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カテゴリー | ダメダメ家庭の人間の行動 |
配信日 | 03年10月10日 (10年6月25日 記述を追加) |
タイトル | 「て・き・と・う」に子供の名前をつける |
今(03年)から、15年近く前に、自分の子供に「悪魔」と言う名前を付けようとした人がいました。 結構評判になった事件でした。 覚えていますか?近頃のワカイモンは、そもそも知らないかなぁ・・・ その「悪魔」という名前が、役所で受理されず、裁判に打って出て、結局は、裁判で不可とされてしまいました。 実際にその子供が「悪魔」という名前になってしまうかどうか、という問題もありますが、自分の子供に「悪魔」という名前を付けようとした親であるという事実は、厳然として変わるところではありませんよね? このような親を持った・・・というよりも、持たざるを得なかった子供の将来は・・・言うまでもないことでしょ? 「悪魔」という名前をつけようとした親の方は、自分の子供が「悪魔」のように強くなって欲しいという意向だったとコメントしていたようですが・・・ 全く、何やっているんだか? この「悪魔」という名前のように「凝った」名前ばかりではなく、逆のパターンで、全く「素っ気無い」名前もあります。いかにも適当に付けた・・・という趣が顕著な名前も存在しますよね? 学校なり、また子供同士の会話で、「君の名前の由来は?」という会話があったりするものです。 それこそ、「悪魔」という名前であったら、「悪魔のように強くなってほしい。」なる親の希望が語られるのでしょうが、「素っ気無い」名前の場合は「て・き・と・う。」と回答する以外にはないでしょう。だって、実際に「てきとう」に付けたのですからね。 親が自分の子供に対して最初に行う行為である、「名前を付ける」という行為を適当にぞんざいに行う。そして、そのことを子供に伝える・・・「えっ?オマエの名前の由来?オマエの名前なんて適当に付けただけだよ。何の意図もないなあ・・・。」「その時の気分だよ!」「たまたま見ていたテレビ番組でこの名前の登場人物がいたから・・・」そんな感じになってしまう。このことの意味は、子供には十分伝わるでしょ? 「何事も適当でいいや!」という発想・・・ちなみに韓国では「ケンチャナヨ」と言うそうですが・・・そのような発想の親に対して、子供は決して頼ることはできません。 「適当でいいや!」と言った発想は「自分のキライなことをやらされている。」と言う一種の被害者意識が根底にあるからです。 「やらされている」と思っているからこそ、ぞんざいになるわけでしょ? 実際に「名は体を表す。」とよく言ったもの。 名前というものは、「名前を付けられた」子供を表しているのは勿論ですが、言うまでもなく「名前をつけた」親の資質も如何なく表していることになるわけです。 だって、子供が出てくる??まで、10ヶ月以上あったわけですからね。 出てきたら慌てて名前を考える・・・と言ったものではないわけです。 そうでしょ? それまでの思考の積み重ねであるわけです。 と同時に、親のもつ環境の結果でもありますよね? 子供に「悪魔」と名前を付けようと市役所に申し込んだ人ですが、彼の周囲にマトモな人はいなかったのでしょうか? 彼の周囲に常識人がいたら、絶対に止めさせたでしょ? また彼の親は一体全体何をやっていたんでしょうか? 自分の孫が「悪魔」という名前を付けられようとしている時に、のんきにお茶でもすすっていたんでしょうか? あるいは、子供は男性一人でできるわけはありません。では、共同制作者?の妻はどのような見解だったのでしょうか? このように考えると、実際に「悪魔」というネーミングが役所で受理される、されないと言った問題ではないことがわかりますよね? 実際、子供の名前をつける行為と、その後の子育てはよく似ています。 例えば、子供の名前をエライお坊さんにつけてもらう人もいます。 このような親は、大体において、自分の子供を付属の小学校とか中学校に子供を入学させようとします。 勿論、お坊さんに名前を考えてもらうこと自体が、問題であるわけではありませんよ。 ただ「お坊さんに丸投げ」の場合と、「親がちゃんとその名前の故事来歴をお坊さんから教えてもらって、それを子供に説明する。」場合は全然違ってきますよね? 