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カテゴリー ダメダメ家庭問題の考え方
配信日 10年3月15日
タイトル 加速要因としてのダメダメ家庭 (ダメダメによる加速)
ダメダメ家庭の人間が大好きな言葉が「ふ・つ・う」というもの。
このことについては、以前より頻繁に触れております。
トラブルに陥ったりすると、お約束のように「ああ!ワタシは、ただ、ふつうの生活をしたかっただけなのに・・・どうして、こんなことになっちゃったの?!」との嘆きの言葉になったりする。
じゃあ、そんな嘆きの言葉を語る人は、『その「ふつう」って、いったいどう言う意味なの?』
なんて聞かれても答えられない。

現実的に見ると、その「ふつう」という言葉の意味は、「周囲の人と、大きな違いがない。」と言う意味でしょ?
「大きな違いがない。」って、ダメダメにお約束の二重否定表現そのもの。その精神の根本として否定形なんですね。

「ふつう」というお題目を掲げることで、いわば自分自身を否定し、抑圧し、ただひたすら周囲の人の言葉や行動に合わせることになる。しかし、そんなことをしても当人としては楽しいわけもなく、だからこそ、そんな自分自身の不快感なり不満を、必死に抑圧するようになる。不快感や不満を抑圧するのと一緒に、生き生きとした感情や自分の希望も抑圧するようになる。だって希望を持っていたら、それが実現されなければ、結局は不満となってしまうでしょ?だから不満に至らないように、希望そのものを抑圧してしまう。
と言うことで、ますます、自分自身の感情が麻痺してくる。
いわばボンヤリとした心理状態となる。
自分自身と、他者や周囲との境界線が、あいまいになり、ボンヤリとしてしまう。

こうなると、まさに鬱状態と言えるでしょ?
感情を抑圧することを、子供に求めている家庭なんだから、「生き生きした感情」がなくなってしまっている鬱状態に陥るのは、むしろ自然な流れと言えるでしょ?
別の言い方をすると、家庭の方針として、自分の子供が自分自身を殺して、周囲に合わせることを要求してきたんだから、その結果として、子供が自分自身と言うものがなくなってしまうのは理の当然なんですね。

ダメダメ家庭の人間の全員が鬱になるわけではありませんが、そもそも自我を滅却することを要求するダメダメ家庭では、その家族なり出身者を鬱状態にしてしまい易いわけです。
遺伝子的に同じ素因があったとしても、ダメダメ家庭は、その鬱の素因を加速してしまう。

あるいは、いわゆる自律神経失調症も同じ。
周囲との調整に、精神的なエネルギーを使って、神経的に疲れはててしまう・・・
そんな素因は、程度問題は別としてすべての人が持っているものでしょう。
誰だって、精神的なエネルギーを無尽蔵に持っているわけではない。
しかし、ダメダメ家庭は、「ふつうになれ!」と子供に要求するわけですので、そんな家庭の子供は「周囲と合わせなきゃいけない!」と強迫的に思ってしまう。同じ環境から同じような刺激があっても、それを受け入れる心理的な義務感や切迫感は、ダメダメ家庭の子供とマトモ家庭の子供では違っている。
だから同じ刺激でも、ダメダメ家庭の子供へのインパクトは大きくなってしまう。

それに子育てに当事者意識がないダメダメ家庭では、子供が自律神経失調症で苦しんでいても、知らん顔。知らん顔どころか、「あ〜あ、また子供のために、こんな面倒なことを!ワタシって、なんてかわいそうなの?」、そして、「どうして、アンタはふつうになれないの?!」と子供より先に嘆くだけ。だから、親からの要求というか、刺激まで加わって、更にストレスになり、さらに自律神経が失調してしまう。

そんなダメダメな親は、周囲からの体面は気にしても、子供の心境には配慮はしない。だって、いつも書いていますが、被害者意識が強いダメダメな親は「ワタシは子育てという迷惑を子供から背負わされた被害者なんだ!」と確信している。自分に迷惑をかけている加害者と言える自分の子供の心境なんて、配慮するわけがありませんよ。それこそ、不登校などの「引き篭もり」のような事態になっても、子供に対し「学校に行け!」「ふつうの子供を見習え!」と命令するだけで、自分の子供の気持ちには配慮しない。

