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カテゴリー | ダメダメ家庭は立派な言葉が好き |
配信日 | 03年9月26日 (10年4月13日,10年12月11日,11年2月15日 記述を追加) |
タイトル | 普通の子供になれ! |
子供を虐待する親の決まり文句は、「オレはふつうの親だ。」「ウチはふつうの家庭だ!」と言うものです。 もちろん、法律的に問題になり、警察沙汰になるような虐待家庭だけではなく、このメールマガジンで書いているダメダメ家庭を作る親も、そんな物言いが大好き。 あるいは、家庭内で何か問題が発生しても、「私はふつうの家庭を作りたいだけだ。」と答える場合も多い。 そんな親の心境としては「ワタシは、何も大それた望みは持っていなかったのに、何故にこんなことに?」となっている。 逆に言うと、その手の嘆きの言葉を語る親としては、そんな事態にしてしまった犯人を探している状態となっている。 そんな犯人探しの心理を持っている人間の前に、まさに自分の子供がいる・・・そうなったら、どんな事態になってしまうの? 「ワタシは、ふつうの家庭を築きたかっただけなのに、コイツが生まれたからうまくいかなくなったんだ!」と、自分の子供を虐待するようになってしまいますよ。 逆に言えば、子供を犯人認定して、虐待することにより、「自分は子供が生まれたことによる被害者なんだ。」と自分に確認させているわけです。 ちなみに、「普通の家庭を作りたい。」という言葉は別のところで記述する予定です。 ダメダメ家庭においては、やたらと「ふつう」という言葉が飛び交っているんですね。 フィジカルに子供を虐待する場合ばかりではなく、子供に対し心理的にプレッシャーを与え続けているダメダメ家庭の親も、何かというと「普通願望」を表明することが通常です。 「普通を目指してがんばろう!」というわけですね。 そして、自分の子供には「普通の子供」であるように要求する。 「オマエ!普通の子供になれよ!」という言葉を持ち出し、子供に命令することになる。 ここで気をつけておかないといけないのは、ダメダメ家庭は「ふつう」を自分たちの目標とするということです。それに対して、マトモな家庭においては、「ふつうでもOK!」というスタンスになります。 「ふつうでなければいけない!」のか? 「まあ、色々とやってみたけど、これもふつうと言えるわけだから、これでもいいや!」という現状を受け入れるスタンスのか? 目標なのか?試行錯誤の果ての結果なのか? 同じ「ふつう」という言葉を使っても、スタンスによって大きく違ってくるでしょ? じゃあ、ダメダメ家庭の親が自分の子供に要求する「普通の子供」って、実際には、どんな子供なの? もし、今現在この文章を読んでいる方の周囲に、実際の子供がいて、その子供に対して「普通の子供って、どんな子供だと思う?」と聞いたら、子供たちはどう回答するでしょうか? 「えっ?普通の子供って言われても・・・」「分からないなぁ・・・」「雰囲気的には、なんとなく分かるけど・・・」との回答になるのでは? 一般的な子供は困惑するだけでしょう。実際に「普通の子供」というか、「どこにでもいるような子供」という存在であれば、「普通の子供というものが、どのようなものか?」は分からない。「普通」というのは「普通」というものを、「普通の外」から見ることによってのみ理解できるものだからです。そんなものでしょ? 普通と言うものを、外から見ているのか?普通の中にいるのか? その点において、違いがあるんですね。 そもそも「普通の子供と言うものは、このようなもの・・・」とスラスラ回答できる子供がいるでしょうか? もし、いたとしたら、そのようなことができる子供は普通と言えるでしょうか? そんなことはありませんよね? ダメダメ家庭の親はそのようなことを分かっているの? もしかすると分かった上で、自分の子供に対して「普通になれ!」と言っているのかもしれませんが、分かっていない場合の方が多いでしょうね。 だから、自分の子供に対して「普通の子供になれ!」と口を酸っぱく要求することになる。 このような要求は、子供に対して、多大な困惑を与えることになるわけです。結局は親の「普通」要求に応えようと、子供は周囲の「普通の子供」の行動パターンを十分に観察し、外見上マネするようになるわけです。ひたすら「人に合わせる」ようになってしまう。 そうして、周囲の子供と相違点がない「その他大勢状態」に埋没しようとする。 そして、周囲との間で相違点が見出されたら、大あわてでそれを修正しようとする。 そのように、周囲を伺い、トラブルが発生しないように配慮ばかりしている子供は、一般の子供から心理的にギャップが生じ、「子供らしさ」が喪失することになります。もはや心頭滅却して、ひたすら周囲の子供の言動に合わせるようになってしまう。とてもじゃないけど、子供っぽくノビノビと・・・とは行きませんよ。常に切羽詰まった状態になってしまうでしょ?生きている実感とは無縁になってしまいますし、大変に気疲れしますよね。 と言うことで、結果的に「普通の子供」ではなくなっていくわけです。 逆説的ですが、「普通の子供になれ!」と要求することによって、自分の子供を「普通の子供」の状態にいることを阻止することができるわけです。子供としては、親からの要求に応えるためには、自分が規範とする「普通の子供」を「外」から観察しなければならないわけですので、どんどんと、その心理的な立ち位置が、普通の子供の領域の外になってしまうわけです。 