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カテゴリー ダメダメ家庭の会話の雰囲気
配信日 10年1月27日
タイトル ローカルな論理 (自己都合の視点)
ダメダメ家庭の人間は会話ができない。
相手の話を聞いて、自分の考えを相手にわかりやすく伝えるという能力も発想もない。
この言葉も、言わばテンプレート状態となっています。

自分の考えを相手に分かりやすく伝えるには、相手の側が持っている知識を元に説明する必要がありますよね?自分が持っている知識を組み合わせて説明しても、言った側は満足できるかもしれませんが、相手は「ぽっかーん・・・」でしょ?
しかし、会話のできないダメダメ人間は、相手のことなんて配慮しない。常に自分の世界というか、自分の視点だけで生きている。

相手がもう既に知っていることをご丁寧に説明して、相手をゲンナリさせたりする。このことについては以前に配信しております。あるいは、そのようなシーンは、バルザックの「谷間のゆり」の中での表現を使うと「彼は、勘のいい、あるいは、たしなみのある人間なら黙っていてもわかるような些細なことまで、いちいち物知り顔で教えてくれます。」なる表現となる。
また、自分やその周囲の人間が、実に、よく知っている知識で、相手に説明したりする。この代表例がまさに「キモイオタク」。これも以前に配信いたしました。
オタク趣味は、当人の趣味として勝手ですが、その趣味を説明する際には、相手に分かりやすい言葉で説明する必要があるでしょ?オタクの世界を、オタクの言葉で説明されてもわかりませんよ。コッチはオタクじゃないんだから。

実は「とあるオタクさん」から、以前に言及したマンガ「じゃりんこチエ」についての説明を受けたわけです。
そのオタクさんによると、マンガ「じゃりんこチエ」は、「吉本風のおしん」なんだそう。
吉本って、関西の芸人さんの会社ですよね?
「おしん」って、以前にあったNHKのドラマでしょ?
それくらいは知っていますが、私は両方とも見たことないよ。
それに、そんなものを見てないと、無教養と指弾される類のものなの?私はそんなに無教養なの?

その吉本なり「おしん」なりを好きな人はそれでいいでしょう。当人が見て面白いなら、それでいいじゃないの?だからと言って、自分とは別の人間もそれを面白いと思うのか?となると全く別でしょ?面白い云々どころか、そんなものを知らない人だっているでしょ?
「吉本風のおしん」なんて、そんなローカルな論理で言われてもねぇ・・・アタシャわかんないヨ!
と言うことで、その「吉本風のおしん」と言う言葉を無視していたら、「折角『吉本風のおしん』と分かりやすく説明しているのに、どうしてオマエはわからないのか!?」と逆上されてしまいました。

まあ、その「吉本風のおしん」という言い方なんて、本人がそれで納得するのはいいとして、本人以外は分かりませんよ。だから説明の言葉としては珍妙なものでしょ?
コッチは親切で、素通りしていたのに、念を押されるなんてねぇ・・・
それって「すべった」ダジャレを、後で解説するようなものですよ。余計にすべるだけ。

しかし普段から相手に配慮した会話をしていないダメダメ人間は、そんなことも平気でやってしまうものなんですね。
まあ、そんな濃いオタク趣味の人はしょうがない。関わらなければいいだけですし。
しかし、このようなローカル論理での説明は、濃いオタク趣味の人に限らず会話のできないダメダメ人間はよくやっているものなんですね。

それこそ、威張っているジジババなんて、その典型でしょ?
『昔はこうだったワイ!』と昔の価値観を、昔の事件と言葉で説明したりする。
しかし、そんな昔の話を聞かされて、今の人は納得するの?
そんなわけありませんよね?
一応、形の上では、「ふーん・・・」と聞いていても、心の中では「アンタも・・・そんなに昔の世界がいいのなら、さっさとあの世に行って、昔なじみと仲良くやったら?」と思いますよね?

そんなことは、聞いている側のつまんなそうな表情を見れば、スグにわかることでしょ?
昔の時代の価値観を説明したいのなら、それで結構ですが、それだったら今の時代の言葉を使う必要があるでしょ?英語を英語で解説されても、日本人には、わかんないようなモノ。

あるいは、逆方向のパターンもあります。今は何とかなっていても、50年後はどうなるのか?そんな視点が抜けている場合もあります。代表的な例が子供の名前。
かわいい名前も勝手ですが、50年後にその名前や名前を持った人間がどのような扱いを受けるのか?そんな視点で見直してもいいのでは?あるいは、時代だって、それを受け入れる様相ではない可能性も高いわけでしょ?今の自分や時代を基準にして考えるのも結構ですが、50年後の相手を基準とする考えもあるわけでしょ?

しかし、心理的に他者というものを認識できていないのが抑圧的なダメダメ人間。だから自分を基準としてしか考えられない。自分はこうやっているから・・・だから他の人も同じようなものだろう・・・そんな前提を疑うことはない。

その人自身が、インターネットの掲示板からだけ情報を得ているような人の場合には、今やりとりしている相手も、掲示板から情報を得ているものだと確信して疑わない。まあ、もともと、掲示板に入り浸っていると情報を選別する能力が落ちてくるので、その見解の背景が理解できなくなってしまう。だからそんな世界で通用する流儀でメールしてきたりする。
そこに入り浸るのは勝手ですが、相手もそうだとは限らないでしょ?

