トップページに戻る 配信日分類の総目次に戻る 食事を巡る風景
カテゴリー分類の総目次に戻る タイトル50音分類の総目次へ リーダース・チョイスのトップに戻る
カテゴリー ダメダメ家庭は嘆き節がいっぱい!
配信日 03年10月8日 (10年9月25日 記述を追加)
タイトル 料理や食事の苦労を嘆く
よく、子供が学校でイジメにあって自殺した・・・との報道があった折に、親の方が「子供へのイジメを防止できなかった学校を責める。」映像がでてきますよね?
「学校側の管理責任が十分ではなかった!」というわけです。
しかし、その報道の映像を見ているマトモな家庭の人は、こう思うはずです。
「そもそも自分の子がいじめられているのに、親の方で何か対応を取ったの?」って・・・

しかし、大体そのような親は子供が学校でイジメにあっていることも知らないことが多いんですね。
まあ、そのこと自体が、いかにもダメダメ家庭ですが・・・
マトモな家庭だったら、子供としても、自身が困っていたら、まず親に相談するでしょ?
だから、テンポラリーにイジメが発生しても、それが継続することにはならない。
しかし、ダメダメ家庭では、子供の側で親に対して気を使って、親には相談しない。
家族に対して、相談を持ちかけないこと自体が、典型的なダメダメ家庭の状態と言えるわけです。まさに、子供の相談を受けるという機能が不全となっているわけです。
まあ、だからこそ学校で継続的にイジメられちゃうんでしょうけど・・・

では、何故に、ダメダメ家庭の子供は親に対して遠慮するの?
死ぬほど困っていても、親には相談しないほどに。
逆に子供に遠慮させるにはどうすればいいの?
子供に面倒なことを言わせないようにするために。

その一例を、食事中の会話?で例示してみましょう。

食事を取ることが好きな人でも、料理することは嫌いな人は多いでしょうね。
料理することの面倒さ。材料を購入することの鬱陶しさ。

子供との食事中に、「この食卓が実現されるまでに、いかに親が苦労し、人生を棒に振ったか!」を懇切に教えてあげること。このことは子供が親に遠慮してくれるようにする有効な方法です。
まあ、ダメダメ家庭においては、意識はしていなくても、毎日がこんな感じの食卓風景となっているわけです。まさに、何も考えずに、グチが続くことになる。

食卓風景の具体例で示してみましょう。

親「あ〜あ、料理するってイヤだなぁ・・・」

子供「・・・」

親「雨の中、傘をさして自転車でスーパーに行くのって大変なんだよ!」

子供「・・・」

親「おまけに、スーパーで大嫌いな○○に会っちゃって・・・鬱陶しいったらありゃしない!」

子供「・・・」

親「このお魚だって、値段も高くって・・・全く・・・しょうがないので買ったけど・・・」

子供「・・・」

親「おまけにこの暑いのに、火を使って料理して・・・汗ダクダクになっちゃった・・・」

子供「・・・」

親「この魚を切り分けるのも、気持ち悪いんだよ〜。」

子供「・・・」

親「大体、こっちは毎日仕事して忙しいし、疲れるし・・・」

子供「・・・」

親「自分で料理したものを食べても全然おいしくないんだよね・・・」

子供「・・・」

親「ホント、人生棒に振っちゃったわ!アンタは何も苦労がなくていいわねぇ・・・」

子供「ねえ、このお皿に昨日の料理の野菜がまだこびりついているよ・・・この皿、ちゃんと洗ったの?」

親「昨日の料理って、どっちにせよ、食べ物でしょ?こびりついているのも食べればいいじゃないの?大体誰のためにこんなに苦労していると思っているの?!」

こうなると、さすがにね・・・

「誰のために、こんなに苦労しているの?!」と普段から言われていたら、学校での困りごとなど相談できないでしょ?

子供の方は、食事中の親からの苦労話によって、今後は親に苦労をかけてはならないと思うようになるわけです。それに、どうせ相談しても、事態がよくなるわけもなく、親からイヤミを言われるだけなのは簡単に予想できますしね。だから学校での困りごととか、その他の困りごとは親には相談しないんですね。だから学校でのイジメ自殺になったり、ドメスティック・ヴァイオレンスの被害者になったり、会社での過労死になったりするわけです。

また、そんな境遇の子供は「食事」なり「食卓」そのものが嫌いになります。当然ですよね?
親からの苦労話しか覚えていないし、料理を見ると条件反射的に苦労話や親からのイヤミを思い出すんですからね。
料理を見た時点で、気分が不快になる・・・それがダメダメ家庭の子供。
パブロフの犬もビックリですよ。

子供がトラブルを抱えていても、あるいは、大人になってドメスティック・ヴァイオレンスなどで今にも死にそうな状況にあっても、親には相談しない。自分一人で抱え込み、結局は、自分を殺すか、相手を殺すかの、カタストロフとなる。そんなカタストロフとなっても、親の方は、イジメを放置した学校や、働かせすぎた会社、ドメスティック・ヴァイオレンスの相手方を責めていれば済んでしまう・・・社会は案外ダメダメ家庭に甘かったりするわけです。
長崎の事件(中学生による突き落とし事件)の家庭の食事風景も上記のやり取りに近い感じだったと思うんですよ。

