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カテゴリー 弁解と謝罪
配信日 10年1月29日 (10年9月28日 記述を追加)
タイトル 言い訳の上達
以前にこのメールマガジンで「言い訳の事前準備」というお題で配信しております。
当事者意識がないダメダメ人間は、うまく行かない場合に備えて、取り掛かる前から、言い訳を準備しているもの。
そして、実際に失敗したら、事前準備してある「言い訳」を、持ち出すわけ。
しっかし、テレビの料理番組じゃないんだから、前から準備していてもねぇ・・・

そんなダメダメ人間は、うまく行かなかった時のための、言い訳を事前準備していても、達成するための準備はしないもの。
そりゃ、うまく行くわけもありませんよ。

このような事前に準備された言い訳は、基本的には、自分に対して用いるものです。
それこそ、イソップの狐のように、「あのブドウは酸っぱいから・・・」などと、自分に対して言うわけ。いわば自分を騙す行為。

このように、自分に対しての言い訳を事前準備するケースもありますが、周囲の人間に対しての「言い訳」を事前に準備するケースもあります。

たとえば、人に対して意見を言う際に、「そんなに文句があるのなら自分でやってみればいいじゃないの・・・とおっしゃりたいでしょうが・・・」などと、事前に言っておくわけ。
相手から先に言われちゃったら、その点を突きにくい・・・人とのやり取りって、そんなものですよね?

まあ、慣用的な言い方として、そんな謙譲に近い表現はあるでしょう。
それこそ、プレゼントなどを渡す際に使ったりする、「つまらないものですが・・・」なんて表現は、日本では、いわば慣用表現の一種。この種の慣用表現に対し「そんなつまらないものなんて、持ってくるなよ!」と、いちいちケチをつけてもしょうがない。だって慣用表現なんて、考えて使っている表現じゃあありませんからね。

しかし、そのような典型的な慣用表現ではないのに、必要以上にへりくだるケースもあるわけです。
必要以上に事前に弁護しておくわけ。

それこそ、前に例示した、「そんなに文句があるのなら自分でやってみればいいじゃないの・・・とおっしゃりたいでしょうが・・・」なんて、先に言われちゃったら、コチラが思っても言いにくいでしょ?

しかし、本来なら、そんな事前弁護をするより、ヘタはヘタなりに一生懸命に自分の考えを文章にまとめて、「ワタシは文章を書きなれていませんので、文章が乱れていて申し訳ありません。」と添えるのが本当の意味での謙譲でしょ?

そのような弁明の言葉なら、まだ対処のしようがありますよ。
必要に応じて、文章のスキルアップ講座?でもやりますよ。

「最初の頃は、うまく行かないかもしれないけど、何とかしたい!」
そう思っているのなら、当面の結果が思わしくなくても、最後には何とかなりますよ。

しかし、当事者意識のないダメダメ人間は、取り掛かる際に、早めに弁護しておくわけ。
自分自身に弁護したり、相手から言われないように、先に自分で言っておく。
その種の弁護のテクニックが実に発達してしまう。そんなテクニックが、考えもなしに、それこそ慣用的に出来てしまう。

先に弁護しておく事例だと、近親弁護のパターンがあります。自分とよく似たダメダメ人間を、早めに弁護しておくわけ。
「あの人は、あんなことになってしまって・・・しかし、彼女にも事情があったんだろう・・・お気の毒に・・・」とコメント。
まあ、事情があるのはいいとして、逆に言うなら、その事情をわかっているのなら早めに対処する必要があるでしょ?

