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カテゴリー ダメダメ家庭は立派な言葉が好き
アップ日 11年1月4日
タイトル 生きていればいいことがある
言葉というのは表現の手段であり、相手に対して自分の考えを伝えるためには、重要なものです。しかし、ダメダメ家庭の周辺においては、その言葉と、発する側の心理がずれている場合も多い。
まさに、心にもないセリフを言い放つパターンが多いわけです。

「分かってほしい」という気持ちと、「言いたい」という気持ちのギャップが極めて大きいといえるでしょう。つまり、その分、相手の存在を心理的には認識できていないわけです。
「言ってオシマイ」となっている。
だからこそ、言われた側としては、何も言葉がない状態よりも、さらに途方に暮れることになる。

それこそ、「オレは逆上なんてしていないぞ!オレは冷静なんだ!」と目を血走らせて、顔を真っ赤にして主張されても、そんな言葉を聞いた側としては困ってしまうでしょ?
そもそも、本当に冷静なら、「逆上していない」という言葉ではなく、もっと具体的で客観的なやり取りができるものですよ。
「逆上していない」という言葉が、その人の逆上っぷりを表現しているわけです。

あるいは、「アンタの話って、アンタの妄想じゃないの?」と言われてしまったら、『妄想じゃないわよ!ヒドイことを言うわね!』と怒り出す人もいますよね?
本当に妄想じゃなかったら、逆に言うと、『妄想かぁ・・・そんな感じで聞こえちゃったの?じゃあ、さっきの件について、別の言い方をすると・・・』というスタイルで言い直すことができるわけでしょ?
『妄想じゃない』という反論の言葉こそが、妄想であることの証明のようなもの。

あるいは、「子供を愛さない親はいない。」という御高説も、逆に言えば、「ワタシはアナタに幸せになってほしいから、困ったことがあったら、早めに言ってね!」と、自分の子供に言えないことでしょ?つまり「子供を愛さない親はいない。」という言葉の反証は、その言葉を発する人の存在と言えるわけです。

言葉はLOGOSであり、論理を示しているわけで、ほとんどの場合において、その意味も表している。しかし、言葉で示される論理と、その背景となる意味や心理とか食い違っている場合も多いわけです。
特にダメダメ家庭の領域においては、普段のやり取りにおいて、「相手に分かってほしいこと」を自覚しないままで、「な〜となく」のフィーリングでやり取りしている。
相手に分かってほしいこともなく、だからこそ、相手が結果的に分かったかについてどうでもよく、ただ、その場の空気に合わせているだけ。

だからこそ、普段から、言葉が軽い。
そりゃ、「てきとう」に言葉をばら撒いているだけなんだから、言葉も軽くなってきますよ。
そんな言葉の軽い人が、よく言ったりするのが「生きていると、いいことがある。」なる物言いです。今回の文章では、その言葉をについて、そして、その言葉を発する人について考えてみましょう。
まあ、現実では、自称「善意の人」がそんな物言いをしたりするものでしょ?
じゃあ、その「生きていると、いいことがある。」という言葉を聞かされて納得するの?
あるいは、発した側は、その言葉の受け手が納得すると本気で思っているの?
あるいは、納得させたいと思ってその言葉を発しているの?

この文章をお読みになっておられる皆さんが、この「生きていると、いいことがある。」という言葉を受けて、『へぇ・・・そうなのか!生きているといいことがあるのか!ほぉ!勉強になったよ!』と思うでしょうか?と言うか、思いましたか?

たぶん、そうではないでしょ?
「生きていると、いいことがある。」という言葉は、言葉にした段階で、無意味になる言葉なんですね。
それこそ、「子供のために離婚しない。」という言葉を、子供の前で語ったら、その時点で子供のためとはとても言えないでしょ?

「生きていると、いいことがある。」という言葉自体の論理はいいとして、じゃあ、その「いいこと」って具体的には何なの?
あるいは、その言葉を発した人自身は、どんな「いいこと」があったの?
その「いいこと」が実際にあったのなら、その具体的な「いいこと」を語るのがスジなのでは?
「ワタシは昔、こんな『楽しいこと』があったのよ。アナタもそのうち、そんなことが訪れるんじゃないの?」そんな言葉なら、それなりに聞くことができるでしょう。
「オレも、昔は色々とあって、イヤな思いもしたけど、ある時にこんな人と出会って、その後からは・・・」そんな話でもそれなりに聞くことができるでしょう。
しかし、ただ、「生きていると、いいことがある。」という一般論を聞かされても、何もインパクトがないでしょ?

相手に対して伝えたいことなり、分かってほしいことがあるのなら、もっと具体的に言わないとね。どうして、具体的に言わないの?
それって、「言わない」のではなく、「言えない」からでしょ?

