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カテゴリー | ダメダメ家庭が子供に与えない発想,精神 |
配信日 | 10年1月4日 |
タイトル | 会話の成立への信頼 |
ダメダメ家庭は会話が不全の家庭です。 このことは、もう何回も書いています。 親の側は、そもそも子供の意見に取り合わない。 子供が一生懸命に親に語っても、親は聞こうともしない。 子供としては、自分の話を聞いてもらうためには、単純に語るだけではダメな状態。 まあ、これは一般のマトモ家庭でもそんな面は、多少はあったりするもの。 それこそ「預言者は故郷に入れられない。」とキリストが言っています。 キリストが自分の故郷のナザレに行って説教をしたとき、ナザレの人は「アイツ・・・たかが大工の息子のクセに何ゆうてんねん。」・・・と取り合わなかったわけです。 自分自身でちゃんと考え、自分の言葉で意見を言っても、故郷の人は、「昔のアイツは、ああだった・・・」と、言葉を聞こうとしないもの。2千年前から言われていることなので、当然のこととして、21世紀の今現在でも変わることはありませんヨ。 また、芸術の歴史においても、その芸術家の身近な人が、最大の理解者であった例はほとんどありません。 映画「アマデウス」におけるウォルフガングとレオポルドのモーツァルト親子を思い出してもわかるでしょ?親父のレオポルドは息子ウォルフガングの理解者とはとても言えませんよね? さてさて・・・ダメダメ家庭は普段から人の話など聞かない。 それに輪をかけて、自分の子供の話は聞こうとしないわけです。 マトモな家庭なら、いわば「過去の未熟な状態」を知っているからという心理が基本です。 「あの、オシメをしていたガキが、一丁前に何を言っているんだよ!」そんな感じでしょ? しかし、ダメダメ家庭の親は違った面もある。ダメダメ家庭では「親である自分は子育てという被害を背負わされた被害者」という認識となっている。だから自分の子供は自分に被害を与えている憎い加害者・・・心理的にはそのような認識になっている。そんな加害者の話など真剣に聞きませんよ。 しかし、「加害者」ではない人間・・・それこそ自分と一緒にグチってくれるような人間の話は結構聞いたりする。 例えば、自分の子供が学校でトップの成績を取っている優秀な学力を持っていたとしましょうか?その優秀な子供が親に自分の見解を語っても、親は取り合わないわけです。 「このガキが、また、しょーもないことを言っているぞ!」 ところが、スポーツ新聞しか読まないような、どうしようもないオヤジがご近所にいたとしましょうか?ダメダメな親は、そのオヤジの意見は、真剣に聞いたりするわけです。そして、後になってその話を家庭内で報告することになる。 「ご近所の○○さんが、こんなことを言っていたよ!!へぇ、そうなんだねぇ・・・」 まあ、そんな、しょーもないオヤジの見解なんて、所詮は自分たちが被害者であるという理屈。しかし、被害者意識が強いダメダメ人間にしてみれば、そんな、しょーもない理屈だからこそ、楽しいわけ。そして、「ああ!オレたちって、何てかわいそうなんだ?!」とグチで共鳴していられる。 そんな与太者からの程度の低い話は真剣に聞いて、自分の話には耳を貸さない親の姿を見た子供はどう思うのでしょうか? 「コイツには何を言ってもムダ!」 そう思うに決まっていますよね? 結局は、家庭内から会話が消えてしまう。だって、話を聞いてくれない人に対して言うことに意味があるの?そうなって来ると、子供の側は、親からの話は生返事でやり過ごすことになる。 まあ、おなじみの「別にぃ・・・」「ふ〜ん・・・」と言う言葉ですね。 もう、家族お互いが、お互いの話など聞かない状態となってしまう。 しかし、曲りなりには言葉が飛び交っているので、形式上はやり取りが成立することになる。ただ「相手にわかってほしいこと」「相手の話を聞き取る意欲」もなく、純粋に形式上の、というか音響上のやり取りに留まっているというだけ。 いわば「不思議の国のアリス」状態。 そんな状況の中、やっぱり「ご近所の△△さんが、こんなことを言っていたわ!」と、得意げに報告する親。 しかし、子供の方は、『コイツ・・・今頃になって何を言っているんだ!そんなこと世間の人は皆知っているぞ!』『その近所のオヤジも低脳だし、それを今更語るこの親もアホだな!』と思ったりする。しかし音声的には、『ふ〜ん・・・』とやり過ごすだけ。 まあ、こんな「会話」の積み重ねがどのような結果になるのか?言うまでもないことですよね? あるいは、このような子供の話を聞かない態度とダメダメ家庭の権威主義が結びつくと、「子供の意見を他人の意見とみなす」ような態度になったりするものです。 自分の子供がちょっと意見を言ったりすると・・・ 「それ、どの本に書いてあったんだ?」 「その考えは、一体誰から聞いたんだ?」 ダメダメ家庭の親からは、そんな反応が返ってくる。 