しかし、自分の言い訳のための近親弁護なので、弁護先の事情には配慮しない。
ただ、自分に追求が及ぶのを防止したいだけ。
ダメダメな親は、自分と同じようなダメ親を必死に弁護するもの。それこそ、以前に話題になった女優の三田佳子さんの事例だと、まっさきに「子供が悪い!」「親である三田さんはお気の毒だ!」と言い出すわけ。

この手の事例だと、それこそ「こんにゃくゼリー」の問題もそのパターン。
「こんにゃくゼリー」の根絶を主張している人を、必死で弁護したりするわけ。そうやって、判断の場に対して心理的な恐怖を感じる自分自身を弁護する。だから、結婚の時に判断ミスをしてしまう。

「避けるという判断ができない」人間を弁護する姿勢だと、代表例はドメスティック・ヴァイオレンスの被害者の女性に対する弁護のシチュエーションで登場してきます。「どうして、そんなオトコと結婚してしまったのか?」「どうして離婚しないのか?」そんな当然の疑問を相手から言われないように、早めに「とりあえず」の回答を提示しておくわけ。
その手の女性を弁護して、結果的に「判断の場に恐怖を持つ」自分自身を弁護するのはいいとして、その弁護によって、自身の問題点が顕在化せず、現状が温存され、別の場面で判断ミスするのは当然でしょ?
あるいは、ドメスティック・ヴァイオレンスの「被害者」の女性のことを、本当に考えているのだったら、人を見る目の向上のためのサポートするのが最初に必要なことですよ。

抑圧的な人間は、自分自身の問題から逃避していて、自分の言葉で自分の考えを語れない。
だから目に付いた心理的な近親者を必死で弁護する。そうして「あの○○が悪くないように、このワタシも悪くないんだ!」と勝手に納得するわけ。

そのように言い訳を事前に用意するケースもありますが、後になって用意するケースも、もちろん、あります。
言い訳というものは、形の上ではやり取りの相手方に宛ててはいても、所詮は、自分に向けたもの。だから、その論理的な整合性なんて、どうでもいいわけ。

そもそも当事者意識がないので、覚悟もなく「て・き・と・う」に物事を始めて、やっぱりうまくいかない。
さあ!どうやって言い訳を持ち出そうか?!

何回も書いていますが、希望の成果が得られなかったのなら、言い訳について考えるよりも、的確な現状認識が先でしょ?そして、必要に応じて善後策を取ればいいだけ。しかし、当事者意識がないので、そんな発想にはならない。

どうやって、自分を納得させようか?
どうやって、周囲の人に納得してもらおうか?
さて、どんな言い訳がいいだろうか?
ああ!ワタシは悪くないのにぃ!!

あるいは、そのような言い訳が、言葉だけでなく、ある種の行動に近い場合もあります。経済的に豊かなダメダメ家庭では、その言い訳をお金で買ってしまうんですね。
言い訳をお金で買うと言っても、言い訳の言葉や論理をお金を出して買う・・・ということではありません。お金の支出によって、自己満足してしまうわけ。

たとえば、たまに登校拒否などの問題が発生したりしますよね?
そんな状態になったら、経済的に豊かなダメダメ家庭では、まさにお金の支出で自己満足状態になるわけ。

どこかの高名なコンサルタントに頼むとか、
学校に行かなくても済むように、家庭教師を頼むとか・・・
あるいは、登校拒否の問題ではありませんが、息子が立候補した選挙の支援として、法外な支出を行うとか・・・

経済的に豊かでないと、とてもできないような手段を取るわけ。
まあ、そんな手段も取れるのだったら、取ればいいでしょう。しかし、まずは、子供の話を真摯に聞くことが先でしょ?
子供の話を聞くことは、無料なんだし・・・

しかし、その手のダメダメ家庭は、お金がかかることはやっても、無料でできることはしない。
そうして、「こんなにお金を使ったのに・・・」「ワタシたちは、やれることはやったわ!」と自分で納得してしまう。

しかし、やれることはやったとは、とても言えませんよね?
だって、一番肝心なことをしていないんだから。
そんな人がやったのは、言い訳をお金で買っただけでしょ?

しかし、そんな高価な言い訳は、やっぱり効果があるもの。
事態を改善するには、何も効果がなくても、周囲に対するアピールはバツグンでしょ?

