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カテゴリー ダメダメ家庭の序列意識
配信日 10年3月1日
タイトル 服従心
ダメダメ家庭の人間は、「敬意の心がない」。
このことについては、以前に配信しております。
そもそも当事者意識がないので「自分だったら、これくらいしかできないけど、この人はこんなことまで出来ちゃうのか!すっごいなぁ・・・」なんて感想を持つことがない。
そんなシンプルな賞賛の感情がないんだから、敬意なんて持ちようがないでしょ?

最近では、この敬意という問題と、学校でのモンスターペアレンツの問題が絡めて議論されたりします。
「昔は、生徒の親は自分の子供に先生に対する敬意を教えたものだが、最近の親はそんな教育もしない。だから生徒たちが学校で問題を起こしたりするんだ!そんな子供が成長し結婚し子供を持ったりすると、モンスターペアレンツになったりするんだ!ああ!困ったものだ!」そんな嘆きの声を聞いたことがある方もいらっしゃるでしょう。

昔の教員が、生徒から、敬意の念を、本当に持たれていたのか?
そんな疑問はあるにせよ、まあ、「アナタも先生の言うことをちゃんと聞くのよ!」なんて親からの言葉は、以前はポピュラーなものでしたよね?
しかし、ダメダメ家庭の問題を考えるに際し、重要になるのは「似て非なるもの」です。
「先生の言うことをちゃんと聞くのよ!」という言葉はいいとして、それが敬意なの?

尊敬している、つまり敬意を持っている人の言うことを聞く・・・これは論理的にも、心情的にもそのとおり。
しかし、逆の方向を考えてみましょう。その人の言うことを聞くからといって、その人に敬意を持っているからとは言えないでしょ?それこそ面従腹背なる言葉もあるでしょ?
従うということと、敬意とは必ずしも一致しない。
言葉の上では「敬意」とか「尊敬」とか「敬う」という言葉を使っても、そこに当事者意識に根ざした敬意があるかと言うと別問題。
いわば、「序列意識に基づいた服従心」と、「当事者意識に基づいた敬意」の違いが区別されていないケースも多いわけです。

ダメダメ家庭の人間は、会話ができない。コミュニケーションが命令と服従の関係のみ。だから対等の関係だと困ってしまう。だからどうしても序列意識が強くなる。
自分より序列の低いものに対しては、問答無用に命令するだけ。
そして、自分より序列の高いものには、とにもかくにも従う。
逆に言うと、序列が下の立場になると、何も考えずに従っていればいいだけなので、当人としては心理的にラクになる。だから、そんな自己否定的なマゾヒズムを持っていたりする。そして、そんなマゾヒズム人間にしてみれば、自分に命令をくだす上の存在は、ありがたい存在と言えることになる。
まさにサド&マゾによるヘンタイ的なベストカップルと言えるかも?
そんなマゾヒズム的な喜びは、当事者意識からの解放とか自己逃避ができるというありがたさであって、自分の目標を達成した喜びとは、まったくの逆方向と言えます。しかし、抑圧的であるがゆえに、自分を支配するものに対しては、まがりなりにも、「ありがたい」という感情は持つこともある。

自分よりも序列が高いと認めること、あるいは、自分を支配するものと認めること・・・それは、言葉の上では、「敬意」と言えなくもないでしょ?しかし、現実としては、と言うかその心理としては大きな違いがある。韓国人がよくいう「目上の者を敬う」という儒教道徳も、現実的には序列意識に基づいた服従心でしょ?その目上のものが、どんな立派な業績があるかなんて、関係ないでしょ?いわば、立場とか肩書きゆえに、盲目的に従っている・・・ただ、それだけでしょ?
その手の人にしてみれば、盲目的な服従であるがゆえに、思考から解放してくれることになる。

「先生の言うことをちゃんと聞きなさい!」という言葉も、服従心に近いものなんですね。
だって、その教員のどんな点が、敬意に値するのか?なんて説明できるわけではないでしょ?

