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カテゴリー ダメダメ家庭が子供に与えない情報,スキル
配信日 10年1月15日
タイトル 依頼の断り方
「あの人って、ホント、いい人ねぇ・・・人から頼まれると、断らずにいつもやってくれるわ!」
そんな言葉って、あったりしますよね?
その人に何かを依頼したら、イヤな顔もせずに、やってくれる・・・それは確かにいいことと言えるでしょう。

しかし、頼まれ事と言っても色々あるでしょ?
「パソコンの使い方がわからないから、ちょっと教えてよ!」「デートに最適なお店を教えてよ!」なんて、知識ベースのちょっとした相談のようなものならともかく、あるいは、人生相談とか恋愛相談のような心情的なものならまだしも、お金が絡んだマターとなると、そうは簡単には行かない。
いくら頼まれごとを断らないと言っても、借金の相談とか、保証人の問題とか、それこそハイリスクの投資商品の問題となったら、気安く受けてはダメでしょ?
必要に応じ、断らないとね。

しかし、ダメダメ家庭の人間は、断ることができなくなってしまうことがある。
積極的に人を助けたいという肯定的な発想というよりも、断り方を知らないというか、わからないという二重否定状態で「断ることができない」わけです。

そもそもダメダメ家庭は会話不全の家庭。
家庭内でフランクな会話があるわけではない。だから、受けた依頼を了承したり断るとかのやり取り以前に、会話そのものがほとんど存在していない。
それにダメダメ家庭の中では支配・被支配の構図となっている。
だからコミュニケーションも、命令と服従の関係のみ。
依頼があって、その依頼を了承するとかの判断が伴うものではなく、支配者が命令して、その命令に対して服従する・・・ただ、それだけになっている。

そんな環境にいる子供としては、家庭内において、「依頼を断る」という体験をしたことがない。
それは、ダメダメ家庭における親も同じ。子供が親に依頼しても、「ウルサイっ!」と一刀両断で拒否するだけ。そんなスタイルは、「依頼を断る」というものではないでしょ?

だから、ダメダメ家庭の子供にしてみれば、子供自身が依頼を断った体験をしていないし、依頼を断る姿も見たこともない。これでは、家庭の外の誰かから何かを丁寧に依頼されたら、断りきれない状態になるのは当然でしょ?

それにダメダメ家庭の人間は当事者意識がなく、特にやりたいことがあるわけではなく、ただ人に合わせているだけのことが多い。
まさに空気を読んで、その雰囲気が悪くならないように、配慮しながら生きている。そしてその配慮は、家庭内で一番弱い立場の存在である子供が担うことになる。
子供としては、その場の雰囲気が悪くならないように、人との意見の相違点が発生しないように配慮する習性がついてしまっている。

発想が減点法であり、「人から嫌われたくない」と思っているので、無理に相手の依頼に合わせようとしてしまう。最初に書きましたが、形の上では「依頼を受ける」ことになっても、自分なりに肯定的に判断をした上で、その「依頼を了承した」のではなく、ただ「断り方を知らない」がゆえに、つまり二重否定的に「断りきれない」だけなんですね。

断る方法がわからないがゆえに、そんな人は、スグに逃げ出してしまうことになる。
本来なら、依頼されて、それを受けたくない場合には、「ワタシはこんなポリシーだから・・・」「今はこんな状況だから・・・」とか相手に説明すればいいだけ。
しかし、そんな説明ができないのがダメダメ家庭の人間。

そもそも自分の現状が自分でもわかっていないし、
自分なりの考え方なんてものも持っていないし、
説明の方法も分からない。
今まで、相手から合意を取るというやり取りをやったことがないし、
相手が自分の話を聞いてくれるという体験をしていないので、自分の考えを説明する・・・
そんな状況も対応できない。
むしろ、相手に説明しなければならないことに心理的にプレッシャーを感じ、パニックになり、その場から逃げ出してしまう。
逆に言うと、断り方のヴァリエーションはなくても、逃げ方のヴァリエーションはいっぱいある状態になってしまう。