「まあ、あの親御さん!あんなに一所懸命に!」
「さぞお困りでしょう!」

そんな同情の声は、結構ポピュラーでしょ?
ヘタをすると、高価で雇われる側の、家庭教師やコンサルタントの側も、ダメダメな親に同情してしまう。
「こんなにお金を使って・・・真剣に悩んでいるんだろうな?」
「こんなにお金を使ってもらったのだから、何とかしなきゃ!」

しかし、子供の話を真摯に聞くという、もっとも基本的で、かつ無料でできることはやらない親なんだから、事態が改善するわけもないじゃないの?
しかし、お金を使っているので、言い訳としては申し分ない状態。

事態が何も改善されなくても、「あんなにお金を使ったのだから・・・」と自分自身を納得させることができる。しかし、「どんな点が問題だったのか?」「自分としてはどうしたいのか?」「子供は私にどうしてほしいのか?」そんな基本的なことは考えない。

そんな姿に対しては、「どうして、あのご家庭はムダにお金を使うの?」と思ってしまうこともあるけど、当人としては、言い訳を買えたので大満足。
逆に言うと、言い訳としては、ムダに高価な方がいい。それだけ劇場的な儀式になるわけ。

このようなことは、ボランティアの連中もそんな感じでしょ?
彼らは、お金を使って、誰かに恵んでやって、「ワタシはいい人」という称号を買っているわけ。そんな称号があるので、当人がトラブルになっても、「ミンナが認めるこんないい人のワタシなのに、うまく行かないのは全部○○のせいだ!」と他者に責任転嫁することになる。

組織だったボランティアのケースだけでなく、人は弱気になったりすると、「何かを恵む」という行為に逃避したりするもの。
「恵まれない人に、施しをする。」という行為を通じて、自分自身を「いい人」と認定し、そして「下には下がある。」と自分に対して言い聞かせるわけ。
それこそ、別のところで取り上げておりますが、プッチーニのオペラ「蝶々夫人」では、最後になってチョーチョーさんは、なけなしのお金を寄付してしまいますが、そんな行為によって「善人」という称号を買ったわけ。そして、「あんなにいい人なんだから、彼女は悪くない。」と認定してほしいわけ。「善人」という称号であり、別の言い方をすると「被害者」という称号を求めている。
そして、「ワタシはかわいそうな被害者なんだから、ワタシとしては何もしなくてもいいんだ。」と、勝手に納得してしまう。

逆に言うと、そんな「施し」に逃避するようになったら、いささか断末魔状態といえるわけです。改善への可能性よりも、言い訳の通りやすさを考えているわけですからね。

あるいは、それこそ知っている人の子供が自殺したようなクリティカルな事件が発生しても、ダメダメな親は、お金の支出でオシマイとなってしまう。子供に「これでちょっと遊んできなさい。」と、子供にお金は渡しても、「オマエは何か困ったことはないかい?」とは聞かないわけ。
そんなことだから、 今度は自分の子供が自殺してしまい、「ウチは子供の要望を聞いていた。」「やることはやっていた!」「困っているようには見えなかった。」「時代が悪い!政治が悪い!」と言い訳する。
しかし、現実は「子供からの要望を言わせないようにしていただけ。」あるいは「子供が何を求めているのか?」知ろうともしないだけ。お金を出して自己満足しているだけ。
子供の事件の後で、上記のようなコメントを出す親は、実際に多いでしょ?

