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カテゴリー ダメダメ家庭をめぐる環境
配信日 10年1月25日
タイトル 説教ジジババ
ダメダメ家庭の人間は、会話の精神がない。
自分の考えを、相手にわかりやすく伝えることをしないし、相手側の意向を汲み取ろうなんて思っていない。ただ一方的に自分の言いたいことを、「べき論」で言い放つだけ。
と言うか、自分自身を抑圧しているので、相手に伝えたいこと・・・それ自体が存在しない。だから相手に合意されることよりも、相手から「反論されない」という二重否定的な状況を作ろうとする。

言葉でのやり取りがそうなんだから、言葉以外のやり取りでも、結局は一方的なパターンになってしまう。たとえその人に善意があったとしても、それを一方的に主張するだけ。その善意とやらも、自分自身の体験なり感情なり観察なり信念に根ざしたものではない。ただ教科書的に学んだもの。
いわば、権威筋認定のご高説を、問答無用に主張することになる。

まあ、いわゆる説教オヤジとか、正論ババァとか・・・そんな人っていますよね?

もちろん、そんな説教オヤジとか、正論ババァだって、生まれた頃から、周囲に説教していたわけではないでしょう。生まれ持っていた問答無用の精神が、会話不全のダメダメ家庭の中で順調に育ち、そして開花する!
そんな成長?過程があるわけですよね?

そんな人の学生時代となると、やたら、正論連呼の優等生がいたりしましたよね?
まあ、いわば「若き説教ババァ」とでも言えるような存在。
問答無用なスタイルで、権威筋認定の正論を言い放つ。その主張はやたら高邁なのはいいとして、現実を踏まえたものではないので、反論や質問を許さない強圧的な物言い。
そうして「どうして、アンタたちは、そんなことをするのよ?!」「先生の言うとおりにしなさいよ!」と、周囲にお説教。

しかし、そんな学生は、周囲の学生から、ちょっとした困りごとを相談された時には、的確に対応できない。だって、現実を認識する能力がないし、思考の能力もないし、会話の能力もないんだから、そんな人からは何も具体的な解決策は出ませんよ。ただ一方的にお説教を続けるだけ。
そもそも、そんな問答無用の雰囲気の人に相談事を持ちかける人も、どっちもどっち。現実を的確に認識しているわけではなく、自分の困りごとを的確に説明することができない。
そもそも現実を的確に認識していたら、そんな「若き説教ババァ」などには相談を持ちかけませんよ。だから事態が何も解決せずに、お互いが苛立ってきて、ますます「どうしてそんなことを言うのよ?!」とお説教することに。

こんな「若き説教ババァ」が、ちょっと歳をとると、以前に書いた「ヒューマンドラマ愛好家」になるわけです。その手の人は、国営放送制作のヒューマンドラマの登場人物のスタイルを、現実に強引に適用しようとする。「アンタも、あの○○ちゃんの立派な姿を見習え!」「もっと明るく前向きに生きなさい!」と語るだけ。しかし、そんなヒューマンドラマ愛好家は、自分の子供からの相談は受けないもの。ただ、問答無用に子供に説教するだけ。

学生の頃は国家認定の教科書に従って周囲に対し善意を語っていた存在が、年齢を経ると国営放送認定の善意を周囲に語るようになる・・・って、実に自然な流れでしょ?

そうして、そんな人が集団になってしまうと、今度は市民運動家になったりする。
「世の中の間違いを正していこう!」「このような点は修正すべきだ!」と、周囲に熱く語る。
掲げる理想は立派とも言えますが、そんな人は、世の中の現実を真摯に見ているの?困っている人の声を、実際に聞いているの?
往々にして、そんな人の言う「世の中の間違い」って、マスコミから情報でしょ?いわば「形が整った」「消化しやすい」情報しか受け入れられない。
逆に言うと、困っている人のナマの声を聞かないので、ますます「べき論」が進行することになる。

学校時代に存在した、「若き説教ババァ」が、年齢を経て、集団になって、市民運動になる・・・と書くと、な〜んとなく納得できるでしょ?

