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カテゴリー ダメダメ家庭が持っていない発想
配信日 09年11月11日 (10年12月25日 記述を追加)
タイトル 合意を取る
以前に「親」という単語についての文章を配信しております。ダメダメ家庭出身の人間は、「両親」とか「母親」とか「お父さん」とかの言葉ではなく、より肩書きに近い呼称といえる「親」という言葉をよく使う・・・そんな内容です。
その折りにも書きましたが、同じような対象を指し示すにも、言葉は色々とあるもの。
その微妙なニュアンスの違いに注目すると、ダメダメ家庭の問題に対する理解も進むわけです。

さて、今回は、「合意」という言葉を取り上げてみましょう。「合意」という日本語は、英語でいうと「agree」に相当するのかな?
この「合意」に似た意味の日本語の言葉となると、「肯定する」「了承する」「受け入れる」「共感する」「認める」「了承する」「承認する」「同意する」そんな言葉が出て来るでしょ?そして、それらのような単純な肯定形の言い回しばかりではなく、二重否定的に「否定できない」「反論できない」とか「認めざるを得ない」とかの言い回しも存在します。

それらの言葉は、微妙に違っているでしょ?

じゃあ、肝心の「合意」って何?
皆さんも、ご自分でちょっと考えてみてくださいな。

合意というものは、自分なりに認識し、判断した上で、他者の見解を肯定する・・・そんなものですよね?自分自身の見解を合意するということは、言葉の語法的に不適。
「合意」という言葉を持ち出した時点で、他者の見解、別の言い方をすると、今まで接したことのなかった見解の存在が前提となっていることが想定できる。

このようなことは、ダメダメ家庭の問題ではなく、単純に日本語の問題なんだから、購読者の皆様も、「合意」するでしょ?
日本語の問題だったら、話は簡単なんですが、そこにダメダメ家庭のファクターが入ってくると、単純には行かない。

そもそもダメダメ家庭の人間は、「他者」というものを心理的に認識できないことは、以前に配信しております。幼少時における養育者とのやり取りが不全なので、「やり取りが可能であり、かつ、自分と違った見解を持つ存在」である「他者」というものを認識する心理的なベースを持っていないわけ。そんなやり取りの体験をしてきていないので、成長後も対処ができない状態となっている。
だから「自分とは違った見解」というものとの接し方が分からない。

それにダメダメ家庭の人間は、自己逃避で抑圧的であり、そもそも自分自身の考えなり現状認識を持っていない。周囲から要求されたことに、自身では何も考えずに従っているだけ。
自分では何も認識せず、判断もしないわけだから、自分とは違った見解を、肯定したり否定したりする判断もできない。
と言うか、判断を求められると「ワタシを追い込もうとしている!」と逆ギレするだけ。

判断から逃避しているんだから、本当の意味で、何かを肯定することはない。
ただ、単なる感情次元で、「ああ!ワタシもそう思うわ!」と共感するくらいで終わってしまう。
「共感」そのものは結構なこと。しかし、その「共感」は「合意」とは違うでしょ?

合意というものは、相手の見解をしっかりふまえ、それを自分なりに判断した上でのものであって、その場その場の感情の問題ではありませんよね?別の言い方をすると、「合意」と言った以上は、その見解に対する理解が発生している。理解を踏まえた上で、合意するのであって、それに対して、「共感」という状態は、必ずしも理解は必要ないでしょ?
あるいは、共感となると、断片的な肯定といえるわけですが、合意となると、一本筋の通った肯定でしょ?だから、いったん合意すると、それ以降はブレることはなくなってくる。

よくインターネットの掲示板では「合意」ではなく「同意」とかの文言が踊っているようですが、その場所で使われた「同意」という言葉は、実質的には「共感」という言葉にしてもいいでしょ?同意した人は、その「同意」したという見解を、自分なりに理解した上で「同意」しているの?そもそも理解しようがあるの?
だって、インターネットの掲示板なんて、判断材料もないし、論理展開もないんだから、書き込みの文章からは判断なんてしようがありませんよ。ただ、感情次元で「ああ!そうそう!ワタシもそう思うわ!」となっただけ。あるいは、「オレと同じだ!」とその場で確認しただけ。一瞬の認識と判断はあっても、じっくりと認識し、思考し、判断したわけではないでしょ?
逆に言うと、だからこそ、インターネットの掲示板では「合意」という言葉ではなく、「同意」という言葉になっているのでは?

