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カテゴリー ダメダメ家庭は立派な言葉が好き
配信日 10年4月2日
タイトル そんな境遇でも、立派に生きている
以前にこのメールマガジンで、「起こった後では、何とでも言える。」なる文言について取り上げております。まあ、私宛の逆上メールに、その文言があったわけです。
私の文章に対して「起こった後になって、訳知り顔で、色々と言っている。」と思われるのはいいとして、私としては起こる前にもちゃんと言っております。
ただ、多くの人は、起こる前の前兆の段階で、相談して来ないし、注意を持って私の文章を読んだり、見たりしないというだけ。

顕著な前兆があるのに、それを堂々と無視をしておいて、そして実際に事件が起こったら、その事件について記述した文章を読んで、「フンっ!起こった後では何とでも言えるわよ!」と不貞腐れ、「こんなことになってしまって・・・ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くだけ。
まあ、そんなことだから事件が起こるわけですよ。
まさに三島由紀夫が「金閣寺」の中で言うように「鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血が流れたときは、悲劇は終わってしまった後なのである。」そのもの。

「起こった後では、何とでも言える。」なんて、割と一般的な言葉と言えるわけですが、逆上メールにあるという言葉というものは、まさに逆上する人がなじんでいる言葉なんですから、注意をしてみてみると、ダメダメの要素がスグに見つかったりするものなんですね。

さて、今回の文章では、その言葉と同じように、軽く流してしまうと気がつかないようなダメダメな文言を取り上げてみましょう。
それは「そんな境遇でも、立派に生きている人もいっぱいいる。」という言葉です。
まあ、これも私宛の逆上メールの中にあったんですよ。まあ、上記のとは別の逆上メールなんですが。なにせ、まさに「いっぱい」ありますからね。

上記の言葉の「そんな境遇」となると、まさにダメダメ家庭出身者そのもの。
つまり、「オマエは悲観的なことを書いているけど、ダメダメ家庭出身者であっても、立派に生きて、ちゃんとした家庭を運営している人も多くいるんだぞ!」そんな意味なんでしょうね。

私としては、ダメダメ家庭出身者のすべてが犯罪者になったり、ダメダメの連鎖となってしまうなんて申し上げているわけではありませんよ。そのことは、このメールマガジンのベテランの購読者さんならお分かりでしょう。ただ、私の文章は、意外にも、論理的に詰まっているので、そんな感じで誤解されてしまうこともあるんでしょうね。
それに読んでいると感情的に昂ぶってしまって冷静に読めなくなってしまう・・・そんな面もあるでしょ?

「ああ!機能不全家庭で育ってしまうと、もう救いようがないのか?!」「このメールマガジンでは、実に論理的で、かつ、身に覚えがある空気感を持って書いてあるぞ!」「ワタシはどうなっちゃうんだろう?」
そんな感じで絶望される方もいらっしゃるかも?

私としては、ダメダメ家庭の評価を目的としているのではなく、機能不全家庭の、その不全となっている機能を、個別に、かつ具体的に列挙していき、その欠如の影響も具体的に列挙していく・・・そんなスタンスです。いわば自覚に至るための方法論としているつもりです。

さて、まあ、「そんな不幸な境遇でも、立派に生きている人もいっぱいいる。」という言葉の「不幸な境遇」がダメダメ家庭であるとして、その具体的な様相は、このメールマガジンにおいて詳細に記述しております。
じゃあ「立派に生きている」って、どんな状態なの?

そうなると、意外にも、答えられないでしょ?

