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カテゴリー | 事件の前 |
配信日 | 10年4月7日 |
タイトル | 事後警戒 (当然の観察眼) |
ダメダメ家庭は当事者意識がない。 自分の目標を達成したり、自分で自分の問題を解決していこうなんて思っていない。だから、何も考えずに、「て・き・と・う」に物事を始め、結局は上手く行かず、お得意の被害者意識に浸るだけ。 以前に取り上げましたが、ダメダメ家庭においては「プロジェクト体験」とか「イヴェント体験」をしていないので、計画を立て、それに沿って行動するようなことをやっていない。 未来に向けての計画とかの壮大な問題ではなく、日曜のお出かけなどの、ちょっとしたイヴェントでも、計画をたてて遂行するそんな訓練をしていない。いわば、計画という発想そのものがない。 だから自分たちの希望とか、それに伴うリスクを考えたりもしない。 チャレンジ精神があれば、逆に言うと、何かトラブルが起こることも事前に予想できたりする。 しかし、何も考えずに「てきとう」に生きているからこそ、発生するトラブルも予想できない。そんな「何も考えない」「てきとう」な日々を、「ふ・つ・う」と言って弁明するだけ。 何かをする際には、事前に色々と検討して、シミュレーションしておけばいいはずなんですが、当事者意識がないので、事前には何もしないんですね。 しかし、ことが進んで、結局は上手く行かず、自分の「被害」が目に見えるようになったら、大騒ぎ! 「ああ!こんなことしなきゃよかった!」と大仰に嘆くだけ。 そんな反省を次の機会に生かせばまだしも、ダメダメな人間は、そんな殊勝なことはしない。相変わらず「て・き・と・う」に始めて、後になってやっぱり大騒ぎするだけ。 ただ騒ぐだけで、今後の問題点を慎重にシミュレートするわけではなく、目先の「被害」を優先で考えることになる。 結婚する際には、覚悟もなく、いい加減で結婚して、離婚する段になったら、「自分の被害」を色々と考える。出産する際には、「て・き・と・う」に出産して、子供の養育に時間を取られたり、費用が必要になる段になったら、ブチブチと言い出す。 「だったら、最初から、そんなことしなきゃいいじゃないの?」 と周囲の人が思うのは当然ですが、当事者意識がないので、そんな事前準備などは縁がないわけです。 これで、このまま何も考えずに「て・き・と・う」で最後まで突っ走ればまだしも、被害が実際に目に付きだすと途端に、持ち前の被害者意識が刺激され、異常に細かくなってしまう。それを子供に言い出すからタチが悪い。 「ああ、子供の学費が大変な負担だ!」・・・しっかし、子供を作れば学費も必要なことは誰でも知っているでしょ? 「引越しの費用が大変!」・・・じゃあ、最初からもっと慎重に住居を選べばよかったのに・・・ 「離婚したいけど、今後の生活費が心配!」・・・そもそもどうしてそんな男性と結婚したの?その人を好きでもなかったクセに。 結婚しておいて、「あの人と結婚するんじゃなかった。」・・・と子供の前で嘆き、 子供を作っておいて、「子供を作るんじゃなかった。」・・・と子供の前で嘆き、 周囲から言われたので、世間体から子供を進学させたりすると、後になって「進学なんて、させるんじゃなかった・・・」と子供の前で嘆く。 そんな環境の子供がマトモに育つわけもなく、やっぱりトラブル発生。 そうして、「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と悲嘆の絶叫。 マトモ家庭の出身の人にはギャグにしか見えないでしょうが、それがダメダメ家庭の現実。 そんなことばかりやっていても、曲りなりにも「事後」では色々と考えているので、本人は「事前」に何も考えていないことを、自覚できない。 「ワタシは精一杯やっている!」「一生懸命に考えている!」 本気でそう思っちゃうんですね。本気でそう思い、そして、周囲に語り、そのように自分を騙すわけ。 発生した被害に対しては、敏感に反応する。 そして、当事者意識がないから、「悪いのは全部相手方のせい。」と確信している。 そもそも、何も判断していないわけだから、別の言い方をすると、何も「間違った判断」はしていないことになり、当人としては、そう思ってしまう。 だから「あの人を変えないと!」「あの人を立ち直らせたい!」と相手を変えようとするもの。 それこそ「アナタは、結婚前から本当にだらしなくて困ったものだけど、せめて子供が生まれた後にはシャキっとしてよ!」