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カテゴリー | 弁解と謝罪 |
配信日 | 03年11月10日 (10年10月5日 記述を追加) |
タイトル | スグに政治のせいにする |
昨日は、衆議院選挙でしたが・・・ やっぱり、世襲の2世議員や様々な縁故に基づいた候補者が多くいましたね? 他の国と比較すれば、日本はまだマシなところもありますが、日本でも社会の不平等や不合理は顕著です。 国会議員の2世,3世の問題だけでなく、税金でも不公平な課税の問題は従来より続いています。 政治の世界だけでなく、実業界からマスコミ、芸術の分野にいたるまで不平等は顕著です。 ダメダメ家庭ではこのような社会の不公平,不平等がよく話題になります。 普段から不満が溜まっているわけですから、ある意味において当然ですが・・・ 「アイツは実力もないのに、出世して・・・・」 「コネがないと、絶対に出世できない。」 「このような問題はワイロで簡単にカタがつくんだろうなぁ・・・」 まあ、このような「実もフタもない」話が家庭内で展開されているわけですね。 しかし、子供にとってはたまったものではありませんよね? 世界の場で活動することを夢見ている子供であっても、とりあえず、日本というフィールドで活動を始めるわけですので、その場が「実力とは無関係に選別される。」ものだとわかってしまえば、ムダな努力はしなくなります。 それに何か困難に当たっても、それを自分自身で解決する意欲がなくなります。だって「うまくいかない理由」はすべて社会の不合理のせいなんですからね。 あるいは、家庭内の問題も「モトはと言えば、社会の不平等のせい。」ということにしてしまえば、家庭内の誰も傷つかずに済むでしょ? しかし、傷つかずに済むかもしれませんが、じゃあ、うまく行くようになるの? 直接的な犯人認定にはならないのかもしれませんが、だからと言って、子供は納得しているの? まさにダメダメ家庭における子供を描いた、フランソワ・トリュフォー監督の59年のフランス映画「大人は判ってくれない」は、連作シリーズとなって20年近く続いていきます。 ダメダメ家庭出身者の成れの果て状態を描いている78年の映画「逃げ去る恋」では、主人公の少年の母親とかつて付き合っていた男性が20年ぶりに現れます。 母親のかつての恋人も歳を取ってしまい「キミのお母さんは社会の不正が許せなかった。アナーキストだったんだ。」と発言していたシーンがありました。「だから、君も母親を許してやれよ・・・もう死んでいるんだし・・・」と言うわけです。 その「お母さんはアナーキスト」発言に対し、かつての少年の成れの果てのアントワーヌはやり場のない表情を見せていました。「怒って、やりきれなくて・・・自分で自分自身をどうしようもない。」と言った感じの表情です。 社会の不合理は、社会というものがある限り、永遠になくならないでしょう。 不合理の中で、どのように自分の子供を育てるか?社会の不合理の影響を直接的に自分の子供に及ぼすのか?不合理の緩衝役に親がなるのか? 本来は、家庭というものは、社会と子供の間の緩衝役としての機能を持っているものでしょ? 社会に不合理があれば、それで家庭内の愛情の欠乏に直結するとでも言うの? 違いますよね? ナチスが支配していたドイツだって、現在の北朝鮮だって、昔のソビエトだって、家庭内の幸福は、政治の問題と直結するわけではありません。 だって、子供の話を聞くことなんて、政府にどんなに問題があってもできることですものね。 社会の不合理に対する親の役割は、法律で規定されているわけではありません。 実際にこの社会は不平等で不合理なものでしょう。しかし、家庭における問題、人が生きて行く上での問題・・・それらがすべて「社会の不合理」に還元されるわけではないわけです。そのことは子供でもわかること。 しかし、家庭内で「社会の不合理」を指摘し続けることにより、すべての問題を社会問題にすり替えることができるわけですね。 「あらゆる問題は社会が悪いせいだ!私は被害者に過ぎない!!」 そのような社会の不合理の被害者である「親」に向かって、子供は自分自身の困りごとを相談できるでしょうか? できませんよね? だって、親自身がまずもって、社会の被害者なんだし、悪いのはすべて政府なんだし・・・ たとえ、無理に困りごとを相談しても「面倒なことを持ち込むな!みんな政治が悪いんだ!」と一喝されてオシマイですよ。 しかし、「子育て」に理想的な社会なんて、未来永劫存在しないでしょ? 「どんな時代のどんな社会が、アナタの理想なの?」 「アナタの理想社会は、具体的にはどんな姿なの?」 そんな質問を子供が親に対してしたら、どんな答えが返ってくるでしょうか? 「うーん・・・」という無回答だったり、それこそ、某国の社民党党首のように「ふつうの人が、ふつうに働いて、幸せを感じられる社会。」というような雲をつかむような言葉になってしまうでしょ?あるいは、「そんなことを、オレに聞くな!」と逆上されるのがオチ。 たとえ、親からの答えが返ってきたとしても、その「理想社会」と、今の社会との違いを、具体的に説明できるの? 