対抗心の強い人間は、現在のやりとりの相手も、強い対抗心を持っていると確信して疑わない。だからちょっとしたことで、自分と違った考えを言われると、「自分に対抗している!」と緊張状態になったりする。

被害者意識が強い人間は、今、相手をしている人間も、強い被害者意識を持っていると確信して疑わない。だから、ちょっとでも相手から被害を語られると、「このワタシの被害よりも、大きい被害だと言うつもりなのか?!」と緊張して、被害者競争を始めてしまう。

私宛のメールの文章に「長文は失礼かと思って・・・」などとエクスキューズの表現がよくありますが、そんな人の中には、支離滅裂な文章のパターンもある。
「長文は失礼」はいいとして、支離滅裂な文章は失礼ではないの?
「自分はこの件を、このような根拠から、このように考える・・・」と言えればそれでいいのでは?文章が長くなっても、その文章自体がそれなりにまとまっていて、かつ内容があればそれでOKですよ。ローカルな論理では文章の長さの問題が何よりも重要なのかもしれませんが、文章の受け手の多くは、記述の正確性の方を重んじるのでは?

ダメダメ家庭の会話の不全という観点から、この種のローカルな論理が登場するわけですが、別の観点からも登場したりするものです。
ダメダメ家庭の人間は当事者意識がない。今現在で取り組んでいることや、ちょっと前に達成したことが何もないので、そんな人が語ることは昔のことしかなくなってしまう。
逆に言うと、昔のことばかり語るような人は、今現在の状況から逃避しているということでしょ?今現在において、語るに足るものはないの?あるんだったら、まず現時点での話が先でしょ?

この種の昔自慢で、よくあったりするのが学歴自慢です。
自分自身の学歴なり、夫の学歴を自慢する・・・そんな人っていたりしますよね?

しかし、学歴は、学校を卒業したということでしょ?だから、より重要なことは、その学校で何を習得したのか?ということでしょ?この分野に関する考え方をマスターしたとか、○○の分野のエキスパートになった・・・その結果が重要でしょ?学校を卒業したのはいいとして、何がアタマの中に残ったの?今現在は、何ができるの?あるいは、どんな交友関係ができたの?

逆に言うと、アタマの中にいっぱい詰まっている人や、幅広い交友関係を築いている人は、そんな学歴自慢なんてしませんよ。人の話に対して、余裕綽綽で受け答えして、知性あふれる回答ができたり、様々な知人の話ができる・・・そんな姿を見せれば、周囲の人だって「アナタ・・・きっと、いい学校出ているんでしょうねぇ・・・」なんてことになるわけでしょ?わざわざ出身学校を自慢する必要なんてありませんよ。

このようなことは、それこそ家柄自慢なんてのも同じでしょ?
落ち着きがあって、優雅な雰囲気だったら、何も家柄自慢なんてする必要もないじゃないの?「あの人・・・ちょっと雰囲気が違うわね!」と、周囲から自然と一目置かれる・・・そんなものでしょ?

わざわざ自慢するとなると、韓国人がよくやるような、「オレたちは古い歴史があるんだ!」なんて歴史自慢なんてスタイルもありますよね?
しかし、そんな歴史自慢をするような人間ほど、歴史の重みの雰囲気を持っていないもの。
歴史って、ある種の空気感のようなものですから、自慢したり説明できるようなものじゃないでしょ?たとえば、日本だって、奈良時代より前からあるような神社と言っても、地元の人間は、そんな場所でアイスクリームを食べて、おしゃべりするだけですよ。ただ、他の場所に遊びに行った時に、人から「この神社は平安時代からの神社だから、古いんだヨ!」なんて言われてもビックリする方向が違うだけ。
『えっ?・・・だから何なのさ?』

昔自慢をする人って、今現在がダメダメだからこそ、昔のことしか自慢するものがない。そうとも言えますよね?
それこそ「オレは昔は優秀で、クラス委員だったんだ!」と自慢するオヤジにロクな人はいないでしょ?そうして、「昔はこんなに立派だったのに・・・」こんな風になってしまって・・・結局は、「悪いのは全部○○のせいだ!」となる。

いつもながらの「流れ」ですが、夫の学歴自慢をする妻がマトモだった例はないでしょ?
第一、 そんなローカルな自慢を聞かされても、どうしようもないじゃないの?
それより、自分が学校で学んだ面白い話とか、学校での体験談でも話をした方が聞いていて楽しいじゃないの?そんな話ができることが知性でしょ?