何回も書きますが、共感も同意も、そのこと自体は結構なこと。
ただ、それは「合意」ではないというだけ。

他者という存在を心理的に認識できず、かつ、自分とは違った見解について判断することができないダメダメ人間にしてみれば、「合意」という判断は、実に困難を伴うものなんですね。言葉としては「合意」という言葉を使っていても、実質的には「共感」という断片どまりとなっている。

まだ、「共感」だったら、曲がりなりにも単純な肯定的な反応なんだから、「合意」との間の意味の違いも小さい。しかし、肯定ではなく、二重否定だと、厄介になる。

「否定できない」や「反論できない」や「受け入れざるを得ない」と「合意する」は、随分とニュアンスが違うでしょ?二重否定による言い回しだと、「いやいやながら・・・」そんな雰囲気が出てきますよね?むしろ、「心の底から納得しているわけではないけど・・・」そんなニュアンスが出て来るでしょ?

しかし、本当の意味で、「合意」という状況が認識できないダメダメ人間は、「否定できない」「反論できない」という二重否定的な状況と、「合意する」という単純な肯定的な状況の間にある意味的な違いが認識できない。

「反論できない」と「合意する」の間の違いが認識できないんだから、そんな人は、自分の意向を押し通すために、相手が反論できないという二重否定的な状況を作ることになる。
あるいは、反論されないことがもともと分かっているような、既存の見解を「空気を読んで」提示するだけ。
そして、反論を受けず、皆もそれなりに賛同してくれることになる。しかし、皆が喜んでくれることが、本当の意味で合意を得たことにはならないもの。従来からのとおりのいい見解を再確認しただけで、「イヤなことを見なかった」「不快に思わなかった」と言うだけ。やっぱり心理的には二重否定なんですね。

相手に対して、丁寧に分かりやすく説明する・・・合意を得るためには、そのような態度が必要になるわけですが、「反論できない」状況を作るためには、単に相手を黙らせればいいだけでしょ?

説明能力が低く、会話の能力が低いダメダメ人間にしてみれば、相手が反論できない状況を確立することで、「ワタシの考えが合意された!」と勝手に認定してしまうことになる。
だからこそ、「つるし上げ」のような行為をすることになる。
「つるし上げ」をしても、相手から合意を取ることには繋がらないことは、本来なら、幼稚園児でもわかること。しかし、ダメダメ家庭の人間には心理的にわからないわけ。
だから、「断固糾弾せよ!」などと叫びながら、相手をつるし上げ、相手を黙らせることになる。そうして「ワタシたちの考えが認められた!!」と大喜び。

ギャグを書いていると思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、市民団体とか政治団体なんて、そんなことを実際にやっているでしょ?
抑圧的なダメダメ人間は、トラブルが起こった際には、双方納得の上の解決を志向したりはしない。ただ、自分にとって問題点が見えなくなればそれでいい。だから、相手からの合意は必要ないわけです。何回も書きますが、「解決する」のではなく、「見えない」状態が得られればいいだけ。

団体のケースだけではなく、それこそ逆上メールなんて、その典型といえます。
相手を黙らせることが主目的で、だからこそ論理も何もなく、強圧的で乱暴な言葉を投げつけることになる。そんな言葉を受けても合意には繋がるわけがありませんが、「相手を黙らせる」という目的は、とりあえず達成されたりする。
逆に言うと、そんな逆上メールを出すような人は、「合意」というものが心理的に認識できていないわけです。「合意」という言葉自体は、まさに国語辞典的には説明できたりしても、それが心理的な実感を伴っていないわけです。

そして、そんな心理的な状況は、使われている言葉そのものから見えてくるものなんですね。
合意を志向した言葉使いと、相手を黙らせることを志向した言葉使いが違っているのは当然のこと。
それこそ、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」で描かれたやり取りは合意を志向したやり取りではないでしょ?言葉そのものは飛び交っていても、そこには「他者を心理的に認識した上での会話」にはなっていないでしょ?
そんなやり取りばかりしていたら、そのうちにカタストロフになってしまいますよ。
逆に言うと、大きなカタストロフは、ちょっとした言葉使いから予想できるもの。

それこそ、以前に起こった長崎県の小学校6年生による殺傷事件でも、その双方の父親の手記を読めば、そこに合意という発想そのものが不在となっている心理状態が見えてくる。もっと、端的に申し上げてしまうと、他者というものを心理的に認識していないわけです。だから、相手を黙らせることはできても、相手から合意を取ることができないし、そもそも合意を取るという発想そのものを持っていないわけです。

