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カテゴリー 弁解と謝罪
配信日 09年12月11日 (11年1月2日 記述を追加)
タイトル 理由は踊る
ダメダメ家庭の人間とやり取りをすると、正直言って閉口することが多くあります。
「困った!困った!」と、グチを並べるだけが、お約束状態なんですね。
こちらから『じゃあ、アンタはどうしたいの?』と聞いても、何も答えない。

このことはこのメールマガジンで何回も書いています。

しょうがないので、こっちから『こんなことをしてみたら?』とか『あんなことをやってみたら?』などと言ったりすると、「お金がないから。」「時間がないから。」とか・・・やっぱりお約束の回答が返ってくるばかり。

と言うことで、『じゃあ、アンタは一体、どうしたいの?』とまた聞くハメになる。
と言っても帰ってくる答えはやっぱり同じで・・・

それこそ『そんなにグチグチ言っているくらいなら、じゃあ、アンタももう死んだら?』とか言うと、今度は「子供がいるから。」と、やっぱり似た回答。そうなると『しかし、グチばっかり言っているアンタは、子供にとって、いい親なの?』と聞くと、次には逆上。

ダメダメ人間は物事をできない理由を並べることだけは熱心なんですね。
しかし、たとえば、お金がないという理由をつけても、そのお金を得ることを検討するそぶりもない。それに無料で得られるものだって沢山あるわけです。

音楽を聴くにしても、プロによる無料コンサートだってありますし、アマチュアだったら基本的に無料です。そのようなものを有効活用すればいいじゃないの?
とか言ったりすると、「アマチュアはいやだ!」
それはそれでいいわけですが、そんな話を聞かされている側は、たまったものではありませんよね?

それこそお金の問題だって、公的機関からの援助もあったりするでしょ?学費だったら奨学金という方法だってありますよね?お金がないならないなりにできることってありますよね?往々にして、「お金がない。」なんて言っている人は、ただ何もしない理由としてその言葉を使っているだけなんですね。

別のところで集中的に取り上げます、エーリッヒ・フロムの「自由からの逃走」において、「○○からの自由」と「○○をする自由」を区別することにより、抑圧的な人間の心理が見えてくることについて考えております。
「できない理由」というのは、まさに「○○からの自由」そのもの。
発想自体がそんな「誰のせいでできないのか?」「何のせいでうまくいかないのか?」というスタイルになっているので、「○○をする自由」について自分で考えることから逃避するばかり。
そうやって、どんどんと「自分は何をしたいのか?」という点について考えることから逃避してしまう。
その手の人は、たまたま、事情があって、したいことができないのではなく、「したいこと」そのものについて考えることを抑圧しているわけです。

だから、周囲に対して「できない理由」を並べるような人は、当然のこととして家庭の中でも「できない理由」を並べているわけです。それが本当に「できない理由」ならともかく、実際は「何もしない理由」として活用されてしまっている。

頻繁に書いておりますが、知人のような同格の間柄だったら、そんな人は相手にしなければいいだけ。問題なのは、親がそんな程度の人間のケースです。
何と言っても、家庭の中においては親は子供の生殺与奪の権を握っている存在と言えます。そんな親が、「あれをできない理由はこれこれ。」「これができない理由はあれ。」そんな言葉ばかりだったら、子供がどうなっちゃうのか?それについては、火を見るより明らかでしょ?

しかし、ダメダメ人間は当事者意識がなく、被害者意識だけがある。自分で何かをやっていくということよりも、それができないことになった「被害」を語ることに、その能力が発揮される。
やらない理由を散々ならべた後で、そしてトラブルが顕在化すると、やっぱり、やるのが弁解や言い訳。
「実はこんな事情があって・・・」
と弁解を始めることになる。

それこそ、「体の調子が悪くて・・・」などという理由はポピュラーでしょ?
以前に書きましたが、ダメダメ家庭の親は、「オマエに会いたいので、会いに来い。」などと子供に対して言い出したりするもの。そんな要求に対し『今は忙しいから無理です。どうしてもと言うのなら、アナタが来たら?』などと言うと、そんな言葉が登場したりするもの。あるいは、「もうワタシも歳を取って、もうそちらに行くのは無理だ!」とかの言葉になったりする。

まあ、その理由は理由でいいとして、じゃあ、体の調子が悪くない状態の時や、年齢が今ほどとっていない状態の時は、当人自らが会いに行ったの?
体の調子が悪いからできないという人は、体の調子が悪くない時は、別の事情を持ち出すものでしょ?その時、その時で一番とおりがいい理由を持ち出すので、理由がポンポンと変わる。
じゃあ、その人の本心はどうなのか?たとえば本心から会いたいのか?それとも会いたくないのか?その点について考えることから逃避しているわけです。
結局は、自分自身に対してなり、周囲に対して通りがいい、できない理由が踊っているだけなんですね。

あるいは、電話とかメールなどのやり取りを終了させるような場合でも、事情のための事情が登場したりするものです。「今、ちょっと来客が来たので・・・」とか、「子供が起きたので・・・」とかの理由が出て来る。かと言って、来客が帰ったら、やり取りを再開するのかというと、そんなことはない。
とにもかくにも、逃げるための理由を登場させたいだけなんですね。