と、父親になった夫に強く要求することに。 しかし、そんな要求で、夫が変るわけもなく、そんな女性は「ああ!必死で夫を変えようとしたけど、ダメだったわ!ああ!ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と嘆く。 そんな嘆きに対して、ボンクラな人は『まあ、なんてお気の毒なの?!実はウチもそうなのよ!』と言って共鳴することに。 そんな共鳴する姿を、それぞれの子供たちが「つーか、そもそもそんなだらしないオトコと結婚して、子供を作るなよ!バカか?アンタたちは・・・」と呆れて見ることに。 被害者意識が強いダメダメ人間は、まず被害に反応する。 被害が具体的でない状態では、何も考えていない。小さなトラブルには目を背け、被害を十分に「育て上げた」挙句、目をそむけ切れなくなると「わあ!タイヘンなことに!ワタシって、何てかわいそうなの!」と嘆くだけ。 かと言って、対応策を取る段になっても、自分の被害しか考えずに、「じゃあ、自分はどうしたいのか?どうしてこうなってしまったのか?」なんて考えない。 被害が起きてから、大騒ぎするより、被害が起きないように事前に検討する。 そんなことは、本来なら誰だってできることですが、当事者意識がないダメダメ家庭の人間は、実際に事件が起こって初めて、警戒する習性があるんですね。 後になって騒ぐだけだから、責任感もないし、同じことの繰り返し。 そんな人は、まさに離婚相談を繰り返すことになる。 離婚相談こそ、その手の人間のオハコといえるでしょう。 離婚相談なら、「夫のせいで・・・こんな点が困ったことになっている、あんな点に困っている。」と、発生している被害を言っていればいいだけ。 それに対し、結婚相談は簡単じゃないでしょ? ワタシはこんな人間で・・・ 相手はこんな人間で・・・ 将来はこんな家庭を作りたい・・・ 相談相手に対し、そんな説明が必要になってくる。 結婚相談というものは、現状認識なり、将来ヴィジョンが必要だし、それなりの当事者意識がないとできないことですよ。何も結婚相談を他者にする必要はないけど、自分自身に対して説明してもいいのでは?それができれば、離婚相談などをする必要がなくなりますよ。 しかし、結婚相談をしない人に限って、離婚相談は頻繁にやっている。 そんな人は、離婚相談をしやすいように、何も考えずに結婚する。 被害が実際に発生しないと、何も対処しない人間なんだから、事前に何も認識しないし、何も判断しない。と言うか、ヘタに認識し、判断してしまうと、トラブルが発生した後の相談において、困ってしまう。自分を被害者として説明できない。「ワタシは悪くないわ!」と言えなくなってしまう。 自分では何も考えなかった受身の立場だからこその被害者という立場なんだから、とにもかくにも、事前には何も見ないし、何もしない。 結婚してから相手を見るし、 就職してから会社を知るし、 社民党に入ってから、社民党に文句を言う。 そんな人は、トラブルを避けるという発想自体が存在しない。 事前の準備なり警戒の不足は、知的能力の不足というよりも、認識からの逃避や判断からの逃避という心理の抑圧から来ているわけです。 予防は考えない、というよりも、考えることそれ自体が恐怖。 たとえば、ドメスティック・ヴァイオレンスにおいては、暴力オトコを避けるという判断を避ける。そもそも「こんにゃくゼリー」を買うことすら避けられない人間が、どんな判断ができるの?何ができるの? そんな人は、被害というポジションを獲得するために、常にあら探しをしているもの。それこそ日本の歴史教科書の最大の読者は韓国人でしょ?目を血走らせて、日本の教科書を読んでいますよね? あるいは、わざわざ公立学校の教員になって、「君が代、日の丸、反対!」と大合唱。 キライならキライでいいわけですが、そんなところは避ければいいだけ。 しかし、抑圧的な人間は、避けるという判断自体ができない。認識するのは、他者の「あら」だけ。そして、その「あら」によって、自分を被害者として語ることになる。 まさに、ダイビング前のアンナ・カレーニナのような状態。 だから、事態を認識すること自体がいい加減。 マトモな人間が持っている当たり前の観察眼を持っていない。 それこそ、最近のスーパー・マーケットで、よくある光景と言えば、商品を棚から取り出して、そして裏の表示を見て、そうして、元の棚に返す人。 まあ、「何を見ているのか?」なんて言うまでもないことでしょ? 何を見ているのかは大体が同じでしょう。それに「そんなこと」をする人は、似たようなしぐさをするもの。 