何もあの事件での新聞記者さんの日本語ばかりではなく、マスコミの人の言葉使いは、とにもかくにも、言葉をばら撒くスタイルでしょ?
それは、逆に言うと、合意を取るという発想そのものが不在となっての様相と見ると、理解しやすいわけです。

ダメダメ人間には、合意という言葉に心理的な実感を伴っていない・・・
そんなことをアタマに入れておくと、理解できるようになるのが、レイプ事件があった後で犯人が言ったりする言葉である、
「彼女とは、合意があった上でのことだ。」という言葉です。
その言葉は、皆さんも、ニュースなどで、わりと聞くでしょ?

まあ、単なる言い訳の場合もあるでしょう。しかし、言い訳だったらもうちょっと別の言い訳にするのでは?そんな言い訳は、相手から否定されれば、それでオシマイですからね。
しかし、その「合意があった」という言葉を、単なる言い訳として見るよりも、「合意」というものの意味合いが違っている・・・そのように見れば、犯人の言葉も理解できたりするわけです。

レイプだから・・・まさに強引に事に及んでいる。
だから「支配・被支配の関係」が一時的に確立した状況といえる。
つまり、レイプされている側は「逆らうことができない」状況となっている。
「逆らうことができない」という二重否定状況を、そのまま単純な肯定にしてしまうと、まさに「合意」になってしまうわけ。

逆説的な言い回しになってしまいますが、レイプだからこそ、つまり暴力的で強引だからこそ、それを「合意」として心理的に認識してしまう・・・そんな人もいるわけです。「支配・被支配の関係性」が確立すること・・・その関係の確立をもって「合意」と認識する人も実際にいるわけです。
何も素っ頓狂な論理を展開しているわけではなく、それこそ、「断固糾弾せよ!」と言いながら、自分とは見解が違った人をつるし上げて、相手からの反論を封じて、それにより「ワタシたちの考えが認められた!」と勝手に言っている人も実際にいるんだから、レイプであるがゆえに、合意である・・・という認識も、現実に存在してしまうわけです。

レイプするような人間を、マトモな人間の基準で判断しても無意味なんですね。それよりも、問答無用なスタイルの過激な運動をしている人たちとのアナロジーで見た方が理解しやすいわけです。

合意というものが心理的に理解できないがゆえに、合意のための努力なども、理解できない。相手からの合意を取るために、説明能力を向上させる・・・そんな発想はしない。むしろ、「相手を黙らせるため」の行動の過激さがアップするだけ。

そもそも、誰かに合意してほしいと思っている自分自身の考えそのものがないのが、抑圧的なダメダメ人間というもの。
だから、相手からの反応などにも無頓着になってしまう。結果的に合意してくれたか?そんな観察もしない。反論されなかったらそれでいい・・・そんな感じで思っている。

逆に言うと、合意を取るという発想がない人ほど、反論をしたがるもの。
相手の見解に対して反論をしても、自分の考えが合意されたことにはならないでしょ?
しかし、合意を取るという人の気持ちがわからないので、無駄な反論に精を出す。それこそ、揚げ足を取って「オレはアイツに勝ったぞ!」と大喜びするだけ。まあ、そんな揚げ足取りの専門家に対しては、反論するだけオバカですよ。だから、自分が行った反論に対する反論は受けないで済む。そんなことばかりやっているので、相手を黙らせるという否定行為が進化するだけで、肯定からは遠くなるばかり。
だからこそ、ますます合意とは無縁になる。

それこそインターネットの掲示板なんて、そんな感じでしょ?
インターネットの掲示板に書き込んでいる人は、どんなことを、どんな人に対して、合意してほしいの?
それを自覚した上で、書き込んでいるの?そんなわけないでしょ?

そもそも、インターネットの掲示板なんて、対象を絞って書き込んでいるわけではないでしょ?合意を得るためには、対象者によって説明も変わりますよ。しかし、掲示板のような場所では書きっぱなしのスタイルしか取れないでしょ?書きっぱなしばかりだからこそ、説明能力も向上しない。だからますます合意とは縁が遠くなる。
そんな書きっぱなしのスタイルは、新聞も同じ。
だから、掲示板も新聞も、合意ではなく、共感どまりになってしまう。
何もインターネットの掲示板で無理に合意を得る必要はないでしょう。しかし、その人は、何か合意を取りたいことはないの?
そんな時はどうしているの?