まさに様々な言い訳を次から次へと登場させ、ヘタをすれば捨てセリフを投げつけトンズラしてしまう。
人からの依頼に対しては、丁寧に説明して断ればいいだけなのに、それができないので、相手から丁寧に依頼されると、「その雰囲気を壊さないように」「ああ!・・・いったいどうしたらいいのやら?」とパニックになってしまう。

逆に言うと、問答無用に命令されたパターンだったら対応もラク。だって自分がよく知っているダメダメ家庭の流儀を踏襲すればいいだけ。それに命令を受けたパターンだったら、自分で判断をするわけではない。だからうまく行かないことになっても「ワタシは悪くない!」「だってワタシは言われたことをやっただけなんだから・・・」と言い訳できる。自身の判断をともなう丁寧な依頼だからこそ、パニックになるわけです。

ダメダメ家庭においては、依頼を断る方法だけでなく、避けることを避けるという判断も難しいもの。選択の場になったらパニックになってしまう。
そもそも抑圧的なので、避けるという判断ができないし、今まで選択をしてこなかったので、避けるための方法論がわからないので、選択を迫られると、苛立ちがつのってしまう。
だからこそ、「こんにゃくゼリー」をつるし上げて、根絶するような行動に向かってしまう。
このメールマガジンでよく書いていますが、抑圧的な人間にしてみれば、「こんにゃくゼリー」避けるという心理的な方法論が分からないんですね。だからこそ、「こんにゃくゼリー」を見ると心理的にプレッシャーを持ってしまうわけです。

断る方法論とか避ける方法論がないので、ヘンな宗教に入ったり、ヘンなものを買わされたりする。勧誘されると、断れない。
「こんにゃくゼリー」を避けることができない人間が、口八丁な営業マンから、ハイリスクの投資商品を「丁寧に勧められたら」断れると思いますか?

あるいは、子供を作る際にも同じ。
まさに「妊娠を避ける」方法がわからないので、妊娠してしまう。
もちろん、避妊の方法は知識ベースでは知っているでしょう。その方法を使うという選択が心理的にできないわけです。

あるいは、その前段階として男女の付き合いや結婚も同じパターンとなる。
「断り方」が分からないから、なし崩し的に結婚してしまう・・・そんなパターンが現実的に存在しているわけです。何度も書きますが、「こんにゃくゼリー」を避けることができない人間が、「丁寧にプロポーズされたら」、たとえその人に好意や信頼を持っていなくても断れると思いますか?ヘンな話になりますが、相手の機嫌が悪くならないように、気を使って、結婚することになってしまう。だからこそ、うまく行かなくなったら、「ワタシは悪くない!」「あの人が結婚してくれって言ったから、結婚してやったのに・・・こんなことになってしまって・・・」「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と純然たる被害者の位置に自分を置いてしまう。
自分で判断することが怖いので、カルト宗教のように、教祖様が結婚相手を決めてしまうシステムの方に安心感を持ってしまう。

断り方がわからない人間は、依頼されると、心理的にパニックになってしまう。
パニックにならないまでも、対応ができなくなり、そんな状況から、逃げ出してしまう。
そんな視点を有効に利用すると、ストーカーやクレーマーの問題も対処ができるのでは?
その手の人たちは、執拗に「絡んでくる」わけですが、そんな「絡んでくる」人自身は、断り方を知らない人間なんですよ。
ヘンな話になりますが、クレーマーとかストーカーは「頼まれるとイヤとは言えない」『いい人』と言えるわけです。

「頼まれるとイヤとは言えない」んだったら、直接的に「もう来ないで!」と依頼すればいいだけじゃないの?
上記の文をお読みになった皆さんが、そのように思われるのは当然でしょう。

しかし、相手からの依頼を断るという判断ができないのと同時に、自分の行為をストップするという判断もできないのが、その手の人間というもの。だから受けた依頼について自分で判断するのではなく、「もう来ないで!」という依頼を「見ないという形での対処」にしてしまう。別の言い方をすると、その依頼を「聞かなかったこと」にしてしまう。だから効果はない。
あるいは、以前にも書きましたがストーカーやクレーマーは、その人なりの正義感で行動している。だからそんな人に対して直接的に「来ないで!」と言っても、自分の正義の実現のための障害と認識してしまって、ますます自分の正義感が燃え上がり、ますます「絡む」ようになるだけ。