「権威主義」的な発想、つまり「何を言っているのか?」ではなく「誰が言っているのか?」そちらの方が重要なダメダメ家庭では、自分の子供の意見も「子供が言っているこの言葉は、誰が最初に言い出したことなのか?」そのような方面に関心が行ってしまう。 「権威筋がネタ元だったら、考慮しよう。」 「子供自身の考えだったら、無視しよう。」 しかし、子供だって自分自身で考えて、自分自身の言葉で親に自分の考えを言う時だってありますよね? しかし、折角、自分の意見を親に言った後で 「その考えは、誰の意見なのか?」なんて反応が返って来たら、子供が『・・・』となるのは当然のことでしょ? ダメダメ家庭の親は、子供と会話していない。形式上は会話のスタイルを踏まえていても、「相手の話を聞いて、それを踏まえた上で自分の考えを相手に分かるように伝える。」そんな会話の基本はできていないわけです。 だから、ダメダメな親は子供が今現在どんなことを考えていて、どんな思考能力があるのか?なんて全然知っていない。 だから親がちょっと驚くような的確な子供の意見に接すると、「コイツがこんな的確な意見を考えられるわけがない。一体誰から聞いたんだろう?」と怪訝に思うことになる。 だから「誰に聞いたんだ?」「どんな本に書いてあったんだ?」と子供に尋ねることになる。 かなり以前に言及いたしましたが、ジャン・ユスターシュ監督の「ぼくの小さな恋人たち」という映画でもそんなシーンがありました。主人公のダニエル少年が食事をしながら親に様々なことを説明すると、親から「一体誰に聞いたんだ?」と返事をして、ダニエル少年は『・・・』となってしまうシーンです。 親からのそんな返事が返って来たら、子供だってますます親に何かを言う気がなくなるでしょ? 『別にぃ・・・』 とかの言葉でお茶を濁すようになるのは当然ですよね? だって子供が何を言っても、親はまともには取り合わないわけですからね。 ますます会話が少なくなって、ますます子供のことがわからない状態になって・・・ と、ダメダメ・スパイラルが進行することになる。 こうなってしまうと、もう行くとこまで行くしかありませんよ。 それこそ監督のジャン・ユスターシュのようにピストル自殺するハメになる。 そんな事態が発生するとダメダメな親は「どうしてこんなことに?!」「一体、何の影響でこんなことに?」と相変わらず家庭以外ににネタ元を求めたりするもの。それこそ「ご立派な」書籍なり権威者のご高説で事件を理解しようとするものでしょ?事件の本質なんて、いつだって自分の目の前にあるわけですし、そこから目を背けているからこそ、実際に事件になるわけです。 子供と会話していない、子供のことを何も知らないがゆえに、事件になるわけですが、その理解に当たっても、やっぱり現実の子供は無視されてしまう。だから事件が繰り返されることになる。 長崎県は、子供の事件があったりすると、いつもそんな調子でしょ? そんな家庭環境や地域環境で育ったら、子供としては一般のマトモ家庭とは違った発想になってしまうのもしょうがない。それこそジェントルに話をしても相手は聞いてくれない・・・という基本認識なんだから、別の手段を使うようになりますよ。 それこそ力ずくなんてことになってしまう。 これでは、将来ドメスティック・ヴァイオレンスなどを引き起こすのもしょうがないでしょ? あるいは、以前にも書きましたが、ストーリーを作って聞いてもらうようなことをしだす。 「ボクの話を聞かないと、アンタは笑いものだよ!」そんな前置きの話をしておいた上で、本題に入ることになる。話を聞いてもらうための手練手管が向上することになる。 被害者意識が強い相手の被害者意識を刺激することで、目的を達成しようとするわけです。 平和的な手練手管となると、ちょっとした面白いネタをやって注意をひきつける方法があります。以前に取り上げたアニメ作品の「いちごましまろ」における「みゆ」ちゃんはそのパターンでした。そんな手練手管が存在しているということは、つまり、何もしなかったら自分の話を聞いてもらえないという危機感を持っているわけです。 しかし、会話の積み重ねがないし、人の気持ちが分からないので、せっかくのネタもすべってしまうことも多い。せっかく、ウケを狙ったのに、シラーとした雰囲気になってしまう。 その点、被害に関わる話だと、そんな感じですべることは少ないでしょ? だから、結局は、被害話ばかりをしゃべる人間になってしまう。 たまたま今現在、話し相手になっている人が、ちゃんとした人で、相手の話を聞こうと思っていても、会話不全のダメダメ家庭で育った人は、直截に、そしてジェントルに話さない。真摯に聞いてくれる人に対しても手練手管が加わった無理がある話し方をしてしまう。自分の出身家庭の流儀を踏襲してしまうんですね。 会話の成立に対する信頼を持っていなくて、そのまま結婚し、家庭内でドメスティック・ヴァイオレンスなどに陥るケースもあるわけですが、別の方向に行くケースもあります。 