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カテゴリー | もてなしの心 | |
配信日 | 03年11月5日 (10年6月9日 記述を追加) | |
タイトル | ちょっとしたマナー (お箸の使い方) | |
追記 | 読者さんからの追加文章があります。(10年7月16日) | |
ダメダメ家庭においては、子供を立派な人間にしようという発想自体をもっていないことが多い。ダメダメ家庭の親は当事者意識がなく、子供を育てるのが自分の義務だとは考えない。むしろ「子育てという面倒を押し付けられた、かわいそうな被害者」として自分を認識している。 ダメダメ家庭というものは、そもそも、家庭の基本的な常識が、マトモな家庭と大きく異なっているわけ。 そんな家庭の出身者は、ちょっとしたマナーによって、ボロがでてしまうものですね。 以前に「有栖川宮家」と名乗る人が、詐欺を起こしたという事件がありました。 その事件に関して「あの人は、とても良家出身者には見えなかった。お箸の使い方もひどかったし・・・」という声もありました。 お箸の使い方・・・これはまさにテーブルマナーですので、出身家庭の力量が如何なく発揮されてしまうものです。 これが、学生時代までだったら、まだ笑い事で済みますよね? 「アンタ、おかしな箸の使い方をするわねぇ・・・」 「そんな持ち方で、よく器用にお豆がつまめるわねぇ・・・」 それらの驚きの言葉で済んでしまいます。 実際に、学生時代には、そのように、周囲からびっくりされる人っていますよね? しかし、社会人になったら? まさか、大事な客先との食事の席で、お箸の曲芸を見せるわけには行かないでしょ? それに、会社の上司にしてみれば、その社員が「自分の子供に箸の使い方を指導してこなかった、ダメダメ家庭の子供」であることがわかってしまうわけです。 その社員が今現在いくら仕事の能力があっても、かなりのマイナスポイントになります。 別に家庭の身分とか階級が問題というわけではありませんヨ。 たとえば、その社員が仕事のストレスで厳しい状態にある時。 立派に機能している家庭だったら、その社員に対して家庭内で精神的にサポートできますよね? しかし、ダメダメ家庭だったら? ダメダメ家庭出身の人間だったら、精神的に参っている際に、実家は何の助けにもならないでしょ?結局は、その社員が自分ひとりで解決するしかないわけです。これは後々響いてきますよね。 人間のストレスも許容の限界がありますよ。周囲のサポートがなかったら「持ち」ませんよ。 あるいは、お箸の使い方ですらそんなものだったら、それ以外でも、常識からの逸脱が一杯あることは容易に予想できるでしょ? まずは、お箸が使えないということは、つまり、食べ方もよろしくない可能性が高いでしょ?食べ方に品がない人は、重要な場面には使えませんよ。 あるいは、何か便宜を図ってもらった時に出す礼状とかの挨拶などは、お箸の使い方もできない人間にとっては、無理に決まっているでしょ? あるいは、相互訪問などにおける、ちょっとした手土産のセレクトとか・・・ そのようなものについては、ある種の、常識があるでしょ? あるいは、フランクなやり取りならいざしらず、フォーマルなやり取りにおいては、相手の「立て方」にも流儀はあるでしょ? 相手をちゃんと立てないと、それこそ失礼と言われてしまいますよ。 そのような常識外れの可能性の高い人間に、重要な仕事を任せられるでしょうか? それに、親から受け継いだものがないということなら、その職業を選択した際なり、あるいは、就職した会社を選択した際にも、親はまるでタッチしていないことが想定できるでしょ? つまり、その会社で、実際に仕事をしながら「こんなはずではなかった!」とゴネるようになる可能性が高いわけ。 そんな人を、会社の側としても、信頼はできないでしょ? 大体において「お箸」の使い方なんて、親が30分じっくり教えれば習得可能ですよね?それはその家庭の経済状況とは関係なくできることでしょ? つまりダメダメ家庭では、子供のための30分もケチっているわけです。 ダメダメな親にとっては、食事の時間は家族にエサを与える時間に過ぎないわけ。 法律上の義務とされているから、「仕方がなく」遂行しているだけ。 いわば「やらされている」という感覚。 だからこそ、ますます被害者意識が燃え上がってしまう。 だから、ますます子供には何も指導しないし、もちろん、子供に指導するような常識も、親自身ももともと持っていない。 実際に、食事をするお店で周囲の人を観察して御覧なさいな。 「あれっ?!」というようなお箸の使い方の人もいたりします。 別にお箸の使い方が正しければ、「いい家庭」というわけではありませんが、「お箸」の使い方が悪ければ確実にダメダメ家庭出身者です。 そのようなことに気付いたりすると、必死にお箸の練習をしたり、むしろ、お箸を避け「ナイフとフォーク」の食事に逃げてしまうようになるわけです。 まさに、映画「マイ・フェア・レイディ」での例ですと、マトモな英語がしゃべれないから、「ワタシは英語はしゃべれない、ギリシャ語だけしかしゃべれない。」とかでごまかすような方法となってしまう。 それとも、「お箸」が使えない人間同士で集まるとか・・・ ちょっとしたマナーは、大仰なマナーよりも後になって学ぶことが難しいので、出身家庭の差が出てしまうことになります。 そのことに、後から気がついた人間は、将来への希望がなくなりますよね? 勿論のこと、後になって練習で習得することもできるでしょう。 