その手の人間に対しては、ちょっと間接的に依頼するのが効果的なんですね。
「来ないで!」という依頼だったら、その依頼を「見ない」「聞かない」という対応をされてしまうわけですが、「今度、来る際には、この件についてアナタの考えをまとめておいてください。」と判断を伴う形での依頼を出しておけばいい。

たとえば、相手がクレーマーだったら、「次にコチラに連絡する時には、今回のトラブルについての処置については、このA案にするのか?それともB案にするのか、そちらで判断しておいて、それから来てください。その選択した案に基づいて次に進みましょう。」そんな状況にしておくと、クレーマーなりに「A案がいいのか?B案がいいのか?」考える必要があり、それは心理的にプレッシャーになってしまう。そのクレーマーがA案とB案のどちらかを選択したら、より細部のマターについて、宿題を与えておけばいい。A-1案になったり、A-2案にしたりと、どんどんとブレークダウンしていけばいい。まさにダメダメ人間がもっとも恐れる質問「で、結局は、アンタはどうしたいの?」に持っていくのが有効なんですね。

そうすると、「絡む」と宿題を与えられてしまう・・・そんな状況が心理的に刷り込まれ、「敷居」が高くなる。結局は、クレーマーの側が逃げ出してしまうことになる。
そんなクレーマーさんは、要求に対しては従ったり、拒否することができても、依頼に対しては、判断したり、丁寧に断ることができない。単なる要求だったら、要求を見ないという形で対処してしまうわけですが、自分が課せられた判断から逃避するためには、その場そのものを「見ない」方法になってしまう。結果的に、クレーマーやストーカー事件も終了となる。以前にも書きましたが抑圧的な人間は、最後の結論をまとめるなんてことは心理的にできない。ただ「見ない」という「な〜んとなく」の終了があるだけ。
だから、そのトラブルに関して、お互いの合意に基づいた最終的な結論を得ようとしても、逆上するだけで、解決から遠くなってしまう。
宿題を与えておけば、それを抱えこんで、自分で沈んでいきますよ。
ストーカーやクレーマーに要求するのではなく、相手の判断を伴ったスタイルの依頼をすれば、相手は「敷居」を感じるものなんですよ。

逆に、「アンタに付きまとわれて、ワタシは大迷惑だ!」なんて主張は、事態をより面倒なものにするだけ。
だって、クレーマーやストーカーは、被害を認識する心理的なベースができている。
あらゆることを、被害を基準として認識し、そして被害を基準として行動することになる。
そんな人が、自分の行動に対しての被害を相手から主張されたら、「どっちが、より被害が大きいのか?」という被害者競争をするようになるだけ。そんな被害者競争は、まさにダメダメ家庭でいつもやっていること。つまりオハコであり、敷居が低い行為なんですね。被害を持ち出すことによって、より、食いつかれてしまうわけ。
被害を認識する心理的ベースができているその手の人間は、語られた被害への共鳴が激しい。被害には激しく反応しても、目標達成の行動については、どう対処していいのかわからない。だから事態解決のための、具体的なプロセスの判断を依頼しておくと、訪問?しなくなってしまう。

ストーカーとかクレーマーの問題は、要は自己逃避の問題。その手の人は、自分の価値を他者に依存している。ストーカーは「自分はどうしたいのか?」という自分自身の判断から逃避して、「あの人に役に立つ」という形で、自分を規定してしまう。相手から依存され、相手に依存することで自己逃避が達成できる。あるいは、「あの人の被害者」という形で自分を認識している。そんな関係性ゆえに、自分の立ち位置が安定し、それ以上は自分で考えなくてもいい。自分で考えたくないがゆえに「付きまとっている」わけだから、「付きまとう」と、逆に自分で考えなくてはならないという状況にしておくと、プレッシャーを感じてしまうことになる。