本来は、敬意なんて、他者に要求するものではありませんよ。もし敬意を持ってもらいたいのなら、敬意を直接的に要求するのではなく、賞賛に値する実績を示す必要があるでしょ?敬意を直接的に他者に要求している時点で、その敬意という言葉が、敬意ではないということの証明のようなもの。
服従心は、他者に要求することができるし、もともとそのようなもの。
ダメダメ人間は、もともと敬意と言うものが理解できないがゆえに、その「敬意」と「服従心」の違いが分からない。

だから、ダメダメな集団では、上のものは、下のものに対して「敬意」を要求することになる。しかし、だからこそ、敬意を得られない。しかし、それこそ「目上のものを敬うべきだ!」と「べき論」を持ち出して、ますます問答無用に「敬意」を要求することになる。

「オイ!オレを敬え!オレ様は偉いんだぞ!」「オマエたちは、オレを敬うべきだ!」
まあ、学校でのダメダメな教員とか、会社でのダメダメ上司とか、それこそ韓国人とか、北朝鮮の将軍様とか・・・そんな感じでしょ?

本当に敬意を持たれるためには、自分自身がちゃんと業績を上げれば自然に得られますよ。もし、集団を統率するために、その集団のメンバーから敬意を得たいと考えていれば、その集団のキーとなる人物に焦点を絞ってアプローチすればいいだけ。

それこそ、学校の教員だったら、一番成績のいい生徒から敬意を得れば、2番目以降の生徒も敬意を持つようになるでしょ?
一番の生徒が『あの先生の教え方は、すばらしいよ!塾の講師でも、あんなにおもしろく授業はできないよ!質問への回答も実に的確だし・・・いやぁ・・・たいしたものだよ。』とかクラス内で言えば、「へぇ・・・そんなものなんだねぇ・・・」となって行きますよ。
いわば「違いの分かる」人間を、味方に引き入れれば、敬意も簡単に得られることになる。

これは、何も学校の成績だけでなく、スポーツの分野や仕事の分野でも同じでしょ?
一番能力が高い人間が、敬意を持って指導者や上司に接していれば、他のメンバーも「アイツが言うんだから、きっとそうなんだなろうなぁ・・・」となって行きますよ。

しかし、ダメダメな指導者は、「違いが分かる」優秀な人間からの敬意が得られない。
と言うか、現実的には「違いが分かる」からこそ、敬意が得られない。
それこそ「あれくらいなら、ワタシでも簡単にできてしまうわよ!あの人は、どうしてスムーズにできないのかしら?まったく・・・デキの悪い人ねぇ・・・」となってしまったら、賞賛どころではないでしょ?だから当然のように敬意は得られない。周囲から敬意を得られないから、バカにされていると感じ、コンプレックスを持ってしまう。

学校の授業だって、生徒から間違いを指摘されたら、ダメダメな教員は、逆切れするだけ。
間違いを指摘した生徒を必死で押さえ込もうとする。本当にその教員に自信があれば、間違いがあっても、それを認め訂正すればいいだけ。しかし、自信がないがゆえに、パニック状態になってしまう。そんな姿が「違いが分かる」生徒に呆れられてしまい、結局は、その集団のメンバー全員から呆れられることになってしまう。だからこそ、ますます強圧的にならざるを得ない。敬意を要求するに当たっても、個別の成果や実績が何もない分、総論的な物言いになってしまう。

だからこそ、「オレの言うことを聞け!」「せっかくオレが指導してやっているのに!」と序列を強調したり、自分の持ち出し・・・つまり被害を強調したりする。
序列とか被害とか、まさにダメダメのメンタリティそのもの。

本来なら、指導者も自分で勉強すればいいだけでしょ?
自分のスキルを向上させればいいだけでしょ?
しかし、被害者意識が強いダメダメ人間は、結局は、「こんなに扱い難く出来の悪い人間たちを、指導しなければならないオレって、なんてかわいそうなんだ?!」と被害感情に浸ってしまうだけ。そんな姿は、どこでも見られるものでしょ?
その手の人は、そんな被害感情が心地いいので、逆に言うと、事態に対して、自分が率先して対処する発想もない。
自分が率先して対処してしまうと、うまく行かない事態になったら、対処した自分の問題になってしまうでしょ?だから、ダメダメ人間は、常に「やらされている」という受身のスタンスを確保しようとする。しかし、そんな受身のスタンスだからこそ、成果が得られないのは誰でも分かること。

そんな姿を見た「違いの分かる」人間は、そんなダメダメな指導者を、ますます呆れて見ることになる。
そんな視線を感じて、ますます「何とかして敬意を得ないと!」と焦ってしまう。
周囲からの賞賛を得ようと、自分のつまらない成果を示して、「オレのやったことを立派なことと思え!」と命令することになる。あるいは、自分の持ち出しを主張して、「オレはこんなにオマエたちのために、持ち出ししているんだから、オマエたちもそれに配慮しろよ!」と言い出す。そんな被害主張は、ダメダメ家庭の典型的な物言い。