事件があっても、何かお金を使うことが目的化され、当事者に話を聞くことをしない。
何も事件だけでなく、それこそ、いわゆるニートの問題でも、まずはニートの人の話を聞くことが必要なのでは?しかし、ニート対策でも、金を使えばそれでOKとなっているでしょ?
結局は、とおりやすい言い訳ができることが優先されてしまうわけ。

そうやって、高価な言い訳を得て、言うのがやっぱりコレ。
「ワタシは悪くない!」
だから、何も対処せずに、ますますトラブルが起こり、言い訳が必要となる。
そんな言い訳が通用しない相手からは、さっさと逃げ出す。
逆に言うと、それが可能なように、いつでも逃げられる人しか相手にしない。

そんな人は、相談するにせよ、そんな言い訳ばかり。
「自分はこのように考え、このような目的達成のために、このように行動したら、このような結果になった・・・じゃあ、次には、どうすればいいのか?」そんな相談にはならないもの。相手から厳しいことを言われたら、スグに言い訳を始めるもの。そもそも言い訳とは判断を相手に投げる行為なので、自己逃避で判断逃避のダメダメ人間にしてみれば得意中の得意。

抑圧的なダメダメ人間は、反応されることへの恐怖感を持っている。だからやり取りの相手から切り返されたくないし、突っ込まれたくない。
じゃあ、そもそも、やり取りの相手に何を期待しているの?
自分ではどうしたいの?言い訳が重要なのではなく、結果として目標を達成することなり、トラブルを解決することが重要なんじゃないの?もし、当人に問題があったら、言い訳するよりも、謝罪すればいいだけ。

本来なら、相手から切り返されても、自分の考えを丁寧に説明すればいいだけ。
しかし、その「自分の考え」それ自体がないわけ。だからこそ、「この人は違う!」「この考えはダメ!」と否定ばかり。そんな人は、自分で現状なり、自分の考え方を語れないので、権威主義的であり「正当性=正統性」と思っている。だから故事来歴を延々と語るもの。故事来歴は語っても、現状を語れない。それこそ韓国の歴史教科書が見事なまでにその典型となっています。
「ボクたちは、○○の正統的な流れなんだから、ボクは正しいんだ!」
そんなスタイルで、自分を語るわけ。
そんな来歴は語っても、現状説明は何もないし、将来へのヴィジョンもない。

「いったい、どんな事態なのか?」「その事態をどう考えるのか?」「じゃあ、どうしたいのか?」そんな認識や判断はまるでない状態なのに、真っ先に言い訳をする。
逆に言うと、言い訳を並べることで、現状認識なり自分の目標について考えることから逃避するわけ。いわゆる不祥事があると、スグに言い訳を始める組織って多いでしょ?
それこそ相撲協会なんて、トラブルがあると、いつもそんなパターン。言い訳をしても、現状認識なり、当人なりの考え方や将来のヴィジョンは何も言えないもの。

言い訳をお金で買ったり、事前に準備しておくことにより、被害者としての自分を語り、結果的に同情を買うことができる。
そうなると、その方法を以後も使うようになってしまい、ますますお金で言い訳を買い、ますますいい加減な気持ちで何事にも取り組むようになる。

だから文章においても小出しが多い。
短文ばかりで説明不足状態にして、後になって「あの時は書きませんでしたが・・」と言い訳をしやすいようにしておく。

そんな人は、何かを達成したり、あるいはやり取りにおいて合意をとる発想がないので、「言い放し」になっているもの。相手に対して、何かを言ったことで、言い訳が完了して、それで自分が勝手に納得してオシマイとなる。
それこそ、以前にあった岡山駅での突き落とし事件での犯人の父親ですが、「茨城の通り魔事件のようなことを、するな!」と子供に命令しただけ。
命令してオシマイとなっているので、「何か困ったことはないか?」などとは、自分の子供に聞こうとしない。