別の例だと、韓国は日本のことについて色々と言ってきますが、それは「自分たちは韓国という自分の国をどうしたいのか?」という問題からの逃避になっているわけです。相手に対する過剰な関心は、自己逃避という観点からみると、実に理解しやすいものでしょ?
その手の人に対しては、付きまとわれる被害を語るのではなく「で、アナタ自身は、どうしたいの?」そんなことを問い続ければいいわけです。

さすがにクレーマーとかストーカーのレヴェルになるとシャレにならない。
しかし、ダメダメ家庭の人で「断り方」が分からない人は、多くいるんですよ。
実は、このメールマガジンでリーダース・チョイスという項目があって、購読者さんが個人的に印象に残っている文章をチョイスしていただいているんですが、その依頼を私がしたら、音沙汰がなくなってしまう例も多いんですよ。

忙しいなら、そのことを連絡していただければそれでOKですし、「そんなことには関心がない。」というのなら、そう言っていただければ、こちらとしても「ハイ!わかりました。」でOKですよ。ただ、音沙汰がなくなってしまう例が多いので怪訝に思ったりするんですよ。

たぶん、私からの依頼に対する、断り方が分からないんでしょうね。
それはそれで、ダメダメ家庭の問題なので、私としてもその方面の世界的大家?として、事情は理解できますが、まずはご本人が自分自身の問題を、つまり「断り方が分からない」という問題を自覚していないと、事態が悪化すると、クレーマーとかストーカーになってしまうだけ。
せっかくだから、断る練習としてでも活用なさってくださいな。

いわゆる「いい人」というのは、「断り方」がわからない人の可能性もある。
そんな人は、空気を読むのに必死な状態で、人に合わせすぎているもの。要は自分自身の意向が言えないし、自分でもわかっていない。そんな人は、意見の違いに直面するとパニックになってしまう。

人が生きて行く上で「断り方」というのは、重要なものでしょ?
あらゆる依頼をアクセプトしていたら、いずれはドッカーンとなってしまいますし、事態が深刻になるたびに、トンズラばかりしていたら、何もできなくなり、周囲の人間も同類のダメダメばかりになってしまい、ますますトラブルが発生することになる。
そして、実際にトラブルが起こってから、「ワタシにはこんな事情があって・・・」と弁明する。
しかし、それでは遅いわけですから、そうなる前に、断る技術を身に付けてくださいな。

(終了)
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発信後記

本文中でストーカーに言及しておりますが・・・
ストーカーではないにせよ、それに近い事件が、大阪の羽曳野でありましたよね?
ドメスティック・ヴァイオレンスとか、離婚問題とか、入れ込みとか・・・お約束のてんこ盛り。
逆に言うと、あの手の事件は、事前に適切に対処すれば、防ぐことができるわけです。
ただ、対処するためには、自分たちの家庭がダメダメの側面があることを、自分で認める必要があるわけ。
しかし、ダメダメというのは、それができないがゆえに、進行してしまっているもの。
そうして、「時代が悪い!」とか「政治が悪い!」とかの理由を持ち出し、自分を納得させてしまう。
結局、政治には取り組んでも、自分の家庭には取り組まない。だからこそドッカーンとなってしまう。

ちなみに、義母さんを殺害したようですが、義父の方はどうなっているの?
それに、48歳の妻の66歳の母親・・・って・・・
別にその義母さんを責めているわけではないんですよ。ちゃんとした自覚がないと、自分の子供にしわ寄せが行ってしまうというだけです。
離婚というのは、どっちが悪いのかという問題ではなく、結局は自分の将来設計や人を見る目の問題。
そして、将来設計の不在や人を見る目のなさは、往々にして連鎖してしまうものなんですよ。だって、このメールマガジンで頻繁に言及しております自己逃避と現実逃避そのものですからね。
だからこそ、その点をしっかり自覚する必要があるわけ。

ヘンな話になりますが、あの関係者が、もし自覚があったのなら、購読者の皆さんでも十分対処できるくらいの、わかりやすい事例ですよ。
ちなみに、今回の大阪の事例で投稿の文章をまとめてみたいという方がいらっしゃいましたら、歓迎いたします。実に書きやすい事例ですからね。
 R.10/12/31