そして、そんなダメダメ家庭の周辺の人間も、それこそ、ボランティアや市民団体の活動に入れ込むような同類のダメダメばかりで、同じように被害者意識が強く、ダメダメな親の被害話に同調するばかり。それこそ「政治が悪い!」「時代が悪い!」とかで他者を犯人認定するばかりで、目の前の問題には全く対処しない。周囲から適切なアドヴァイスやサポートも受けられず、結局は何も言えない弱い立場である子供に負荷がかかり、ますます子供の神経が失調することになる。
よりいっそう神経が失調したので、親からの嘆きの声も更に大きくなり・・・と、スパイラル進行することになる。

本来なら、その家庭がダメダメでも、周辺からのサポートがあれば、何とかなるわけですが、そうはいかないのがダメダメというもの。
何回も書いていますが、ダメダメ家庭は、自分たちのダメダメっぷりを許容してくれるダメダメな環境を求めるもの。つまり周辺環境自体も、かなりダメダメなんですね。
そんなダメダメな環境なんだから、当然のこととして、学校だってダメダメ。
自律神経失調症で苦しんでいる子供に対して、学校としては「こら!何とかしろ!」と命令するだけ。学校からのそんな要求を受けたら、子供の側もますます神経的に負荷がかかることは、本来なら誰でもわかること。
しかし、ダメダメ学校の教員はそんなことを分かるだけの知能も感性も知識もない。
ダメダメな教員は生徒に対し問答無用に要求するだけ。ヘタをすれば、「ああ!オレも面倒な生徒に当たってしまった!」「あ〜あ、こんな子供を持って、親御さんはお気の毒だ!」とダメダメな親と同調するだけ。ということで、子供の側の神経的な負荷はますます悪化することになる。

自律神経失調症の遺伝子的な素因を同じように持っていたとしても、子供の希望に配慮し、子供の生き生きした感情に配慮し、周囲の環境からの影響に配慮し、マトモな学校に入れるマトモ家庭では、それが自律神経失調症のような顕著な症状に行くことは少なくなる。
「ふつうになれ!」「周囲に合わせろ!」と子供に対し問答無用に命令するがゆえに、症状が加速していくわけです。

そんな状況においては、ダメダメ家庭の子供としては、「ふつうになるため」に、とにもかくにも周囲の人に合わせるわけですから、立場を考えれば、周囲の人の方が上の立場で、自分自身は下の立場でしょ?
水の流れに例えるなら、上のところから下に流れ込んでくる状態と言える。子供の側からの情報は何も対処されず、周囲からの情報に対しては、強迫的なまでに対処を要求される。
ダメダメ家庭というのは、そのような情報の「流れの方向」を作る家庭なんですね。

その「流れ」を意識的にコントロールできている内はいいとして、そもそも自分の希望を抑圧し、自分の感情を抑圧するように育てるのがダメダメ家庭というものなんだから、そんな心理的なエネルギーが持続するわけもない。それに、もともと当人の持っている心理的なエネルギー量が少ないのがダメダメ家庭の子供。まさに「この門より入るもの、希望を捨てよ!」というのがダメダメ家庭の銘のようなものなんだから、「希望」という心理的なエネルギーが少ないのは当然のこと。
心理的なエネルギーがもともと少ないし、周囲に合わせないといけないという切迫感もますます強くなっていき、その分だけ、心理的なエネルギーの消費も大きい。となると、もはや自分のコントロールができないほどに、周囲からの情報が自我に流れ込んでくる。
それを感覚的に認識すると、幻聴とか幻視になる。

もうこうなってくると、自律神経失調症どころか、統合失調症・・・昔の言い方だと精神分裂病になってしまう。
環境の激変があったりすると、その流れ込んでくる情報量が急に多くなり、自我がパニックになってしまう。そして発病となる。
しかし、その前から、その情報の流れ、そして周囲からの情報を処理する心理的なベースがそうなってしまっていたわけですから、後はちょっとしたきっかけの問題にすぎないわけです。
ダメダメ家庭の人間は、全員がその手の失調症になると申し上げているのではありません。
同じ遺伝子的な素因があっても、ダメダメ家庭は、それを加速させてしまうと申し上げているだけです。

