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カテゴリー | ダメダメ家庭出身者の状況 |
配信日 | 10年1月11日 |
タイトル | 質問するのが苦手 |
かなり以前に、このメールマガジンで、「相談するのが苦手」というお題で配信しております。 ダメダメ家庭の子供は、子供時代に親に相談していない。 たとえ親に相談しても、「親に迷惑をかけるな!」「そんなことは自分でなんとかしろ!」「いったい誰のために、こんな苦労をしていると思っているんだ?!」と親から怒られるだけ。 ヘタに相談したら、トラブルを解決するどころか、より一層事態がメンドウになるだけ。 そんな環境なんだから、相談をするという体験をしたことがないわけ。子供が親に相談できないとしたら、子供としては、じゃあ、誰に相談すればいいの?学校の教員に相談するにせよ、教員というものは強圧的だし、それこそ「子供を愛さない親はいないんだから、親と話し合え!」と門前払い。だから、ダメダメ家庭の子供は、子供時代に相談体験をしたことがないわけ。 これでは大人になって、相談しようにも、できるものではありませんよ。 ダメダメな環境だからこそ、本来は、相談しながら進めていく必要があるわけですが、ダメダメというものは、子供の意向を言わせないようにするわけです。だからこそ、問題が顕在化されることはない。まるで北朝鮮状態。しかし、トラブルが顕在化してしまったらどうするの? トラブル状況になったら、人に相談する・・・これはマトモな人がやっていること。 トラブルだって、段々と大きくなって行ったわけでしょ? 最初は、ちょっとした不都合であって、それを放置するから、どんどんと悪化してしまうもの。 何も顕著なトラブル状態でなくても、他人の知恵を借りればラクにやれることも多いもの。 しかし、ダメダメ家庭の人間は、「人の知恵を借りられない」。このことについても、以前に配信しております。 今回配信の文章は、そのヴァリエーションのようなものです。 「人の知恵を借りる」には、「あの人は、この分野についてよく知っている。」と思われる人間に対し、質問をする必要があるでしょ? しかし、そもそも「人を見る目」がないダメダメ人間は、「誰がこの問題の解決に対して、有効な知恵を持っているのか?」そんな人選ができない。 そして、たとえ的確な人選が出来ても、「質問の仕方がわからない」わけ。 そもそもダメダメ家庭の人間は会話の能力がない。親は子供に対し一方的に命令するだけ。子供はそれに服従するだけ。だから「相手にわかりやすく伝える」という発想自体がない状態。相手への説明能力だけでなく、「聞き方」もわからない。普段から自分自身を抑圧しているので、むしろ「見たくない」「聞きたくない」という発想で生きている。だから、意を決して、自分から質問して、相手から説明されても、その説明とどのように対処すればいいのか分からずに、やっぱり困惑することに。 しかし、本当に問題意識があるのなら、あるいは危機感があるのなら、何とかしないとね。しかし、自分自身や現実から逃避しているので、その現実そのものを認識できないので、説明もできないわけ。 自己逃避なんだから、「自分が何をしたいのか?」自分でもわかっていない。 現実逃避なんだから、「何が問題なのか?」自分でも認識していない。 困ったことがあっても、「困った!困った!」と言っているだけ。そして結局は、自分の感情や危機感を抑圧することで、その問題を「見ない」ようにしてしまい、なんとなくオシマイとしてしまうわけ。 そもそも問答無用の環境に適応した抑圧的な精神なので、疑問点を持つことがない。 そんな日々を送っているので、普段から問題意識を持っていない。 そんな人が持っているのは、被害者意識だけ。 被害者という自己認識なんだから、「ワタシって、何てかわいそうなの?!」と自分を憐れんでいるだけ。 問題意識は当事者意識を持って生きていれば必ず発生するもの。「この点について、ちょっといい解決方法はないかなぁ・・」って、絶対にあるもの。 ないとしたら、それこそダメダメですよ。 問題を認識していれば、その問題を解決するために、質問すればいいだけ。 「ワタシはこんな目標があって、現状はこうで、このような問題が発生している。今はこんなことをしていて、結果としてこうなっている。他にすることなり、注意することはないか?」 そんな感じで質問すればいいだけですよ。 質問の仕方が多少ヘタでも、そんな感じで明確に説明すれば、相手だって答えてくれますよ。