その種の事情が多く出せるということは、いつもそんな目で周囲を見ているということ。
つまり、「あら探し」傾向が強いことが想定できる。いつでも逃げたり、避けるために、他者の問題点をストックしておく。そうして都合のいい理由を持ち出してくる。

そうして、数多くの「できない理由」を使って、弁解を始める。
あるいは、相手から問題点を指摘されたら、ストックしてある弁解を持ち出してくる。
以前にも書きましたが、そんな人は、相談などの場において、こちらが相手方の問題点を指摘したら、スグに弁解を始めたりするもの。
何も指弾しているわけではないんだから、その問題点への指摘が妥当と思うのなら、了解すればいいだけですし、その指摘が不当と思うのなら、弁解ではなく、自分なりの考えを説明すればいいだけ。
弁解だからこそ、その人の「Yes No」の判断がわからずに、途方に暮れることになる。
と言うことで、「結局は、アンタはどう考えるの?」と強い調子で聞く必要がある。
そうなると、色々と理由を、捨てセリフのように並べてトンズラしてしまう。

そんな人は、相談をしても、事態が悪化するだけ。だって、相談と言っても、手持ちの「言い訳」の発表会になってしなっているんですね。
「困った!困った!」とは嘆くけど、「ワタシはこの点が困っている。」と具体的に説明できない。言うとしたら「あの○○のせいで・・・」と犯人認定の言葉が出てくるだけ。
相談の目的が、「自分がかわいそうな被害者であることをわかってほしい。」ということなので、それにフィットした相談になる。そもそも相談相手として選定される人も、同情することしか能がない人の場合が多い。「あの人はワタシに厳しいことを言わないのでは?」そんな期待がある人を相談相手のターゲットとすることになる。もし、厳しいことを言われてしまったら、もう二度とコンタクトをとろうとしないもの。相談における現状説明も小出しで、論旨不明。質問の言葉が軽く、安直で、解決しようとする必死な思いがなく、捨てセリフの匂いが最初から漂っていて、逃げ癖が見える。『アナタのその説明じゃあ、わからないから・・・』と、その人に追加して聞くと、「どうして、そんなことを聞くのよ?!めんどうくさいわねぇ・・・」と言った雰囲気が顔に出る。

ダメダメ人間は当事者意識がないので、自分の問題を自分で解決する発想がない。
相談を持ちかけられた周囲の人間がアタフタして苦労するだけ。
そんな事態になると、「相談を受けて、そもそもこんなにアタフタして、困っている自分でいったい何?」「そもそも、あの人が困っていたのでは?」と自問自答するハメに。

以前にも書きましたが、この手のダメダメ人間が、周囲の誰かに相談する際には「アンタに相談してアゲル!」という意識となっている。当事者意識がゼロで、自身のトラブルなのに傍観者然としている。傍観者然というか、相談を持ちかけること自体に「持ち出し」を意識し、「わざわざしてやっている」という上の立ち位置になっている。
たとえば、別の人に対して提出するような文章の作成についても、丸投げしてくる始末。「だって・・・アンタの方が文章がうまいじゃないの?それくらいアナタが書いてよ!」と来る。まあ、確かに私は文章はうまいけど、文章の原案くらいは当人のアンタが書いたら?アナタ自身が困っているんでしょ?それに私にはそんな義務はないはずでしょ?・・・と、途方に暮れることに・・・
ギャグを書いていると思われる方も多いでしょうが、実際にそれと似たやり取りをなさった方もいらっしゃるのでは?

相談などにおいても、こちらが質問したら、回答はするけど、その質問の意図を踏まえて、その人なりの議論を進めていくことはしない。与えられた質問に対して、めんどくさそうに回答するだけ。
しかし、コチラとしては質問しにくいこともあるんだから、その意図を踏まえて、自分が許容できるだけの回答や説明をしないと、その先に進んでいかないじゃないの?
こっちがシャカリキになるだけで、相談している側は、与えられた質問に型どおりに回答するだけ。

話を聞いていても『結局は、どうしたいの?』がさっぱり分からない。何もゴーギャンがいうように「アナタはどこから来て、何で、どこに向かっているの?」なんて難しい話ではなく、『グチを言い続けたいのか?』それとも『グチを言わないように現状を改善したいのか?』、その点について、聞いているだけですよ。

『アナタとしては、本当にグチを言わないようにしたいの?』と質問したら、絶対に返事が返って来ないもの。まあ、グチを言うのが目的の相談において、その質問には答えられないでしょうね。

とにかく、多くの理由を踊らせて、弁解がましい。弁解はしても「Yes No」は言わない。
「Yes No」を、いつまでもはっきりしないので、相談を持ちかけた相手から『もうはっきりしてよ!』と怒られる。
怒られたので、ますます人に合わせるようになるので、ますます「Yes No」を明確にせず、人に合わせるばかり。だからますます信頼から縁がなくなる。自分と違った見解でも、それが一貫したものであれば、信頼に足るものでしょ?言っていることに、ブレがあるから信頼を得られずに嫌われるわけでしょ?