まあ、食料品で、裏を見て、元に戻すような人は、それなりに丁寧に商品を扱っている。 しかし、世の中にはスーパー・マーケットだけでなく、別のお店もあったりしますよね?衣料品とか電気製品とかおもちゃとか・・・中にはそれらの商品を手にとって、ぞんざいに戻す人もいますよね?投げ入れるような感じで元の場所に戻す人を見たことがあるのでは?確かに、衣料品だったらスグに壊れたりはしないでしょう。 そんな光景を見て、「既に自分で購入した商品ならわかるけど、買ってもいないのだから、もっと丁寧に扱う必要があるのに・・・」そう思ったことがある人もいらっしゃるのでは? そんなぞんざいな扱いをする当人はともかく、そんな姿を平然と見ている人もいますよね?男性が商品をぞんざいに扱う・・・それをボーと見ている連れの女性。 そんな男性と女性が結婚したら、将来どうなるの? それこそ、「うちの亭主はワタシに暴力を振るう!ヒドイ人だ!」なんてことになってしまうんじゃないの?暴力云々はともかく、大切に扱われることはないでしょ? しかし、それって、そんなに突飛なことなの? ちょっとでも考えればわかることでしょ? それこそ歩きタバコをしたり、そのタバコをポイ捨てする人もいますよね? 付き合ったあげく、そんな人から捨てられても、そんなに突飛なことなの? むしろ当たり前のことでしょ? 女房とうまくいっていない・・・なんて日頃からグチっているオトコが、その妻と離婚となる。そんなオトコと結婚して、当人が新たに女房になったら、うまくいくの? 往々にしてそんなオトコは、前の妻への慰謝料もケチるもの。そんな姿を「新しい」妻はどう思うの? 結婚前に、会話がない人と結婚したら、結婚後は楽しい会話に満ちた家庭になるの? そんなわけないでしょ? 他人が泣いていたら、極端に機嫌が悪くなる夫が、子供を持ち父親になったら、その人との間の子供が泣いていたら、その泣いている子供をあやしてくれるの? そんなわけないでしょ? 普段から乱暴な言葉使いの人と、結婚して家族となったら、丁寧な言葉で接してくれるの? 乱暴な言葉と、くだけた言葉は違いますよ。 丁寧な言葉使いの人と結婚したら、結婚後は、くだけた言葉使いになった・・・それはアリでしょう。結婚後も敬語でやり取りなんて、逆にヘン。 しかし、乱暴な言葉使いの人は、結婚後も乱暴な言葉使いでしょ? 看板にぶつかったら、その看板を蹴飛ばすような人だったり、車の運転の最中にクラクションを鳴らして、「コラぁ〜」と大声をあげる人は、家族のために命を張るような人と言えるの? このメールマガジンで頻繁に書いていますが、前も後も、人間なんて変わらないものなんですね。後になって起こるトラブルは、その前に予見できるもの。逆に言うと、ちゃんとした観察眼があれば、そんなトラブルは回避できるわけです。 以前にも、ちょっと言及しましたが、フランスの映画監督のエリック・ロメールの作品にこんなシーンがありました。上品に食事を食べる青年に、女の子が声を掛ける。そして言う「アンタは歳をとってから味が出るタイプよ!」。上品に食事を取る人は、若いうちは面白くないように思えるかもしれませんが、年齢を経て中身が充実してくるわけです。 しかし、ダメダメな人間は、被害者意識が強い。そして「自分はかわいそうな被害者なんだ!」ということしか自分を説明できない。被害者としての主張としての報復行為をやっていたりするもの。その報復行為なり被害者主張に合意してくれないような人は相手にはしない。そして「まあ!お気の毒ね!」と声を掛けてもらうと、『この人はワタシの理解者だ!』と認定してしまう。しかし、スグに「アナタはお気の毒ね!」なんて言うような人間は、結局は同類。だから自分に対しても同じことを言って欲しがる。そうして一緒になった後でトラブルになって、「どっちが、よりかわいそうなのか?」「どっちが、より大きな被害を受けているのか?」でモメることになる。 そうして、こんなグチを言い出すことになる。 「あの人は変わってしまった!」 そんなグチを言い出す人に限って、『じゃあ、変わる前はどうだったの?』なんて聞いても答えられない。 むしろ「どうして、そんなことを聞くのよ!キーっ!」と逆上するだけ。 「変わってしまった。」との言葉はいいとして、どの点がどのように変わったのか?それをわかりやすく説明できる人とは会ったことがありませんよ。そもそもそんな説明能力がある人は、そんなグチは言いませんし、そんな事態にもなりませんよ。それに、変わったのなら、放っておいて、サヨナラすればいいんじゃないの?