「丸投げ」して、お坊さんのブランドだけを子供に伝える場合は、そんなことをする親は、その後の子供への教育も、学校に丸投げです。 お坊さんに考えてもらって、その故事来歴を納得して子供の名前をつけた場合には、やっぱりその後の子供への教育にも、的確に関与する親になります。 まあ、現実的には、そこまで故事来歴に関わる名前にする親は、よほどの親でしょう。 子供の名前に、そのような故事来歴が必要となるのは、特殊な業界だけでしょうからね。 親として、まずは自分なりに考えるのがスジなのでは? 親自身が知らないような故事来歴にちなんでも、ヘタをすれば地雷になるだけですよ。 教養があるからこそ、故事来歴も理解できるわけで、教養もないのに、その手の故事来歴に頼ったりすると、ボロを出してしまって失笑される可能性もある。 しかし、周囲の人から値踏みされているという意識を普段からもっていると、ムダに格調高い名前を求めてしまうわけ。 自分の子供の名前を考えることを楽しむ人は、その後の子育ても基本的には楽しんで行えます。 逆に、「あ〜あ、名前を考えるのは鬱陶しいなぁ・・・」などと思ってしまう親は、子育てもイヤイヤですね。だから子育てにおいても「無難に、無難に、ふつうに、ふつうに」となるわけです。 そして子供に対して「ふつうの子供になれ!」「親に迷惑をかけるな!」と厳命することになる。 そもそもダメダメ家庭の人間は、抑圧的であり、自分で考えることに対して心理的な恐怖感を持っているもの。 だから、子供の名前だって、自分なりに色々と調べたり、あるいは考えた上で選択したり判断するのが怖いわけ。名前そのものよりも、そのような選択なり判断の場が不快な状態。だから、そのような選択の場から逃げたいと思っている。 だから、妊娠中には何も考えたりもしないで、いざ出産されてしまうと、必要に迫られて、「エイヤ!」と決めたり、流れに任せて「てきとう」に決めることになる。 子供に対して、子供の名前に対して、託す思いがないわけ。 選択の場が心理的に怖いそんな人間は、「子供をいつの時点でほしいのか?」判断せずに、子供をもってしまう。そんな判断の場から逃避するために、避妊もせずに「とりあえず」「てきとう」に妊娠してしまうわけ。そんな形でできた子供の名前なんだから、やっぱり「てきとう」になってしまうでしょ? 逆に言うと、いかにも「てきとう」に付けた名前の子供は、「てきとう」に妊娠してしまった結果の子供なんですね。 もし、今回のメールマガジンを読んでおられる方で、自分のお子さんが学校の友人を家に連れて来たとしましょう。その時は、その友人に「名前は?○○君って言うの?へぇ・・・その名前ってどんな意味があるの?」って聞いてご覧なさいな。 面白いですよ。 それに、いきなり「お父さんのお仕事は?」と尋ねるより、穏健ですしね。 しかし、「お仕事は?」と聞いて「サラリーマン」と答えられてしまうより、「名前の由来」を聞いた方が、親に関する情報が得られるわけです。 自分の名前の由来を丁寧に答えられる子供は、いい家庭環境ですね。 逆は要注意。 そもそも「何故、私の名前の○○なの?この○○は、どういった意味なの?」という会話自体がないような家庭なら、典型的なダメダメ家庭です。 まさに「名は体を表す。」・・・「悪魔」と名前を付けられそうになった男の子・・・今頃どうしているのやら??? (終了) *************************************************** 発信後記 先日、東北の方で若い母親が病気の息子を置き去りにして、逃亡してしまった事件がありました。息子さんは遺体で発見されたそうですが・・・ 報道ではチラッと触れていましたが、母親が10台の頃に産まれたお子さんのようですが・・・ その母親は、子供が産まれて成人するまで、母親としてどのような資質が必要か?考えないで出産したことは確かでしょう。「だから、そんな母親はケシカラン!」など母親を非難することは簡単ですが、必要な母親の資質を学ばないで、思春期を迎えたのでしたら、避けられないことともいえます。 その置き去りにした母親の母親はどのような人だったのか? いずれにせよ、ダメダメ家庭であったことは確かでしょうが・・・ |
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R.10/6/25 |