「そんな不幸な境遇でも、立派に生きている。」という言葉は、すごく通りがいい言葉なので、それを言っておけばツッコミが入る可能性は低い。
だから、あまりものを考えない人が、お気軽に使ってしまう。だから巷にあふれることになり、言葉としてなじんでいるので、また別の人が深く考えずに気軽に使ってしまう。

それこそ、以前にニュースを見ていたら、レイプ事件の犯人の裁判において、裁判員制度の裁判員になったオバチャンがそんなことを言っていました。
「不幸な境遇に育ったからと言って、レイプをするなんてダメだ!」
「そんな境遇でも、立派に生きている人もいっぱいいる。」
そんなコメントでした。
まあ、田舎のオバチャンがそんな素朴な感想を持つのはしょうがない。
そんな素朴なオバチャンの意見を吸い上げる・・・それが裁判員制度の目的でしょうしね。

さて、前にも書きましたが、不幸な境遇を具体的に説明するのは、何とかできる。この私の一連の文章がまさにその代表でしょう。
しかし、「立派に生きている」ということを、購読者の皆さんはどうやって説明しますか?
どんな状態だったら、立派に生きていると言えるの?

私宛の逆上メールの中にあった文言なんだから、その人に質問すれば、本来は、教えてくれるでしょう。しかし、まあ、それは、論理的にはその通りであっても、現実的に無理というもの。自分で考えることから逃避の一環としての逆上なんだから、質問しても答えてくれませんよ。更に逆上するだけ。

さて、テレビのニュースで、その「そんな境遇でも、立派に生きている。」という言葉が出てきて、一緒にそのニュースを見ていたお子さんから「ねぇ?『立派に生きている』って、どんな感じで生きているの?」と質問されたら、購読者の皆さんはどう答えますか?

『立派に生きている、って、「ふつう」に生きていることよ!』
なんて回答する人は、このメールマガジンの購読者には、もう、いないでしょう。
簡単に予想できるのが、「人に迷惑をかけない。」これくらいでしょうか?

じゃあ、引きこもりの人は、人に迷惑をかけていないんだから、立派に生きていると言えるの?
あるいは、人に迷惑をかけて生きたゴッホやミケランジェロやベートーヴェンなんて、サイテーの人間なの?そんな話にもなるでしょ?このメールマガジンで頻繁に言及するマルグリット・デュラスは立派な人なの?彼女はアルコール中毒でたびたび入院したりしているけど、芸術的な業績がある。じゃあ、彼女は、立派なの?立派じゃないの?

そんな芸術系だけでなく、ロケットの開発者として有名なドイツ出身のフォン・ブラウンは、ナチとも協力し、イギリスにミサイルを撃ち込み、アメリカに渡って、人類を月に持っていったわけでしょ?彼はどうなるの?
あるいは、以前にボランティア関係者として取り上げた西武グループを率いていた方は、ボランティア活動に熱心な立派な人といえるわけですが、それこそ陰では色々とやっていたわけでしょ?あの人は立派なの?立派じゃないの?

「立派に生きている。」との言葉はいいとして、そして、「そんな人がいっぱいいる。」との主張はいいとして、その具体例をあげられるの?
皆さんはそんな具体例を知っていますか?そして、その「立派さ」を説明できますか?
「立派に生きている」という言葉は、別の言い方をすると、自分の敬意の対象といえる人という意味に近いでしょう。本来なら自分と関係が強い分野において成立する発想ですよ。部外者が持つものではありませんよ。その業績を客観的に説明できるくらいに分かっているからこそ立派と言えるのでは?別の言い方をすると「立派な業績」というのは言えるでしょう。しかし、「立派に生きている」となると、具体的に説明できないでしょ?

何度も書きますが、そもそもその中の「立派に生きている」という言葉の意味は、あいまいなんだから、「立派に生きている」人の具体例も何もない。
だから、結局は、NHKが放送するような典型的なヒューマンドラマのようなものを例としてあげることになる。苦労をしながら、明るく前向きに生きる、ヒロイン○○を描いたドラマ。しかし、そんなヒューマンドラマはあくまで虚構でしょ?
それって絵に描いたように「現実と虚構を混同している!」状態。
そんな発想こそが、まさに犯罪の温床なんじゃないの?

