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カテゴリー 子供がピンチの時
配信日 03年10月15日 (10年9月23日 記述を追加)
タイトル 子供が病気になったら
子供はよく病気になるものです。
勿論こと、当人が好き好んで病気になるわけではないでしょう。しかし、子供の身体は、抵抗力がありませんから、どうしても病気になりやすい。
自分の子供が病気になった際に、ダメダメ家庭ではマトモ家庭とはかなり違った状況を呈するものです。

まず、医者に連れて行く前のやり取りが、いかにもダメダメ。

「夫婦でどちらの側が子供を医者に連れて行くのか?」
この時点で夫婦間で、議論の応酬があったりします。

「オマエが連れて行けよ!」

『イヤよ!アンタが連れて行ってよ。私は忙しいんだからね!』

「俺だって仕事で疲れ果てているのに、ヤダよ!」

『いつも「イヤなこと」は、私に押し付けるんだから・・・』

「だいたい、子供の面倒は母親の仕事だろ!オレはそんなものはもともとイヤだったんだ!」

子供の前で展開される、このような議論によって、子供は「病気になってしまって申し訳ない。」と思うようになります。

また、このような夫婦のバトルの詳細が聞こえる必要はないわけ。
親同士で激しく声が飛び交っている・・・これだけで、「議論」されている内容は子供だって分かるものです。

そして、医者にいる時には、親の方で「あ〜あ、コイツのせいで、困った、困った。」とため息をついたりするんですね。
病院にいる間も、病気で苦しんでいる子供などそっちのけで、マンガなど読んでいたり・・・
子供を心配するどころか、「オマエが日頃からしっかりしていないから、こんな風になるんだ!」と子供に対し説教する始末。

子供としても、さすがにいたたまれなくなる時間でね。ですから、それ以降は、たとえ身体の調子が悪くても、親には言わないようになります。
ですので、病気が悪化することが多くなるんですね。

となると、ますます親にとって、医者に連れて行くのが、大変な負担になってしまう・・・重病は周囲の人間にしても面倒ですので・・・
すると、重病になった子供を医者に連れて行くのに、夫婦でより大きな議論が巻き起こるようになります。

まあ、ダメダメ家庭では、このように「ダメダメ・スパイラル」が進行していくわけです。

よく、「家族がいると、病気の時に安心だよ!」って言う人もいますが、そのようにはならないわけ。
病気になった時こそ、一人暮らしでないとリラックスできない人になってしまうわけですね。

そんな心情がマトモ家庭の人間に理解できるわけもなく・・・
結局は、ダメダメ家庭出身者の似たような境遇の子供が集まって、まさに最近(03年)の千葉県での16歳の女の子を殺した集団のようになってしまうわけです。
あのような集団でも、実家よりもはるかにマシなんですからね。
彼らの罪や残虐性を糾弾するのは簡単ですが、このような境遇では仕方がないとも言えるでしょ?

ただ、このような、「ババの押し付け合い」のようなやり取りを、病気の自分の子供の前でやっても、決して法律違反ではない。
結果的に、子供を医者に連れて行けばOKでしょ?
最後まで医者に連れて行かなければ、いわばネグレクトとなってしまいますが、その前段階で色々とあっても、法律的には問題ないわけ。
ダメダメ家庭は基本的には法律違犯はしていないものです。
育てられた子供の側が、結果的に法律違反をするだけなんですからね。

子供が生まれる際に、「五体満足であれば、それでいい・・・」なる物言いがありますが、ダメダメ家庭においては、その言葉の意味が違っているわけ。
ダメダメ家庭においては、「五体満足でないとダメだ!」というような、一種の資格のようなものになっているわけ。
それが生まれてくる際だけでなく、普段も、そんな調子となっている。
病気などで、「五体不満足」状態になったら、その時点で不適というか失格というか不合格の子供とされてしまうわけ。
病気などによって、親として手間をかけさせられるのがイヤなんですね。

ちょっとでも子供から手間をかけさせられると、持ち前の被害者意識に火がつくことになる。
そうして「ああ!こんなに身体の弱い子供に当たってしまったワタシは、なんてかわいそうなの?!」と子供の前で嘆くことになる。
そんな嘆きを聞かされた子供としては、心理的ストレスを溜め込み、それがまた、身体の失調に繋がってしまうことは、誰でもわかること。
そんな事態になり、被害者意識が強い親は、更に大仰に嘆くだけ。

そして、親からのそんな嘆きの声を受けて、行政機関なり、ボランティアが、同情の声をかけ、サポートしたりする。
しかし、逆に言うと、そのようなサポートにより、ダメダメな親が考える「子育ては親である自分が背負わされた被害である。」という関係性を、外部から認定し、親の被害者意識を強化してしまうことになる。
まさに「ワタシはオマエを育てるために、大変な思いをしているんだぞ!周囲のみんなもそうだと言っている。」と、子供に対して更に言うことになる。
中途半端な同情なりサポートは、子供には逆効果なんですね。

家庭内で親の側から加害者認定を受けている子供としては、自身の意向は語れない。
「ワタシって、なんてかわいそうなの?!」と思っている親の側が、その被害を周囲に語るだけ。
そして、周囲も、その「被害の声」に対してサポートするから、子供としては逃げ場がなくなってしまう。

語られる被害の声ではなく、語ることもできない叫びに対してサポートしていくことが必要になってくるわけですが、そんなことを考えている人は、まあ、滅多にいない。
その子供がそのままお亡くなりになればまだしも、「生き残ってしまったら」、同類同士で結婚し、また、同じような家庭を築くことになる。

子供が病気になった際の対応を見れば、その親のダメダメさ・・・別の言い方をすると、心理的な病状も見えてくる。その時点で適切に対処すれば、少なくともカタストロフは防げるでしょう。
しかし、そんなダメダメ家庭が存在する周辺環境も、事前には何も対処せず、トラブルが起こった後になって、「あの家庭のせいで、オレたちが面倒なことに・・・」というもの。
まさに類は友を呼ぶ同類たち。
逆に言うと、ダメダメ家庭は、自分たちのダメダメさが「ふつう」でいられる環境を求めてしまう。だからこそ、子供の要望が無視されてしまう。

何度も書きますが、被害というのは、語ることができる分だけ、まだ余裕があるわけ。
本当に困っている状態とは、現状を語ることもできない状態。
それこそ、北朝鮮などは、民衆の側は、「ワタシたちは、幸せ!」と言わされていて、悲惨な生活をしている。しかし、「オレたちは、かわいそうな被害者だ!」と大仰に言っている人は、恰幅のいい体格でしょ?
ダメダメ家庭もそんなものなんですね。

(終了)
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ダメダメ家庭の子供が、極限まで我慢するようになることについては、「06年4月17日配信 公衆道徳」という文章でも言及しております。
R.10/9/23