ある種、権力志向になってしまうケースです。 家庭内で暴力的と言うより、「社会の枠組みの中で、権力を利用しよう!」というスタイルです。 これなら合法的ですからね。 例えば、政治家になるケース。あるいは弁護士になったりする。あるいは、学校の教員もそのパターンのケースがあるでしょう。 法律などの制度をかたに、そして立場や肩書きを持って、相手に要求する。 しかし、一般的には、まずは対等の立場で話し合いでしょ?それでもラチが開かなかったら法律を利用するだけでしょ? しかし、この手の人は、相手が自分の話を聞いてくれるという基本的な信頼感を持っていない。だから、とにもかくにも何がしかの公権力を利用しようとしてしまう。 以前に起こった島田紳助さんによる暴行事件での被害者さんもそんな感じでしたね? 事件発生後に、いきなり弁護士が登場しましたでしょ?ダメダメ家庭出身者は自分の会話能力だけでなく、会話の成立そのものを信じていないので、あのような公権力の介入によって、命令と服従の関係を構築することで片をつけることしか思い浮かばない。 あるいは、イラクのフセイン氏も、いきなり「軍隊だ!」と言った感じだったでしょ? あるいは、その他の地域でも、独裁者と言うものは、やっぱり「軍隊だ!戦争だ!」って、そればっかりでしょ?弁舌で相手を説得とか、丁寧に説明して合意を取るなんてことは無縁でしょ? 子供の頃に「会話の原体験」をしていないと、あのような「力による解決」しか理解できないわけです。 そのようなことは、ちょっと話をしてみればスグに判ることなんですね。 そんな人と結婚してしまうから、ドメスティック・ヴァイオレンスなどの修羅場になってしまうわけです。 結婚前に会話が弾まないような相手とは、結婚後も会話は弾まないでしょ? 会話のヘタな相手だったら、やっぱり「力による解決」をするものなんですね。 会話不全の領域には、やっぱり会話不全の人間が集まってくるもの。 それこそ会話不全の人間同士が一緒になって、ドメスティック・ヴァイオレンスに陥って、その「被害者」がスグに法律を頼って、公権力で解決しようとする。そして市民団体による「加害者」のつるし上げ。 つるし上げって、「気に入らない」相手を攻撃するという二重否定的な行動でしょ? ダメダメな親は、この手の二重否定的な行動をよくやっているもの。 自分への関心を向けるために、逆に言うと、相手が関心を持っているものを攻撃したりする。自分への関心を肯定的に作り上げるのではなく、二重否定的なパターンで関心を樹立しようとする。その代表的なスタイルとして、相手が好きなものを捨てたり、壊したり、くさしたりするパターンがあります。 それこそ子供が大切にしているものを勝手に捨てる親もいるでしょ? そんなことをする親に限って、子供と話をしないもの。 だから子供が問題行動を起こしたりする。そんな問題を受けて、ダメダメな親は子供の好きなものをさらに捨てて対処しようとする。 子供の好きなものがなくなったとしても、親と話ができるわけもなく・・・子供としては、今まで「逃げ場」として存在していた世界がなくなって、結局は自暴自棄になるだけ。 そんな事態を受けて、ダメダメな親は、「あの○○のせいだ!」と周囲に語ることになる。 その○○が昔だったら、音楽のロックだったり、今だったらアニメだったり、インターネットだったりするだけ。 子供の関心のある分野を攻撃しても、親自身に子供と会話する意欲がないんだから、子供も余計に荒れるだけですよ。 しかし、ダメダメな人間は、何かを犯人認定して、それを攻撃するだけ。 そんな流れには「会話」がまるでないでしょ? あるいは、二重否定ばかりで、肯定はないでしょ? 一時的には解決しても、それを自覚しないと、同じことを繰り返すだけ。 まあ、そんなことを実際に繰り返している人を、皆さんもご存知なのでは? (終了) *************************************************** 発信後記 今週から、いつものとおりに配信いたします。 といっても、年末年始もほとんど通常通りでしたが。 今週は、意向の受け入れに関連した文章を配信いたします。 ダメダメ家庭においては、子供が親に対して意向を伝えても、ノーリアクションのことが多い。ダメダメ家庭の子供は、自分の意向が受け入れられないことに対して心理的に適応してしまって、逆に、マトモな社会に適応できなくなる。 そんなことに関する文章を配信いたします。 最近は、文章が実に長くなってきてしまっていて、本文もいつも4千字を超えている状態です。 メールマガジンの配信もいつまでも続けるわけにもいかないので、色々と詰め込んでおりますが、このメールマガジンは基本的には、一話完結の文章なので、1週間のうちで、関心のありそうな文章だけチョイスして、その文章をお読みいただければ結構です。 |
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R.10/12/31 |