「ふつうの子供」の行動パターンから外れないように、常に気をつけておく・・・それがダメダメ家庭の中にいる子供の「お仕事」なんですね。 そして、その成果を出さないと、上司たる親から厳しい指導が入ることになる。 一般的には、親は子供に対し「オマエのやりたいようにやりなさい。ただ、あまり、周囲の人に迷惑を掛けちゃダメだよ。」と言ったりするものですが、ダメダメ家庭においては、周囲との間でちょっとでも相違点が発生してしまうと、親から弾劾されてしまう。 自分のやりたいことを押さえつけられ、常に周囲に目を配る必要がある。 つまり、心理的な余裕とはまったく無縁となっている。 本来は子供という存在は、モラトリアムな存在でしょ? 基本的には自分のやりたいことをやれる時期でしょ? しかし、ダメダメ家庭においては、そんなモラトリアムな状態は許されない。 被害者意識が強いダメダメ家庭の親は、子育ては親である自分が押しつけられた被害だと認識している。だから、自分の子供を保護するという発想を持っていない。 つまり、ダメダメ家庭の親は、保護者とは言えないわけです。 だからこそ、ダメダメ家庭の子供は、親に守られるというモラトリアム状況にはいない。 子供としては、自分の身は自分で守らなければならないので、トラブルは絶対に避けなくてはならない。だからこそ、ますます周囲を伺うことになり、モラトリアム状態からますます遠くなる。しかし、モラトリアム状態とは無縁の「ふつうの子供」がいるわけがないじゃないの? しかし、ダメダメな親は、子供に対し「ふつうの子供になれ!」と要求するばかり。 つまり、「その他大勢」の人間と見分けがつかない状態になれ!と親から要求されるわけです。 そんな家庭で育った子供は、親から「その他大勢」を要求され続けて来たので、長じた後に、「一対一」でのやり取りができなくなることがあります。 大勢の中で埋没できない状態になってしまう、心理的なプレッシャーを持ってしまう。 それこそ大勢の兄弟がいるダメダメ家庭の出身者は、その大勢の兄弟と一緒の時でないと、その人の親と会おうとしなかったりする。 親との間でも、「一対一」のやり取りができないわけです。 まさに「ふつう」の規範となる姿を、スグに確認できる状況でないと対応ができない。 その他大勢の一員でないと、特に親の前では、心理的に落ち着かない。 そんな人間が、子供を持ったりすると、その人の子供との間で、一対一のやり取りが出来るわけがないでしょ? しかし、その親の側は、多くの兄弟に埋没するシチュエーションを見計らって、形の上では親と会ってはいるので、自分が親を嫌っていることは自覚していない。 だから、自身の子供に対しては、親である自分に会いに来ることを要求することになる。 しかし、そんな要求を出す親の側も、実は、自身の親が嫌い しかし、埋没状況の時しか親とやりとりをしていないので、それが自覚できていないわけです。 ひたすら周囲に合わせているだけなので、その人自身の生き生きとした感情なども滅却してしまっている。だからこそ、親に対する嫌悪感も滅却してしまう。だから、その人が自分の親を嫌っていることを自覚していない。 ただ、たまたま、親との間で「一対一」でのやり取りが必要になったりすると、パニック的な状況になったりする。そんなパニックから、その人が無意識的に抱いている親への嫌悪感が見えてくるものなんですね。 自身の感情や考え方や希望を「ふつうになれ!」という名目で否定され続けてきたわけだから、そんな人が自分の親に対して、信頼も好意も抱くわけがありませんよ。 だからこそ、逃げ場がない「一対一」の状況になるとパニックとなるわけです。 ダメダメな親が言う「ふつうの子供」というのは、外見上において「ふつうの子供に見える」子供ということであって、いわゆる無邪気とか、遊び心とか、あるいは、いざとなったら親がサポートしてくれるという心理的な余裕とかとは無縁となっている。モラトリアムとは無縁で、常に成果を求められている。求められる成果が「ふつうの子供の外見」というだけ。 いわば、「ふつうの子供」の外見を、周囲に対して見せると言う重荷を背負って生きている状態となっている。 つまり、子供時代から、仕事をしているわけです。 「ふつうの家庭」の姿を見せるための、登場人物としての役割を演じているわけです。 しかし、それって、普通の子供の心理状態ではないでしょ? そんな日々で、いつ子供体験をするの? 「子供時代のない人間がどのような未来になるか?」 その点については、説明するまでもないでしょう。 親としては、自分の子供が、普通の子供であるように見せるように育てていても、逆に言うと、子供としてはそのノルマ達成のために必死な状態となっている。 まさにダメダメ家庭というものは、このような外見だけは『普通の子供』を育てているわけです。 そして、心頭滅却の訓練を積み重ね、精神的な疲労を積み重ね、本当に自身を滅却してしまう。 何も、自殺のようなレヴェルにはならなくても、周囲に合わせて自分の希望や感情を抑圧し続けて来たのだから、鬱病くらいにはなりますよ。 そうして、鬱病になった子供の前で、「ああ!どうしてこんなことに?!ワタシはただ、ふつうの生活をしたかっただけなのに・・・」と、ダメダメな親は嘆くことになる。 しかし、「ふつうの生活」を求め、子供に対し要求していたが故に、そうなったんですね。 |
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R.11/2/15 |