そもそも、そんな人は尊厳がない。自分が受けた被害は認識しても、自分自身で自分の価値を認めていないわけです。だからこそ、周囲の人に認めてほしいし、周囲の人に過剰に期待してしまう。
人からほめてほしいがゆえに、立派なこととされることをやりたがる。
しかし、本質的には当事者意識がなく、敬意を理解できない人間なので、型どおりのことしかできない。自分自身で誇りや尊厳を持ってやっているわけではないから、都合が悪くなると、スグにトンズラしてしまう。
結局は、ボランティアのような、単なる便利屋さんどまり。
そんな姿を見た周囲の人は、ますます呆れてしまう。

当事者意識がないので、自分が主体となって周囲の人に協力してもらったり、利用するという発想がない。
誰かや何かに隷属したがり、あるいは期待しすぎてしまう。
そして後になって「裏切られた!」と被害者意識が爆発して大騒ぎ。
そんな騒ぎによって、周囲からの侮蔑をますます生んでしまう。

そんな侮蔑の視線を受けるがゆえに、「オレは本当は偉いんだ!」「オマエたちはオレに従え!」との命令が、ますます問答無用になってしまう。そして、敬意が得られなかったら、不満を募らせる。

服従というのは、復讐に近い。何も語感の問題ではなく、実際にそんなものでしょ?
そもそも服従とは、「ワタシの身を、アナタに預けた。」という意味でしょ?
預けたんだから、うまく行かなくなったら、預けられた側のせいになってしまいますよ。だからこそ、「アイツに復讐するんだ!」となってしまう。そんな復讐行為によって、自分の側が被害者だと、自分に確認させるわけです。

なんでも、宗教のイスラム教の「イスラム」という言葉の意味は、「服従」という意味なんだそうです。
イスラム教徒の行動をみると、まさに「服従」と「復讐」の近似性が実感できるでしょ?
そして、「賞賛」という感情からの遠さも、実感できますよね?
あるいは、このようなことは、共産党一党独裁の社会でも、同じでしょ?
あるいは、生徒に服従を強いた教員が、卒業した生徒に復讐されたりする事件もあったりしますよね?それこそ今回の文章の最初の頃に書いたモンスターペアレンツなんて、学生時代に、学校で服従していたから、親となって学校に復讐しだしたという構図でしょ?あるいは、このメールマガジンのテーマといえるダメダメ家庭なんて、服従と復讐が頻繁に起こっているでしょ?まさに以前に書いた臥薪嘗胆そのもの。

服従関係から解き放たれてしまうと、逆に復讐に走ってしまう。支配者はそれが予想できるから、なおのこと、服従させ続けようとする。
「復讐は何も生まない。」なんて言葉がありますが、復讐することで、自分を納得させることができるわけです。それに何も生まないんだから、逆に言うと、復讐以外は何もしなくてもいいことになる。実にラクなものなんですね。何かに服従することで、自分で考えることから逃避し、後になって復讐を計画することで、「自分は本当は何をしたいのか?」ということを考えることから逃避する。復讐の周囲には、服従があるもの。この点は、国語辞典とまったく同じ位置関係になっている。

服従は自己逃避ができて、それゆえに、安逸につながるわけですが、その分だけ、尊厳から遠く、あるいは、創造的な芸術を生み出さない。
尊厳がないがゆえに、当然のこととして敬意もない。
そして、それを服従心で埋め合わせようとして、ますますドツボにはまってしまう。
そんな光景は、ダメダメの周囲では頻繁に見られるものでしょ?

(終了)
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発信後記

今週は、ダメダメ家庭が持っている発想とか感情に関する文章を集中的に配信いたします。
ちなみに、今週からは3月に入りましたが、3月いっぱいで、メールマガジン発信元の「カプライト」が終了いたします。
このメールマガジン自体も、もうすぐ終了の予定ですが、3月中に終われるのか微妙なところ。もちろん、バックナンバーのサイトにはアップするようにしますので、無理にメールマガジンで読む必要はないでしょう。
ただ、配信されたメールマガジンは、曲がりなりにも初版なので、資料的な意味はあるかも?
そのあたりは購読者さんご自身で判断してくださいな。
では、もうしばらくお付き合いよろしくお願いたします。
 R.11/1/2