゲーテの「冬のハルツの旅」に関連した文章で言及しております。
自分に自信のないダメダメ人間は、とにもかくにも「自分より下の存在」がほしいわけ。
相手に恵んであげれば、その相手は確実に自分より下の存在といえるでしょ?

関東の結婚詐欺の事件では、「対象として軽蔑しやすいキャラクターの男性」が狙われたわけでしょ?
そんな男性に「恵んでアゲル」という体験を、「させてあげた」わけ。
男性だって、自分の自意識が初めて満足できたんだから、喜んでしまいますよ。

なんでも、今回の被疑者の女性は、ケーキなどをプレゼントすることが多かったとか・・・
つまり支配関係への執着が見えてくるわけです。
と同時に、その手の心理については、「身をもって」わかっていた人と言えるわけ。
まあ、プレゼントのようなものも、節度を超えた場合には、危険人物のサインなんですね。
R.10/12/29