そういえば、千葉県で絵に描いたようなダメダメ家庭出身者による殺人事件がありました。
勿論、殺人事件そのものも大事件ですが、その前段階として未成年が一緒に集まって、実家から離れて共同生活することがそもそも事件でしょ?
しかし、今回のような食事風景の家庭だったら、子供だって逃げ出しますよね?
その殺人事件に対しては、それなりの処分があるでしょうが、トラブルの本質といえる実家の親の方は、何もお咎めなしなんですからね。

日頃から、こんな感じで子供に対しグチっていれば、いずれはトラブルとなるのは、マトモ家庭の人だったら、たとえ子供でも予想できることでしょ?
まあ、というか、マトモ家庭の人だったら、こんな食卓の会話が存在する家庭がこの世に存在することが、とても理解できないでしょう。

しかし、ダメダメ家庭は当事者意識がなく、被害者意識だけがある。
当事者意識があれば、そんなに食事を作るのがイヤなら、そもそも、結婚しなければいいし、せめて子供を持たなければいいという判断もできうる。
しかし、当事者意識がないがゆえに、何も考えずに、それが「ふつう」だからと、流れに任せて結婚し、出産する。

何も考えていないがゆえにできた子供なので、「ワタシは何も間違った判断はしていない。」となり、不都合なことの原因としては全部子供のせいになってしまう。
だから、食事を作ることも、「子供がいるせいで、食事を作ることを押し付けられた、ああ!ワタシってなんてかわいそうなの?!」と被害者意識でいっぱいにしている。
そんな女性と結婚するような男性も、当事者意識がなく、被害者意識しかないダメダメの同類。

というか、当事者意識がある人間であれば、そんなことでグチを言うような人間とは結婚どころか同じ空気も吸いたくはありませんよ。
子供としても、本来は一緒にいたくもないけど、法律上一緒にいなくてはならないし、周囲の人間は、「子供を愛さない親はいない。」という大義名分を掲げ、子供からの相談を門前払いするだけ。

常に、自分の被害を語る人間は、自分の子供を育てることも、自分が押し付けられた被害として認識していることは、当然の論理。
そんな状況で、子供は親に対して何を要望できるの?

結局は、子供としても心頭滅却するようになる。
まさに、自主的に「生ける屍」になってしまう。親と同じように、何も見ず、何も感じず、何も考えないことに徹する。だからこそ、コミュニケーションは不全だし、当然のこととして人の気持ちもわからない
こんなことだから、ドメスティック・ヴァイオレンスになってしまうし、そんな事態が発生しても実家には相談できず、自治体などの顔の見えない機関を利用することになる。
そんな機関にいるアドヴァイザーはボンクラな人なので、その問題の本質的といえる実家の問題まではアタマが回らない。
ただ「加害者を責め立てて」、それでオシマイとしてしまう。

ドメスティック・ヴァイオレンスのようなものなら、夫を責めるのも相応の合理性があるわけですが、子供の問題の場合においては、そのような機関は子供の側を責め立て、親の問題は放置することになる。
だから、実態がより悪くなったり、子供の側がさらに気を使って、潜在化するだけ。
そもそも、そんな食事の問題からして、子供を責めるような家庭にしてみれば、そんな親に対して何を言っても無駄。中途半端にアドヴァイスしても、そんな親は、子供に対して「オマエのために、また面倒なことになった!食事の世話だけでもこんなに大変なのに!」と立腹して、子供に対して報復するだけ。

被害者意識が強いダメダメ家庭においては、子供に食事を与えることすら、大いなる被害と認識しているわけです。そんな家庭だからこそ、子供が事件を起こすわけですが、子供が事件を起こした後になって、その親が謝罪を拒否するようなことが頻繁に起こったりしますよね?
そんな親の心理も、「自分は子育てという面倒を押し付けられたかわいそうな被害者」という自己認識を持っていることを理解すると、意外にも理解できるようになるでしょ?
彼らとしては、「自分こそが、かわいそうなんだ!」と思っているわけです。

だったら、子供なんて作らなきゃよかったのに・・・と思われる方も多いでしょうが、ダメダメ家庭を作る人間は、当事者意識がなく、責任感も覚悟もないがゆえに、何も考えず、ただ目先の被害に反応するだけ。ダメダメ家庭においては、「自分は子供がキライだから、子供を作らない。」という自己認識なり判断ができないがゆえに、結果的に子供ができたりするもの。
当人の判断の結果として子供が生まれたわけではないので、子供によるトラブルに際し「ワタシは何も悪くない!」と言い出すのは、論理的には当然のこと。
そして、発生したトラブルについて、勝手に嘆いたり、子供を責め立てるだけなんですね。

******************************************************
R.11/2/3