このようなことは、学校などの事件の際にも起こっているでしょ?
何か事件があると、「あれほど、命の大切さを教えているのに・・・」と弁解が登場するもの。しかし、命の大切さを壇上から講義しても、生徒の困りごとには知らん顔・・・だから、そんな学校で事件が起こることになる。
逆に言うと、何かあった際に、「あれほど言ってあったのに・・・」「ちゃんと言ってあったのに・・・ 」と言い訳するような人は、言っているだけで、相手のことを聞こうとはしていないわけ。一方的で問答無用のスタイルなんですね。
「あれほど言っていたのに・・・このオレに迷惑をかけやがって!」と、自分の被害にばかり発想が行って、相手のことはお構いなしになっている状態。
被害者意識が強く、自分こそが一番かわいそうな人間と思っているので、相手の気持ちに配慮しない。言ってオシマイになっている。

「墓参りをしろ!」と子供に命令し続けた親の子供が、墓参りをするの?
「老後の面倒をみろ!」と子供に命令し続けた親の子供が、老後の面倒をみるの?
「親を敬え!」と命令し続けた親の子供が、親を敬うの?

現実的には、老後の面倒を見るどころか、音信不通になるだけでしょ?

しかし、命令し続けたわけだから、そんなダメダメな親は、「ウチは会話のあるいい家庭だ。」と、確信している。まさに、自称「ふ・つ・う」の家庭になっているわけ。かと言って、楽しい思い出が何もない。

それはいいとして、当人自身の考えを語ることはしないし、当人の業績を語ることもしない。だから周囲の人から相手にされずに、ますます「悪くない」と正当性を語り、「分かってくれない!」と被害を語る。
そして、自分の考えがないこと自体が、自分でもわかっていない。だからやり取りが怖いし、相手から切り返されたくない。だからやり取りを中断するテクニックが発達する。
会話が弾まないので、ますます自分のことがわからない。おまけに周囲の人のレヴェルも落ちてしまう。だからこそ、ますます「どうして皆は、ワタシのことを、わかってくれないのっ?!」となってしまう。
「ワタシはこんなに色々とやっているのに!!」と、やっぱり言い訳。

洗練された言い訳や弁解のテクニックって、逆に言うと、その人の底の浅さにつながっているもの。
相手に対して事前に弁護しておいたり、後になって自己弁護したりするよりも、「どうしてもわかってほしいこと。」を自覚するのが先でしょ?それが自覚できれば、会話も上手になりますし、言い訳が必要な事態にもなりませんよ。

(終了)
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発信後記

本文中にも書いておりますが、ダメダメ家庭の人間は、トラブルの時に、言い訳ばかりしているわけですが、あまりに言い訳ばかりなので、上達どころか、感覚が麻痺してしまってトンデモな言い訳もあったりします。

それこそ、「今、睡眠薬を飲んだばかりなので、文章が乱れて申し訳ありません・・・」なる文言があったことがあります。
睡眠薬を飲むのはその人の勝手ですが、覚めてからメールの文章を書けばいいじゃないの?

まあ、私からのメールの文章がドンピシャだったんでしょうね。
だから、その指摘を溜め込みたくないので、「スグに返事をださなきゃ!」
しかし、あまりにドンピシャなので、精神的にパニック状態。
ということで、睡眠薬を飲んでラリった状態にして、そんな状態で早急に返事をだすことになる。

まあ、いいんですけど・・・
そんな人に限って、「ワタシは子供とうまくやっている!」と豪語するもの。
厳しい指摘を受けると、睡眠薬に逃げるような人間の相手をしてくれるのは、確かに、自分の子供くらいでしょう。
子供とうまくやっているというよりも、自分の子供以外とはコミュニケートできない・・・というか、実質的には自分の子供ともコミュニケートできていないでしょうね。

そして、その手のコミュニケーション不全のダメダメ人間には、ボランティアが擦り寄っていって、一緒にグチることになる。
ボランティアも、その人に善意があるというよりも、恵んでやるからこそ自分の相手をしてもらえるというだけ。

そういえば、先日のハイチの地震に対して千羽鶴を送るとか・・・まさにお約束満載の事例がありましたが・・・あの事例を理解するにも、このメールマガジンの記述は実に役に立つでしょ?
 R.10/9/28