結局は、会話の精神がないままだし、自分自身の目で見て考えることから逃避したまま。だから、自分自身なりその眼前にある問題から離れて、人助けに逃げ込むことになる。
まあ、市民運動とかボランティアをやっているのは、その人の勝手でしょうが、そんな人が親になってしまったらどうなるの?

そもそも、そんな人と結婚するような人も、同類でしょ?
家族全員が、やたら「型どおり」の善意を主張し、自分自身から逃避している・・・そんな家庭って、実際にあったりしますよね?
若き説教ババァが、順調に成長して、正真正銘の説教ババァになってしまう。そしてその説教の向かう先はどこなのか?その説教の理論はどこからなの?
そして、そんな家庭で育った子供はどうなってしまうの?
あの手の人って、実につながっているものなんですね。

説教というものは、自分自身で考えることからの逃避のケースが多いわけです。そんな、お説教する姿を見た時点で、ちょっとその人を警戒する・・・そんなことも有効なんですね。

この手の型どおりの正論連呼の説教パターンは、もちろん、女性の特権?ではありません。
男性となると、まさに説教オヤジとなる。
そんな説教オヤジも、残念ながらポピュラーな存在でしょ?

説教オヤジというのは女性の大敵。スケベオヤジよりなお悪い。だって、スケベオヤジは本人にそれなりに「罪の意識」もあったりしますが、説教オヤジには罪の意識はない。
むしろ正義の意識があるくらい。だから着地点もなく突っ走ることになる。
着地点もなしに突っ走る姿は、クレーマーと基本的には一緒。
以前にも書きましたがクレーマーは、その人なりの正義感から来ている。逆に言うと、だからこそ着地点はないし、着地点について自分で考えなくてもいいような、正義を持ち出してくることになる。

説教オヤジが語る正論も、言っていること自体としては、間違っていることは少ない。
しかし、正論というものは、誰だってわかっているわけで、重要なことは具体論でしょ?
そんな説教オヤジは、書物を通じて正義を学んだりするもの。この点は説教ババァと同じ。
現実を見ずに、権威筋認定の考え方を学ぶだけ。というか、自分の目で現実を見ることから逃避するためにも、権威筋の認定を求めることになる。
書物などを通じて、「問題と解決」を「学ぼう」とすることになる。
そして、それを周囲に伝えようとする。
しかし、説教オヤジが学んだ問題と解決は、本来はあくまで一つの例に過ぎないでしょ?
ところが説教オヤジはそのような例こそがすべてであると思っている。だって、現実を見ない人なんだから。

本来は、それぞれの人間がそれぞれの考えを持ち、それぞれに困りごとを抱えているわけでしょ?だから一番重要なことは、相手の話をちゃんと聞くことでしょ?
ところが説教オヤジは、いきなり、べき論でお説教。
書物を通じて得られた問答無用の正論を展開されたら、通常の子供は太刀打ちできませんよ。それに、そんな人は、普段から実際の人間を見ていなくて、文字情報からばかりの知識なので、「例題と模範解答」しか知らないんですね。
さながら「定食」しか食べたことのない人と同じ。料理なんて、もっといっぱい種類があるでしょ?ところが定食しか食べたことのない人だから、結局は料理のことだって知っていない。挙句の果てには、「ちゃんとした定食を出せ!」と怒り出す始末。むしろその方が貧しい食の姿でしょ?

現実の人間は現実の困りごとを持っていますよね?ところが説教オヤジが見ている世界は決して「現実」ではない。
あらかじめ「解決」が準備されている状態です。
北朝鮮の金将軍がちょっと視察すると、その場のトラブルが解決するように、説教オヤジの一声で、形の上では解決する。
そして、説教オヤジは、「おお!これで問題は解決したぞ!」と、大歓喜。
しかし、それは外見だけで・・・
まあ、いまさら説教オヤジに関わってもいいことなんて何もないので、周囲の人は「作り笑い」で合わせているだけなのが実際でしょ?