そもそも機能不全家庭の不全な機能の代表として、説明能力なり表現力もある。
ダメダメ家庭の人間は、自分の境遇を説明すること、それ自体が難しい。
それにヘタにしゃべってしまっても、何かメリットがあるわけではないでしょ?
キワモノ扱いされたり、危険人物扱いされるだけ。

もし、マトモな社会で立派に生きる覚悟を決めているのなら、そんな自分自身の不幸な境遇なんて、周囲の人には「語らない」はずでしょ?
自分の不幸な境遇を語ることって、別の言い方をすると、不幸自慢ということ。
そんな不幸自慢をしている時点で、「立派に生きている」とは言えないのでは?

自分の困難な状況を打開するための相談のケースにおいては、それ相応にしゃべることもあるでしょうが、ダメダメ家庭の境遇を理解できるマトモな人なんて、いませんよ。
ヘタにしゃべってしまって「親のことを悪く言うなんてケシカラン!」と怒られて、結局はダブルバインド状態になって、不幸な境遇が「より不幸な境遇」になるだけ。
本当に、しっかりまじめに生きているのだったら、そんなことを、たとえ相手が性格がいい人と言っても、鈍感な人に対してべらべらとしゃべっているヒマなんてない。ただでさえ、ダメダメ家庭出身者は多くのハンディを背負っているわけですからね。
だから、「そんな境遇でも、立派に生きている。」なんて言葉は、具体例とは無縁の抽象論の一種なんですね。いわば、神様がいるとかいないとかのレヴェル。

そもそも、その指摘された「立派に生きている人」とやらは、そんなに生きているのが楽しいの?充実した日々を送っているの?
現在が充実しているのなら、その面を語ればいいだけであって、過去の問題は語る必要はありませんよ。現在において立派に生きているのなら、どうしてそんな昔の苦労話をするの?
今現在の立派な業績を語ればいいだけですよ。
昔の苦労話を語っている分、うさんくさい。

それに、たとえ「あの人は立派だ!」と見える人がいても、その人が実際に立派かというと全く別問題でしょ?立派な人って、自分から「ワタシは立派だよ!ミンナもワタシのことを尊敬しなさい!」と主張してくる人のことなの?しかし、それってヘンでしょ?あるいは、「ワタシは天国にいるように幸せ!」と自分で言っているから、あの人たちは幸福なんだから、立派なんだろう・・・と思うの?しかし、「ワタシは天国にいるように幸せ。」と自称する人は、立派さの対極にいる人でしょ?外見的に立派に見えても、実質もそうだとは言えない。まさに外面をよくしようと、必死で人に合わせた結果として「あの人は立派だ!」という評価になってしまう事例も多い。

周囲の人の目を気にして、オドオドしてしまっている状態。
そんな状態だからこそ、その家庭の子供は、精神的に切羽詰ってしまう。

そんな「立派な親」って、現実に存在するでしょ?
そんな「外面が立派な親」の例だったら、皆さんだって、具体例を挙げられるでしょ?

本人の精神状態は、本人しかわからない
と言うか、当人自身が必死で自分を騙そうとしているのが、そんな不幸な境遇の出身者というもの。当人自身が自分を騙すついでに、周囲まで騙されてしまって、「あの人は立派だ!」との評価になってしまう。

立派も何も、そんな外からの評価に意味があるわけではないでしょ?
当人が自分なりの目標を持って、それを周囲と調整しながら進めていけばいいだけ。
そのためには、機能不全家庭で育ったがゆえの不全な機能を自覚しておかないとダメというだけ。自覚がないままに突っ走るからトラブルになってしまう。

それこそ風邪気味だったら、お風呂には入るのを控えた方がいいでしょ?
「風邪気味でもお風呂に入っている人がいる!」
「だからオマエも、泣き言を言わずにガンバルんだ!」
なんて熱く主張してもしょうがない。
現状をしっかり認識し、それを踏まえて、できること、できないことを判断していけばいいだけですし、それしかありませんよ。

「そんな境遇でも、立派に生きている。」なんて言葉は、それこそ田舎のオバチャンのような鈍感な人が言うのなら、まあ、しょうがない。そんな鈍感な人は、役に立つ人でもありませんが、人畜無害ですよ。上手に距離を取ればいいだけだし、現実的にもその距離を取ることは可能です。
しかし、ダメダメ家庭出身の人が言ったりすると、警戒する必要が出てくる。
それだけ、問答無用の正論で、自分自身で考えることから逃避しようとしているわけです。
そんな人に対して、ちょっとでも指摘したりすると、まさに逆上するもの。
「立派に生きている自分」という、外見が壊れるのを怖がっている。あるいは、自分で考える必要に直面するのが怖い。自分を騙しきれなくなってくると、逆上してしまう。そして、逆上メールを発信!