しかし、そのためにストレスが発生し、そのストレスを家族はサポートしてくれない。 お箸の使い方のような簡単なことだからこそ、家庭の「身分の差」より、家庭の「機能の差」が出てしまうわけです。 あと、ちょっとした「しぐさ」で差がでたりしますよね? 以前のことになりますが、道を歩いていた隣の人が「クシュンッ!」とクシャミをして、その後に「チキショー!」と叫んだのに驚いた記憶があります。 「クシャミ」は生理現象なのでしょうがない。 しかし、その後に「チキショー!」とは!! そのような人に重要な仕事を任せることができるでしょうか? 人との折衝は絶対に無理ですよね? おなじクシャミだって、ハンカチで口を覆って「クシュンッ!」でしたら、「あれあれ、誰かアナタのうわさをしているね・・・」などと、笑って話をすることもできる。 このようなちょっとしたしぐさは、親のしぐさのマネなんですね。 だから「チキショー」以外の下品な言葉を発する可能性も高いわけ。 このような下品なしぐさが、いかに自分に不利なことであるかについて、本人が気がついた時点ではもう手遅れなんです。 それに、ちょっとしたしぐさのレヴェルまで、日頃から気をつけていたら、ストレスで大変ですよ。 ということで、ダメダメ家庭は現在のダメダメというより、子供の将来を破壊していくダメダメの面が大きいんですね。 (終了) *************************************************** 発行後記 大阪の南の方で、またまたダメダメ家庭の事件がありましたね? 子供に殺されちゃって・・・ ただ私も、マスコミとか警察経由の報道だと、正直分かりにくい。 私が直接子供の話を聞ければ、かなりまで分かる自信があるのですが・・・ ちなみに、「恋」とか言ってますが・・・ 「恋」という「絵に描いたような」ポジティヴな心理を持ち出して、自分自身が最も見たくないネガティヴな本当の自分の心理を覆い隠すことはよくあります。 「この恋のためなら・・・」と自分自身をだますわけですね? しかし、自分の娘がリストカットしていても、気がつかないのなら、何をか言わんや。 殺される以前に親失格ですよ。 |
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以下、この「ちょっとしたマナー」という文章へのミリカさんからの追加文章です。 | ||
私はお箸の使い方が悪かった。今でもまるで自信がない。当然、うまく物がつまめない。 それは両親が、私に正しいお箸の使い方を、根気強く教えようとしなかったからだ。実際に、お箸の使い方を私に教えるのを面倒くさがっていた。 だから、私は大人になって箸の使い方をいろいろと工夫し、練習するようにした。 お箸の正しい使い方がどのようなものなのかが、未だによくわからないのだが、最近では、ようやくそれなりに扱えるようになってきた。 お箸の使い方については、思い出がある。 私がまだ幼い頃のことであるが、たまたま遊びに来ていた近所の女の子と一緒に昼食をとることになった。 私の両親は、その女の子と私を比較して、その女の子の前で、「オマエのお箸の使い方は悪い。」と愚痴るのであった。 「どうして、うちの子はうまくお箸が使えないのかねぇ・・・、○○ちゃんはあんなに上手に使えるのにねぇ・・・」とか、「いつまでたっても上手にならないねぇ。」などと、その女の子が来るたびに、私に愚痴るのである。女の子の前で、とても恥ずかしくもあり、情けなかった。 おそらく、私の両親は息子である私の出来が悪い方が安心するのではないだろうか。 そう思いこんでしまうほどに、他者と比較する傾向があった。 それが私のトラウマみたいになって、中学生の時に、ある先生から箸の使い方を指導された際に、逆上してしまったことがある。 話は違うが、くしゃみをするとき手で口を押さえるというのが常識であるということも、中学のころまで知らなかった。それを先生から指摘されて驚きとともに、非常に恥ずかしい記憶として今も残っている。 でも、父は相変わらず手で押さえることなく豪快にくしゃみをしたものだった。 そのことを誰も指摘する人はいなかったのだろうか? あるいは、数年前のことであるが、あるレストランで食事をしていた時に、「食べ方がおかしい。」と同席の知人に指摘された。その時はスパゲッティーを食べていたのだが、その知人に言わせると、食べ方が子供っぽくて見苦しく、周囲の注目を浴びているということを言われた。 以前から外食にはあまりいい思い出がないのだが、その時から、外で食べるのがさらに嫌になった。 そのようなことを人に語ると、自意識過剰と言われたりする。しかし、私は周囲の人が私をどう見ているのかが非常に気になってしまう。マナーやエチケットに注意はしていても、何が常識かわからず、いったいどこをどのように気にすればよいのかも分からず、精神的に疲れ果ててしまう。 そのような心理的なストレスのせいで、外出するのが億劫になってしまった。 今はなるべく外出しないようにしている。なぜなら、出かけることを考えただけで体がだるくなり、気分が落ち込んでしまうのである。 それでも出かけなければならない用事がある時は、意を決した上で出かけるのだが、帰宅後の疲労感は相当大きい。後になって、出かけたことを後悔することもある。 そんなことを全く気にすることなく外出できれば、どんなに幸福だろうと思う。 |
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R.10/7/16 |