そしてそんな質問経験の積み重ねが、上手な質問になっていくわけでしょ? しかし、ダメダメ人間は、自己逃避してばかりなので、何も達成したものがなく、自分に自信がない。ヘタなことを聞いて、相手から笑われるのが怖いわけ。 「相手から笑われるも何も、自分の問題を解決しなきゃ話にならないじゃないの?」と思われるのはマトモな人間の発想。 被害者意識しかないダメダメ人間が、まっさきに考えるのは「相手から笑われる」という被害だけ。だから怖くて質問できない。しかし、中にはそのような「怖さ」とは無縁のダメダメ人間もいます。「ボケェ〜」としたボンヤリ系だったり、ひたすら他人の問題に首を突っ込みたがるワイドショー系のダメダメ人間は、実に素朴に人に質問したりするもの。 そんな人は、周囲の人に質問するのはいいとして、「自分は何を知りたいのか?」そんなことが明確になっていない段階で聞いてくるので、そんな質問を受けても「で、アンタは、何を知りたいの?」「ワタシは何を答えればいいの?」と思わされるだけ。その質問が、当人にとって、切実なものでないのから、相手から怒られてしまう。質問の上手さ(=How)の問題ではなく、むしろ、知りたいこと(=What)の問題なんですね。 しかし、相手から怒られたから、「今度はもっと上手に質問しなきゃ!」とHowの観点の失敗と思ってしまう。だからより緊張し、よりヘタな物言いになってしまう。 本来は、自分にとって重要な問題を、気持ちをこめて丁寧に質問すればいいだけ。 必死になって質問すれば、その質問やその物言いが多少トンチンカンなところがあっても、対応してくれるものですよ。 自分にとって、どうでもいい話題について質問してくるから、怒っちゃうわけ。 購読者の皆様の中にも、「あの人・・・ワタシに質問するのはいいとして、いったい何を知ろうとしているんだろう?」と怪訝な思いを抱かされる人をご存知の方もいらっしゃるのでは?「何かと質問してくるけど、それがあの人にしてみれば、本当に知りたいことなのかな?」「ただ構ってほしいだけじゃないの?」・・・そんな思いをされた方もいらっしゃるのでは? 現実逃避で、自己逃避の人間にしてみれば、自分に関わりが強いマターほど、避けたがるもの。どうでもいい話ほど、自己逃避の人間には心休まるわけです。だから芸能人のゴシップのようなものばかりに関心を持ったりする。あるいは、ご近所の有名人に関するウワサ話が大好き。あるいは、ちょっと高度になって陰謀史観とか。 そんなものも、たまにはいいでしょうが、いつもいつもそれだったらねぇ・・・ 自分の問題に直結しないがゆえに、精神的にはラクであるわけですが、逆に言うと、「どうしても知りたい!」という強い思いとは無縁。 そんな日々を送っていたら、質問することがヘタになりますし、それを認識してしまうと、質問するのに恐怖を感じるわけ。 どうしても知りたいという気持ちがないが故に、質問を持ちかける相手に対して無駄な配慮を持つことになる。 「こんなことを聞いて、あの人は、気を悪くしないかなぁ・・・」と心配することになる。 しかし、そんな配慮があるゆえに、その物言いが不明確になってしまう。 ただでさえ、会話の能力がないのに、そして現状認識も十分ではないのに、余計な配慮が先に立つので、ますます不明瞭な物言いになってしまう。 無駄な配慮のせいで、相手から「何を言っているのか?さっぱりわからないよ!」と怒られてしまう 物言いの問題とか、配慮の問題ではなく、「どうしてもこの問題を解決したい!」「どうしてもこの点について知りたい!」という強い気持ちを前面に押し出した方が、相手にしてみれば、気を悪くすることはないもの。 多少、「このような言い回しをすれば、もっと上手に伝わるのに・・・」と思うことはあっても、それは、ある程度上手にやり取りできるようになってからの話。 質問にあたっては、まずは、その立ち位置を明確にする必要があるもの。 いわば知的好奇心に近い観点から聞いてきているのか? それとも自分自身の問題の解決の相談に近い観点なのか? それぞれで、その文言が違うものでしょ? 知的好奇心なら、いわば子供っぽい感じで楽しげに聞くものでしょ? 相談だったら、当然のこととしてシリアスに聞きますよね? 抑圧的なダメダメ人間は、それがゴッチャになっているわけ。 そんな抑圧的な人間が一番考慮する立ち位置は、逃げ場所からの近さ。 いざとなったらスグにトンズラできるような立ち位置をとりたがる。 しかし、だからこそ、何も解決しないし、相手から嫌われてしまうんでしょ? そもそも抑圧的なダメダメ人間は、好奇心自体を持っていないことが多い。 