「ああ!あの頃はよかったわぁ!」なんて言うだけの人と一緒にいても、自分がダメになり、挙句の果てにローカルな論理で犯人認定されるだけ。昔自慢というものは、非常にわかりやすい要注意サインなんですね。
自慢したいのは勝手ですが、だったらなおのこと、相手が納得できるようなポイントで自慢しないとね。自分流儀のローカルな論理で自慢するなんて、それってピエロですよ。

ダメダメ家庭の人間は「恋に恋する」のような妄想癖がある。まあ、そんな恋愛に関する妄想なら、まだ、かわいいものですが、それこそ恋愛以外の分野でもそんな感じ。
相手にわかりやすい言葉を使うなんて、会話における基本の発想も持ち合わせていない。

そんな人間に限って、「ウチの家庭は上手く行っている!」なんて豪語するものでしょ?
ローカルな論理もそこまで行くと立派なんですが、その家族にとってはお気の毒といえるでしょう。

そもそもローカルな論理がスグに出てくるということは、自分にとって都合のいいスタイルでしか物事を認識していないということであり、結局は、現状認識から逃避していて、当事者意識がないということになります。つまり被害者意識があり、そして、「自分こそが、一番かわいそうな人間なんだ!」という決定的なまでにローカルな論理に徹していて、それが大前提になっている。

自分こそが一番かわいそうと思っているので、グチばかり。
「食卓が楽しくない!」と子供にグチ。そんなグチを聞かされて、子供はますます食事中に緊張するだけ。あるいは、「食事をするのが遅い!」と子供に叱る。だから、子供も緊張して、ますます食べるのが遅くなる。
「子供が懐かない。」と殴る。しかし、殴られるから、ますます懐かない。
そんなことばかりだから人から好かれない。
そうなると「ワタシを好いてよ!」と周囲に絡む。だからますます気味悪がられる。
人の話を聞かないがゆえに、「自分は常識がある!」と自画自賛。
しかし、それはローカルな世界の中だけのことで・・・
逆に言うと、そんな人は、自分が持っているローカルな常識が通用しない世界には出て行かないもの。
だから、ますますやり取りが自分の視点中心のローカルなものになってしまう。
以前にも書きましたが、何かを否定する際にも自爆否定的なことを言ったりするもの。

「アナタは人の話を聞かない人ねぇ・・」という意見に対し、「そんなことはないわ!ワタシは人の話を聞くわ!」と『即座に』応酬。

「その件については、上司の方はご存知なんですか?」という質問に対し、『ハイ!承知しております。』と笑顔で答えても、続けて「じゃあ、今ちょっと上司の方のご同席をお願いできませんか?」なとど言うと、『そんな必要はありませんっ!!』と怒り出す。

「アンタ・・・まるで、クレーマーだね!」と言われたりすると、『まあ、クレーマーなんて失礼な!そんな言い方に対し断固抗議してやる!』とクレームを付ける。

「アナタ・・・グチっぽいねぇ・・・」という声には、『私?私はグチっぽくないわよ!この言い方は母親譲りなのよ。だいたい母親がイヤな人で、この私に具にも付かないことをグチグチと・・・聞いていても、何を言いたいのかさっぱりわからない人だったわ!ホント、グチを言い出すと止まらない人でねぇ・・・だから・・・』と回答したりする。

そんな人に対しては何を言ってもムダ。ホント、疲れるだけ。
そんな人とやり取りしても、勝手に早合点されてしまい、「そうよ!そうよ!ワタシは被害者なのよ!やっぱりアナタもそう思うの?」となったり、あるいは「どうして、分かってくれないの?」と逆ギレされるだけ。
周囲からの助言も、無視したり、「もうっ、鬱陶しい!」と逆切れするだけ。
そうしてトラブルが連鎖して「まあ、どうしてワタシだけこんなことに!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」とグチる。

トラブルが起こっても、「自分は間違いがない」というローカルな大前提を元に行動する。
そんな人は、それこそ「夫をどうやって更正させようか?」などと周囲に相談したりするもの。そんな相談を受けても、「いやぁ・・・アンタ自身にもかなり問題があるんだけどなぁ・・・」と遠い目をするだけ。

どんな状況になっても、「自分はかわいそうな被害者」という大前提から物事を見ているので自分の被害だけ考える。だから子供のことなんて全く無視。
子供を進学させるのも、子供の将来を考えてのことではなく、親である自分の現在の立場を考えてのこと。いわば、周囲の目があるから、しょうがなく、進学させやるというスタンス。
そんなことだから、子供が事件を起こすわけです。

そして、そんな子供の事件があったあとで、一緒にテレビを見ながら、ダメダメな親が「そんな事件を起こした子供はケシカラン!」などと子供の前で言ったりするもの。
決して『こうなる前に、親や周囲の人に相談できなかったのかなぁ・・・』という言葉にはなることはない。「自分は絶対に被害者」というローカルな論理に徹している。
だから、誰かを犯人認定してばかり。しかし、そんな犯人認定を繰り返す人が、一番の犯人なんですね。

(終了)
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発信後記

本文中でチラっと言及しておりますが、ちょっと前に東京の江戸川区であった小学校1年生の男の子の虐待死事件ですが・・・
あまりに典型的な事件なんですが、来週にも取り上げようと思っているところです。
ただ、考える視点は、事件そのものではありません。

ということで、事件そのものについて、もし投稿の文章をまとめてみたいと言う方は、ご連絡いただければ、対応いたします。
 R.10/12/31