だからこそ、自分に指摘してくるような人間を遠ざけ、自分の問題に関わりそうな問題になったら過剰に反応することになる。
そんな人が親になったら、子供はそんな親に対しどのように接すればいいの?

ちなみに、私は、「ダメダメ家庭出身者は悲惨な末路になる。」と申し上げているわけではありませんよ。何回も書きますが、自分の状態を把握しながら生きていきましょうと申し上げているだけです。
そして、現実から遊離した正論とか、「いい子」に見せるための博愛精神にあふれた姿を見せようとする人には気をつけた方がいい・・・そのように申し上げているだけです。

「そんな境遇でも立派に生きている」というか、現実的には「そんな境遇でも何とか生きている」とか、「必死で生きている」人のパターンの人は実際にいるでしょう。それだったら、皆さんも合意するでしょ?しかし「そんな境遇でも立派に生きている人が多くいる。」・・・という言葉を自分から熱心に語る人は確実にダメダメでしょうし、そんな言葉を語る人に寄っていく人もダメダメなんですね。語ることがウソくさい・・・そんな言葉もあったりするでしょ?

それに「そんな境遇でも立派に生きている人もいるんだぞ!」というご高説をぶっこく人間自身は、じゃあ、立派な人間なの?現実的には、そんな問答無用の説教人間は、顔を見るだけでも不快でしょ?
その人自身がそれなりの業績を上げているのなら、よくわからない他人様の「境遇」なり「立派さ」なんて力瘤を持って語る必要なんてありませんよ。

「ふつう」という言葉を熱心に語る人が、決して「ふつう」の人でないように、あるいは、実際に幸福な状態にある人が、率先して「ワタシは幸福だ!」などと主張したりしないように、「そんな境遇でも立派に生きている。」と熱心に語る人は、心に爆弾を抱えた危険人物なんですよ。だって自分自身を知らないし、知ろうとしないし、そこから逃避しているんですからね。
ダメダメ家庭出身者がそんなことを言っていたら、スグに逆上するような人と見て間違いがないもの。
結局は不幸な境遇から目をそらし、思考停止になっていて、なじみのダメダメの流儀を再現してしまい、ダメダメを連鎖させているだけなんですね。

(終了)
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発信後記

新学期になりましたが、前から書いておりますように、このメールマガジンは、今月で終了の予定です。
まあ、03年の9月から始めたわけですので、いくらなんでもねぇ・・・

ちなみに、このメールマガジンでは、たまにゲーテの「ファウスト」の言葉を使ったりしております。「ファウスト」は、様々な引用などがあり、本の後ろには膨大な脚注があります。
よく電子書籍などについて言われますが、この手の脚注は、インターネットのようなリンク方式にすれば、実にスムーズになるでしょう。あるいは、必要に応じ、ドイツ語の原文も参照できるようにすることもできますからね。
重要なのは、作者の文章であって、それが一般の書籍のスタイルなのか、電子書籍のスタイルになるのかは、重要なことではないでしょう。

ちなみに、このメールマガジンの文章も、色々と引用などもあり、相当程度、脚注があった方がいいでしょうが、まあ、そんなことをしてくれる奇特な人はいないでしょうし、秘するが花ともいいますしね。微妙なネタを引用でごまかしたものもありますし・・・
ただ、時事ネタに触れたものは、後になって読んでも、どの事件だったかなぁ・・・と、自分でもわからない。逆に言うと、同じような事件が、次々と起こっているといえるのかな?しかし、多くの事件が、このメールマガジンの記述を理解していると、よく見えてくるでしょ?
 R.11/1/2