そもそも自分自身でやりたいことがなく、それゆえ、人に合わせるという「ふつう」を目指すわけですから、自我と周囲との精神的な境界線がもともと希薄な状態と言える。
何回も書きますが、自我エネルギーが低いことを、別の言い方をすると、子供が心頭滅却することを、家庭として要求するのがダメダメ家庭というもの。

このまま単にボンヤリとして、そのまま死んでしまえば、逆に言うと、大したことではない。しかし、何も考えないがゆえに、トラブルが発生してしまう。
何も考えないがゆえに、「こんなワタシでいいのぉ〜、じゃあ、アナタと結婚してあげるぅ〜」と「ボンヤリ」と結婚してしまって、避妊という判断もせずに「何となく」で妊娠してしまう。
そんな人間が子育てをできるわけもないでしょ?
そんな「ボンヤリ」な親が自分の子供に言うのは、やっぱり「ふつうになれ!」という言葉。そうやって、「ふつう」要求が、どんどんと蓄積されてしまう。
そのひずみが結局は爆発してしまうのは、誰でもわかること。

あるいは、この自我エネルギーの低さが、ダメダメ家庭にある被害者意識と結びつくと、まさに被害妄想となってしまう。
だって、周囲からの情報が自分に流れ込んでくるという感覚を持っているんだから、そして、その「流れ」を当人では制御できないんだから、それを被害の心理ベースで認識すると、周囲のものが自分に対して被害をなすとして認識してしまう。

以前に人間の心理的なベースについての文章を集中的に配信いたしました。
ダメダメ家庭においては、何事も「被害」という形で認識してしまう。
自分が受けた被害として認識し、その被害への対処にしても、相手に被害を与えたり、あるいは、自分の被害を減らしたり・・・とにもかくにも、その認識なり思考の座標軸が、被害を基準としたものなんですね。

そんな心理的なベースを持っている人に、周囲からの情報が流れ込んでくる、それも当人がその流れを制御できない・・・そうなると、程度の問題は別として、被害妄想にもなりますよ。
多少正気が残っていれば、あるいは、周囲から流入してくる情報をまがりなりにも制御できていれば「ユダヤ人の陰謀がどうのこうの・・・」と、一応はその人なりには格調高い陰謀史観とすることもできるわけですが、そんな思考エネルギーも残っていない状態だと、自分に流れ込んでくる周囲からの情報の奔流に、それこそ「周囲が自分を殺そうとしている!」なんてパニックになってしまうのも当然のこと。

このような被害妄想は、それこそ以前に取り上げた魯迅の「狂人日記」にも出てきました。
そんな状況に陥ったら、「どこまで判断能力があるのか?」なんて議論してもしょうがない。
もともと、心理的には、そんなベースというか枠組みになってしまっているわけです。そして、情報の流れが一方方向となっている。
あとは、残っている思考エネルギーの量とか、流れ込んでくる情報量とかの、ちょっとしたアナログ的な違いがあるだけ。

その人の意向が無視され、押さえつけられてしまうと、鬱症状に向かい易いということは、昨今話題になっているブラック企業において典型的に見られるでしょ?
ブラック企業だと、鬱病になる従業員が多くでてきますよね?
自分を精神的に殺したような状態で勤めているので、自分の感情も抑圧し、結局は鬱症状になってしまう。ヘタに人間らしい感情を持ったら、ブラック企業ではやっていられないでしょ?
ダメダメ家庭とは、一種のブラック企業のようなものなんですね。

よく事件があったりすると、犯人の判断能力について議論になったりするでしょ?
しかし、そんな議論には意味はありません。
そもそも、そのような症状が発現していくように、子供を育ててしまう・・・それがダメダメ家庭というもの。
どんな方法を使うの?
それは「ふつうになれ!」と子供に要求し続けることで、そうしていくわけです。

(終了)
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発信後記

今回の文章は、何も医学的な見地を提示しているわけではありません。
同じ素因があっても、それを加速してしまう環境の問題を指摘しているだけです。

それこそ、マトモな会社では鬱症状にならず、ブラック企業で働いていたら鬱症状になったのなら、その勤務環境の問題が大きいわけでしょ?
家庭だって同じなんですね。
同じような素因があっても、マトモ家庭では自律神経失調症が発現せず、ダメダメ家庭では発現する・・・
現実にそうなっているでしょ?
逆に言うと、実際に失調症が出てしまっているのなら、家庭環境を見直す必要があるんですね。
 R.11/1/2