この「生きていると、いいことがある。」という言葉を発する人は、例外なくグチっぽい人でしょ?普段から、周囲にグチばかり言っていて、それこそ「あ〜あ、生きていても何もいいことはないわ!」とグチっている人が、人に対しては、「生きていると、いつかは、いいことがある。」と上からの立ち位置でのたまったりすることになる。
実際に、そんなものでしょ?

だって、普段から、充実した人生を送っている人は、「生きていると、いいことがある。」という言葉ではなく、充実感漂う顔の表情なり、あるいは、凛とした後ろ姿によって、「いいこと」を無言で語るわけでしょ?
そんな人に対しては、「どうやったら、アナタのように充実した日々を送れるの?」という質問になるわけでしょ?その質問に対する回答として、『日頃から、こんなことに取り組んでいる。』『こんな使命感を持って生きている。』『こんな問題意識を持っている。』そんな回答になるでしょ?まさか「アンタも、生きていれば、そのうちに、いいこともあるさ。」なんて回答にはなりませんよ。
「生きていれば、そのうちにいいことがあるさ。」なんて回答をするような人は、充実感が漂う雰囲気はしていないもの。
充実した人生を実際に送っている人は、「そのうち、いいことがある」なんて他力本願なことは言いませんよ。

目の前に確たる義務や使命が見える状態。
そして、それに真摯に取り組んでいる状態。
そして、少しずつでも、事態がよくなっていることが実感できる状態。
それこそが充実感であり、そんな日々が、「いいこと」と言えるのでは?
「いいことがある」と、言葉にすること自体が、ある種のウソくささを示しているわけです。

たとえば、「生きていればいいことがある。」という言葉を、それこそインターネットの掲示板などで語ること自体が、その人の周辺にトラブルが発生している、あるいは発生する証拠のようなものと言えるでしょ?
自分に確たる義務や使命があれば、そんなところに書き込んでいるヒマはありませんよ。
別の言い方をすると、言葉は持ち出すことができても、後ろ姿で語れないということ。
つまり、その人自身のあり方として「軽い」んですね。
それっぽい言葉で自分を騙しているだけ。

それこそ、子育てにおいても、親としてしなければならないことが見えて、子供の成長が実感できていて、それゆえに親として充実感を持つことができれば、それはそれなりに「いいこと」でしょう。
しかし、子供を作りさえすれば、自動的に「いいこと」になるわけでもないでしょ?
しかし、自己逃避のダメダメ人間は、安直で他力本願な「いいこと」しかない。
だからこそ「生きていれば、そのうちに、いいことがあるさ。」なんて言葉になってしまう。
自分なりの充実感を、自分の力でたぐり寄せる発想を持っていない。

そして、そのような言葉が軽く、思考も軽い人間同士が一緒になって、本当に子供を作ってしまう。しかし、そんな当事者意識が欠如した親が子育てをしても、結果は見えているでしょ?しかし、そうなってしまうと、子供によって「いいこと」を期待していたダメダメ人間は怒り出す。
それこそ、「あれだけ子供に期待していたのに、裏切られたわ!」と被害者意識となってしまう。そうして、子供に対して報復行為となってしまう。

そもそも、言葉が軽く、思考も軽い人に対しては、何を言ってもムダ。
その手の人は、普段のやり取りでも、「まっ、これ言っておけばいいじゃん!」というズボラさ漂っている。
だから、そんな人からは距離を置くしかない。
しかし、だからこそ、周囲には、そんな言葉の軽い人にフィットしたダメダメ人間ばかりとなってしまう。

そんな環境で育ったら、子供だってやりきれませんよ。
そして、困っている子供に対し、ダメダメな親だけでなく、周辺の人も、「まっ、生きていれば、そのうちに、アンタもいいことがあるさ。」と型どおりの言葉を投げ付けるだけ。
しかし、そんな言葉を投げつけた側は、その後になって、「あ〜あ、生きていても何もいいことがない!」と、その子供の目の前でグチったりする。

逆説的になりますが、「生きていても何もいいことがない!」とグチる人と、「生きていれば、いいことがある。」とアドヴァイスする人は、人物して重なっているもの。
言葉の論理の方向性はまったく逆方向でも、その土壌となっている心理は共通しているわけです。
結局は、当事者意識がなく、他力本願であって、会話の能力が不全の人間なんですね。
あるいは、自分自身で物事を考えるのではなく、その場その場で通りのいい言葉を発しているだけの人と言える。

逆に言うと、「生きていれば、いいことがある。」とのアドヴァイスに接したら、その人は、グチっぽく、そして当事者意識ないことも想定できるわけです。
「生きていれば、いいことがある。」という型どおりの言葉は言えても、充実感漂う姿を見せられない・・・その手の人は、そんなものでしょ?