具体的に説明できなければ、対処のしようもないでしょ? 子供だって、どうすればいいの? 第一、 そんなにこの社会が不平等なら何故に子供なんて作ったの? 親が語る社会に対する不満を聞きながら、子供だってそう思ってしまうんですね。 「政治が悪い。」という全否定ではなく、問題があるという部分否定ならいいでしょう。 その問題なる部分に対処すればいいだけ。 しかし、ダメダメな親は全否定なんですね。つまり、「自分は政治による被害者だ。」と認定できればそれでいいので、いつも持ち出している政治の話題も具体的には考えていないわけ。 本当に政治が悪いと考えているのなら、子供を作ってはダメでしょ? 「政治が悪い。」とグチってばかりのに、子供を作るような人間は、結婚してから、結婚相手のグチを言い、子供を作ってから、「子育ては大変だ!」とグチっているは、当然のこと。 そんな雰囲気で、家庭がマトモに運営されるわけがないじゃないの? 別のところでも、書いていますが、そんなダメな政治の社会に子供を送り出したということは、子供本人を否定的に見ているわけ。 ゴミはゴミ箱に入れ、宝石は宝石箱に入れる。 ゴミのような社会に、送り出された子供は、親にしてみれば、所詮は、ゴミ扱いなんですね。 家庭内において、社会の不平等を指摘することは簡単ですが、結局は、ダメダメが進行するだけなんですね。 そして、家庭のダメダメが進行し、親の側は「ああ!なんてヒドイ時代なんだ?」「政治家はもっとしっかりとしてくれないと!」「ああ!ワタシって、なんてかわいそうなんだ?!」と大仰な嘆き節。 しかし、そんな嘆きが飛び交う家のお隣さんの家では、笑顔が絶えない楽しい家庭だったりする。 そして、ダメダメな親は、うまくいっている家庭を横目で見ながら、ますます社会の不平等を語り、ますますダメダメになっていくわけ。 その家庭内では、「悪いのは全部政治のせい。」なんてことになっているので、まさに「あら探し」の精神で、政治を語りたがる。 「あ〜あ、今の政治はこんなところが問題があって・・・」 「あの政治家のこんなところには困ったものだ!」 実に政治談議が好きな人になってしまうわけ。 そんな環境で育つと、「この悪い政治を自分の手で変えていこう!」と政治家を志す人も出てくる。そのこと自体は、それなりには結構なこと。 ただ、自分の育った家庭のダメダメさを自覚していないと、すぐに被害者意識が爆発したり、対抗心に安住し、あら探しばかりになってしまう。 まさに、自分の親の流儀を、政治家になっても再現してしまう。 そんな政治家って、実際にいるでしょ? 政治家にならない場合は、いつまでも、政治談議ばかりの人になってしまう。 そもそも、ダメダメ家庭を作る親は、「意外にアタマがいい」ケースがあることは、別のところで書いております。 当人がアタマがいいのに、それが発揮されないので、不満がたまってしまっているわけ。 そして、だからこそ、犯人探しの心理を持っている。 「あの○○のせいで・・・うまくいかない。」と言いたいわけ。 不満いっぱいのアタマのいい人は、いささか得意気に政治談議をすることになる。 「このあたりに住んでいる愚鈍な連中は、こんな高尚な政治の話なんてできないだろう!」 「こんな難しい政治の話ができるオレって、なんてスゴイんだ?!」 「それなのに、このオレはこんなにみじめな境遇で・・・」 「本当に、今の政治には困ったものだ!」 そうやって嘆いていくことになる。 その手の人は、ある意味において、アタマがいいわけですが、おっしゃるとおりの悪い政治状況だったら、本当に思考力があれば、子供なんて作りませんよ。 議論のための議論に適したアタマの良さは持っていても、事態を認識し、解決案を立案していく思考力は持っていないわけ。 だから、その手の政治談議は、「自分をかわいそうな被害者」と理屈づけるものでしかなく、自分の目標達成のためのものではない。 政治のあら探しばかりで、自分の行動につながらないわけ。 今だったら、そんな環境で育った人間が、インターネットの掲示板に入り浸って、熱く政治談議を繰り広げているでしょ?自分の知的な能力が生かされない状況にある人間が政治に対する不満を家庭内で語り、その家庭の子供が、インターネットに入り浸って政治を語り、情報強者などと自称していたりする。 まさに、絵にかいたような、「子は親の鏡」状態。 親でもその子供でも、高尚で一般論的な政治談議には一生懸命でも、自分自身が達成したい目標は何も語れない。 本来なら、「自分のこの目標を達成するために、政治のサポートがほしい。」とか、「今の政治は、自分の目標を達成するために、この面が障害になっている。」とかの具体的な説明ができないとウソでしょ? そんな自分自身の問題に直結していないマターを議論してばかりだからこそ、何も達成できず、ますます不満が募ってしまう。 そして、そんな姿は、やっぱり、その人の両親の姿に生き写しだったりするものでしょ? (終了) *************************************************** |
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R.10/10/5 |