人は人、自分は自分ですよ。その人が変ったとしても、じゃあ、自分はどうするの? いつまでも、「あの人は、変わってしまった。」ってグチっているの? そんな人は、変わられたという被害者意識を叫んでいるだけ。 しかし、そんな感じで嘆いていると、それこそボランティアのようなグチに共鳴する人間がやってきて、『まあ!なんてお気の毒な!』と同情の言葉をかけてしまう。その同情の言葉に「この人はワタシのことを分かってくれる!」と認定し、一緒に行動することになる。 しかし、その後どうなるの? 購読者の皆様だったら、簡単に予見できるでしょ? 洞察力がなくても、それなりの観察力があれば、危険は回避できるもの。 それなりと言うか、当たり前の観察眼があれば、誰でも分かるような事例ばかり。 それこそ、トラブルが起こった後で、当事者の一人が『オレのせいじゃない!』と叫ぶ。 マトモな人は、「あの人はスグに弁解をするから危険人物だ。」と認識するもの。こんな事態になっても弁解ばかりやっているからトラブルが発生する・・・と思うのがマトモでしょ? しかし、当然の観察力のないダメダメ人間は、「彼は自分のせいじゃないと言っているのだから、彼はいい人なんだろう・・・」と認識してしまう。 その結果がどうなるの?ドメスティック・ヴァイオレンスになるもの当然でしょ? 児童虐待が疑われる状況において、『そんなことを言うようなヤツはぶん殴るぞ!』という言葉での反論は、虐待の証明でしょ?そんな推論は突飛な推論ではないでしょ? 本来なら、その前兆の問題を指摘する人もいるはずなんですが、ダメダメな人間の周囲にはダメダメな人間ばかり。だから、一緒になって「ああ!私たちって、なんてかわいそうなの?!」と嘆くだけ。そして、実際に事件があった後で、「どうしてこんなことに?ワタシたちはうまく行っていた!」と嘆くばかり。 逆に言うと、そんな事後の対応を見るだけで、事前の警戒のレヴェルが判ることになる。 せめて事後には、しっかり検証して、次の問題に反映させていけばいいわけですが、ダメダメな集団はそんなこともしないもの。 それこそ、政治の世界において、自民党は以前に参議院選挙で大敗して、「解党的出直し」とか言っていましたが、結局は、アタマを変えただけ。だから、次には衆議院選挙で大敗することになる。しかし、まだやっぱりアタマを変えただけ。実質的には何も変っていないまま。だから同じようなトラブルがまた起きることになる。 あるいは、家庭問題が多発している長崎は、実際の事件が起きると、大人の意向を子供に押しつけるだけ。結局は、子供も意向が無視され、問題が発生する土壌を直視しないまま。だから同じことを繰り返すだけ。 日頃から考えない人は、どんな大きなサインがあっても、目に入らないもの。 あるいは、関心がないものは、どんな大きなサインがあっても、覚えない。 それこそ、以前に、ある人から『あの○○駅の前にはパチンコ屋さんって、あるの?』と聞かれたことがあって、私は「たしか・・・ないんじゃないの・・・」と答えたことがあります。 ところが、そんな観点で見てみると、パチンコ屋さんが3軒あったんですね。 私としては「うわぁ・・・関心がないものって、目に入らないんだなぁ・・・」と自分自身にビックリしたことがあります。 パチンコ屋さんが目に入らないくらいならともかく、結婚しようとする相手や自分の子供の問題の前兆だって、関心があるから目に入るわけです。 しかし、当事者意識がないダメダメ人間は、目の前の明確なサインすら見ようとしない。そして事後になって大騒ぎする。 そして、「あの人は、変わってしまった!」と嘆いたり、 「あの人を変えないと!」と力んだり、 そんなことを繰り返しているものなんですね。 (終了) *************************************************** 発信後記 今週は「見ること」についての文章を集中的に配信しております。 何も驚異の洞察力とかを要求しているのではなく、小学生でもわかるレヴェルの観察眼を要求しているだけです。 それこそ本文中に書いておりますが、男性が周囲の人に対して乱暴な物言いをして、それを笑ってみている連れの女性というカップルがいたりするでしょ? そのまま結婚してしまったら、どうなるか? それは小学生でもわかること。 逆に言うと、そんな当たり前なことから目を背けるがゆえに、トラブルになってしまうわけ。 |
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R.11/1/28 |