合意を取るための努力としては、
まずは、合意してほしいこと、それ自体を明確化して、
合意してほしい対象の人物のキャラクターを特定し、
その対象者に合わせて、説明し、
対象者の反応を確認し、
必要に応じ、追加説明をする。

そんな流れになるでしょ?
どうしても合意が取れない見解なり相手は、自分なりに判断して、捨てればいいだけ。自分の見解を捨てるにせよ、相手を捨てるにせよ、どっちでも当人の判断ですよ。自分がやれることをやり尽くして、それでもダメだったら、方向転換をすればいいだけですよ。

しかし、相手に対して合意してほしい自分自身の見解が明確でなく、
人を見る目がなく、
表現能力も説明能力も低く、
相手の反応を見る意欲も能力ないダメダメ人間が、そんな芸当ができるわけがない。
結局は、「ミンナは、どうしてわかってくれないの?」と嘆くだけ。そして、その嘆きをいつまでも続ける。その嘆きが被害者意識に結びつき、報復行為をするようになる。
あるいは、判断から逃避するダメダメ人間は、合意対象の相手か自分の見解のどちらかを「捨てる」という判断もせずに、「ワタシに合意してほしい!」と付きまとうことになる。

言われてみれば、論理的に実にスムーズな流れでしょ?
それに、ダメダメ家庭の周辺では、残念ながら、現実に頻繁に見られること。

他者の見解に対して、無理に合意する必要はないでしょうし、あるいは、全員に合意してもらう必要もない。ただ、他者とのやり取りの際には、「合意を取る」意欲や能力を見る必要があるわけです。
合意というものの意味合いが違っている人とやり取りを続けても、トラブルになるだけ。それこそレイプされて、「あれは合意だった。」と言われてしまうことになる。

できる限りの説明をし尽くしている人は、「どうしてわかってくれないの?!」なんてグチは言わないもの。「これだけ丁寧に説明してもわからないアイツはバカだ!」とか「アイツとは相性が悪い。」と判断して、さっさと距離を置くだけ。逆に言うと、「どうしてわかってくれないの?!」なんてグチを言っている人は、説明がヘタでしょ?そんな人の文章は、略字や、独りよがりの表現が多く、あるいは、句読点もいい加減。「これでは・・・確かに分かんないなぁ・・・」と思わされるもの。あるいは、それこそ方言丸出しで書いたりする。方言で書いたら、それ以外の場所に住んでいる人がわからないのは当然でしょ?
いわば自己満足調の文体であって、相手にわかりやすく、相手のレヴェルを踏まえて・・・というスタイルではない。むしろ、議論を終結させ、相違点を見ないための物言いといった方が近い。

そんな文章を無理に理解する必要はないわけです。合意するしないが重要なのではなく、合意を取るための意欲や能力が重要になってくるわけです。
しかし、結果としての合意の形ばかりに目が行く人は、結局は「反論されない」という二重否定で収めてしまう。つまり黙らせる方向に向かう。そんな人はつまらないだけでなく、危険人物と言えるわけです。

そんな危険人物は、別の言い方をすると、相手に「伝えたいこと」「わかってほしいこと」が存在しない人。
あるいは、客観というものを心理的に認識できないし、自分と別の人格の存在というものが、心理的に認識できない人とも言えるでしょう。
そんな人からさっさと避難しないとメンドウなことになるだけ。
もちろん、やり取りしても面白い人ではないのは当然のこと。
逆に言うと、そんな程度の人間と「合意」したと言っている人間も、同じようなレヴェルだし、危険人物といえるでしょう。

まあ、こんな私の文章に無理に合意する必要はないわけですが、合意を取る意欲という視点をアタマに入れておくと、メンドウなことを回避できる可能性が高くなるわけです。

(終了)
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発信後記

今週は、人とのやり取りの際の、心構えとか、心理状態とかに関する文章を集中的に配信しております。
次回配信の金曜日の文章は、今回の内容のヴァリエーションのようなものです。

土曜日の文章は、今のところの予定では、あるキャラクターの方からのメールの特徴についての文章で、やっぱりやり取りに関連した文章です。

ちなみに、来週もやり取りに関連した文章を集中的に配信いたします。
ただ、来週は、やり取りの際の心理状態というよりも、議論のスタイルに関連した文章を集中的に配信する予定です。
来週の金曜日は、そんな議論の不整合に関する実に有名な文芸作品を取り上げます。
タイトルは・・・予想がつくんじゃないの?
R.10/12/25