逆に言うと、その人がそんな調子だから、そんなダメダメを許容してくれる人を、相談相手に選ぼうとする。
そもそも、そんな相談ばかりだから、相談をして事態が解決したことがない。
事態が悪くなり、そして相談を持ちかけた相手からプレッシャーを受ける・・・そんなダブルバインド状態になっただけ。そんな経験則があるので、相談に対して警戒感が強く、だから人に相談しようともしないし、相談する仕方がわからない。だから、ますます解決せず、そして情報を小出しにするので怒られて、ますます警戒感が強くなる。
そんなことだから、結婚などの際に、何かあったら、相談に乗ってくれることを前提に、あるいは相談しながら物事を進めていくことを前提にパートナーを選ばない。「な〜んとなく」「ふ・つ・う」に暮らせればそれでいいや!そんなズボラな雰囲気で突っ走る。だからこそ、実際にトラブルが発生してしまう。

そんな姿からは、普段の安っぽいコミュニケーションが見えてくるもの。
伝えたいものがないのに「ワタシに構って!」と絡んできて、そうして「どうして分かってくれないの?」と拗ねる。
そうして、そんな安っぽいコミュニケーションが通じる周囲を求めてしまう。
そうやって当人もますます安っぽくなる。
そんなことだから、周囲の人もダメダメばかりだし、実際にトラブルになってしまう。

「自分のやりたいことは何で、どうすればできるのか?その障害は何なのか?」
そんなことを考えるのは自分自身でしょ?
しかし、ダメダメ人間はそんなことすら考えることをしない。そして人から指摘されると、「できない理由」を並べて悦に浸っているだけ。

「できない」という事情をいっぱい語れる人に限って、「ワタシはこうしたい!」という自分の希望は語れないもの。まあ、言うとしたら「ワタシは、ただ、ふつうの家庭を・・・」というお約束の言葉くらい。
そんな人が子供とどんな話をするの?
しかし、そんな人の相手をしてくれるのは子供だけになってしまう。だからこそ、その子供も親と同類のダメダメ人間になってしまうわけです。そんな子供が、その点を周囲から指摘されると、親譲りの卓越した技術で、多くの理由を踊らせる。

そして、新たに加わるのが「親がダメダメだったから・・・」という理由。
しかし、そんな理由を言うくらいなら、さっさと親から離れればいいわけですが、そんな人は、やっぱり親の近くにいたりするもの。
世代を超えて、踊る理由のレヴェルは上がっていくわけです。

こちらとしては、「時間がかかってもいいから、まずは、Yes No をはっきりさせること。」「アナタ自身がやりたいことを、自分なりに明確にすること。」
「話はそれから・・・」
そう言っても、結局は、それができない理由が返ってくるだけなんですよ。

(終了)
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発信後記

ちなみに、今回の文章のドラフトは、半年以上前に上がっていました。
ですから、昨今の鳩山首相の事例とは直接的には関係ありません。
鳩山さんの事例については、明日の文章で考えてみる予定です。

ちなみに、島根県での女子大生のバラバラ殺人事件が、まだ解決しておりませんが・・・
バラバラ殺人ということで、映画「羊たちの沈黙」みたい・・・という声がありました。

その「羊たちの沈黙」という作品については、以前にこのメールマガジンで取り上げおります。サイコスリラーとかの作品ではなく、問題解決のための方法論を描いた作品なんですね。問題解決のためには、捜査する人間の強い意思と、後は、人の知恵を上手に借りる・・・そんなことが必要になったりするもの。
まさに、今回の文章でいう、当人の強い意志と、上手な相談を描いた話といえるわけ。

私としては島根の事件は、実に手掛りが多い事件だと思っております。
だから、スグに解決されるだろうと思っていましたが、どうしてこんなに時間がかかるのやら?

犯人が被害者と無関係の人間だったら、死体はバラバラにしないでしょう。あるいは、バラバラにするにせよ、わざわざ山の中に埋めたりはしないでしょう。
町のどこかに放置してもいいわけですし、海に捨ててもいい。
あの場所だったら、海に捨てた方が、証拠品が集まらない可能性が高い。
まあ、もし犯人が日本人じゃない人だったら、放置か海に処分ですよ。
山中に埋めるということだから、日本人なんでしょうね。
海に捨てなかったということは、ある意味、愛着があったわけでしょう。

あるいは、死体をバラバラにするのはいいとして、じゃあ、どのパーツが見つかって、どのパーツが見つからないのか?そんな点から見えてくるのでは?
たぶん、犯人にとってこだわりのあるパーツがあるのでは?

被害者の方は、香川県出身とのことで・・・
じゃあ、どうして大学が島根県の大学なんだろう?
香川県だったら、大阪や兵庫も近い、ちょっと足を伸ばせば、京都もある。
神戸あたりだったら、通学はできなくても、日帰りはできるでしょう。
そこには大学もいっぱいありますよ。移動だって、料金はともかく、時間の面だったら、香川からだったら、島根よりも東京に行く方がはるか早いはず。
たぶん、そんな点から見えてくるものもあるのでは?
R.11/1/2