「わあ!これって、面白いなぁ・・・」なんて素朴な感情を持つことがないわけ。 そんな人が聞いてくる知識は、むしろ逃避のための知識。「自分がこれこれの問題をやたらなくて済む理由」を探そうとしていたりする。 だからこそ、陰謀史観を聞いてきたり、あるいは相手のことを知りたがったりするわけ。 「ああ!あの人は○○なんだ・・・しかし、ワタシはそのような人間ではない。だからワタシはそれが無理だ!」そんな理屈が組み立てられるような情報を得ようとするんですね。 子供っぽい好奇心だったら、「すっごいな!」、「面白いな!」、「じゃあボクもやってみよう!」と自分で取り組む動機になるわけですが、ダメダメ人間の知りたがりは、できない理由なり、取り組まない動機を探すわけ。 面白いもので、人の気持ちが分からない人ほど、人のことを知りたがる。いわば、詮索好き。別の言い方をすると、あら探し。そして、探し当てた「あら」を使って「うーん・・・あの○○には困ったものだ・・・」と高雅で感傷的なグチを並べ、自己逃避してしまう。 自分の問題を解決するために知りたがるのではなく、問題を見ないために知りたがるわけ。 そうして、「自分は何をしたいのか?」それについて考えることから逃避するわけ。「自分は何をしたいのか?」について考えないんだから、ますます「人の気持ち」なんてわからなくなりますよ。 そんな知りたがりの人の姿は、それこそ以前に取り上げた「枕草子」での記述とまったく同じ。千年以上前からまったく変わっていないわけ。 比較的シリアスな相談の状況においても、親に迷惑をかけてはいけないと思いつめているダメダメ人間は、親に迷惑がかからないように、自分に直結している事項には言及しなかったりするもの。結果的に一般論ばかりの物言いになってしまって、当人としては自分自身の問題の解決のために相談しているつもりであっても、単なる知的好奇心から質問しているようにしか見えなくなってしまう。 自分自身の体験が語れない・・・つまり自分自身の苦悩なり困難さが語れないにもかかわらず、それなりに表現は大仰。 だから、「なんなんだ?この人?」「このワタシを、からかっているのかな?」と思われてしまうことになってしまう。 相談に近いものなら、もっと自分自身の体験を語らないとダメでしょ? しかし、自己逃避で現実逃避のダメダメ人間は、まさに自分自身の問題が適切に語れない。 だからこそ、相談相手から怒られてしまう。 その人が苦悩していること自体は、たしかに事実。 そして質問している状況についても、当人としては、解決したいと思っている。 しかし、質問での説明内容と、苦悩の内容がリンクしていないわけ。 これは以前には「質問の質」というお題で配信しております。 リンクしていないからこそ、自分にとっては休まるし、傷つかない。抑圧的な人間は、意識しないと、そんな質問をやってしまう。だから相手が怒り出す。 上手に質問できる人は、表現が的確というHowの問題ではなく、「解決したい問題は何なのか?」というWhatの問題が明確になっているわけ。 逆に言うと、上手に質問できる人は、日頃から当事者意識を持って生きていることがわかるわけです。 現時点で質問がヘタならそれはそれで自覚するしかない。 そして、「どうしてそうなってしまったのか?」その点を、安直に人に質問するのではなく、自分と対話してみないとね。 しかし、まさに自己逃避の精神で、質問の仕方を誰かに質問して、ますますドツボにはまってしまう。結局は、自分と同じように、人の気持ちがわからず、当事者意識がない同類・・・たとえばボランティアの連中をはべらせ、グチの共鳴でオシマイとなってしまうわけ。 そうなると、質問の仕方が、まったく向上せず、グチる技術だけが向上してしまう・・・そんな人って、そんなパターンとなっているでしょ? (終了) *************************************************** 発信後記 今週は、ダメダメ家庭の人とのやり取りの特徴なり、困難な点についての文章を集中的に配信いたします。 本文中にも書いていますが、人に質問する際に「どうしても知りたいことは何なのか?」それを自問自答することが先なんですね。人に質問する前に、自分自身に質問すればいいわけ。 しかし、自己逃避であるがゆえに、肝心な自分自身を素通りして、いきなり周囲の人間に質問してしまう。 そして、相手から怒られ、「ああ!ワタシは人の気持ちがわからない!」と嘆く。 しかし、そんな人は、「人の気持ち」以前に、自分の気持ちがわかっていないわけ。 |