日本の大臣が災害地を訪れ、「皆のもの!!元気じゃのう!!余は満足じゃ!ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。」と笑顔。これとまったく同じ。
結果的には説教オヤジの一声で「周囲に笑顔」が戻ったことになる。説教オヤジや説教ババァはそんな光景に大喜び。
こうして説教オヤジは、ますますその説教に熱が入ってしまう。

いわゆる、文化人とか知識人と「称される」種族に、このような人が多くいたでしょ?
彼らは人間というものを書物を通じて知るのであって、現実の人間は見ていない。
人々の笑顔だって、まさに定食的というか型通りの「笑顔」が大好き。
北朝鮮の人たちのあの「笑顔」を見ても、「みなさん、幸せそうだ!」と本気で思ってしまう。
視覚的には見ていても、心の目では見ていないわけ。だからそのようなことが言えてしまう。

逆に言うと、その手の文化人を、「手なずける」のは、実に簡単なこと。
イラクでも北朝鮮でも、お金持ちの日本からの有名人が来たらそりゃ「接待」するでしょ?まあ、接待されれば「いい国」と思うでしょうね。フセインが支配するイラクや、金将軍が支配する北朝鮮のようなところほど、そんな接待が盛んでしょ?
逆に言うと、その文化人さんも、その程度の接待で、コロっと参る程度の、洞察力ということなんでしょ?

まあ、彼らは彼らで勝手にやっていればいい。しかし、彼らはまさに文化人とされてしまっていますので、自分の主張を本に書いたりする。
そのような、書物だけの型通りの知識を元に書かれた書物を・・・別の言い方をするとコピー&ペースト本を読んだりする人もいる。

こうなると、どんどんと現実が脱落し、現実とは完全に遊離した「美徳」の世界ができてしまうんですね。
と言うことで、そのような完全無欠の抽象的な美徳の世界を、周囲の人に押し付ける人間が登場することになる。
そうやって、説教オヤジとか説教ババァが再生産されてしまう。

そんな現実無視の説教オヤジによって、現実としてのダメダメ家庭ができてしまう。
そしてそんな家庭の子供は、親に何を言っても、親から問答無用のべき論で説教されるだけ。そんな状態だから、自分の思考なり感情を抑圧するようになってしまう。だって子供なりの希望を持っていて、自分なりの考えを親に対して言ったとしても、親は取り合ったりはしないわけですからね。そんな状況だったら、希望や感情や思考を抑圧しないとやっていけませんよ。まさに北朝鮮の国民のように、どんどんと「作り笑い」が進化するだけ。

現状認識や思考を抑圧しているんだから、「その抑圧していること」自体も認識できない。現実を認識することから逃避しているんだから、現実としてトラブルが起こってしまうことになる。トラブルが起こっても「どうしてトラブルになったのか?」そんな思考ができるものではない。それが抑圧というもの。

結局は、何かを犯人認定して、自分を納得させることになる。
「あの○○のせいで、オレはこんな目に!」
まさに北朝鮮とか、イスラムだったら、お約束のようにやっているでしょ?
自分を抑圧することにより、自分自身の問題から離れてしまうだけでなく、自分の目の前の状況からも逃避してしまう。そうやって、ますます現実無視の一般論的な正論を連呼することになる。

たとえば、子供に関しても、立派な一般論は語れても、自分の認識なり、希望は語れない。
「子供を持つのがふつうだ。」という御説は語っても、『じゃあ、アナタ自身はほしいの?』と聞かれると答えられない。
「少子化だから、子供を持つ義務がある。」という理論は語っても、『しかし、アナタ自身は親となる覚悟があるの?』『アナタ自身は、自分の親がアナタのような人だったらうれしいの?』と聞くと無言。
「貧困者にも子供を持つ資格がある。」と熱く語っても、『アナタ自身は育てられるの?』あるいは『この人たちがマトモに子供を育てられると思っているの?』『そんな環境で育つ子供のことはどう考えるの?』『アナタはこの環境における子供として生まれたいの?』と聞くと、逆上するだけ。

言葉や善意や正義のコピー&ペーストは、安直というよりも、自分なりの認識や判断からの逃避の姿とみると理解しやすいもの。
そんな人は相手から質問されたり、反論されると、過剰反応することになる。
「オレの考えを否定するのか?!」と逆ギレ。
そんな反応をする人に限って、その「オレの考え」自体が存在していない。
存在しないがゆえに、説明もできない。
存在しないことそれ自体が明らかになるのが怖い。
自分の考えがあるのなら、冷静に説明すればいいだけ。

現実から逃避しているがゆえに、その物言いも、どんどんと一般論化してくる。
反論されにくい用語を持ち出し、有無を言わさない形で説教する。それこそ、その手の状況になると、「○○ハラスメント」なんて言葉をスグに言い出す人がいるでしょ?
今だったらセクシャルハラスメントとかモラルハラスメントとか・・・色々とありますよね?最終的にそれらの用語を使うんだったらともかく、相手から反論を受けたくない人間は、それらの通りのいい言葉を早い段階で持ち出し、現状認識や会話から逃避しようとする。
そして「ワタシは被害者なんだから・・・」という理屈を持ち出すことになる。
さらに突っ込まれると、結局は被害者意識が爆発し、逆上したりするもの。
「○○ハラスメント」という言葉を、早く使う人ほど、逆上しやすいでしょ?
それだけ、人とのやり取りが心理的に怖いわけです。

自分の問題を考えたくないものだから、ますます正論に逃げ込み、周囲に対して攻撃的に説教するだけ。
しかし、その説教も、現実を見ないための説教であり、要は自己逃避。

キリストだって言っているじゃないですか?
「アナタの目の中のチリを取らせてくださいという人は、自分の目の中に梁があるのに気がついていない。」ってね。
梁があるからこそ、自分自身が見えないし、そして見えないということ自体が見えないわけ。
そんな人が、他人を説教するなんて、「盲人が盲人を道案内する」典型ですよ。
しかし、そんな光景はキリストの時代から何も変わっていないものなんですね。

(終了)
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発信後記

今週は、説教とかの「相手の話を聞かない姿勢」に関する文章を集中的に配信いたします。
ちなみに、このメールマガジンは、誰かを説教しようとしているわけではありませんヨ。
何回も書きますが「見えているものを、見えるようにする。」・・・それが目的です。

あと、抑圧的な人間は、まさに自分の目で見て、自分の頭で考えることから逃避しているので、その言葉が軽いものです。周囲に対するとおりのよさが優先され、言葉の実体感がないわけ。

何でも昨日、自民党の党大会があったそうで、多くの方がスピーチをされたそうですが・・・
例の小泉jrさんが、保守主義云々とか、青森県の美女?政治家がスピーチとか・・・
政治的な発想は色々あるでしょうが、保守主義を掲げるのなら、そんなボンボンとかチャラチャラした芸能人もどきを、壇上に上げてはダメでしょ?

どうせなら、地方の無名の人を取り立てて、実体験を語らせる方がインパクトが強いのでは?無名の人を前面に押し出せば、「自民党は変わってきた!」とかの評価も出てきますよ。まあ、文章自体はスピーチライターに書かせればいいわけですしね。

保守主義でも共産主義でも主義主張は色々とあるわけですが、言葉に関しては、ちゃんとわかった上で使ってほしいもの。
「アンタ・・・その言葉を自分でわかって使っているの?」
ダメダメ人間とやり取りをすると、頻繁に思うこと・・・でしょ?
 R.10/12/31